異常事態! 現実世界にファンタジー!?
不審者が部屋に入り込んだ場合、警察を呼ぶのが正しい行動だ。
しかし、この不審者は普通じゃない。
文字通り、異常。
そこにいるのに、姿がぼやけて認識できない。
音が小さく聞こえる。
これは、普通の状況じゃない。不思議な力が作用しているとしか思えない。
スキルのような不思議な力は、現代の法律では裁けない。
……警察に任せても解決することはできないだろう。
不思議な力……それを、俺は知っている。
――スキルだ!
俺にもなじみの深い【隠密】のようなスキルだろう。
だが、なぜだ!? ダンジョンの外では使えないはずじゃないか!
俺も何度も試したが、外では効果を発揮しなかった。
しかし、この男はスキルを持っている! 使っている!
……何か条件があるのか? 俺は何かを見落としているのか?
口には出さず、スキルを片っ端から試してみる。
でも、動かない。まるで、手ごたえがない。
スイッチの場所が分からないみたいに、手ごたえがない。
忘れてしまった記憶を思い出せないような、もどかしさ。
そこにあるはずなのに!
やはりスキルは発動しない。ステータスの補正もない。ステータスウィンドウも呼び出せない……!
――あたりまえだ。何度も試したんだ!
ダンジョンの外ではスキルは使えない。
そのはずなんだ……!
オトナシさんだって、魔法が使えずに驚いていたじゃないか!
つまり、外で魔法が使えないことを知らなったということだ。
彼女も俺と同じ。外ではスキルが使えないんだ。
そういうルールのはずだ。
なのに、なぜこいつは……。
内心で、焦りが募る。思考がループする。
俺は、ぼやけて見える男に意識を向ける。
かろうじて見える範囲では……男は中肉中背。一般的な体格の男性に見える。
手にはダクトテープかガムテープのようなものを持っている。
それで彼女を拘束していたようだ。ここから攫っていくつもりなのか!?
正体の分からない男。非現実的な状況。
顔が見えない、姿が見えないことがこれほど不気味だとは!
俺の中に、わずかな怯えが走る。
――だが、それよりも怒りが勝る。
床に転がって、怯えるような表情を浮かべているオトナシさん。
土足で他人の家に上がり込んで、彼女を連れ去ろうとしているストーカー。
この状況に、怒りがこみあげてくる。
頭に血がのぼって、どうにかなってしまいそうだ!
俺は傷だらけのバットを体の前に構えて、男を威嚇する。
「彼女から離れろッ!」
「……邪魔をするな。……僕が彼女を見つけたんだ! 彼女は僕のものだ! 彼女は安全な場所に連れていく! 邪魔はさせない!」
男が口を開くと、わずかに姿が鮮明になる。身を隠す効果が、薄れているのか。
男の声色は狂人のそれだ。
安全な場所? ……コイツ、本当になんらかの危険から彼女を守ろうとしているのか?
だとしても、そんなもの思い込みにすぎない。
自分勝手な行動だ。彼女の意思を完全に無視している。
「何を言っている!? 安全な場所? お前が彼女を危険にさらしているんだ!」
その自分勝手な言い分は、俺には理解できない。
男は熱に浮かされたような、陶酔したような口調で語る。
「わからないか? ……お前にはわからないだろうな! この世界は彼女を傷つける。誰も、彼女のすばらしさがわからないんだ! 僕は彼女を見つけた! 彼女を有名にしてやったんだ! それなのに……!」
「――有名にしてやった……だと?」
ネット上に写真をアップしたり、個人情報を書き込んだ?
それで、彼女を有名にしようとしていた?
もしかすると本気で、善意で、応援するためにやったことなのかもしれない。
でも、それは押し付けだ。犯罪だ。
そうして欲しいなんて、彼女は思っていなかったはずだ。
俺の問いかけを無視するように、男は感情的な声を上げる。
そのたびに、姿が明滅する。
――ストーカーの主張など聞きたくはない。
こんな自分勝手な言い分……気分が悪くなってくる。
だが、喋らせておけば姿が見える。
本人は隠密状態でいると思っているのかもしれない。
俺も【隠密】を使っているとき、自分の状態は把握できていないんだ。
こうして時間を稼いでいる間に、オトナシさんが立ち上がって逃げられるかもしれない。
そう期待しながら、俺はストーカーの話を聞く。
「彼女は姿を消してしまった……。怯えて隠れてしまったんだ……邪魔者共が虫のようにたかりやがって……! でも、僕はまた彼女を見つけた! 特別な力で! 僕だけが……僕だけが彼女を……! これは運命なんだ!」
特別な力? その力で、オトナシさんの居場所を知ったのか?
姿が見えないのもその力によるものか?
一体どうやって、ダンジョンの外でスキルを使っているんだ?
あるいは、別種の力なのか。
ダンジョンとは関係のない超能力者だったりするのか?
……そうだとしても俺は驚かない。
この世界にはダンジョンがある。
なら、不思議な力があったって、おかしいことじゃない。
それが何かはわからない。どんな力だとしても関係ない!
嫌がる相手を無理やり連れ去るなんて許されない。許すものか!
「特別な力だって? それはなんだ? 運命の赤い糸とでも言うつもりか?」
「そう、特別な力、僕だけの力だ。この力は選ばれたものへの恩恵なんだ!」
男は勝ち誇ったように、狂ったように言い放つ。
自慢げに、自らの優位性をひけらかしている。
自分が特別な存在だと、思い込んでいるんだ。
――少し、探りを入れてみよう。
「はっ! 特別な力だって? ――当ててやるよ。それは、ダンジョンの力だな? スキル……隠密とか透明化……だろう?」
「ッ!? ――お前、何を知っている! いや、そんなはずはない! 僕だけが……僕だけなんだ!」
男は激しい反応を示す。これまで余裕ぶっていた態度を敵意で塗り替え、俺をにらみつける。
やはりそうか……この男はスキルを使っている。
それに、ダンジョンという言葉にも反応した。
別の力……超能力だったりはしない。
ダンジョンの力だ。
つまり、俺と同種の能力……!
なら、どうやって現実世界にスキルを持ち込んでいるんだ!?
男の姿が、ふらりと揺らぐ。
「お前……邪魔だよ!」
そう言うと、男の姿がかき消える。完全に、姿が消える。
「っ!? 消え、た?」
そんなバカな。
しっかりと視界には入れていたはずだ。
明るい室内で、遮蔽物もない。俺は目を放していない。
その状態で――警戒されている状態で、消える!?
そんなことは、俺の知っている【隠密】ではできない。
別のスキルなのか、レベルが高いのか。あるいは重ね掛け――
「――ッ!」
鋭い痛みに、思考が中断される。
俺は顔に衝撃と痛みを受けて後ろによろめく。
重い一撃が、俺の鼻をへし折り、派手に鼻血が噴き出す。
俺は、よろめきながらも、なんとか転倒は免れた。
……今のは……なんなんだ?
……殴られたのか?
「いやあぁっー!」
血を流す俺を見て、オトナシさんが震える声で叫ぶ。
その表情は恐怖に歪んでいる。
「――だ、大丈夫です!」
鼻血がぼたぼたと、服を赤く染めている。
正直、全然大丈夫じゃない。
口の中は鉄の味がして、痛みに涙が出そうだ。
息も苦しい。めまいもする。
でも、大丈夫だ。嘘でもそう言って、やせ我慢しなけりゃならない。
「だって、血が……! 私のせいで、こんな……もう、いいですから! 私のことなんて、どうでも……私が黙ってついていけばいいんです……そうすれば――」
彼女の目に、大粒の涙が浮かぶ。頬を伝って、涙が流れ落ちる。
自分さえストーカーに身を差し出せばいいのだと、諦めてしまっている。
「――どうでもよくなんか、ない! 大切な隣人を……大事な人を放ってなんておけない!」
「……クロウ、さん」
彼女が、うつむいていた顔を上げる。
「全力で助けるって約束したじゃないですか! だから、オトナシさんも、あきらめるな!」
「……そう、ですよね。私があきらめたら……ダメですよね!」
彼女の目に、光が戻る。希望の灯が灯る。
怯えた表情は薄れ、震えが止まる。
俺が助けたいから助けるんじゃない。
自分から助かろうと……声を上げる。
差し出した手を掴んでくれなきゃ、助けることもできないんだ。
彼女は奮い立った。
あとは、その手を取るだけだ!