ドワーフとエルフ、または、ノヴァとシオリ
異臭がする。
肉が焼けて、血が焼けて、人が焼ける臭いが充満している。
僕の開いた心を満たすように。ただ、臭いだけが充満していた。
人が死んでいる。死体が山を築きあげ、やがて燃えて塵になるのだろう。
人が死んでいる。血に染められた武器や防具はやがて怨念に取りつかれ、瘴気でこの地を満たすのだろう。
人が死んでいる。僕の名前を呼んでくれた皆が死んでいる。
僕が死んだら、だれも彼らを覚えていない。
「いやだな」
――自分だけ生き残ったことが嫌だった。
「いやだな」
――共に死ねなかったことが嫌だった。
「いやだな」
――僕を残して死んでいった皆を恨むのが嫌だった。
「いやだな」
――僕を残して死んでいった皆を忘れるのが嫌だった。
「いやだな」
――愛する家族がこの世界にいたことを証明する術がなくなるのが嫌だった。
「いやだな」
――その全てが嫌だった。何もかもが嫌だった。
――……だから
「いやだ!」
――せめてこの感情を誰かに伝えたかった。
Φ
今日も今日とて僕は生きる。
穴が開き泥に汚れた服を来て、無様に地面を這いつくばりながら僕は生きる。
スラムにすら行けず、町のゴミ溜めで暮らす僕は何と惨めなんだろう。
だが――
「見つけた!」
――ゴミの中にも使えるものはあるはずだ。
ただ、その願望と妄信を糧に今日を生きていた。
そして出会ったのだ。人生を変える本と。
僕はドワーフだ。頑強な事だけが取り柄のドワーフだ。
だから病魔が蔓延るゴミ溜めでも暮らしていける。なんとか暮らしていける。
僕は転生者だ。平凡な人生を生き、あっけなく死んだ転生者だ。
だからこんな場所で生きたくないと思っている。ずっと思っている。
僕は子供だ。汚い子供だ。
だから、働けないし、誰も助けてくれない。
誰かが子供に優しいのは、その子供が汚くないからだ。
僕はお腹が減っている。ドロドロに腐ったゴミしか食べてないから減っている。
だから、飢えている。美味しい食べ物が食べたいと飢えている。
僕は想像が好きだ。前世から好きだ。
だから、魔法を使ってみたいと願っている。希っている。
だから僕は望む未来を手に入れたい。
自分が生きた証拠をこの世界に刻みつけたい。
だから、全てを可能にする魔法が欲しかった。
「読めない」
その日はいつも通りゴミ溜めでゴミを漁っていた。
ここは地の底。ゴミが落とされる場所。
ここはスライムがいる場所。ゴミを消火するスライムがいる場所。
ここは空が見えない場所。空が見えない場所。
「ドワーフ文字じゃない」
誰も僕がここにいる事を知らない。スライムすら知らない。
戦場から幽鬼の様に歩いていたら、いつの間にかここにいた。
どうやってここに来たのかも分からない。ただ、ここで蹲っていた。
「破れてる」
毎日、光が射し込まないのにゴミだけが落ちてくる。
残飯、木材、皿、紙、死体、肉、血、汚物。
なんでも降ってくる。
「でも、この紋様は魔法陣。皆が見せてくれた」
スライムはそれら全てを食べている。飲み込んで消火している。
時々分裂している。
時々溶けるように消えている。
数は増えない。減らない。
「これを書けばいいのかな」
ドワーフは肉体だけ強い。頑丈だ。病気にもかからない。
ドワーフは長生きだ。けれど、身体の成長が遅い。
ドワーフは愚鈍だ。魔力を感じることができない。
だから、ドワーフは魔法陣を使って魔法を行使する。
「できた」
書いてみた。魔法陣を描いてみた。
ちょうど近くにあった死体の血を使って描いてみた。
「でも、呪文がわからない」
魔法陣を発動させるには言霊が必要だ。魔力を注げればいいけど、ドワーフにはそれができない。
「適当に読んでみよう」
ドワーフは夜目が効く。どんな暗闇でも全てが見える。
「る、ぁ、る、か、れ、ぇ、る、ぐ?」
けれど、文字は読めない。ドワーフ文字でさえ、読めるドワーフは少ない。
「人族の文字かな。発音はどうだったけ」
戦場の中、僕らを襲った人族の兵士の言葉を思い出す。
「eの音が多かった。たぶん」
ノイズが走る記憶を必死に再起させる。想起させる。
「削ろう。全て試そう」
どうせ、この体ならばいつでも生きられる。暗闇の中、閉ざされた世界でいつまでも生きられる。
ならば、時間を有効活用しよう。
「まず、eeeeeeeeeeeeeeeeeeからだ」
Φ
「ふぅん、それが依頼ね」
「はい、シオリ様。報酬はこちらの魔導書となります」
白髪翡翠のエルフがいる。腰まで垂らすその艶やかな髪と全てを見通すほど澄んだ瞳、女神の造形の如く整った美しい顔と体型。
無表情に座っている。
「……うん、いいよ。それで、場所はどこだい」
「ここから、北に向かった所です。これが詳細な地図です」
「……確かに受け取ったよ。うん、大丈夫。依頼は達成するよ」
そしてシオリは歩きました。地図に示された場所へと向かいました。
「で、ここなわけだけど」
シオリはその一角を眺める。
入れる時に落ちたのか、壊れた家具の一部が乱雑に置いてあった。腐りかけた獣の足があった。
「うん、こんな場所だったら暗鬼もわくよ。呪術の準備、バッチしじゃん」
シオリはその透き通った翡翠を、若干曇らせて、鼻をひつくかせる。美しい白髪が気持ちばかりか煌きを失い、嫌そうに頬を膨らませる。
「まぁ、けど、あの魔導書は欲しいし」
なので、腰のポーチから身長ほどの杖を取り出す。どうやってそこに入っていたのか分からないけど、取り出された杖はとても美しかった。
生命力を漂わせる緑が茂った木製の杖。
紅い宝玉を周囲に周回させている杖。
美しかった。
「〝貫け〟」
――あ、あとで穴を埋めなきゃな。
美しかった杖は緑に光る。紅に光る。
ついでには、光の巨槍が浮かび、シオリの前に落ちる。
爆音と粉塵とゴミを巻き上げ、全てを消し去ったシオリの視線の先には巨大な穴が開いてた。
シオリは何の躊躇いもなくその穴を覗いた。
「さて、中にあるもの全てを消し去る様にしたけど、暗鬼は生きのこ――」
そして驚愕していた。
「――ぇえ、暗鬼じゃないじゃん、ドワーフじゃん。しかも、生きてんじゃん」
オロオロと瞳をあっちこっちへと揺らし、口元をわなわなさせている。
「あ、でも、生きてんのか。そうか、あれを生き残ったのか」
けど、直ぐにハッと瞳を輝かせて、ワクワクしたように艶やかな唇を歪ませて。
「よし、持ち帰ろう」
ドワーフを持ち帰りました。
もちろん、穴は塞いで、依頼達成と嘯いて、キチンと魔導書を貰いました。
そしてこの日、シオリは自分がその依頼を受けたことを誇りに思っています。
Φ
「キミはノヴァだ」
「僕はノヴァ?」
「そうだ、私はシオリだ」
「シオリはシオリ?」
二人は互いの名前を知りました。
「シオリはなんで僕を連れてきたの?」
「それはノヴァが私を驚かせたからさ」
「僕はシオリを驚かせたの?」
「ああ、そうだ。あの魔法を耐える事などそうそうないからね。いたのは魔王とか魔人とか悪魔くらいだよ」
「でも、僕は防いでないよ。勝手にあの魔法陣が」
「けど、その魔法陣を作ったのは君だよ。文字も分からず、魔力も感じず、それでも君は君だけの魔法を作り出したんだ」
「僕は世界に名を残せる? 僕が記憶している全てを世界に刻める?」
「さぁ、それはどうだろうか。ただ、魔王を倒したくらいじゃ、数百年もすれば世界から忘れてしまうのは確実だな」
「……じゃあ、シオリは僕を忘れない? 絶対に忘れない?」
「……どうだろうな。けど、私は魔法を創れないから、創った事のある奴は大抵覚えてるよ」
二人は歩いていました。歩きながら言葉を交わしました。
「ねぇ、魔法って何? 教えて」
「……いいだろう。私が基礎を教えたところで君の魔法に影響はないだろう」
「ねぇ、魔導書って何? 旅をしないと集まらないの?」
「……魔導書は魔法を創った人がその魔法を記録しているから魔導書なんだ。そして、魔法を創る天才は総じて理解されないんだよ。ノヴァ、君も理解されないんだよ」
「それは嫌だ。僕は理解しようとしているのに、なんで理解されないの。シオリは理解してくれないの」
「だから、魔導書を集めるんだ。私は長生きする事だけが取り柄の凡人だけど、だからこそ私は天才が残した魔法を知って、覚えて、それを誰かに伝えてるんだ。凡人ができるのは天才が生きた証拠をいつか現れる天才のために連綿と受け継いでいくことだよ」
「なら、シオリは凡人の天才だね。だって、ずっと生きて、ずっと旅して、ずっと出会って、ずっと別れて、繋いでるんでしょ」
「……そうだね。うん、そうだ」
「あ、でも、それだったらシオリは僕のこと忘れないでよ。僕は魔法を創ったし、今も創ってるんだから」
「うん、分かってる。忘れないよ。それに私の弟子でもあるんだ。忘れるはずもない」
森の湖で二人は言葉を交わします。
「シオリは死が恐くないの? 魂の魔法はなんでないの?」
「恐いさ。死ぬことは怖いさ。けれど、死んだら天国に行けるんだ。魂の魔法は必要ないよ」
「何言ってんの、天国はないよ。だって、なかったじゃん。見に行ったけどなかったじゃん」
「いや、ある。あった方が都合がいいからある」
「都合がいい?」
「そうだ、都合がいいんだよ。生きている時には辛いことがたくさんある。嫌なことだってたくさんある。嬉しいことや幸せなこともあるけど、けれど、やっぱり辛いことや嫌なことの方が多い。だから、天国って言うのがあった方が都合がいいんだ」
「そんな考えは何か嫌だ。それじゃあ、その辛いことも嫌なことも死んでから報われるってことじゃん。生きてるあいだに報われたいよ」
「……違うんだ、ノヴァ。実のところ、天国があるとか地獄があるとかを決めるのは生きている人間だけなんだ。だから、死んだ人間は天国とか地獄とか考えないんだ。ただ、死んだ後に報われることを望むだけなんだ」
「でも、地獄は報われないよ」
「そうだね、けど、ノヴァは決して地獄には行かないし、報われないことは絶対にない」
「なんで?」
「それは私がノヴァを忘れないからさ。さっき言ったよね。天国か地獄かは生きている人間が決めるって。死者が報われる天国に行くのは、生者が死者を覚えているかだけなんだ。覚えてもらえればこの世界で生きていた報いがあるんだ。覚えられていなかったら、生きていた報いがなかったんだ」
「……それもいやだ。誰にも報いがないなんて……」
「大丈夫、人は存在した瞬間、絶対に誰かを喜ばせた、傷つけたりするんだ。赤ちゃんだろうが、子供だろうが、大人だろうが、老人だろうが。一瞬でも存在すれば、誰かの心に足跡を残すんだ。ただ、その足跡が大きいか小さいかの違いだけだ」
「……僕はもっとシオリの心に足跡を残したい」
「そうか」
吹雪が吹き荒れる雪の中、二人は言葉を交わしました。
「ねぇ、ドワーフって僕だけなの?」
「……そうらしいね。まぁ、エルフも私だけのようだけど」
「……もしかしたら、いるかもしれない?」
「……どうなんだろうね。数千年世界中を旅しても、全く出会わなかったからな」
「最後にあったのはいつなの?」
「ええっと、四千年と三百二十四年の六時間二十二分四十三秒前」
「……よく覚えているね」
「……大切な人だったからね」
「……僕はどうなの?」
「ノヴァは大切だよ。愛してるよ」
「僕も愛してるよ、シオリ」
「ありがとう、だけど、魔法の制御が乱れてるよ」
「シオリだって氷の龍が溶けてるじゃん」
「いいんだよ、私は。ワザと溶かしているんだから」
「いや、駄目だって。絶対に駄目だって。溶かしたら死んじゃうよ」
「死にやしないさ、少し燃えるだけで」
「だから、燃えたら死んじゃうよ」
「知らないの? エルフはドワーフよりも頑強なんだよ」
「知らないの? それって太古の昔にエルフがドワーフに嫉妬して作り出した作り話だよ」
「ふん、何嘘言ってんだい。私がそんな作り話を真に受けるわけないだろう」
「いや、ホントだって、ほら、燃えてんじゃん」
「……あ、ホントだ。ヤバい」
空から火山灰と溶岩が降り注ぐ溶岩の上で二人は言葉を交わしました。
そして、
「また、どこかで」
「ああ、またどこかで」
薬指に嵌めた指輪が太陽に反射しながら、二人は言葉を交わしました。
ちょっと頭に思い浮かんだ設定です。
多少どころか、結構穴があり、また、私の頭の中に抽象的なものしかないため、こんな形になりました。ただ、きちんと物語があります。ですので、各自で想像してください。