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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

トロッコゲーム

作者: 黒石*馨胡

「あなたがなぜここにいるのかは分っていますか」

「分っているが私は無実だ」

「ここに来てもう一週間です。そろそろ真実を話しても良いのではないですか」

「何を言おうともそちらは自白が欲しいだけでしだろうに」

「…参ったな、一昔前なら自白優先でしたがね。今回は証拠がちゃんとあっての尋問ですよ」

「…もし…」

「なんでしょう?」

「あなたの目の前で苦しんでいる人がいて殺して欲しいと頼まれたらやりますか?」

「しませんよ。こちらは刑事です」

「私も医者だ。ではゲームをしましょう。簡単なゲームです」

「ほぅ面白そうですね」

「トロッコゲームといいます。あなたは汽車を運転する運転手です。これから2通りの線路があります。一つはこれから事故を起こすしかない線路。その場合列車に乗る客は全員死にます。もう一つは酔っ払いが一人寝ている線路。その場合酔っ払いだけが死にます。どちらを選びますか」

「それは酔っ払いだろうよ」

「その酔っ払いが自分の父親だったら」

「…」

「つまりそういうことだ。その一人が身内や近しい人なら殺す人は数字にならない」

「…何が言いたいんだ」

「言ったでしょう。ゲームだと」


4月。桜は絶世の時期を迎え、散る花びらは風で舞い上がりどことなく飛んでいく。

その様子を病院の窓から考えなしに眺めていると先輩に頭をつつかれた。

「春だからってぼーっとするなよ、お前は新人なんだから」

「日本人は儚いものが好きですねぇ。桜なんかずっと咲いてた方がきれいでしょうに」

「それだとありがたみが全くなくなるだろうが」

「そんなもんですかね。僕はやっぱりずっと咲いてた方がいいと思いますけど」

そんな他愛ない会話をしていると、すぐに目的の病室に着いた。

『小児科病棟:無菌室』

要は重大な疾患を持った患者の個室だ。

『初めまして、キカくん』

部屋の外から話しかける。話しかけられた少年は突然の声に驚いたように口を開けてこちらを観察するように見てきた。

『今日から君の担当になるクジョウと言います。よろしくね』

こちらを見ている少年は軽くうなづくと部屋の外に通じるマイクを手に取った。

『クジョウ先生、よろしくお願いします』

弱々しい声だが、しっかりと芯のある受け答えだ。

『とりあえず今は挨拶だけしに来ました。後で診察するからね』

『はい』

小児科というとわがままで暴れ回る子供、という印象だったが少年は実に大人しい。

(新人だとこういう子を選んでくれているのかな)

とりあえず、カンファレンスがあるのでゆっくりとその場を後にした。


「熱はもう下がったみたいだね」

今朝看護師が検温をした表を見て問診をする。

「咳もだいぶ収まってきたし、今週中には元の病棟に戻ろうか」

個室の外から見た感じではもっと幼く見えたのに、実際は10歳をとうに超えていた。小児科でずっと見ていたから今も見ている子だろう。

言われた当人はもっと喜ぶかと思ったが、少し困惑した表情をしていた。

「…嬉しくないの?」

「…戻ってもいいのかな…」

「どうして?」

「みんなが心配するから」

小児科は長く入院している子が多い。そうなると学校も行けない子がほとんどなので、自然と結束力は高まる。

「大丈夫だよ。先生がいいって言ってるんだから」

「…うん」

ここでようやく笑顔を見せた。

桜のように儚い笑顔だった。


8月。8月生まれの子の誕生日会が行われた。

患者だけでなく保護者や看護師、医師も参加した。キカ君も8月生まれのためその日は主役の一人だった。

お菓子が子供によってはあげられないため、ほとんどの子供が手紙や折り紙の作品だった。中には凝ったもので、自作の洋服や自分で編んだマフラーなどもありそのクオリティの高さには舌を巻いた。

「キカ君」

一通りプレゼントをもらい両手が塞がった少年の名前を呼んだ。

足早に駆け寄ってくると期待した目で見てきた。その手に野球ボールとグローブを乗せる。

途端に落ち込んだ表情を見せる。

「僕野球できないんだけど…」

「先生はね、必ずキカ君を治す。だからその約束。見てごらんこのボール実は先生のサインが入ってるんだ」

途端に輝くような笑顔に変わる。

「サインならジャイアンツの岡本がよかったな」

「じゃあ来年は何としても手に入れるよ」

頭をなでてあげると、すぐに親の元に飛んで行った。

もらったグローブを手にはめて親に見せる姿は、自分の幼い時の姿と重なった。


それから3年が経った。

3年間ずっと入院していたわけではなかったが、帰れても一時帰宅で済んでしまったり、調子を崩せば無菌室に入ったり、病状は一進一退を繰り返していた。

冬も深まりそろそろ世間はクリスマスの色に染まる頃、少年に治験の話が出た。

なんでもその病気に関する薬が、世話になっている製薬会社で何年もかかってその段階に入ったらしい。治験が終わり次第、目玉として売り出すらしかった。

事務室に駆け込んで、そのことを決めた病棟医を探し出す。

「キカ君を治験の対象にですか?」

「ああ、もう彼も対象の年齢を超えている。いい話だ」

「しかし治験となれば副作用などは」

「当然考えてはいる。あちらは危険は少ないとの見方だ」

「でも治験の段階でそんなこと分らないじゃないですか」

「しつこい。もう決まったことだ」

「…なぜ主治医である私の許可は取らなかったのですか」

「主治医は君だが私はこの病棟を管理している者だ」

これ以上話すことはないと言うように、足早に事務室を去っていった。

次の週から治験が始まった。

最初のうち異常はなかったがすぐに副作用が出た。

苦しそうに吐いてる姿は見ていられなかった。

「先生、キカ君の治験を今すぐやめてください。副作用が」

「他の患者には副作用は出ていない。むしろ病状が良くなっている」

「…まさかこのまま副作用の存在を消すつもりじゃ…」

「この薬は希望なのだ。今まで治らなかった難病を治すことができるのだ」

「だからといって副作用の存在が明らかになっているのに見逃すのですか」

「副作用は無い。あれはたまたま薬が効かず病状が悪くなっただけだ」

「そんな…」

「…医者は時には一人を犠牲にして大勢を救わなければいけないのだよ。覚えておけ」


春がやってきた。ついに少年は立ち上がれないほどやせ細ってしまった。

ほとんどの時間を少年は眠って過ごす。生きているのか死んでいるのかさえ分らない時がある。

身体をなでてあげていると少年が目をゆっくり開けた。

「…先生今年も桜咲いてるの?」

「あぁきれいだよ」

「…そっか今年も僕は見れないんだね」

「…すまないね。必ず治すと言ったのに」

「ううん…岡本のサインボールはもらえたから」

そのサインボールは今少年が枕元に置いている。

腕をなでてあげるとあまりの細さに涙が出そうになった。

「先生…」

「なんだい」

「僕を…殺してくれるかな」

身体全体が硬直した。

「何を言ってるのかな。キカ君は治るんだよ」

「僕は…もう子供じゃないし…自分のことは自分がよくわかってる…」

そのまま「殺して…」とつぶやきながら眠ってしまった。

目にはわずかに涙が出ている。

このところ少年の両親は具合の悪い姿を見るのが辛いそうで、荷物を預けて会わずに帰っていく。

気持ちは分かる。こちらも見ずに済むなら知らないふりをしたい。

死ねば終わるのか。もう見ずに済むのか。

記憶なく薬と注射を用意して、少年の前に立つ。

治せなくてごめん。せめて天国で幸せになってくれ。

祈りながら点滴の管に注射針を刺そうとする。

ところがそこで止まってしまった。

少年の顔に涙の跡が残っている。精一杯の死への抵抗。

そのまま薬は薬品庫に捨てた。

少年の容体が悪化し、ERに入ったのはその日の晩だった。

そのまま帰らぬ人となるのを誰が予想できただろう。


「…あなたの話を聞く限りあの病院は新薬の副作用を隠し、あなたに罪を着せ無かったことにしようとしている…と」

「私が知っているのはそれだけだ」

「しかしなぜそれを告発しなかったんですか」

「…私がだまっていれば何千何万の人が助かるかもしれないからだよ。トロッコゲームと同じだ」

「裁判は有罪判決が出ると思いますよ。しかもかなり重い刑の。なんせその話の裏付けがありません」

「致し方ない。それがトロッコゲームの世間での正解だ」

数か月して有罪判決が下された。無期懲役の重い罪だった。


緊急事態を知らせる警報が刑務所内に鳴り響いた

「何事だ!」

「は!独房の囚人が首を吊って死んでいる模様です!」

「死んでるだと?どうやって」

「タオルを柵にかけてそのまま全体重をかけたようです!」

「なぜそんな苦しい死に方を」

「とにかく一度独房の方に!」

靴音が刑務所内に響いた三日月の夜だった。季節はもう涼しい風を感じる頃になっている。

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