徒労
今回の叔母との話し合いは良い結果になりましたが、叔母の負担になっている部分、戸籍上で弟されている人物を何とかしなければ、近いうちにまた同じことの繰り返してしまうだろうと考え、私はこの顔も見たことない青年に電話連絡をしますが、やはり呼び出し音のみが虚しく鼓膜を揺らすだけで一向に繋がらない事にため息を吐いて呼び出しを切り、持っていたカバンに携帯をしまってから、仕方なくという言葉がよく似合う足取りで再びあのマンションへと向かう道を選びました。
叔母の住む住宅街から一番近い駅へと向かう道すがら、朝から碌に食事をしていないことを思い出し、昭和の残り香と少しうらぶれた雰囲気を持つ喫茶店を見つけ、如何にも一見さんお断りという木とガラスで出来たドアを開き、カウベルの様な軽やかな乾いた音と共に、店内へと足を踏み入れました。
するとそれまでテレビを見て居た少し腰の曲がった女性が、こちらに愛想のいい笑顔を浮かべ出迎えてくれたので、彼女の案内する席に着き、渡されたメニュー表から一番早そうなサンドイッチとコーヒー選んで注文を済ませると、出された水を一口口に含んでから煙草に火を付け、これから会おうとしている人物の事を考えます。
前回もそうでしたが、今回も顔を見せることはないかもしれないし、こうしてわざわざ行くだけ無駄かもしれない。
やはり足を運んでも門前払いというのが一番堪えるし、本当なら私だってこの年になって弟など欲しくもないし、あちらが私に思う所があるように、こちらにも思う所はいくらかあるし、こんな事でもなければ彼に会う気もなかったし、病院で喚くなどの可笑しなことをしないと誓ってくれるなら、今すぐ家に帰ってもいいなどと、そんな取り留めのない気持ちを煙草の煙と一緒にかき消すように吐き出していると、客商売には少し不向きに思える不愛想な老夫が頼んだサンドイッチとコーヒーを運んできて、これまた不愛想にテーブルへと並べてくれました。
「お待ちどう様」という彼の言葉を聞いて、煙草を灰皿に押し当てて火を消してから「ありがとう」とお礼を述べましたが、恐らく一見客然とした私にあまり興味がなかったのでしょう「ごゆっくり」と気のない言葉を呟いてから、自分の仕事は終わったとばかりに背を向けて、そのままカウンターの奥まった席に腰を下ろすとスポーツ新聞を開いてしまいました。
普段の私ならきっと少し寂しいと感じる店主の行動ですが、この時は色々と気が滅入る事を考えていたので、何か聞かれるよりも今はその不愛想が有難いと思ったので、そのまま無言でサンドイッチを口に運びます。
そうして一口食べて思ったのは、今の気分のせいかもしれませんが、サンドイッチの少し乾いた食感と微妙な味に、昼下がりという閑散期である時間を抜きにしても自分以外に客のいないお店らしい味に、どこか奇妙な納得感と諦めを感じながら食べて、口に残った少し残念な後味をかなりきつめにローストされたコーヒーで押し流し、再び腰の曲がったご婦人にお会計をお願いし、駅近価格の強気な料金を支払って店を出ます。
店への印象や今の気分はどうであれ、少なくとも腹は膨れた私は駅の切符売り場と移動し、慣れない私鉄の路線図をにらみつけ彼の住むマンションのそばの駅までの切符を買ってホームに向かい、滑り込んできた平日の私鉄に乗り込んでいくつか駅を移動し、途中間違えそうになりながらも別の経路の電車へ乗り換えを行い、そうして小一時間程で彼の住む都心近くの到着しましたが、車移動がメインな田舎民としては、やはり都会の電車というのは窮屈で面倒な乗り物だと田舎者らしい感想を思い浮かべてながら彼のマンションへと移動しました。
そうしてエントランスの奥にあるエレベーターで、マンション最上階付近の番号を押して彼のいる部屋の前に立ちますと、叔母の家の呼び鈴とは違う疲労、徒労と呼ぶのが似合いの感覚が夕暮れ前の私の肩に重く乗りかかり、いっそ押さずに帰ろうかなど、よからぬ考えが頭の中に浮かび上がってきましたが、ここで押さねばますます徒労に終わるぞと自身の指に言い聞かせ、思い切ってプラスチックのボタンを押し込みました。
室内に響く電子音が外廊下にも響いて消えて行きますが、中で何かかが反応するような音もなく、それならばともう一度と更に呼び出し音を響かせてみますが、前回の風景の焼き直しの様に、相変わらずの無反応。やっぱり徒労かと諦めた頃、中で微かにごそごそと何かが動いているような音が聞こえてきましたので、今度は金属製の扉をノックして、自分の名前を言って反応を待ちました。
私はなろうなどで語られる気配探知系のスキルなどは持ち合わせていませんのではっきりとはわかりませんが、きっと中に居るのでしょう。ドアスーコープ越しに見て居る人の気配を感じましたので、暫く待ってもう一度ドアをノックして彼の名前を呼びますが、それがまずかったのでしょうか、その気配は奥の方へと逃げていくように微かな物音を残して消えてしまいました。
そうした彼の行動に「これでは野良猫を捕まえる様な気分だ」と半ば呆れつつ、叔母に改めてお礼と連絡を電話したのちに前回同様にその場で書いた手紙をドアに挟み込んでマンションを後にして、次の日の仕事に支障をきたさぬ様に、田舎と都会を繋ぐ新幹線の駅へと、出向いた時以上に重くなった気持ちで向かったのでした。