良い人ほど損をする世界
母の勝手な言い分にため息をついた後、病院のロータリーのタクシープールに向かい、車中で新聞を読んでいる老年のドライバーに声を掛け、彼が新聞を畳んだ後に開いてくれたドアからタクシーに乗り込み、アクリル板越しに行き先を告げて病院を後に親類の家へと謝罪に向かいました。
たとえ母が私の勝手だ、あんたたちが勝手にやっているんだから迷惑などかけていない、頼んでないから関係ないと叫んでも、周りはそんな風には見てくれないし、病院だって行政だってそんな風には見てくれないし、常識や良識というのは投げ捨ててしまった方が楽に成れるのだろうと思はすれど、彼女が今まで起こしてきた内容を鑑みるにあんな風になるのは死んでも御免であると思いつつ、案外とあの人は母親として落第点かもしれないが、その分立派な反面教師として私にモラルや良識というものを授けてくれたのかもしれないと、そんな自嘲気味な考えを巡らせているうちに車は目的地についてしまい、どこか気難しそうな運転手に幾何かのお金を渡して降りると、私を吐き出したタクシーはどこか忙しなさを感じさせるように過ぎ去っていきます。
姉から聞いた住所と表札の名前を確認し、たどり着いてたお宅が確かに親類の家だと確認した私は、ドアの横にあるどこにでもあるようなドアベルを前に一つだけ溜息の様な深呼吸をしてから、ゆっくりと呼び鈴を鳴らしますと「どなたですか?」と、どこか疲れを感じさせる声音が私の耳に届き、私が自分の名前を告げてしばらく待つと、ドアチェーンと施錠の外れる音の後に扉が開け放たれ、隠せなかったであろう疲労が滲む笑顔が現れ、同じく疲労を感じる声が「いらっしゃい」と出迎えてくれ、私が「いきなり押しかけてすいません」と言いますと、彼女は「来るのはわかってたし、いいのよ」と言って、私を客間へ招き入れ、お茶を用意するからとキッチンへと消えていきました。
この方は母にとっては姉であり、私にとっては叔母ですが、私の両親は金遣いの荒く若い頃から問題ばかり起こしていましたので親類たちにとって厄介者でしたから、殆どの親類は没交渉を言い渡されていましたので、比較的面識のあるこの方でさえ、幼い頃に数回と若い頃に蒸発した母に会うため住所を教えていただくのにお会いした程度でしたから、顔を見せること自体実に数十年ぶりの出来事であり、やはり緊張からかどこか落ち着かないものがありました。
幼い頃出会った叔母への印象は優し気な方でしたし、大人が恐ろしいものだと思い込み拗くれた子供だった私に対し、この気の良いご婦人は我慢強く話しかけてくれたのですが、そうした優しさが信じられずあまり良い返事などをしなかったのを覚えています。
その時聞いた年齢を考えるに既に70を超えておられ、ご病気もなされたと聞いていますので、今回の様な問題や私を迎え入れること自体、私が想像する以上に相当な葛藤をなされたと思いますが、それでも笑顔で迎えようとしてくださるのですから、やはりこの方の人の好さは私の幼い頃から変わってないのだと思います。
「貴方のお姉さんからコーヒーが好きって聞いたから淹れたけど、コーヒーでよかった?」
強くローストされた豆の香りと共に、目の前に現れた上品なお揃いのカップとコースターは恐らく彼女の趣味なのでしょう。お茶請けと一緒に同じセットをテーブルにゆっくりと置くと彼女は静かに腰を下ろし、淹れたてのコーヒーに一度だけ口をつけから口を開くと、どこか言いにくそうな表情で「ご用件は?なんて惚けるほど耄碌してないから安心して、貴方が来た理由はお母さんの事よね……」で、私の口から出た言葉は叔母への申し訳さなからなのか「母がご迷惑をお掛けしてすいませんでした」でした。
私の言葉に肯定も否定もせず、彼女は困った風に見える笑顔を向け「貴方が悪い訳ではないのだけれど……」と呟くと湯飲みを両手で包み込んで、言葉を選ぶように机の上に視線を落として黙り込み、恐らく十秒ほどそうした後に彼女はゆっくりと顔を上げ、私の目を見て語り始めます。
「貴方のお母さんについてですが、申し訳ないけれど私はこれ上付き合うことはできないの、私自身も夫に先立たれから弱ったんでしょうね、今では人工透析を受けないといけない身の上だから、これ以上はあの子の面倒を看てあげるのは難しいの。陽人さんにばかり苦労を押し付ける薄情な叔母と思っても構わないわ、それでもやっぱりもう無理なのよ」
身勝手なあの人は、この方にとっては生まれた時から妹ですから、この十秒にはきっと私が考える以上の葛藤があったのだと思います。先程までの疲れを全く見せないような強い視線で私を見つめ、お年を感じさせない流暢な物言いで言い切った彼女に、私は返す言葉も無く言葉の意味を噛みしめると、緊張で乾いてしまった唇を出されたコーヒーで湿らせてから、呼び鈴を押した時から考えていた言葉を無理やりに口にしました。
「叔母さんが仰ることは当然だと思っていますし、家族だからと無理を押し付ける気はありません。ですが私自身は遠いところに住む身ですので、厚かましいお願いだと思いますが、出来れば様子を見る事だけはお願いできないでしょうか?」
無理を押し付けないと言いながら、無理だと言われた事を乞う矛盾、きっと断られるであろう言葉の羅列。
今、振り返って文字にするのは簡単ですが、当時は実際に迷惑を被っている被害者を前にして口にしたのですから、それは頭で思った以上に難しくて、私の心臓は緊張の中に羞恥と諦観が入り混じった複雑な感情のせいか少しだけおかしな挙動を見せ、そのせいで目の前の景色が一瞬だけ波紋の様に揺らいだのを今でも覚えています。
お互いの意見を言い合った後、彼女の静かな終の棲家では時計の秒針だけが沈黙を嫌うように動き続け、深く重たい時間が十分程経った頃、再び目前の女性が口を開きました。
「何か有ったら連絡はしますがそれ以上は無理、陽ちゃんそれでも良い?」
昔と同じような優し気な微笑みを浮かべながら、まだ私が子供だった頃彼女が呼んでくれた言い方でしたから、きっと私もつられたのでしょう。今ではお名前にさんを付けて読んでいたのですが「はい、それだけでも十分です。ありがとう叔母さん」と、とても久しぶりに彼女の事を「叔母さん」と呼ぶことが出来て、とても暗い気持ちだった心の中に、久しぶり暖かな風が吹いたような安堵が吹き抜けたのを覚えています。
「まったく……、貴方は昔からどうにも我慢強くていけないわね……。私、貴方に罵られても仕方ないって思って今回の言葉を口にしたの。でも陽ちゃんが相変わらず我慢強いから、おばさん負けちゃったわ」
そう言って、どこか呆れたように笑う叔母の姿を見て、やはりこんなに気の良い優しい方に無駄な苦労を掛けたくないと、改めて感じつつ感謝の気持ちを伝えたのを覚えています。