親子の縁は切れぬもの
これから大変なことになるという感情。
これは何も漫然とした不安ではなく、我が国における家族の在り方を示した法律には民法のいくつかを取りまとめた家族法と呼ばれる家族の在り方を示す条文があります。私は法の専門家ではないので、ここで詳しく説明すると誤解を招いてしまう恐れがありますので、ここでは詳しい内容は割愛しますがもし私と同様に家族のことで悩まれており、家族法を詳しく知りたい方は民法の「第4編 親族」と「第5編 相続」辺りを参考にされることをお勧めします。
この枕詞を置いたうえで誤解を恐れず家族法とはなんぞやといいますと、日本という国における家族の在り方を記したものなのです。
家族法というのは古い時代、明治の家長制度を基に考えられた法律でして基本的に子供というのは親の面倒を看る義務を負う形となっていて、その義務を放棄することは基本的にはできないし、よく耳にする親子の縁を切るというのは戸籍上ではできません。
せいぜい出来ることは分籍という形にし、住民票・戸籍の附票の閲覧・請求に制限を設けること位であり、戸籍上はどちらかが死ぬまで親子であり続けるのです。なので扶養の義務というのは基本的には逃れることはできないものであり、国の言う扶養の義務というのは法律の上にある日本国憲法の基本的人権からくる「精神的な支援」「金銭的な援助」という二つを満たし、個人が最低限文化的な生活ができるように扶養しなさいという意味合いを持っていると私は理解をしていますが、やはり法律ですので人の善性を基に考えられており、私のような親が子に対する扶養の義務を放棄した状況でも適用されてしまうと、こちら側は精神にかなりの負担を強いられるように思います。
「出来れば優しい××君とやらが、母の面倒を看てくれれば良いのだが……」
私が会う事すら叶わなかった相手のことを考えながら、帰りの新幹線の中で小さく自分の口がつぶやいた言葉は、不安とともにレールの鳴く声にかき消されていきます。
先ほど話した民法の解釈を考えれば、まず同居の親族が一番の義務を負う形になるのですが、姉が言うに彼は年を取ってからの子供で随分と甘やかされており、大学受験で躓いてからずっとニートをしている様子。今も定職にも就かずただ母の稼ぎでゲームや漫画などの享楽に耽っているらしいとのこと。
あまり期待はできないだろうなという私の暗い気持ちを理解してか、新幹線は暗いトンネルに向かって走って行き、耳障りな風切り音が不安を一層掻き立てて、母の件を知ってから何度目かわからない溜息を吐き出しながら、次にやらねばならぬ転院の事に頭を巡らせ、理学療法士の方が申し訳なさそうにつぶやいた言葉に考えを向けていきます。
「我々もできる限りのことは行いますが、やはり御本人様が奮起して元の生活を取り戻そうとしない限り、我々ができることは限られますので……」
今回の脳出血では母の左半身は重度の麻痺が発生し、不摂生がたたり体重もかなり重いのでリハビリによる運動機能の回復は厳しいかもしれない、その場合は車いすや歩行補助具も買わねばなりません。医療費は高額医療制度などで何とかなりますが、補助具の20万程度の出費を誰がするのかなどを考えなければなりません。
親類にとってもこの恋愛や性に奔放な女性は悩みの種で、ほとんどの親類が私たち家族を嫌っておりますので、おそらく金銭的な援助は絶望的でしょうし、私が連絡先を知っている方もけっこうな老齢ですので、ご自身の生活を維持するのが精一杯だと思われます。
「手切れ金代わりに買ってやるしかないんだろうなぁ……」そんな風に自分自身が言っている言葉の意味がどんなに甘い幻想に塗れていたのか、それを知るのはもう少しだけ後の事で、その時は彼女が病院から出てからのことなど、どこか他人事のように考えていたのを覚えています。