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苦悩の始まり

文字を書くリハビリとして書いていますので、何か文章的な不備がございましたら、感想等でご連絡いただければと思います。

初めましての方は初めまして、お久しぶりの方はお久しぶりです。


慌ただしく変化を見せる世間の状況の中、これまでこちらへ来ることのなかった私にも様々な出来事がありまして、多くのことを考える日々を過ごしており、まず大きな変化として、母の介護の問題がありました。


幼い頃、私と兄弟を捨てて男の下に逃げた母、その彼女が脳出血により倒れたことが事の発端でした。


多くの方にとって親を介護するというのは、いつかはやってくる問題でしょうし、多くの方がそれぞれの悩みや問題を抱えていらっしゃると思いますし、私自身も親類や行政等から様々な事を言われております。


こうした家族の問題は、育ててもらった恩や家族の情など、なにか支えになるものがあれば、多くの方は金銭的な困窮などなければ、自分の親の面倒を看るという選択されてるか、専門の施設等での介護を選択されると思います。


ですが彼女から捨てられ、生活インフラが止められるような貧困と、戦後の浮浪児の様な死神の足音が聞こえる様な飢餓、惨めで汚らしい状況から来る多くの人からの偏見や暴力など、凡そ多くの日本人が知らないような苦難を乗り越え、多くの人が当たり前でつまらないとぞんざいに扱う「普通の生活」を手に入れるため、私が何度も何度も遠回りややり直し繰り返している間、彼女は新しい家庭、新しい夫と子供、大都市の都心に立派な住宅を手に入れるような生活を営んでいました。ようやく私がかろうじて「普通」の真似事が出来るようになった未熟な青年の頃、人伝てに知った彼女の住所を訪ねた時、投げつけられたのは幾何かの金子が入った封筒と、二度と顔を出すなという言葉でした。どうにか大人になろうと藻搔いた青年期の私は、その心無い行動に随分と悩み苦しんだのを覚えています。


ですが、あれから長い年月が、もはや他人と言って良いほどの離別した歳月を過ごしてしまえば、私と彼女を繋ぐものは戸籍という書類に書かれた親子関係のみ、母であることを捨て、女となった彼女への憎しみや、家族からから見捨てられた幼さゆえの悲しみ、微かに残っていたであろう家族としての情すらも、私の中で全て擦り切れた過去のモノと変わるに十分な歳月だったと思います。


そうした過去から呼び声が私の耳に届いたのは、母と繋がりを持っていた私の種違いの姉、母の連れ子からの連絡で、母が倒れたから病院まで来て手続きをして欲しいというものでした。この姉という人物も私にとって厄介な存在であり、まるで母と同じ道を辿るように自分の都合のみで生きており、自分の子を捨てた過去を持つ人なので、私は正直相手をしたくない人物の一人です。


そんな似たもの親子の問題なのですから、最早私には関係がないし、大好きな母親なんでしょうから貴方がやればいいと姉に言いますと、あちらは「私ではセンセイが言うコトわからんもん。だからアンタが聞いてワタシに教えてや」と、どこか居直ったような言いぐさで言い返してきます。


私の知る限り確かに姉は、こういった普段見聞きしない難しい内容を理解するには絶望的に不向きな性格だったので、症状の説明などを聞いても理解できないでしょうし、担当の医師や理療士の説明、会計や行政に関する手続きに必要な事を纏める事が厳しかったらしく、病院側からほかに親族が居ませんかと聞かれ、滅多に連絡を取らない私の事を思い出して電話をしてきたと言ってきます。


そんな身勝手な人ですから、続く言葉も「あんたがやってくれんと病院に迷惑掛かるんよ、だから文句言わずに○○の××病院ってとこやからさっさと準備して来てな」と随分勝手な言い分で、私の返事など聞かないようなタイミングで通話は途切れますが、言い返すのに電話を鳴らす気にもなれず、溜息をはいて考えを巡らせます。


確かに思う所はたくさんありますが、それでもやはり世間様、特に病院に迷惑をかける訳にいかないと思い、その日のうちに職場に断りをいれて、現在住んでいる地方都市から、病院のある日本有数の大都市へ向かう平日の新幹線に乗り込み、乗車率の低い自由席で二時間ほど思案を巡らせていました。病院に向かうと、顔を見たことのない弟と呼ばれる人物が大声で叫び暴れるヒステリーを起こし、病院側がまともな親族を探していたということを、看護師と担当医から遠回しに伝えられ、私は何度も頭を下げてから母が眠る治療室に案内され、部屋の中へと足を踏み入れました。


そこには記憶の中なる姿とはずいぶん違った姿が、私の知っている女である事だけが自分の価値だと疑わない派手な女性はおらず、ただ醜く肥え太った老婆が一人、部屋の真ん中あたりで眠りこけていたのです。

記憶が頼りにならない以上、あとは名前で判別するしかないと思い、母の名前であるかどうかを確認し、間違いがないことを理解して、私は母の名前に「さん」をつけ、「貴方の息子だっだ陽斗です」と声を掛けます。


「陽斗?××ちゃんはどこ?あの子は私が居ないと寂しがるから……」


医師から術後一週間ほどは記憶が錯乱しているので、患者とはあまりまともな会話はできませんと聞いていたものの、こんな状況でもこの人と話すと嫌な気持にはなるんだなと思いつつ、半ば無駄だろうという諦観の中、うわごとの様に××の名前を呟く彼女にこれから先の説明をし、退院までの必要な手続きに関しては面倒を看るが、それ以上は××という顔も知らない彼女の息子に任せると伝えますが、やはり医師の言う通りまともに言葉は通じないのでしょう。


「××ちゃんはいい子だから、陽斗はお兄ちゃんなんだから面倒見てあげてな」


という、彼女の口から洩れた恥知らずを通り越したような言葉は、ここまでで疲れ果てていた私を苛立たせるのに十分な破壊力を持って鼓膜と脳を揺さぶり、怒りと呆れでとうとう嫌気がさして、母に返事もせずに足早に病棟を後にします。病院近くの喫茶店で連れ子の姉に連絡を取り、病院で見聞きしたこと、リハビリの計画とそれに伴う転院の計画、これから掛かるであろう医療費の概算等を彼女に伝えました。


会いたくない人たちに会って滅入った気分を押し流すように、ため息を隠すように煙草の煙を深く吸い込んで吐き出して、長電話で冷めてしまった苦いコーヒーを飲み干してから、病院でわめき散らした顔も知らない人物、母がいい子だという人物に会うために、酷く重たくなった足で向かうことにしました。


「住所はあってるし、建物の名前もあってるしここで違いないな」


姉に聞いた住所は大都市の新幹線駅から程近いファミリー向けの分譲マンションで、ここらの地価を考えれば例え中古物件としても買えば数千万はしますから、一財産といえそうな母の新しい家族の住居です。私の知らない家族の住まいのドアベルを鳴らしますが、いる筈の彼の返事は一向にありません。


恐らく居留守でしょうから、仕方なく姉の方から連絡を入れて出てくるよう伝えて欲しいと電話し、外廊下でしばらく待っていると『今日は眠いから後日にしてくれ』という返事だったと姉から折り返しが届きました。仕方なくこちらの連絡先と、病院で見聞きした内容を纏めたメモを部屋の扉に結んで帰ることにしました。


私はこの時、これから酷く面倒な事になるだろうなと立派な分譲マンションを見ながら感じたのを、今でも覚えています。それが現実のモノになったのは、予想以上に早かったと記憶しています。

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