イレと奈々木の
奈々木は目が覚めた。悪夢なのか良い夢だったのか思い出せないような夢を見ていた。
目が覚めれば完全な暗闇。だが、奈々木は修行の成果の一つスキル【風神】の応用により周辺のコクー粒子を利用して辺りを認識する。
周辺の壁などの形から温度、湿度、密度にいたるまで奈々木は完全に把握した。
「シンジ、おはよう。目覚めにこれを飲んで」
チェーンが奈々木になにかドロリとした液体の入った木の器を差し出す。
奈々木は一息に飲み干した。苦い味が奈々木の眠気を消し飛ばす。
「それを飲むといっぱい元気になれる。シンジ、急いで着いてきて」
チェーンはそう言って飛ぶ。
奈々木は闇の鎧で身体能力を上げて風神で作り出した風に乗り暗闇の中チェーンに着いていく。風神を使用中は呼吸ができなくなるというデメリットがあるが、奈々木は適切なタイミングで風神を解除して息継ぎを行っている。チェーンの速度は奈々木の考え得る最速でも追いつけないほどに速く、追従するので精一杯だ。
この暗闇の空間は奈々木が寝ている間にチェーンが作り出した地下空洞だ。
植物操作のスキルとモーゲ召還を駆使して作り出した奇襲用地下洞窟。そして、チェーンを追従する間に奈々木の心拍数は急上昇し先ほど奈々木に飲ませたドーピング剤が奈々木の肉体を駆けめぐる。
奈々木は産まれてこの方感じたことのない、最高潮に興奮している自分に無限大の期待を寄せた。今の俺なら何でも出来る、そんな気がした。
そしてこのテンションを死んでも保ち続けることが、復讐を果たすためにもっとも大事なことだと奈々木は漠然と理解した。
何かを叫びそうになる奈々木。だが、口を閉じた。叫べば心の中の価値が決まってしまう気がしたのだ。百点万点よりも未知数の方が大事だとそう思ったから。奈々木は叫ばなかった。
唐突に光があふれた。その光は紛れもなく、この世界に来た時も、YC2から逃げ延び安心した時も、修行に疲れ倒れた時も、奈々木を照らし続けた、地球で見たよりも空の蒼と雲の白を映えさせるコリガの太陽だった。
奈々木はチェーンから光の目潰しとその対策は修行で学んでいた。
近くに膨大な力が淀み歪んでいるポイントがある。それがイレの物だとはっきりと分かった。
まずはイレと対話する。その為にイレに俺がすごい奴だと。少なくとも対等な存在だと分からせる必要がある。
闇の槍を強く握り沈黙とともに風神のスキルで操った風を闇の槍に集中させる。
技名を心の中で叫びながら闇の槍でイレを貫く。
『極 小 台 風』
闇の槍は幾重も直径1cm程の円を描き続ける。それは圧縮された風を闇の槍から解放し、風神の力で風の勢いを増幅し、腕力で制御しつつ手首ので指向性を曲げた結果。1cm程の円周とその外側には絶大な被害を与えつつその内側にはダメージを欠片も与えない極小の台風が発生している。
体内のコクー粒子が枯渇し奈々木の下半身と頭部が石化するが問題ない。
「ああああああああ」
耳障りで神経を逆撫でする情けない悲鳴。その主のイレは生まれて初めて感じる痛みに生まれて初めて感じる恐怖でパニックに陥っていた。
「なんで こんな事を するんだよ」
イレのたどたどしい言葉を聞いて奈々木の怒りは増していった。
「自分の頭で考えろ。チェーンも分かったんだ、イレに分からないはずがない」
奈々木の顔は闇の鎧に覆われ誰も見えはしない。だが、見えずとも強大な怒りをイレは感じ取った。
「分かるわけないだろ人間の考えることなんて」
イレはそう言いながら虚空を走り逃げる。奈々木はその背中をとても小さく感じた。
「じゃあなんで俺に聞いた。どうしてって。説明したら分かるのか?」
アキヤラボパに変身したチェーンに捕まり奈々木はイレを追う。
「お前なんか、嫌いだ。消えろナナキ」
イレはそう叫ぶと自らのスキルを発動させた。イレのスキルは『【距離再設定】 森羅万象の距離を再設定する』というもので、奈々木とイレの距離を出来る限り離れさせようとする。
だが、奈々木とイレの距離は離れるどころか近づくばかりだった。
「どういうことなんだよ」
嫌そうな顔でわめくイレを見て奈々木の胸は高鳴った。
奈々木がイレのスキルの影響を受けなかったのには理由がある。それは奈々木にチェーンが修行の中で教えていた。奈々木はその時のチェーンの言葉を思い出す。
「闇の鎧は常に切らさないで、できる限り周囲のコクー粒子への意識も絶やさないでよ、シンジ。両方に疲れたら即座にアキヤラボパに変身すること」
奈々木はただ黙っていた。
「今、なんでって顔したでしょシンジ。口応えは無駄だって学んだのは偉いけど顔に出るようじゃまだまだだね。じゃあ、教えてあげるよシンジ」
チェーンはそう言って笑った。奈々木は口を開かなかった。
「スキルは魂の領域にしか影響を与えられないの。シンジの限界は目に見えるぐらいかな。私の限界は大陸ぐらい、暴走させないのなら50メートル。だけどイレやYC2は太陽ぐらいまでは余裕なの」
それを聞いたときの奈々木は改めてYC2のとんでもなさに驚いた。
「闇の鎧もコクー粒子もアキヤラボパの体も魂の領域を遮断する力があるの。だから風神と闇の鎧とアキヤラボパ。この三つのスキルだけはマスターしてシンジ」
チェーンのおかげでここまで来れたと思いながら奈々木は闇の槍をもう一度イレに突き刺す。
イレと共に刺さり落ちる。大量の砂埃が舞ったかと思えば大きなクレーターの中心にイレを地面に押し付ける奈々木があった。
砂煙は風神のスキルで風に宿るコクー粒子を操り上へと巻き上げ一つにまとめて奈々木自身の上に落とす。
爆音や揺れ砂煙により異常を察知した人間が奈々木を見て憎悪を込めた視線を送った。彼らは奈々木がこのケミドアの街を封鎖しているというウソをイレから吹き込まれているのだ。その視線によりイレは理解した。本来自分がこんなにも恨まれるべきことをしているのだと。そして恨む人間はこれぐらいのことはやってのけるのだということを。
「なあ、お前が悪役だって自覚しろよ。イレ、間違っても被害者ぶるな。悪としての何かを見せろよ」
奈々木はそう言いながら闇の槍をイレに何度も何度も打ち付ける。一撃ごとにわずかな傷しか入らない。だけど少しずつ少しずつ刺さるようになっていく。
「俺が悪……? 僕が? ボクが? あはは、あはは」
イレの笑い声は乾いていた。
「笑うならもっと楽しそうに笑えよ。人を傷つけてるって感じの笑い方をしろよ。ふざけるなよ。胸を張って憎まれろよ。悪意に誇りを持てよ。なあ、なあ」
奈々木の叫びを聞いたイレは初めて感じる何かの正体を理解できなかった。
「知らないよ。知らない知らない知らない。人間がさ笑ってるとムカつくんだけど、泣いてたら気持ちいい。それだけだった。なのになのになのに。なんでつまらなくするんだよ。俺の世界に入ってくるなよ。頼むから二度と関わらないでくれ。未来でも過去でも関わらないでくれ。なあ、頼むよ。そうだ思い出した俺の未練。オレの願い。渡井の絶望。僕の希望。ボクの祈り。イレの呪い」
イレはそう言って笑いだした。どこか乾いていてどこか恐ろしさを感じさせる先ほどまでとは違う笑い。
「お前みたいなやつと関わりたくないからこんな風になったんだ。お前みたいなやつのせいだ。お前のせいだ」
イレは奈々木を睨んだ。
「人のせいにすんな。そういうのは嫌いだ。俺がよくやる手で、俺がやりたくない手で、やらないように心がけてる。だけどやってしまう。なのに、肯定すんなよ」
「押し付けんじゃねーよ。お前の都合だろ。お前が勝手に嫌いなんだろ。俺は関係ねーよ」
「押し付けんじゃねーよ。お前が嫌いじゃないだけなんだろ。お前の都合だよ」
「何が言いたいんだよ」
イレは叫んだ。理解できない奈々木の言動に連動してイレ自身の心が理解できなくなっていくのが耐え難いのにどうしていいのか分からず叫びわめいた。
「お前が分かんないならわかんない。俺はお前のやってることを真似してお前の気持ちを知ろうと思った」
「だから、何が言いたいんだよ。大体人間如きに分かるわけねーよ。イレの事なんて」
「驕るんじゃねーよイレ。お前は俺のことが分かるのか? 俺も同じだよ。だけど、全部なんて分かんねーけどいくつかは分かった。それは分かろうとしたからだ。お前にはそれがない。だから分からない」
「何が分かったて言うんだよ。人間如きに」
イレは悔しそうにわめいた。
「お前が夢もないクズだって分かった。未来への不安で潰れそうなのを誰かに押し付けているクズ。だけど、気持ちは痛いほど分かる。俺だって嫌な奴への嫌がらせも八つ当たりもしたことはある。悪口や陰口も叩くし、嘘だってつく。失敗を隠し誰かに押し付けたこともある。物を盗んだことも、借りたものを壊してなあなあにしたことも、約束を破ったこともある。俺は善人なんかじゃない」
「だから、何が言いたいんだよ」
「お前が寂しいのは分かるって言ってるんだよ」
そう言って奈々木は槍を連続で突くのを止めた。
「イレが寂しい? えっ、ちゃんと■■がいるのに?」
「生きてる心地がしないんだろ。なにをしても楽しくないんだろ」
イレは黙った。
「それが寂しいって気持ちだ」
「は?」
「で、楽しい奴を見ると妬ましいんだろ。分かるよ」
押し付けんな。イレはそう言いかけた。だけど言葉に出来なかった。
イレの体がひび割れる。イレはとある人物の願いから生まれた存在。故に心と行動の不一致にダメージを受ける。それは先ほどまで行われていた闇の槍に数万回に及ぶ刺突とは比較にならないほどダメージだった。
それを見たチェーンは確信する。今ならイレを倒せると。
そして奈々木の体からチェーンは自身の真の姿である鎖を生やす。その鎖はイレに触れまとわりつきイレを封印する予定だった。
「奈々木、その口を閉じろ」
イレはチェーンが触れた途端、怒りという感情を思い出し叫んだ。
「お前ら、イレの心をかき乱すな」
イレは魂の領域を広げてチェーンを弾いた。