イレのゲームスタート
もう誰も生き残っていない。
奈々木はそう確信した。残念なことにその確信は事実と合致していた。
怖い、だから足を動かせ。まずは走る。YC2とは逆方向に走れ。
目の前に石の壁があった。このままじゃ当たる、当たったら痛い。
奈々木は目をつぶりジャンプした。おどろくほど跳べた。11mは跳べた。『スキル【跳躍】 高く跳べる。落下の衝撃に非常に強くなる』のおかげだ。
ACBから放たれた衝撃波が奈々木の体に迫っていた。
何かが来る。怖い。かわさなきゃ。三家みたいに鳥になって……
『スキル【アキヤラボパ】 アメリカのズニ族の信仰するアキヤラボパの姿に変身できる』の効果で奈々木の姿は巨大な鳥に変貌した。その羽に衝撃波が命中するがアキヤラボパの石の羽には大きなダメージを与えない。
なんで? 俺は鳥になった。俺は飛んでいる。そして後ろに大きな剣を持ったYC2がいる。このままじゃ、大きな剣が俺の鳥になった脚に当たる。鳥の脚が怖い。
人間の姿に奈々木は戻った。全長四mのアキヤラボパから人間大のサイズになりACBの斬撃は免れた。だが、ACBの衝撃波は別だ。奈々木を純粋なエネルギーが襲う。
「救世主候補、逃げんじゃねえ。俺と戦え」
YC2はそう叫びながら落ちた。
奈々木も自由落下し始めるがまたスキルでアキヤラボパに変身し飛んで逃げた。
YC2が見えなくなりようやく奈々木は心底気を抜けた。まだ、空を飛んでいるが奈々木の精神は疲れ切りもうろくに頭が回らなくなっている。
「逃げ切った……」
「シンジは悔しくないの?」
奈々木の横で50cmほどの身長の小さな少女が並行して同じ速度で飛んでいた。
「誰だ?」
奈々木 信司は少女に問いかけた。
「えっ、わたし? わたしは…… チェーン、チェーン、わたしはチェーン。シンジのスキルのお母さん役だよ」
「スキルのお母さん役?」
「そうだよ。チェーンはシンジのスキルだからチェーンはシンジよりスキルを扱いこなせるんだよ。それより、シンジは悔しくないの? 普通の人が殺されたんだよ。シンジの知り合いが目の前で殺されたんだよ。YC2を殺したくないの?」
「そりゃあ、悔しいさ! でも、」
「でも、なに? なんなの?」
「怖いんだ」
「怖い? 死ぬのが? なに言ってるの? シンジは人間なんだよいつか死ぬんだよ」
「でもさ、あんな死に方ないじゃない。それに何人がかりでやっても勝てなかったんだ。俺なんかに勝てるわけないよ。こうやって逃げているのが俺らしい」
「そう。でも見て」
チェーンに促されて初めて奈々木は空からの景色をじっくりと見た。
蒼かった。空の青と湖の青がぶつかり合って一面蒼かった。
「綺麗だよね」
奈々木は思わずうなずいた。
「この景色もYC2が遠くない未来で壊す。それでも放っておく?」
「…… だってその方が俺らしい」
「そっか」
チェーンは悲しそうにうつむいた。
「なあ、YC2から逃げ切ったんだってな。ちなみに俺はイレ。YC2のヌナだ」
YC2と同質の姿。暗黒の人型の何かが空中に浮いている。
奈々木はそれを見て方向を変えて飛んで逃げた。
「逃がさないよ」
奈々木の意に反して奈々木の動きが止まる。
「鳥風情に言葉は通じないか。ただ、獣にしては愚かすぎる」
奈々木は何を思ったか空中で怪鳥から人間の姿に戻った。
「へえ、やっぱり人間なんだ。人間ならさゲームをしようよ。ルールは簡単。ケミドアの街で一週間生き延びるだけ。じゃあ、ゲームスタート」
イレはそう言うと姿を消した。奈々木は体の自由を取り戻し、怪鳥に戻りイレの言葉を無視して飛び去ろうとした。
だが、奈々木は見えない壁にぶつかる。かなりの速度でぶつかったものだから尋常じゃない、しかし先ほど死んだときほどでもない痛みが奈々木を襲う。
奈々木は墜落した。
空が遠のいていく、奈々木には地面に背が当たるまでそれ以外の事は分からなかった。
石でできた羽のおかげで奈々木に外傷はない。だが意識が飛ぶほどのショックだった。
奈々木は数秒ほど失神した。
大地の揺れで奈々木の目が覚める。
奈々木の四肢はいまだに痺れろくに動かせない。
「外界生物!? どうしてこんなところにいるんだろう?」
少女の声が奈々木の耳に届いた。
彼女の名はファイ。十一歳にしてコリガ王国でも特に優秀な魔道具技師の一人に数えられる天才だ。ファイは2mほどの高さの魔道具に乗って移動している。
「外界生物ってどんな味がするんだろう?」
魔道具は縮み、地面と操縦席の距離が十数cmほどになる。ファイはナイフを片手に降りた。
「いつっ」
奈々木の体に軽く触れたファイの左手に傷が付いた。奈々木の羽は石のナイフでもあるのだから当然だ。
「この羽、すごい固くて鋭い。いったい何でできているんだろう?」
ファイはそう言いながら腰の鞄から包帯を取り出して怪我をした部位に巻き付ける。その包帯には回復魔法と殺菌魔法がかかっていてこの程度の軽い切り傷なら数十分で完治させる。
「うるさいな」
奈々木はファイの事を見て思わず口を開く。
「えっ、この鳥さんはしゃべれるの!? もしかしてあの説が正しいのかな?」
「その外界生物ってなんだ?」
「言葉が通じるのに外界生物の意味が分からない。ということは……」
「ああ、そうだよ異世界人だよ。別の世界からピンクの仮面の神様に導かれてやってきた」
奈々木は勝手に気を利かせて口を滑らせた。
「えっ、鳥さんは異世界人!? ということはツギハギ様と同じ? そういえばジョウ様が召還の儀式が近々行われるって言っていた。ジョウ様は異世界人嫌いだけど、この人は悪い人じゃなさそうだし」
ファイを観察しながら奈々木はスキルを解除して鳥から人間の姿に戻る。
「鳥さんが人に変わった!?」
奈々木はファイに何か言おうとするがそんな気力は残っていなかった。死の恐怖から解放された奈々木は疲れ果てていて立ち上がる気は少しもなかった。
奈々木の学ランは土と返り血にまみれて汚れている。
「鳥さんすごい怪我してる。今から治療するよ」
ファイは血まみれの奈々木を見て奈々木自身の血だと誤解した。
ファイは乗り物の魔道具の背もたれ部分を取り外して下した。それは大きな切り株のような。万能杖という魔道具だ。
ファイは万能杖からホースのようなもので繋がれた棒を取り出し奈々木のいる空間を棒の先でなぞる。
棒でなぞられた円が淡く光る。
これにより外傷はないにもかかわらず奈々木の体に回復魔法がかけられ回復魔法の効果により奈々木は土のベッドにも関わらず少しだけ眠くなる。
ファイが小さな棒で奈々木の服をなぞるとみるみる汚れが落ちた。
洗浄魔法を使ったのだ。液体やほこりなど軽い物を消滅させていく魔法だ。服の劣化が早くなるという欠点があるが奈々木の服のべたつきはなくなり快適になった。
「ふぅ、これでやれることは終わったかな、鳥さんどう?」
ファイは不安そうに言った。
「大丈夫かなり楽になった。俺の名前は奈々木、ありがとう」
「鳥さんナナキっていうんだ。私はファイ、魔道具技師だよ」
小学生程度の女の子が技師を名乗ったことで奈々木は怪訝な顔をする。
「ファイはどうしてこんなことをしてくれるの?」
「? 当たり前でしょ」
奈々木はこのやり取りでファイが良い子だと思った。
「そういえばナナキは異世界人なんだよね。じゃあここから出られる?」
「えっ、それってどういう?」
「あれ、何?」
ファイの指し示す方向から武装した大勢の人間が走ってこっちに近づいてくる。
ここで奈々木はイレの言葉を思い出す。
ーー「へえ、やっぱり人間なんだ。人間ならさゲームをしようよ。ルールは簡単。ケミドアの街で一週間生き延びるだけ。じゃあ、ゲームスタート」