黄泉平坂~ヨモツヒラサカ~
シッコク ノ ヤミノナカ
ドレホド ノ トキガ スギタノダロウ
ワタシハ アノヒトノモトニ タドリツケルノダロウカ
短い夏を謳歌する蝉時雨の木漏れ日の中をあの人と歩いていた。
あの人とは、五つ歳上の従兄である那巳
生まれつき身体が弱くその為、大学を卒業するとともにこの山間の町に戻っていた。
わたしは高校最後の夏休みを祖母の家で過ごすためこの町にきていた。受験の追い込みの時期ではあるが、ゆったりと自然を感じつつ学習塾を開いている従兄の那巳に勉強を教わるという名目で夏休みの大半を祖母の家に滞在していたが、本当の理由はずっと憧れ続けている美しい従兄に会いたいという不純な思いもあった。
那巳が
少し散歩でもしないか?
勉強ばかりで家にこもってしまうと太陽からの栄養素を摂取できなるから
日の光を浴びることによって人は体内でビタミンDを作り出す、ビタミンDは骨を作るために必要な栄養素でもあるけど記憶力や思考力などの維持にも役に立つ。まさに今のあなたに必要な栄養素だねという。
そう言う本人は、
日の当たらぬ所で育った『東京うど』のように透き通るような白い肌をしていた。
二人で並んで歩いていると
あの人がふいに、
黄泉比良坂というのを知っているかい?と、聞いてきた。
ああ、それならば子供の頃に読んだ事がある。
たしか古事記にでてくる
あの世とこの世をつなぐ坂、
イザナギが命を落としたイザナミを連れ戻しに行ったあの坂のことだっけ?
そう、伊邪那美が火の神である迦具土神を産んだ後、迦具土神の火により陰部を火傷してそれが元で亡くなってしまう。
伊邪那美を忘れられない伊邪那岐は黄泉の国まで迎えに行くのだが、その時に伊邪那美は冥府の神々に伺いを立てるまでけっして姿を見ないで欲しいと言ったのに、逢いたい気持ちが優って伊邪那美の姿を見てしまう。伊邪那美は自身の腐敗した姿を見られた事が恥ずかしく、辱められた事が許せずに伊邪那岐を黄泉醜女たちに襲わせるが上手く逃げ切った伊邪那岐は黄泉比良坂で伊邪那美と決別するというもの。
そして、ギリシャ神話にもよく似た話があるんだ、とあの人は語り出した
アポロンの息子であるオルフェウスも毒蛇に噛まれて命を落とした妻エウリュディケーをよみがえらせるために冥府へ行き得意の琴をを使って冥府の王に会い妻を連れて帰る、その時王から冥府を抜けるまでは決して振り返えってはいけないと言われたが、冥府の出口が見えたところでふと妻が後ろについてきているか不安になり振り返ってしまう。約束を違えたことで妻とはもう二度と会うことが出来なかった。
伊邪那岐の子供が天照大神で太陽神だし、オルフェウスの父親がアポロンで太陽神で太陽が絡んでいるのがなんとなく面白いと思わないか?
話は戻るが
なぜ、ダメだということを人はしてしまうのだろうね
この町にも、あの世とこの世をつなぐ坂があるらしいよ
子供のころ遊んだあの神社、主祭神が伊弉諾命でご神木の裏側にあるウロを岩で塞いでいるのをおぼえているかい?
あのウロにあの世とこの世をつなぐ扉があるらしい、ただし深夜にしかその扉は開かないのだそうだ。
そうあのひとは楽しそうに話した。
そんなとりとめのない話をして、いつもの日常を過ごした。
夏の天気は変わりやすい。ポツポツと雨粒が落ちてきたかと思っていたら
その粒はどんどん大きくなり、白い靄の中あっという間に二人を濡らしてしまう。
ゴロゴロと遠雷がなるなか、どこか雨をしのげるところまで移動しようと歩き出す。
濡れるあの人の背中を見ながら
今しがた話していた神話を思い出し那巳のその姿
嗚呼、その神々しさはサラスヴァティのようだと、美しい水の神、そして芸術の神。
そんなことをあの人に言えば、
サラスヴァディとは日本では弁財天といわれていてね・・・などと話し出すかもしれない。
しっとりと濡れるあの人そのものが美しい芸術品のようで、
目を合わせることができなかった。
従兄のお兄さんから、
艶めかしくふるえるその紅い唇を奪い蹂躪し、着衣を剥ぎ透き通る白い肌に爪痕を残したいと夢想する対象に変わった今
濡れて素肌がすけるその後姿をずっと眺めていたいと思っていたその時、
あのひとは、立ち止まり、そしてゆっくりと振り向くと
「僕は、あなたを愛してます」と、
雨に濡れてなまめかしくひかる唇で
まるで琵琶でも弾きながら歌うように私に告げた。
あの人の背中に、浅ましい夢想をしていたことを悟られたようで
そして、あまりにも突然な行動に動揺してそのままあの人を残して駆けてしまった。
わたしの気持ちはあの人と同じだったのに
わたしは何故走り出してしまったのか。
きっと那巳は、わたしが拒絶したと思っただろう。
本当は、那巳を押し倒してその体を覆っているすべてのものを剥ぎ取りその白い身体を貪りたい妄想を繰り返すわたしには
あの時
雨に濡れた那巳の肢体に欲情するのを隠せなかった。
だから
逃げ出した。
あの時、
雨にぬれた冷たい体を、抱きしめ、わたしの体温であたためていたのなら
あんなことにはならなかったのに。
後悔の念がわたしを支配する。
あの日から
気まずさゆえに、あの人に連絡をとるのがはばかられた、
その為あのひとに会うこともなく町を後にした。
自宅に戻ったがあの人を傷つけてしまったのではないかと自責の念にかられ
あの人の気持ちと自分の気持ちに正直に向かい合うために、
もう一度あのひとに会いに行こうと思った矢先その連絡が届いた
それは、わたしにとってとても受け入れがたい事実だった。
あの人が逝ってしまったと・・
もともと、喘息だったところに、肺炎を起こしたのだという。
わたしは取り返しのつかない事をしてしまった事に気づいた
今わたしは学生服を身にまとい、
あの人が焼かれている煙を眺める。
人とはなんと、あっけなく終焉してしまうのだろう。
さまざまな後悔の波が押し寄せてくる。
あの日、あの人を抱きしめていたら今もわたしのとなりには
優しく微笑む笑顔があったのだろうか。
過ぎた時は戻らない、
戻らないのならば、わたしが取り戻せばいい。
ヨモツヒラサカ
この世とあの世をつなぐ坂
そうだ、那巳はわたしに伝えてくれたではないか
あれは、わたしを連れ戻しに来て欲しいというメッセージだったのではないか
子供の頃那巳と来た神社
主祭神が伊邪那岐命だとは知らなかったが
御神木のウロを隠すように置かれた岩は
その昔、大人たちがこの中にはお化けが居るから近寄らない様にと言っていた。
お化けとは
黄泉醜女の事ではないのか
あの人は深夜にならないと扉は開かないと言っていた
それは丑三つ時ということではないか
それならば
わたしは深夜二時、制服を来て御神木の元へやって来た
ウロを塞ぐ岩はかなり大きなものではあるが木と岩を繋ぐ大きなしめ縄を外すと
一瞬、ひんやりとした細い風が流れてきた。
その風は深夜でもなお肌に張り付く暑い湿気をサラリとかすめていった。
岩と木の間には
人一人が抜けられるほどの隙間があった。
そこは漆黒の闇
足を一歩ふみいれる
すると闇に踏み込んだ足には
闇から小さな鳥の様な化け物がまとわりついてくる
足を振って払うと
キーキーと言いながら闇へ溶けていった。
その闇は
無だった。
方角も、今自分がいる場所すらわからない
しかし、後戻りはできない
なぜなら
この先であの人が待っているから。
わたしは決して、
オルフェウスや伊邪那岐のような過ちは犯さない。
そのためにあの人は、この話をしてくれたのだから。
あの人は、
どうしてしてはいけない事をしてしまうのだろうといっていた。
それは、
見るなと言われたのに見てしまうこと
振り返るなと言われて振り返えってしまう事
そういうことかと思った。
しかし、
もしかすると
してはいけない事とは
死者を蘇らせる事だったのだろうか
わたしはたとえ
あの人が腐敗し悪臭をハナッテイタトシテモ
ツナイダテヲハナスコトハシナイ
今度はしっかりと
あの人を抱きしめよう。
タダ
ふと思う事がある
オレハ イマ ヒトナノダロウカ