竜族の姫君は、呼び捨てしたい(4)
さあ、呼び捨てできるんでしょうか
夕食後、モンテル夫人と護衛騎士と侍女を一人ずつ連れて部屋を出た。
季節は春真っ盛りであるが、今夜は少し風がある。
窓のない渡り廊下を通った時、離れた廊下を王城の侍女が肩に羽織物をして足早に歩いているのを見た。
人にとっては少し寒いらしい。わたくし達竜族は自分の持つ性質によるが、よほどのことがない限り厚着も薄着もしない。
「こちらです」
モンテル夫人が連れてきたのは、城の裏手にある騎士の演習場のさらに奥。
辺りはいくつかのランプが均等に置かれているだけで薄暗く、人影はないように見える。動物の匂いと鳴き声から察するに、ここは畜舎らしい。
どうしてこんなところに、と思いつつモンテル夫人に付いていくと、なぜか物置小屋の陰に隠れつつ周囲を見渡して立ち止まる。
「ああ、いましたわ」
誰が? と聞く間もなくモンテル夫人に場所を譲られて進み出ると、目を向けた先には馬の手入れをするガーランドの姿があった。
よくいる赤毛の馬の毛並みを丁寧にブラッシングしており、わたくし達に気がついた様子はない。
「世話役がいないのかしら」
「いいえ。彼は毎日必ず自分の馬の世話をしに来るそうです。騎士は馬を大事にしますが、彼は休日もほとんどこちらに通っているとか」
「! 『六本足の馬』を贈ったら喜ぶかしら」
「相性がございますので」
バルバロッソは三対、六本足を持つ筋肉隆々の大型の馬だ。半竜化したわたくし達を乗せ、全力で戦場を駆け巡る筋肉と勇敢さを持つ希少な神獣だ。
ただ、その気性ゆえになにより相性が大事で、バルバロッソに認められなければ半竜状態でも蹴られて大けがをおうこともある。知能も高く、バルバロッソに認められることは竜族でも誉れとされている。
ちなみにわたくしの場合、相性うんぬんより恐れられていることが多く、大抵のバルバロッソは嫌々ながらにも乗せてくれる――が、全然嬉しくない。ものすごく不機嫌なオーラを出しながら渋々動く姿に、誰が好意など持つものか。
「……直接聞いてみようかしら」
「あら、姫様は積極的ですね」
「こんなところでコソコソしているうちに、ガーランドに妙なムシがついたら面倒ですもの。あ、あくまで契約者として……!」
「あ、作業が終わったようですよ」
モンテル夫人の言葉にハッと目をやれば、ブラシを木のバケツに入れて馬の鼻先をなでる姿が見えた。
いけない! とあわててわたくしは物陰から飛び出す。
「が、ガーランド、殿!!」
裏返りつつ呼ぶと、ガーランドはハッとしたようにこちらを見て片膝を突こうとした。
「そ、そのままでいいわ! 奇遇ね」
「竜の姫君、どうしてこのようなところへ?」
「散歩よ」
「このようなところまでお一人で、ですか?」
「え、ええ」
相変わらず表情は乏しいが、声の調子から多少なりとわたくしを心配してくれているらしい。それがわかってなんだか嬉しくなる。
「大丈夫よ。わたくし強いのよ」
「ですが、万が一ということがあります」
「!」
さっきよりもっと心配するような声色になって、そのせいかガーランドから放出される『神気』が濃くなって多量に出始める。警戒しているのだわ。
わたくしはそんな様子に驚き、少しだけ目を見開く。
今まで『わたくし強いのよ』なんて言ったら、同族からはそれはわかっております、とかそうですねという言葉しか返ってこなかったのに。ガーランドは竜族より弱く脆い人族でありながら、わたくしの心配をしている。
きっとアベル王子から言われていたら、盛大に顔を歪めて「バカにするんじゃない」と一喝して失神させているに違いない。
でも、なぜかしら。ガーランドから言われたら、なんだかこれ以上肯定するのが恥ずかしくなって、素直に聞き入れてしまった。
「すぐに人気のある場所へ参りましょう」
「だ、大丈夫よ。護衛はいるの。ただ少し離れたところから見ているだけよ」
そういうと、ガーンランドの体からホッと力が抜ける。
「そうですか。では安心ですね。お邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「え! せっかくなのだから、少し話せないかしら!? まだ仕事があるの?」
「いえ。わたしは汚れておりますので……」
「気にしないわ! あ、あなたが気になるならわたくしも汚れるわ!!」
「え?」
一瞬ポカン、としたガーランドの横をズンズンと通り過ぎ、わたくしは馬屋の前へと近寄った。
その瞬間、馬が一斉に慌てたように鳴き出したので、ガーランドがあわててわたくしと馬達の間にまわり込む。
「馬が興奮しております。危ないのでこれ以上は」
「またなの!? どうしてわたくしの気はこんなに怖がられるのよ!!」
ぷりぷり怒りながら、困惑しているだろうガーランドと一緒に馬屋から離れる。
「馬どころかバルバロッソにすら怯えられるのよ。犬も猫もみんなかわいいと言うけど、わたくしが近づくと怯えて逃げてしまうわ」
せっかくガーンランドが気にしないように汚れようとしたのに、ああまで拒絶されたら泣きそうになる。一人ぶつぶつ悔しくて言っていると、横にいたガーランドから「姫君」と呼ばれる。
「姫君は動物がお好きなのですか?」
「嫌いよ。みんなわたくしを嫌うもの」
「わたしの『神気』を使えばどうでしょうか」
「え?」
ガーランドが近くの水場に行き、一生懸命手を洗ってから戻ってくる。
「服はどうにもなりませんが、手だけは洗って参りました。お繋ぎいただけますか?」
「え、あの……」
差し出された右手とガーランドの顔を交互に見て、わたくしは一つ大きく息を吸い込んでから手を乗せた。
「……近づけるかしら」
「試しにわたしの馬に近づいてみましょう」
鳴くのを止めてじっとわたくしを注視している馬達の元へ、もう一度足を向ける。
ぎゅっと握られたガーランドの手は冷たかったが、じんわりと『神気』がわたくしを包んできて悲しい気持ちも吹っ飛んでいく。
馬達は最初おろおろした動きを見せたが、段々と静まりとうとうわたくしはさっきガーランドが世話をしていた馬の前に立った。
「オルソー、大事な姫君を紹介するよ」
「……」
わたくしは無言でドキドキしながら、オルソーと呼ばれた赤毛の馬の様子をうかがっていた。
オルソーは黙ったままであったが、もう一歩近づいても何も言わなかった。
「大丈夫そうです」
そう言ってガーランドはつないでいた手を馬の首筋に近づけ、なでるように促した。
わたくしは一度ガーランドを見て、次にオルソーの澄んだ目を見てからそっとなでてみた。思ったより固い毛であったが、ブラッシングされているからかさらりとなでることができた。
「……触れた」
「大丈夫そうですね」
「ええ、嬉しい!」
そう頷いてガーランドを見上げると、わずかに口角が上がって微笑んでいるのが分かった。そのわずかな微笑みに、わたくしは釘付けになり、ボッと顔から火が出そうなくらい熱くなる。
あわてて下を向いて、なでることだけに集中してもう一度なでると、オルソーがブルルッと喉を鳴らした。心配してガーランドを見上げると、不快ではないから安心していいと教えてくれた。
でもわたくしはなでるのはそれでおしまいにして、周りの馬からの視線を一身に浴びているのがつらくなって逃げるように馬屋を離れた。
もちろん、手は繋いだままよ。
「初めて動物に触ったわ」
「バルバロッソにお乗りでは?」
「あれは別よ。わたくしが怖くて嫌々乗せているんだもの。オルソーは怖がっていなかったのでしょう?」
「はい」
「あなたと一緒なら、他の動物も触らせてくれるかしら」
「バルバロッソはわかりませんが、犬や猫なら大丈夫かと。わたしもどちらかといえば好かれる方です」
表情の乏しいガーランドが犬や猫に囲まれている姿を想像して、おもわずクスッと笑いが出る。
「あ、でもバルバロッソはどうして無理なのかしら?」
「バルバロッソは見たことありませんが、噂では相性が大事な希少動物だと聞いています。『神気』持ちですら拒否すると本で読んだことがあります」
「まあ、そうなのね。でも、一頭くらいあなたに懐くコがいると思うわ。今度試してみましょう」
ね? と顔を上げると、ガーランドが喜んで――は、いなかった。いつもの無表情のままじっとわたくしを見ている。
「姫君、わたしを特別扱いする必要はございません。『神気』持ちとして気を使っていただけるのはありがたいのですが、そのようなことをなさらなくても大丈夫です。わたしはいつでもお側に参りますので」
その顔は軍人の顔だった。
違う。わたくしの見たい顔はこの『顔』じゃない!!
焦ったわたくしは、とっさにつないでいた手を解いて両手で彼の両袖を掴む。
「違う! わたくしはそんなことをお願いしているのではないの!! あなたが周りからプレッシャーをかけられているのはわかるわ。それであなたが苦しい思いをするならずっと閉じこもって、どうしてもって時だけ顔を出すようにするから! だから、仕事だからとわたくしに優しくしてくれるのはやめて欲しいの」
「姫君?」
本日二度目の困惑顔をしたガーランドに、焦っているわたくしは(この時は)良い事を思い付いた。
「そ、そうだわ! わたくしあなたとお友達になりたいの!! だから、わたくしを『姫君』と呼ぶことをやめてちょうだい。わたくしの名はティアナ。ティアナと呼んでほしいの!」
「恐れ多いことです」
「あのね、姫君といえばこの国にも一人姫がいるでしょ!? わたくしの妹も姫よ。同じ呼び方だと混乱するわ。それにあなたが嫌でなければ、これからも『神気』で癒して欲しいし……」
と、ここまで言ってわたくしは自分の言葉のいろいろな失態に気がついた。
『友達になりたい』ですって!? 友達になったくらいじゃ、ガーランドに寄りつく女にどうこう言えないわよね。失敗したわ。
『ティアナと呼んで』だなんて、まずはわたくしが呼び捨てしたいと言うのに、先に呼び捨てにされたら――、とここで想像してみる。
『――ティアナ』
ボフン!!
顔から湯気もでそうだけど、巻き上がった光の粒と一緒に角と尻尾が出てくる。
まずいわー。破壊力がスゴイ。これは心の準備が必要ね。呼ばれるたびにこんなことじゃ、モンテル夫人から再教育されてしまうわ。
ああ、どうしましょうと心の中でオロオロしていたら、やんわりとガーランドが「姫君」と呼んだ。
そうよね、今日会ったばかりなのだから時間をかけて行けば、と決意して顔を上げると、真面目そうなガーランドの顔が間近にあった。
「わたしは遠巻きにされるのが常でして、先ほどのお言葉にどう答えたらいいのかわかりません。ですが、とても光栄……いえ、嬉しく遠慮なくお言葉をいただきます。
ありがとうございます――ティアナ様」
わたくしはうつむき加減になりつつ、喜びと恥ずかしさが入り混じった状態で口にした。
「こちらこそ、が……ガーランド、様」
――なぜか、呼び方的に遠くなってしまった。
やってしまったわぁああああ!!
その後、硬直するわたくしを見かねて、モンテル夫人がさりげなく(には無理があるけど)回収しに来てくれた。
そしてわたくしは眠れない夜を過ごす。
――『ティアナ様』
ボフン!
きゃぁああああああ!!
読んでいただきありがとうございます。
結局遠のいたティアナですが、名前を呼んでもらえてしっかり記憶。
夜に思い出して脳内再生=大興奮=尻尾飛び出る、角生える。
これを繰り返し……翌朝を迎えるわけです。
では、また。