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ミヤタという男

のんびり書いていきます。

「雨の匂いがする。」

 作業をしていたミヤタの手が止まった。私はしまった、と手の甲で口を押さえた。声に出すつもりじゃなかったけれども、単純作業の繰り返しで集中力が切れてしまっていたようだ。

 ミヤタは持ち上げかけた刷毛をそのまま缶の中に戻し、「そろそろ休憩しますか」と凝り固まった腰を伸ばした。私もミヤタに続いて手にしていたハンマーを置いてゆっくりと立ち上がる。埃と木屑で曇った小窓を開けたら、湿った空気が室内に流れ込み、シャッター越しに雨の降る音が聞こえる。少し肌寒くなった気がした。

 

 居住エリアへ向かう猫背気味の背中を眺めながら、私はこの掴みどころのない男について考えていた。




◇◆◇


 ミヤタ。本名宮田なんとか(聞いたことある気はするけど覚えていない)。

 年齢、21歳。私より1つ下。性格、ミステリアスで秘密主義。

 見た目、少し色白で細身。どちらかというとあまり印象に残らないタイプの薄い顔。でも切れ長の目は割とかっこいいかもしれない。


 ミヤタとの出会いは、高校時代にまでさかのぼる。ただ些細な接点があるだけで、特別親しい間柄でもなかったと思う。その証拠に私はミヤタの名前を憶えていない。私が高校を卒業して上京してからは存在すらも記憶から消えていた。

 そんなミヤタと再会したのは丁度2か月前の梅雨時だった。私は特にやりたいことも浮かばないまま適当に入社した会社で人間関係に馴染めず、僅か2カ月で退社。社員寮も追い出され自棄になり、適当に入ったバーで飲んだくれてた所までは覚えてる。


 そこまでは、なんとか覚えている。


 次の日の朝、目が覚めると私はミヤタの家のソファーで半裸で寝ていた。 

 そして自分の身に起きた出来事を上手く飲み込めない私に、

「今日からここにハルさんも住むことになったので、これからよろしくお願いしますね」

 とミヤタは涼しい顔で告げたのだった。


◇◆◇




 雨の音と程よい疲労感でまどろみかけた頃、コーヒーの香りとともにミヤタが帰ってきた。

「ハルさんは練乳でしたよね」

「ん、ありがとう」

 疲れた身体に程よい甘さが沁みる。思わず息がこぼれた。

 ミヤタは近くにあったコンテナを足で乱雑にひっくり返し、私の隣に座った。

「いつも思うんですけれど、甘ったるくないんですかそれ」

「大分甘い。でも、これぐらい甘くしないと飲めないし」

「お子様舌ってやつですね」

「ほんっと生意気」

「ハルさんだって居候のくせに生意気ですね」

 確かに、と私は苦笑いした。居候という引け目がないわけではないが、ミヤタといると自然と口調が砕けて高校時代に戻ったかのような錯覚に落ちてしまう。今の私はニートの22歳ではなく、ただの高校生なのだ。


 つかの間の休憩が終わると、私とミヤタは作業を再開した。

 ちなみに作っているのはなんだかよく分からないキャスター付きのミニテーブル。

 私が板の切り出しとハンマーで釘を打つ係で、ミヤタは刷毛で板にペンキを塗る係。体力的に逆の方がいいんじゃないかと抗議したところ、「居候のくせに生意気ですね」の一言で私は撃沈した。

 

 ミヤタ曰く、万が一僕が怪我でもしたら今後の収入に影響を及ぼすからとのこと。確かにそれは私にとっても死活問題である。ニートで居候の私は、設計書とにらめっこしながら黙々と釘を打ち続けた。


 しばらくすると、近くの中学校から雨音に交じってトロイメライが微かに聞こえてきた。夕方六時の合図だ。ミヤタの耳にもそれは届いたようで、「今日はここまでにしましょうか」と作業の手を止めて水道へ向かった。私はミヤタが放置したペンキや刷毛やその他置きっぱなしにしてたら危なそうなものを片っ端から工具棚へしまいながら、泡にまみれたミヤタの手を盗み見ていた。


 少しだけ節だった白くて細長い指。少し深爪気味だが、白みがかった桜色の爪。丈夫な骨と血管を感じさせる手の甲と、それを覆うきめの細かい肌。どれもこれも私が持っていないものばかりだ。ミヤタの手は、女性の手と男性の手のいいところを寄せ集めたような手だった。


「ハルさん」


 急に名前を呼ばれて顔を上げると、ミヤタと目が合った。凝視していたのがバレた羞恥から顔が燃えるように熱くなる。

「ぼーっとしてないで、タオル、取ってください」

「あっ、あぁ……どうぞ」

「どうも」


 柔軟剤のきいた柔らかいタオルで丁寧に拭われるミヤタの手を、私は性懲りもなく再び凝視する。

 やはりミヤタの手は、

「綺麗だねぇ」


 ぴたり、とミヤタの動きが止まる。しまった、また無意識のうちに口から出てしまったようだ。

 ミヤタは含み笑いを浮かべながら


「まぁ、僕の大事な商売道具ですからね」


 と答えた。えーなんかやらしーい、と私が軽口を叩いたところでこの話は終了した。



つづく。

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