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異世界送還顛末記

 やばいな、とまず呟き、顎ヒゲを撫でた。それがサンソンの最初の反応であった。


 サンソンは貧相なヒゲをしごきながら、座椅子に深くもたれかかる。そうして夕陽が射しこむ窓をひどく鋭く見やる。ただでさえ老け顔なのだが、今は死期の到来を悟った老人かのようだ。


 そろそろ終業時刻という頃合で、平穏な一日が終わると思われた頃合いだった。そこを狙ってきたような突発的な事案であった。まぁ、その対処のために、サンソンは就業時間のほとんどをちいさな執務室に篭っているわけだが、実際にことにあたるとなると、やはり不快であった。


 サンソンは外見からは経験豊富な中堅といったふうだ。肉づきは不足しているが常人オーディナリーとしては高身長で、背筋はピンとしている。口許のヒゲもよく手入れされていて、見栄えはそれなりにいい。身なりも麻のシャツに鹿革のチョッキと、当世の流行にならっている。が、肝心の中身はといえば、年齢は三十路を迎えたばかりで、現在の職業に関する実務経験も同年代の同業者と比べれば乏しいものだろう。


 サンソンは煙草のヤニで黄ばんだ天井を仰ぎながら、どうしようかな、と先よりもはっきりとした声を吐いた。ついで彼はこざっぱりとした事務机を、また調度品として機能している書類棚を確認する。むろん、反応があるわけがない。溜息をつくと、サンソンはドアのほうへと声をかけた。


「僕、こういう状況に慣れてないんだけどさ」


 応答はなかった。ドアの前で直立して待機している小柄な(常人の子供とほぼ)男は、いつもの無表情を崩さないでいる。顔つきが若く見えるだけによけいに冷淡な印象をあたえた。事務員の立場にある彼は上席者の指示の他に関心がないらしい。サンソンに厄介事を持ちこんできたことについて、なにを考えているのかは覗えない。まったくノームらしい態度とはいえるが。


 サンソンはしかたなしというふうに腕組みをする。


「……面倒な委任者クライアントから好かれたくないんだけどねぇ」


 サンソンは業務上で面倒な判断を迫られていた。いや、それ以前の、商談に応ずるか否かの段階で悩んでいた。ようするに、門前払いしようかと考えていた。


 事前連絡なし。紹介状もなし。誰かの代理というわけでもない。業界の慣行として仲介業者ブローカーを通じて業務を受託するのが通例であるので、クライアント本人が顔を出すのは、それだけで警戒すべき状況であった。


 そのうえ相談内容は不明。重大な案件だと思っているのかもしれないが、あらましさえ知らされないのでは、サンソンとしては心証が悪い。なんとなれば、秘密を知ることで禄を食んでいるのだから。また、そういった輩にかぎって、金にならないような案件を持ちこんでくるもの、というのが上司が好む訓話であった。くわえて、白紙の小切手を提示しているという。なにを勘違いしているやら、とサンソンは思っている。


 なによりも懸念すべきは、クライアントはサンソンを相談相手として指名してきたというのだ。サンソンはたしかに業務に関する相談を扱える資格を有しているが、所属事務所の平メンバーという位置にある。わざわざ指名される理由が不明だ。しかもそのクライアントは若い女性だ。


 問題を整理するうちに、サンソンは胃痛を覚えた。やはり接触するだけで致命傷になる類の案件かもしれない。しかし、悲しいかな。サンソンはそういったものを丁重に拒絶するスキルはなかった。


「親分さんに頼むべきかな?」


 サンソンは苦笑しながら事務員に訊ねた。事務所の顧問として契約している非合法な手腕に長けた団体に連絡しようか、といってみたわけだ。


「あなたの手に負えないと判断されるのでしたらば、私はとやかくいいません。ただ、非合理的な額の顧問料を払っていらっしゃる所長がいかなる判断をくださるかについても、私は関知しえません。まぁ、すくなくとも心証は悪くなるでしょうね」


 見事に自身の責任についての言質を与えない返事であった。官僚的な、ともいえようか。このノームの事務員は、以前は治安関係の官庁に奉職していた。おもしろみに欠ける人間だが、所長はどこを気にいったのか引抜いてきたのだ。


 だよねぇ、とサンソンはうなづく。事務員の発言を否定することはできなかった。特殊な免状を持っているおかげでサンソンのほうが職位が上であったが、発言力ではこの事務員がよほど優位にあった。職歴に関しても、実年齢に関してもサンソンよりも上である事情があるのだ。


「それと、彼女はシルフですし」


 それで充分だろ、とでもいいたげな口調であった。応ずるサンソンは苛立ちを隠さずにいう。


「はやくそれをいってくれよ」


 ここで初めて事務員は感情を顔に表した。侮蔑を含んだ不快だ。


 すまない、とサンソンは即座に口にした。クライアントを種族で差別しないと普段から宣っているものだから、ノームとしてはごく自然な反応であろう。


 あらためてサンソンは窓を見やる。快晴な一日が終わろうとしていた。しかし、彼は陽光をほとんど浴びることはなかった。特殊な案件がなければ、事務机で読書をしているのが、サンソンの仕事であるからだ。


 サンソンはこめかみを揉んだ。どうせねぐらに帰ったところでやることはないことを思いだした。そして、彼は宣言する。


「とりあえず、僕が対応するよ」


「了解しました」こころなしか明るい声音だった。


「まぁ、多少は免状持ちらしいことをしておかないとね。……それで、クライアントについて他に留意すべき点はないかい?」


「はぁ……。意味不明な質問をされましたね。ミムラという男を知っているか、と。むろん、知らないと返答しましたが」


 サンソンはひどく重い表情で応じる。


「正しい対応だと思うよ。ありがとう」


「まぁ、難儀そうな客ですね。心中、お察しします」


 ノームの事務員ははっきりとニヤついていた。この部屋に来てからはじめて示した、情緒的な反応であった。サンソンは茶を用意するように命じた。直後にひとつ注文をつけくわえた。


   *


 灯油ランプに照らされた応接室は、ぼんやりとした光のおかげで、その粗末な内装をごまかされていた。そしてどんなにひどい鼻詰まりでも感じとれるほどに濃厚なムスクの香気に充ちている。


 空気が普段と違うだけで異空間と化している。サンソンは、茶盆を持って入ってきた瞬間にそのような感想を抱いた。


 クライアントの外見については、とくに感情の起伏はなかった。入室前に充分に想定していたし、また予想外でもなかったからだ。


「お待たせしました」


 サンソンは抑揚のない声でカップをクライアントに勧めた。その視線は相手の姿を詳らかに眺めている。


 クライアントはたしかにシルフの女性であった。鈍色の貫頭衣に、同じ色のヴェールで額からうなじまでをすっぽりと覆っていた。そのせいでシルフの最大の特徴である長く尖った耳(それを揶揄してロバ耳と呼ぶ者がおおい)の在処は膨らみとしてでしか見てとれない。膨らみといえば、胸周りのそれはずいぶんと迫力があった。サンソンは慎み深く想像することはなかった。


 あらためて時代がかった身なりだな、とサンソンは思う。常人にとっては二百年前の遺物であった。彼はこのシルフが好んで着用していると認識しなかった。法令はシルフにこのみすぼらしい服装を強制しているのだ。建前上は種族の区分をわきまえるためとされている。


「まず伝えておきたいのですが、事前連絡がない案件は極力避けたいのが本音です」


 サンソンはクライアントとテーブルを挟んで対面する椅子に腰をおろした。これでようやく相手の顔面を直視することができた。そうして、サンソンは口許をおおきく歪めた。好感か、不快感か。彼には己の感情について把握できなかった。


「しかし、相談そのものは応じます。それから先は内容次第です。これに関わる責任は僕が法の範囲内で負います。……了解を願います」


「成長したわね。お茶を用意するようになるなんて」


 それが、それがクライアントたるシルフの第一声だった。心臓をくすぐるような甘い声音であった。


「ま、仕事のためにしているだけですよ、ニキーシャ」


 サンソンはシルフの双眸を凝視しながらいった。灯油ランプの弱々しい光の下でもはっきりとわかる、銀色の粒が散らされた藍色の瞳であった。それはまるで星空のような。人類全体を通じても稀有な瞳だ。しかし、その瞳の主の容貌そのものは年若く、あどけなさを強く感じさせるものだった。美醜の観点でいえば、愛嬌が際立っていた。


「褒め言葉は素直にうけとりなさい、ミムラくん」


「そういう性分なもので。それから、フリッツ・サンソンと呼んでください」


 ニキーシャと呼ばれた女は、茶をひとくち飲んだ。はっきりと笑みが現れた。


「羽振りがいいわね。美味しいお茶だわ」


 サンソンも茶を飲んだ。異様に甘ったるく、ドロリと重い舌触りだった。


「安物です。ただ蜂蜜だけはイヤミなほどにたっぷりと。あなたの好みを思いだしたもので」


「とりあえずは私のことを覚えておいてよかったわ。話をしやすいから。で、ここからはかしこまった口調はやめにして……サンソン」


 ニキーシャはサンソンを照れくさそうに発音した。もっともサンソンはまったく気分が軽くならなかったが。やはり面倒な案件なんだな、と意識する。


「まぁ、昔話をするわけではないんでしょ? これからの私的な関係についての話でもないわけで?」


 サンソンは懐から煙草入れをとりだし、テーブルに置いた。紙巻煙草シガレットを一本とると、ニキーシャにも勧める。


「私はかまわないけども?」サンソンは即答する。「返答は差し控えます」


 サンソンは咥えたシガレットの先端を右の人差指で擦った。ただそれだけで火が着いた。


「魔法は忘れたわけではないのね。おおきな安心材料だわ」


 ニキーシャもシガレットを咥え、やはり指で擦って火を着けた。しばし、男女ふたりは漂う紫煙を見つめる。


「なんというか、まぁ、便利なもんだし。とはいえ、人前ではちゃんと道具を使ってるよ。時勢には迎合しないと。ただ……」


「ただ?」ニキーシャは顔を寄せてくる。


「僕が魔法を忘れていたら、ニキーシャのあつかいはどう変わるのかと思ってね。多少は寂しい」


「人格はまた別よ」


「そうやって男を落してきたわけだ。で、僕が法執行代理士であることについての評価はどうなんだろう? 今日はそのために事務所に来たわけだろ?」


「業界ではそこそこに威勢のいい借金取りという評判だとか」


 サンソンはおおいに苦笑した。


「僕が籍を置かせてもらっている事務所は、ね。僕そのものは、聖上陛下の勅許により免状を賜ったというだけで、暇を楽しんでいるだけ。それに金の貸し借りだけが領分じゃない。判事の代わりにいろんな雑用をしているんだ。

裁判所の警備やら陪審員や証人の保護だったり……」


人探し(マンハント)、もね」


 ニキーシャは応接室の隅に掲げられた約款を指差した。びっしりと細かい文字が連なっていた。サンソンはその全内容を読んだことがない。


「法益を確保するなどの目的で、判事の委任により指定者を捜索する業務。どちらかといえば、僕はそのあたりが専門だけど、得意なわけではない」


 サンソンはそう説明したが、現実には夜逃げした債務者の身柄をさらうといった案件がおおかった。


 さて、とサンソンは思う。人探しとはまた生臭い話だ。どうにも、真面目に話題を進めていくのが怖くなる。


「というわけで、適切な交際相手を紹介したくても、僕には請負うことができないんだ。残念なことに」 


「あら。それがさっきまでのやりとりをふまえての発言?」


「むしろ、よき伴侶を探してくれと依頼されたほうがよかったね。仕事ではなくて、個人的に協力したいよ。もちろんシルフ限定だけど」


 まわりが変わってしまったとはいえ、なにゆえ、かつて惚れていた女に対して卑しく接しているのだろう。


 サンソンはドブ浚いをやらされているような心情を覚え、またその老け顔には濃い陰があった。


「ニキーシャ。君は失念しているようだが、純潔令という法があってね。人類は同じ種族内でしか婚姻は認可されないんだ。まぁ、交際するだけでも厄介な問題になる。すくなくとも、僕は飯の種を喪うな」


 サンソンはむりやり笑みをつくった。「君自身は心配なかろうが」


「いくら排撃しようとしても、ただの人類相手なら焼払えばいいだけだもの」


 ニキーシャは冗談めかしたが、サンソンは現実的選択であると知っていた。


「しかし、無関係なシルフ市民たちに憎悪が向けられることになる」


 感情によって繋がった群衆に良識を求める習慣が、サンソンにはなかった。


「私たち、知らないうちにたくさんのしがらみを背負ってしまったのね」


 ニキーシャは口許では笑みを装っていた。サンソンも同様に応じる。


「なにをいまさら、といったとこなんだろうな。こんな関係を予期して、僕らは別離を選択したわけだ」


「賢明な判断だと、お互いに思っていたはずなのに」


サンソンは苛ったような挙動でシガレットを弾いた。一瞬のうちに灰となって散った。


「ごくたまにこんな妄想が浮かんでくることがある。もしニキーシャが常人の外見をしていたら、と」


 ニキーシャは肩をすくめた。愛らしい顔には力のない笑みが浮かんでいた。


「先の大戦で世界は変わってしまったけども、私はこの姿を恥じるつもりはない。ずっと千年ばかりつきあってきたから」


 責める含みのある口調であった。サンソンは鼻で笑った。彼としては自嘲のつもりだった。


 ニキーシャはおそらく本人が望まないかぎりは死ねない女だった。彼女の記憶にサンソンはたしかに傷跡を刻んだろう。しかしながら、常人であるサンソンにとってはニキーシャは人生のすべてを費やすことになりえる存在であった。


 生きられる時間のあまりにもおおきなギャップに気づいたことが、サンソンが愛する女との別離という決断をくだした理由のひとつとなっていた。それを相手に伝えた記憶はなかったが、さすが人生の先達だけあって、とうの昔に悟らていたということなのだろう。


「正直なところ、ニキーシャが仮にドワーフの格好をしていたら、好意がどうなっていたのかわからんさ。それと、個人の経験としても、はじめこそ違和感があったけど、新しくもらったこの身体を手放したくはないね」


 アイデンティティとは状況に応じて変えられないからこそ成立しえる。サンソンは眉間に力ませて、そんなことを考えた。


「ま、なにはともあれ、今の僕らは商売を介在して対面できている。じつに強力な拠りどころだよ。前向きにいこうじゃないか」


 サンソンはいったん言葉を切ってから、声を抑えていう。


「じつに面倒な案件なのだろうけど、容認できる範囲はぞんぶんに楽しむつもりだ」


「そうなのだけれど、私はまだ具体的に話してないわよ」


「どうせ君のことだ。僕の弱みを握っているからここにいるのだろ?」


 対してニキーシャはあっさりとうなづいた。


「できれば触れたくない話題だったけれども。あなたはなかば脱法的手段をもちいて奴隷たちをシルフ種族保留地へと亡命させている」


 サンソンはここぞとばかりにこやかになる。ニキーシャの如才のなさに彼は強い好意を抱いていた。


「たいした誤解だよ。僕は依頼に応じて種々の書類を用意してやっているだけだよ。ま、クライアントは正義感だけは不足していない面倒な連中だし、事務所にしても法令に規定される以上に徴収した料金について、とくに詮索しないんだけどさ」


 つまり、サンソンの本業とは偽造された身分証を公的な存在へと加工することであった。そして、彼が所属する事務所の非公式な収益源ともなっていた。


「そのあたりのことなんて、私は興味ないけれど、あなたが人探しの手管に通じていることが、この件では重要なの。人を逃がすことが得意なら、その逆もまたしかりでなくて?」


 サンソンは苦笑しながら頭を振った。結局はどれだけのコネを利用できるかが、この種の商売における競争力の指標であった。そして、彼は日陰の世界ではそれなりに知られた存在であった。


「情けないことをいうけど、君なら片手間でできると思うけどね」


 ニキーシャがわざわざ頼んでくるほどだから、ひどく難儀なのだろう。サンソンはぼんやりとそう思った。探しだして、なにをしたいのかまでは想像できなかった。


「さすがに人類各種族からひとりずつを探しだすのは大変だわ」


 七人か、とサンソンはうめいた。人類(ヒューマンカインド・)七種(オヴ・セヴン)。近似した肉体と文化基盤を有する七つの種族。常人が首座であると認識されているが、人口とその版図が最大であるのが理由だった。


「まぁ、常人ならば、それなりに短期間で可能だろうが」


 するとニキーシャはサンソンの鼻面に右の人差指を突きつけた。


「呑気なことをいわないで。あなたは常人から選出されたの」


「光栄、といっていいのかな?」


 サンソンはこわばった挙動でカップを口へと運んだ。ぬるくなった蜂蜜茶は最悪の甘さだった。


「このニキーシャから信認されたわけなのよ」


 そういいながらニキーシャはサンソンのカップを手で包んだ。すぐに湯気が昇りはじめた。


「なんというか、女王から同衾を命じられた気分だな。いや、名誉なのだろうが、男としてか、武人としてか、どちらの立場で喜ぶべきなのか、迷う」


「まったく。そういった卑屈なところはいつまでたっても治らないわね。承知していることだけども」


 そういってニキーシャは二本目のシガレットをいただいた。胸元から一枚の紙をとりだす。捜索すべき人物の一覧だと告げる。


「これはまた……」


 サンソンはリストとニキーシャとを交互に視線を振りながらうめいた。


「懐かしい名前が並んでいるな」


「これで選択基準は理解できたでしょ?」


「戦友会を開催するつもりかい?」


「ある意味ではそのとおり。けど、ただ友誼をたしかめるために集めたいわけではないの」


「うん。友誼ではないな。共犯関係に依拠する同属意識だ。地上の地獄に投じられ、炎に焼かれながらも帰還できた、死にぞこないども」


 そこでニキーシャは煙を盛大に天井へと吐いた。竜が炎を噴くように。


「すくなくとも豪胆さについては余人に代えがたい連中というわけ」


「ニキーシャ。あなたは戦争の狗どもの首領であり、母であり、獰猛な戦女神であった」


 サンソンは目許をひきつらせた。今、彼は心臓の鼓動に痛みを感じていた。


「戦争するつもりか?」


「だとしたら?」ニキーシャは微笑みながら問いかけた。


「人間相手はイヤだね。気に喰わないことはあるが、それでも僕らが守りぬいた世界だ」


 そしてサンソンも笑みを浮かべた。己でも信じがたいほどにまっとうなセリフを吐いてしまったからだ。


「安心して。戦争を起こすつもりはないわ。ただ、世界には迷惑をかけることになるけれど」


「すまない。どれだけ迷惑をかけることになるかで、僕の態度は変わる。ま、僕そのものがこの世界に厄介になっているわけだけども」


 ニキーシャは深くうなづく。まさにそのことよ、と断定的に宣言した。


みなしご(オーファン)にまつわる件なの。ミムラくんなら、無視できない件じゃないかしら?」


転生者(エイリアン)と呼んでください。僕はそれを望みます」


 サンソンはムスッとした顔でそう応えた。政治ではなく情緒の問題であった。


「失礼。……ところで、あなたは最近の転生者の事情は把握できているの?」


 サンソンはおおきく深呼吸した。ついで茶の残りをひとおもいに胃に注ぎこむ。そうしなければ、やりきれない思いであった。


「僕が幸福な時代の最末期に第二の生を授かったことは理解できています。僕が転生してからすぐに大戦が始まって……。どこぞの莫迦が大量に転生させるようになった。人口の損耗を補うために」


「あなたと違って、まったくの馬の骨としか評価しようのない人間たち、をね」


 サンソンはひどく険悪なまなざしをニキーシャに放った。


「ええ。大半の事例においてそれは事実なのでしょう。けどね。有為の人材かどうかを、あの時期は試すことがなかった。そして、転生者は右も左もわからないうちに、バケモノどもの巣へと追いたてられた。彼らのほぼ全員が前の世界で銃に触れたことさえないのですよ。ましてや、魔法なんて」


 ニキーシャは冷えた表情でサンソンの言葉を受けとめていた。


「そして、僕だって馬の骨であってもおかしくはなかった。あなたに拾われたことが絶対の幸福であったというだけで。そして、大戦が終わってみれば、転生者が生きるべき社会はなかった。ま、当然ですね。才能を活用しようにも、基盤がないのだから」


 サンソンは肩をすくめてみせる。


「悪魔の橋、というのが前の世界にはあってね。過去の文明が建築した水道橋を、後世の人間がそう呼んだんだ。文明が滅んで、そのために技術が喪失した結果、同じ人間が建築したものだとは認識されなくなったんだ。ようは、この世界における転生者は、悲しいかな、歴史の蓄積があってこそ才能が活きる種類の人材だったんだ。そして技能を向上させるのも歴史があってのことだ」


 ニキーシャの返事はなかった。サンソンは彼女が理解できていないことを前提に続ける。


「まぁ、大戦が終わって”世界の隙間”をあらかた塞いだ結果、転生者の流入は激減したわけだけども。……しかし、大戦中に流入した転生者のおおくが奴隷じみた身分に押しこめられた。大戦で喪われたものは巨大だが、得たものはほとんどないもんで、過剰な人口を養っていられなかった」


「そして、あなたはすくなくない数の転生者を亡命させている。自由な土地へ」


「実態は、転職の斡旋ぐらいのものさ。少々は居心地のいい場所を紹介してやるだけ」


 ある程度、感情を吐きだしたあとでサンソンはシガレットを咥える。鬱屈した面持ちで思った。はたからみれば、僕は人道主義で着飾った偽善者だろうな。


「……私の依頼も、同じようなものかしらね」


「そのために、狂犬を七匹も集めるわけか?」


「だいぶ遠いのよ、届け先は」


 すると、ニキーシャは右手でテーブルをトントンと叩いた。その様をサンソンは訝しげに観察していたが、すぐに足許へと視線を向けた。そこに妙な感触を覚えたのだ。


 金色の双眸と見つめあうことになった。


「おい……、こいつはなんだ?」


 ニキーシャからの返事の代わりに、床にうずくまった黒い塊が声を発した。猫の声を発した。


「やめてくれよ。妙なもんを呼び寄せないでくれ」


 サンソンは紅潮した顔をニキーシャに示す。が、彼女はひどく上機嫌な表情を浮かべているだけ。サンソンはあまりの展開に言葉を探しているうちに、その頭頂へ黒一色の獣が跳びのった。


 この事態に、サンソンの身体は凍りついた。


「臭いが同じなのかしらね。すぐに好かれたわね」


 ニキーシャは穏やかな声音で、サンソンの頭に座している獣へと語りかけた。それは、体表すべてを黒だけで塗りこめたような猫であった。


「……同じ臭い、て」


「大丈夫。あなたの子供というわけじゃないから」


 その返事に、サンソンは派手に暴れたくなったが、頭に重しがあるせいで彼はひきつった笑みをつくることしかできなかった。


「ちょっとばかりどぎつい冗談だな。で、こいつはなんなんだ?」


「だから、転生者。魂はあなたと同じく人間よ」


 あっさりとした答えだった。サンソンは震える声で訊ねる。


「とりあえず確認したいが、君はこんな時代になっても、転生者を拾っているのか?」


「野良猫を拾うことを咎めるわけ?」


 サンソンは返事ができなかった。


「手短にいっちゃうけどね。私はこの子をもとの世界に戻してやりたいの」


 応答があるまでしばし沈黙が続いた。


「……そもそもが、送りかえすことなんてできるのか?」


「転生者を大量に召喚できるんだもの。逆もまたしかり。もっとも、この私をもってしても無理な技だけども。ただし。……手段が存在することはわかる」


「それは世界の驚異だ」サンソンの声はうわずっていた。


「まさに。だから、私は信用できる人材が必要なの」


 ニキーシャはまっすぐにサンソンの瞳を見つめた。


「まったく……。戦争どころじゃない。世界を敵に回すことになるな」


「詳細は省くけど、苦労するのは私たちだけよ。うまくいけばだけど」


 そして、ニキーシャは朗らかに笑う。


「ずいぶんと嬉しそうな顔をしているじゃない」


 指摘されてはじめて、サンソンは笑っていることに気づいた。


「なぜだろうな……。たぶん男なら一度は夢想する言葉だからじゃないかな」


「ならば、サンソンさん。夢想を現実とするために、私からの依頼を受諾する覚悟はおありで?」


 サンソンは即答する。


「受肉したエーテルにして、大地の母、大いなる母(マグナ・マテル)。そして僕が惚れた女。かような存在が望むならば……。このフリッツ・サンソン、粛々と応じよう。たとい、世界から誹られようとも」


「その宣言、忘れないでね」


 サンソンは思う。こういう時のニキーシャはまったく見かけどおりの少女にしか見えない。なにか後ろめたさを感じなくもないが、これのために僕は彼女に惚れたのだろう。


 サンソンの心情を知ってか知らずか、頭に居座る黒猫はミャアミャアと鳴いている。


「ところで、こいつは事の重大さを知っているのか?」


 ニキーシャは諭すようにいう。


「まさか、この私が行動するとは思っていなかったようだけどね」


 サンソンは少々、嫉妬を黒い獣に対して覚えた。


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