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ELECT-MAGIC(1)

 この世界は、魔子で構築されている。

 物質は魔粒子によって構成され、魔粒子は魔子で存在している。

 魔子には、陽魔子と陰魔子の二種があり、それぞれ同じ数集まって魔粒子を形作っている。

 魔粒子は、中心に陽魔子が集まり、その周りを陰魔子が廻っている、という構造をとる。

 そのため、陽魔子は陰魔子を引き付ける力があると推測されている。

 「魔力を世界で最初に発見したのは、タレース、という人である。彼は、琥珀と毛皮をすり合わせるときに発生する微弱な魔力を見つけた。しかし、彼はそれを利用することが出来なかった。」

 小さな小屋に、初老の男の声が響いた。

 「世界で最初に魔術を行使することに成功したのは、ハンリフー・デーヒという人だ。彼は発光魔法の基礎、白色発光魔法を行使した。それが1808年の事だ。」

 男はそんな事を言いながら、大きな黒板に重要な言葉を書き連ねていく。

 「現在魔術では魔蓄池を必ず使う。魔蓄池とは、魔力を発生させる物だ。魔術師は、魔蓄池と魔具を用いて陣を作り、魔術を顕現させることが出来る。より強い、より多彩な魔術を行使するためには、より良い魔具を使うか、魔力ラインのつなぎ方を工夫するしかない。」

 男の後ろで粗末な紙にメモを取っていた少年が、急に立ち上がって言う。

 「先生、魔術史よりも実習したいです。」

 それなりに整った容姿の少年だった。栗色の髪の毛に青い瞳。やんちゃな雰囲気を醸しだしている。

 「落ち着きなさい、ジョージ。実習は明日だし、今日の授業はもうおしまいだ。」

 先生と呼ばれた男がそう答えると、小屋の中にいる三人のうち最後の一人の少女が口を開いた。

 「そうよ、ジョージ。実習は一週間に3度、一日おきの約束でしょ。」

 金髪で碧の瞳を持つ少女が少年を窘める。

 「…うん。でも、そういうニーナだって、今日の朝『早く実習にならないかしら。待ち遠しいなぁ』って、言ってたよ! 」

 ジョージと呼ばれた少年が、ニーナと呼ばれた少女に返す。

 「そ、それはそうだけど…」

  少女が顔を赤くしてうつむくと、どこからともなく笑い声が上がる。

  1880年、春。

  フランスの片田舎。

  

 世界は、魔術によって進歩を続けている。


 太陽が、陽光を燦々と降り注がせている。

 昼の森の中を、ジョージとニーナは歩いていた。先生―ニコルソン・ドッピーニによる魔術の授業が終わったのだ。

 木の幹についている傷を目印に、森を抜けようと動く。

 「やっぱり魔術史は詰まらないや。」

 突然、ジョージがそんな事を呟いた。

 「そうよねぇ、私も実習のほうが面白いとは思うけれど…。でもジョージ、それは魔術史を蔑ろにして良い理由にはならないわよ。先人が理解してきた技術を受け継ぐのも、私たち見習い魔術師の仕事なのよ。」

 それを聞きつけたニーナが、ジョージに言う。

 「それは分かってるけど……。やっぱり退屈だよ。」

 「しょうがないわよ。先生がそう言う教え方をしてくれてるのだから、それに従わないと、魔術を教えてもらえなくなるよ。」

 そんな話を二人でしている内に、前から光が差して、

―――森の外へ、村のはずれに出た。

 小高い丘の上から村を見下ろす。

 左手に森があり、その先をずっと埋めている。直横には大きくもなく小さくもない川が穏やかに流れている。川の上流には大きな畑が拓かれており、小麦の目が、青く風に揺れている。下流には集落が築かれ、少し離れた小屋からは絶えず煙が昇り、水車が緩やかに回っている。右手には草原が広がり、沢山の牛や豚が草を食んでいる。集落の近くには、また畑があり、春野菜がたわわに実っている。

 それが、二人が生まれ、育った村の全てだ。

 小高い丘を駆け下り、麦の畑の脇を走る。

 それぞれの畑で、屈強な男たちが、何か作業を行っているが、

 「よぉ、ストニーさんとこのボウズじゃねぇか! 元気一杯だなぁ! 」

 「おう、ブロイさん家の嬢ちゃんか。本当にお転婆さんだねぇ。」

 気さくに声をかけてくる。外観は怖い人が多いが、基本は優しい人達だ。

 「おじさんも元気そうだね! 」

 「こんにちは、ピストスのおじさん。がんばって! 」

 二人は口々にそう言いながら走り続ける。

 害獣避けの柵の中に入ると、もうそこは集落の中だ。

 前にもまして、

 「ストニーさん所のボウズ、あとで来いよ! うまいスープを食わせてやるぞ! 」

 だの、

 「ブロイさんとこの嬢ちゃん、編み物の続きまたやりましょうね! 」

 だのと、話しかけられる。

 店が集まるあたりを抜けると、二人の家はもうすぐそこだ。

 一度目をあわせ、隣り合う二つの家にそれぞれ入っていく。

 「「ただいま! 」」

 二人の声が、平和な村に響いた。


 「おかえり、ジョージ。」

 家に帰ったジョージを出迎えたのは、ジョージの母だった。

 「今日も森に遊びに行ってたの? 」

 そうジョージの母であるミーシャが訊く。

 「そうだよ。今日も先生の授業を受けてたんだ。」

 気軽にジョージは答えるが、ミーシャはその答えに対し、

――ほんの少しだけ忌々しいものを見たような顔をする。

 「今日は魔術史しかやらなかったから詰まらなかった。」

 ジョージがそう続け、ミーシャはそのことに安堵したように頷いた。

 「そう、ならその…」

 「でも明日は実習だから楽しみ。どんなことをやるんだろう。」

 そして何か言おうとするが、ジョージに遮られる。

 「発光魔術かなぁ、動体魔術かなぁ、それとも他の事かなぁ……」

 なおも言い続けるジョージに向かって、ミーシャは言う。

 「ジョージ、あまり魔術師に近づかないほうがいいと思うよ? あの、魔法を使う人達なのよ? 人体実験に使われたり、攫われたりしたら、どうするの? 」

 その顔には、忌々しさ……

――いや、恐怖の表情が張り付いていた。

 「あの珍妙で奇怪で面妖な連中なのよ。百年も昔だったら魔女狩りの連中に狩られていたような人達なのよ。関わるな、とはいわないけれど、一緒に居るのが良い事だとは思わないわ。」

 「せ、先生はそんなことしないよ。」

 慌ててジョージが反論するが、ミーシャは更に言い連ねる。

 「そう思わせて安心させているだけかもしれないじゃない。聞けば魔術って言うのは才能が無いと扱えないそうじゃない。そんなものジョージが出来る訳ないでしょ! 」

 「できてるもん…」

 ジョージはそう呟くが、その声はあまりにも掠れ、弱々しかった。


 「さあ、今日は実習の日だ。やるぞ。集まれ! 」

 ニコルソン・ドッピーニが、森の中の小屋で言った。

 その声を聞き、ジョージとニーナがニコルソンの周りに集まる。

 「まずは、陣の組み方の復習だ。基本は魔蓄池と魔具をガ―パと呼ばれる金属線でつなぐ。つなぐときに、魔力が循環するように繋がらないと、魔術は顕現しない。

 ニコルソンが、大きな黒板に図を描きながら説明をする。 

「今日の実習は離力の発生だ。離力とは何か、覚えているか? ニーナ。」

 ニコルソンの質問に、ニーナが少し間をおいて答える。

 「…離力とは、魔術を顕現した際に発生する金属を引き付ける力です。一部の金属にしか働きませんが、魔術を顕現させれば必ず発生します。」

 「その通りだ、ニーナ。今日は離力を特に強く発生させる魔法を顕現させる。……が、その前に。」

 ニーナの答えについて一言語ってから、ニコルソンは一度口を止める。

 「どうしたんだ二人共。元気ないぞ。何かあったのか? 」

 それから、言った。

 今日、ニコルソンの小屋に来てからずっと俯き、一言も発していないジョージが、ニコルソンの小屋に来てからニコルソンと目を合わせず、お化けでも見ているような反応をしていた二人が。

―びくり、と。肩を震わせた。

 「言いたくないなら無理に言わなくてもいい。自分が決めた信念を貫き通すことは、それはそれで大切な事だ。でもな――」

 ニコルソンは、そこで一度、口を閉ざす。自分が言った言葉が、二人の隅々まで染みきるまで。

 「これは何にでも言える事だが。何か他の事を考えながら、物事を進めると、ロクな事が無い。特に、一つ間違いを起こすと死にかねない魔術ならなおさらだ。」

 それでも、2人は黙り続けていた。怯えの表情を止めようとはしなかった。

 ただ、小屋に来てからと同じように。ずっと、待ち続けていた。

 「誰かに、魔術師は悪だと、関わってはいけないものだと、そう言われたのかい? 」

 その疑惑を、驚きを、断ち切ってくれるような言葉を。

 「確かに魔術は恐ろしいかもしれない。悪が使うかもしれない。実際、現在魔術は何かを直すことよりも、何かを壊すことのほうが重視されている。何かを直す魔術は、殆ど無いと言って良い。けれど、魔術への道は誰にでも開かれている。本人が望みさえすれば、世界四大魔術師が五大魔術師になる可能性だって出てくる。皆の味方になる魔術師だって出てくるかもしれない。魔術師が悪とは限らない。悪なのは、悪意を持って、魔術を修めた者なんだ。」

 ニコルソンはその言葉を言う。

 小屋の中が、沈黙で満たされる。

 「なら、何でそんな事を僕らは言われたの? 」

 時計の針が、三周半ほど回った後に、ポツリ、とジョージが言った。

 ニコルソンは少しの間、

 「…………」

 黙って考えると、言った。

 「何でだろうな。絵本に出てくる『魔法』に、認識が引きずられているのか、それとも以前に本当に悪事を働いた現在魔術師がいたのか、それは分からない。」

 「じゃあ、僕らが何か言われるいわれなんて無いじゃん! 」

 ニコルソンのその答えを聞くと、ジョージが納得できない、と言う風に言う。

 「その通りだ。世間で言われているような悪い魔術師なんて、そうはいない。皆、よく知らないことだから本当のことがわからないだけなんだ。」

 「なら、皆が魔術の事をよく知るようになれば、魔術や先生に対していろんなことを言われなくて済むようになるんですね! 」

ニコルソンの言葉に、今度はニーナが反応する。

 「その通りだ。人は、知らないものに対しては怖がるものだ。」

 ニコルソンは、ニーナの言葉に答えると、言った。

 「さぁ、疑問は片付いたな? もう一時間も立ってしまった。さっさとやるぞ! 」


 翌日。

 再び、ニコルソンの小屋のドアが開けられた。

 「先生、来たよー! 」

 「先生、今日は私がパイを焼いてきました! お昼に食べてください! 」

 勢いよく開けられたドアの音とともに、二人の少年少女の声が反響する。

 しかし、

 「よし、良く来たな。さぁ、今日の授業を始めるぞ。」

 と、いつでも言うニコルソンが、今日は何も言わず、何の反応も返さない。

 「先生? 」

 ニーナがもう一度呼びかけても返事は来ない。

 恐る恐る二人がニコルソンの小屋の中に進むが、誰もいない。

 この小屋には、今いる部屋とニコルソンの寝室との二部屋しかない。つまり消去法で寝室にいると思われるのだが……。

 大きな黒板の後ろにある扉に向かって歩く二人。

 大きな黒板を横にどかし、扉の前に立つ。

 「先生、いる? 」

 ジョージが恐る恐る、扉に向かって呼びかける。

 「うん、いるよ。」

 返事は後ろからあった。

 「うわぁ! 」

 「キャァッ! 」

 二人は悲鳴を上げて後ろを振り向く。

 「せ、先生、どこにいたんですか!? 」

 ジョージの背中にしがみついているニーナに代わって、ジョージが訊く。

 ニーナはお化けなどの怪談が苦手なのだ。逆に、相手が何か分かっていれば、基本、何も恐れない。

 「いや、外で新聞の号外を読んでいたんだ。小屋の中に戻ってみたら、君たちが面白そうなことをしていたから見ていたんだよ。」

 ジョージの質問にニコルソンが答える。

 「新しい、とても高性能な魔具が発明されたらしくてね。専用の魔具を使って調節すれば、これまでより多様性に富んだ陣が作れるようになるらしい。」

 「どういうことですか? 」

 ニコルソンの驚かしによるショックから覚めたニーナが訊く。

 「詳しくは分からないが…たとえば、複数の陣をこの魔具に接続させておく。そしてこの魔具にだけ魔蓄池をつなぐ。そうすれば、魔蓄池一つで陣の選択使用が出来るようになる、と言う代物だ。」

 現在魔術では、複数の陣を選択使用するときには、一つ一つ陣を作っておくしかない。つまり、用意した陣の数だけ魔蓄池ガ必要になる。しかし、この魔具を使えば、魔蓄池一つで陣の選択使用が可能になる。

 ニコルソンの言葉はこういうことか、とジョージは頭の中で自分に分かりやすく変換した。

 「それだけですか? 」

 ニーナが不満そうに言う。ニーナから見ればそこまで良い魔具ではなかったらしい。

 「いや、他にも何か遣い方はありそうなんだが…」

 ニコルソンはニーナの質問に答えると、未練を断ち切るように言った。

 「さぁ、今日の授業を始めるぞ! 今日は今までの復習だ。」

 ニコルソンは、その言葉から授業を始めた。

 ジョージとニーナは、慌てて机に向かう。

 「魔術は、魔具と魔蓄池をガーパと呼ばれる金属線をつなぎ、陣を作る。そして魔術顕現スイッチをオンにして魔力を流し、魔術を顕現させる。」

 ジョージとニーナは黙々と紙に内容を写し取る。

 「大抵の場合、陣は外装の中に入れる。他の人が簡単に真似できないようにすることと、失敗した場合、壊れた陣が外に出ないようにだ。一部、外装が無いと重さを支えられない陣、と言うものも存在するが。」

 ジョージとニーナは、真剣にニコルソンの言葉を聞いている。

 「他にも外装は使い勝手を良くする、刻印をすることで製作者を示す、などの用途で使われる」

 ニコルソンは説明を続ける。

 「現在魔術の原則として、魔術を使うときには術者がその場にいなくてはならない。離れた所に置かれた陣装は、魔術顕現スイッチを押すことができないから当たり前だ。。次に、魔術史についてだが……」

 ジョージとニーナは黒板に書かれていることを凝視している。

 「魔力を発見したのはタレース。BC600年頃だ。それから長き停滞が続く。1800年にボルタスが魔蓄池を発見。魔術研究が加速する。その8年後、1808年にハンリフー・デーヒが世界で始めて魔術を顕現させることに成功。次々に魔術が開発されていった。特筆すべきはシーピク・ハードだ。彼は魔蓄池よりも大きい魔術を発生させることが出来る発魔機と、動体魔術に良く使われる魔具の発明だ。これ以外でも、様々な魔術、魔具が開発されてきた。」

 ジョージとニーナは、紙に内容を打ちし、ニコルソンの言葉を聞き、黒板を凝視している。

 「とりあえず、復習はこれで終りだ。」

 ニコルソンはそう言った。

 「今日は、最後に一つ大事なことを教える。」

 そして、ニコルソンは口を開く。その雰囲気は、明らかに前と違う。

 「はい…。」

 「はい。」

 2人はそのニコルソンの剣幕に押されたように頷く。

 「前もお前たちが聞いてきた通り、魔術は悪にも使われる。なぜかというと、魔術は絶大な力を持つからだ。魔術を修めた者と、そうでないものとの間では、殆どの種類の力が前者のほうが上だ。財力であり、権力であり、戦闘力であり。」

 ニコルソンは、一度口を閉ざす。静寂が、あたかも宝が眠っている洞窟のような空気を作り出し、この間に意味を持たせる。

 「しかし、それは一方通行のものでしかない。力を使い、何かを徹底的に壊したとしても、それを直す方法も、術も、何も無い。繰り返す、魔術は絶大な力だ。それを手に入れれば、大抵のことは出来る。繰り返す。しかしそれは一方的なものだ。何かを一種生んで直し、治し、癒すことは、魔術でも、他の方法でも無理だ。三度繰り返す、壊し、毀し、虐すことしか魔術は出来ない。何かを元に戻すことは魔術には出来ない。」

 ニコルソンは再び口を閉ざし、二人に、ジョージとニーナに問いかける。

 「君たちは、壊すことしかできない魔術を学び、それを後の事まで考え、行使することを誓うかい? 」

 ニコルソンの言葉を聞いた二人が顔を見合わせる。

 そして――

 「「誓います」」

 二人同時に言う。二人の子供は、汚れ無き、穢れなき、学び続ける天使のように、ニコルソンの目に映る。

 「よろしい。」

 ニコルソンは、一言そう言い、二人に背を向けた。

 「せ、先生…」

 ジョージが何かを言いかけたが、無視してニコルソンは巧妙に隠された壁のスイッチに触れ、

――押した。

 突然、動体魔術発動時に良く聞く魔具の音が聞こえてきた。同時に、ブウオオォォォォォンと、何か大きなものが動く音も聞こえてくる。

 と、ニコルソンの寝室に繋がるドアの目の前の敷布が、少しずつ浮き上がる。ニーナがいち早く気付き、ジョージに指で教えて凝視する。敷布がある程度浮くと、本当は敷布ではなく、床の一部が端を軸として回っていることが分かる。床の下には階段が続き、発光魔術陣が仕込まれた外装、発光陣装がオレンジ色に染まる。

 「ニコルソン・ドッピーニの魔術研究室へようこそ、新人魔術師の諸君。」

 ニコルソンの言葉に、二人は、ただ立ち尽くすしかなかった。


 「くそっ、どうなってんだよ! 」

 ギルバート・スミスは、深夜の森の中を走っていた。いや、逃げていた。追われていた。

 ギルバート・スミスは、魔術師であり、運び屋でもある。魔術のほうは人並みにしか使えないが、祖父の代から続く運び屋のノウハウがある。そのため、ギルバート以外にも魔術師を雇い安全確実な運びを、と謳って運び屋家業を続けている。

 今回の依頼は、田舎の町の一魔術師へ小包を届けることだった。中は、魔術的な一品だったため、ギルバートの運び屋が選ばれたらしい。

 それだけなら、その依頼は簡単なものだった。たとえ、山賊に襲われようとも、三十人までなら無傷で切り抜ける自信があったからだ。

 しかし、現在ギルバートは遁走している。

 「クソッ、何でこんなにしつこいんだよ! 」

 ギルバートを襲ってきたのは、山賊などと言う生易しいものではなかったのだ。

 不意に、左斜め後ろからガサッと音がする。

 「『雷撃の投槍(ライトニングボルト)』! 」

 ギルバートは、とっさに両手に構えた陣層を、音がした方向に向け叫んだ。

 陣装に仕込まれた音声認識陣が、ギルバートの声を読み取り、魔術を顕現させる。現れた雷の輝きが、最高神の放った雷のように光の速さでかけ進む。

 足を止め、放った方向に目を向ける。木々が真っ黒な墨になっているだけで、人影は無い。ただ、今さっき投げ込まれたばかりであろう、ギルバートの顔ほどの石。

 「しまった! 」

 ギルバートがそう思ったときには、既に取り囲まれていた。

 取り囲まれた、と判断したギルバートの動きは迅速だった。懐から拳より不賜り大きい球体を取り出し、そこから生えている糸を引く。

 それをギルバートが目線の高さに投げた途端、

――球体が、強烈な光を生み出した。

 球体の正体は、発光陣装の一つ。前面に発光部分が設置された陣装は、あらゆる方向に光を振り撒く。

 瞼に塗った遮光塗料のおかげでなんを逃れたギルバートはグオウ、と悲鳴が聞こえた方向に向かう。走りながらギルバートは再び叫ぶ。

 「『雷撃の投槍』! 」

 陣装から放たれたその輝きに触れた、黒色のつなぎを着た男が倒れる。

 魔術が男の体に干渉し、あらゆるところを駆け巡り、男の体の中心を徹底的に破壊した。

 ギルバートは、男が倒れたことにより出来た包囲の隙間を抜けていく。

 

 (あ、危ねぇ……)

 ギルバートは再び遁走しながら考える。

 (『雷撃の投槍』はまだ五十回は撃てる。予備の魔蓄池はあるから大丈夫。『英雄の(ゲイボルグ)』は三十発分しかない。しかも外装に一度にセットできるのは六発までか。『殺神槍(ロンギヌス)』を今日は持ってきてねぇ。クソッ。後は…『狂気の(リュッサクレイム)』、『割の(アロン)』ぐらいしかないな…)

 そうする間にも、後ろからの足音はどんどん大きくなる。

 しかし、

 (さっきも『雷撃の投槍』だけで倒すことは出来た。特殊な訓練を受けているかもしれないが、中身はただの人間だ。)

 そう考えることで、ギルバートは冷静さを取り戻す。

 (まずは…)

 ギルバートは、『英雄の槍』を懐から取り出し、狙いをつける。『英雄の槍』は銃身の長い拳銃のような形をしているので、狙いをつけるのは簡単だ。

 そして、引き金を引く。『英雄の槍』は、カシュッという音を出しながら、近くの木の枝に直径五センチの穴を開けた。まるで、鋭利な槍がそこを貫いたように。

 枝の直径の半分ほどの穴を開けられた枝葉、自重を支えきれずに折れ、すさまじい音を立てて落下する。丁度、ギルバートが通ってきた小道を塞ぐように。

 それからギルバートは、手早く背の荷袋を降ろし、80センチほどの太い棒を取り出す。それは見る見る三倍ほどの長さになり、地面に垂直に突き刺さる。

 十秒後。小道を凄まじい速さで進んできた相手を目視で確認し、棒の側面のスイッチを押し、全力で走る。丁度相手が折れた枝のところまで来た瞬間、

――轟音が響いた。

 発生源は後方。再び80センチになったその棒、正確にはその根元だ。

 『割の杖』。それは、モーセが海を割ったときに使った杖を模した陣装だ。。

 240センチの距離の重力落下を、動体魔術でブーストし、地を割る。穴はクレーター状に広がることなく、10センチもの長さで地割れを作り出す。最大深度二メートルの溝から脱出するのは容易ではなく、五人の相手を足止めしている。流石に海を割ることはできないが、足止めをする際には都合が良い一品だ。使い捨てることが多いのが難点だが。

 一度足を止め、『割の杖』の効果を確認したギルバートは再び森の外に向かって走り始める。

 (あれだけ足止めできれば、敵さんもあきらめてくれるだろうよ。確かこの先に村が在ったはずだ。そこに逃げ込むとするか。)

 そんな事を考え、足に更に力をこめようと…

 かすかに、カシュッという音が聞こえた。

 右足に力が入らなくなり、どうっと倒れこんだ。懐からギルバートが最後まで守ろうとした小包が飛び出し、地を転がった。

 奇妙な感覚がする右足を見ると、直径5センチもありそうな穴が開いている。まるで、鋭利な槍に貫かれたように……。

 (『英雄の槍』……)

 ギルバートはかすむ頭で自分を襲った魔術を推測する。

 (それなら相手は50メートル以内にいるはずだ。逃げるにしても間に合わない)

 しかし、そこで諦めるのはギルバートの性に合わなかった。運び屋としても、魔術師としても。

 ギルバートは、落ちた包みをそばの木の虚へゆっくりと投げ込んでから、ズボンのポケットに手を入れ、陣装を操作した。


黒いつなぎを着た男達は、油断なく『英雄の槍』を構えながらギルバートに近づいた。最初はギルバートが魔術を使うことに戸惑った男たちだったが、使う魔術がポピュラーな物ばかりだったためすぐに対応した。最も、ポピュラーと言うことは有効性が認められている、と言うことなので、侮って良いわけではないのだが。

 ギルバートから1メートル位の所まで移動した男達のうち、一人が『英雄の槍』を構え、引き金を引く。『英雄の槍』が離力で音速の二倍の速さに加速させ飛ばした金属体が、ギルバートの頭に穴を穿った。

 男たちは、ギルバートが動きをとめたことを確認すると、ギルバートに近づき、衣服の中をまさぐった。

――しかし、それも長く続かなかった。

 衣服をまさぐっていた男のうち一人が腹を抱え、ばたり、と倒れたからだ。周りの男達が、訝しむ暇すらなく。更にギルバートの衣服をまさぐっていたもう一人の男が、右方向を警戒していた男が、前方を警戒していた男が、後方を警戒していた男が、右方向の警戒をしていた男が、少し離れたところで待機していた男が、次々に、皆同様に腹を抱えてばたり、と倒れた。最後に倒れた男は、かろうじて残る意識を元に原因を探したが、見つける前に全てが暗闇に包まれた。


 「なんだぁ? 」

 運び屋を追っていた部隊からの連絡が急に途切れ、訝しんだように男が言った。良く見れば、男の着ているものだけに高級感が漂っている。

 「おい、応答しろ、答えろ、答えるんだ! クソッ」

 発音魔術の応用、中距離通信陣装を使用して部隊と連絡を取っていた男が悪態をつく。

 「隊長、追跡部隊からの連絡が完全に途絶えました。どうなさりますか? 」

 隊長と呼ばれた、高級感漂う装備を着ている男が答える。

 「10人再編成して回収にまわせ。全員回収したら捜索に入れ。捜索前に被害を報告しろ。」

 隊長と呼ばれた男の支持に、連絡を取っていた男が答えると、後ろにいる仲間たちに指示を出し始めた。


 組織された回収班は、連絡が途絶えたポイントに近づこうとしていた。中距離通信陣装の反応をたどり、少しずつ近づいていく。

 陣装の反応地点まで残り50メートルになったとき。二列に並んで進んでいた男たちの、二列目の男が最前列の男に静止を促した。最前列の男が、目だけで「どうした? 」と問いかける。

 二列目の男は、手に持った捜索陣装の表示画面を見せる。

 画面には、いくつかのランプが光っているだけだったが、貼られているラベルを見て最前列の男は顔色を変えた。

 『超低音検出陣装』

 ラベルに書いてあるのはその文字だった。

 超低音。それこそが、ギルバートが死の真際に起動した陣装の効果である。発音魔術で超低音を大音量で流すこと。それが『狂気の音』だ。この魔術のれ利点は、人間の耳では聞き取れないほどの超低音を出すので、相手に気付かれないことである。

 たかが音。しかし、この場合はされど音。超低音を食らった人間は、内蔵の動きがおかしくなる。一時的におかしくなるのは良いほうで。悪いと内臓破損、果てには死に繋がる。この悪い効果を発揮しやすいように調整された陣装は、範囲殺戮魔術として有名だ。

 しかし、発音魔術は魔術にしては珍しく、対抗魔術である消音魔術が存在している。

 最前列の男は20メートルほど部隊を交代させると、丸みを帯びた四角錐のようなものを取り出して10人全員に配布した。それから、音を観測させ、超低音を打ち消すことが出来るよう、四角錐形の消音陣装を操作する。

 消音陣層が、音を打ち消し始めたことを示すブザーが鳴ってから、男たちは再び進み始めた。


 無事、仲間を回収した男たちは、一度元の場所に撤退してきた。勿論、被害状況を隊長に報告するためである。

 「隊長、回収が終わりました。」

 先程、最前列にいた男が隊長に報告を始める。

 「死者四名、怪我十二名、そのうち任務続行不可能なのは六名、計十名減数となります。」

 「分かった。」

隊長は少し考えてから言う。

 「さあ、捜索の時間だ。目標は新型魔具が入った包み。見つけたものには特別報酬が待っているぞ。さぁ、行け! 」

 男たちは、あのギルバートが持っていた包みを探し始めた。

 しかし、男たちがそれを見つけることは出来なかった。


 朝日が、ある程度昇ったところから振ってくる頃。

 ジョージとニーナは、森の中を進んでいた。無論、ニコルソンによる魔術の授業を受けに行くためである。いや、3日前にニコルソンの研究室への入場が許可されたときから、魔術師としての研究をするためにいくことになった。基本はニコルソンの手伝いで、自分の研究の時間は1時間ほどしかないのだが。

 「ニーナは何をやってるの? 」

 ジョージがニーナに研究の内容を訊く。

 「わたしは離力について研究。既存魔術かどうかはまだ分からないけど、一つ魔術陣が出来そう。」

 「へぇー。どんな魔術陣? 」

 「完成するまでは秘密よ。ジョージこそ何やってるのよ。」

 今度はニーナがジョージに訊く。

 「ぼくは魔術の種類で研究してるんじゃなくて、罠になりそうな陣装を作ってる。」

 「ジョージ……」

 ニーナが何かを言いかけるが。

 「分かってるよ、ニーナ。村の周りや人に向かっては使わないって。」

 ジョージが先読みして答える。

 「ぼくの方はもう、三種…。」

 「ねぇ、ジョージ。」

 ニーナが。ジョージの言葉を遮って言う。なにやら、緊張した表情で。

 「腐臭がしない? 」

 「腐臭? 」

 ジョージがニーナに訊き返す。

 「そんなもの、ぼくは臭わないけど。」

 「いえ、前のほうからするわ。」

 ニコルソンの小屋に行くためには森の外に抜ける道を少し歩き、そこから森の中に入っていく。ここはまだその道の途中だ。

 「ようするに、道の森の外の方に死体があるような臭いがするって事? 」

 ジョージがニーナに確認すると、

 「そうよ。………ジョージ、攻撃陣装、いくつ持ってる? 」

 ニーナは肯定しそこへ行く、という意思を見せた。

 「や、止めようよ、危ないよ! 熊とかが何か食べてる途中だったらどうするのさ! 」

 ジョージは必死に引き止めるが、

 「だから攻撃陣装を持っているかどうか訊いたんでしょ。ジョージが行かないなら、わたしだけで行くよ。」

 「分かったよ……。今持ってるのは、護身用の近距離魔力放出陣装だけだよ。『雷撃の投槍』の縮小劣化版みたいな奴。」 

 ニーナの脅しのような宣言に、着いて行く以外の選択肢を見つけられなくなったのだった。

 「ニーナこそ、攻撃陣装持ってるの? 」

 ジョージが訊くと、

 「さっき言った魔術陣の試作を持ってきてるから大丈夫。」

 との言葉に、黙るしかなかった。

 

ニーナとジョージは、道を森の外のほうに進んでいった。20mほど進むと、ジョージにも腐臭が感じられるようになる。その臭いに危機感を強め、近距離魔力放出陣装を強く握り締める。一歩進む。臭いが強くなる。一歩進む。臭いが更に強くなる。それを何度も繰り返し、腐臭の源へ辿り着いた。

 「ひ、人が…」

 ニーナが悲鳴じみた声を上げる。

 数瞬遅れて、ソレを目にしたジョージも、息を呑んだ。

 いや、ソレがあることはもう少し前から気付いていた。それは見間違いだと自分を偽って、ここまで来たのだ。

 ソレは、人の形をしていた。

 ソレには、二つの大きな穴が開いていた。

 ソレが、腐臭の源だった。

――腐りかけた穴の開いた死体が、道に倒れていた。

 死んでいるのは明らかだが、ニーナはよろよろと死体に向かう。

 ジョージは咄嗟にニーナの手を掴み、こちらへ引き寄せる。

 「もう無理だよ、ニーナ。村へ帰って警察に任せよう。」

 「だからって…」 

 ニーナは憤ったように言うが、言葉を後に続けることが出来ず、尻すぼみになっていく。

 力が抜けたニーナの手をジョージから握りなおし、その場を立ち去る。

――いや、立ち去ろうとしたとき。

 急に体に力が戻ったニーナが、突然叫んでジョージを突き飛ばす。

 「危ない! 」

 慌てて地面を転がり、先程まで自分が立っていた場所へ目を向ける。

 一瞬前までは無かった穴が、5センチほどの丸い穴が口を開けている。

 ニーナはすぐに立ち上がり、死体の方に向かって駆ける。

 かすかにカシュッという音がし、虚があるそばの木の根元に穴が開く。

 ニーナはズボンのポケットから中空の棒を取り出すと、木々の間に向けた。

 やっと襲われている、と自覚を持ったジョージが、陣装を取り出す。

 「そこの人、出てきなさいよ。」

 ニーナが挑発するように言う。 

 ジョージとニーナが見つめる中、黒いつなぎを着た男が一人、木の陰から出てきた。

 「やれやれ、外してしまうとは。お嬢さんは中々良い勘を持っていると見える。」

 「ふざけないで。何でわたしたちを襲ったのよ。」

 「それはもちろん…殺すためだよ! 」

 男は一拍の間を置いて答えると、すばやく懐に手を入れる。

――取り出したのは、黒く、無骨な拳銃。中心に円柱が付いているリボルバータイプの最新式。明らかに、殺すつもりだ。

 「動くなよ。動くと撃つぜ。」

 男が油断無く拳銃を構えて言う。既に人差し指をトリガーに掛け、いつでも撃てるようにしている。

 「まずはお嬢さん、武器、陣装を捨ててもらおうか。ゆっくりと、こっちに投げろ。」

 男が、ニーナにそう要求する。

 「……」

 拳銃と自分の陣装、どちらが速いのか少し考えたのだろう、少し立ってからしぶしぶ、ニーナはポケットから魔蓄池を取り出し、ガ―パで繋がっている円柱と一緒に男のほうに投げる。

 その時、拳銃が自分に向けられていないに気付いたジョージが、男に向かって走る。ここから男がいる位置まで、10m。子供でも、三秒あれば届く距離。

 「おおおおおおお! 」

 ジョージは走る。男に向かい、全力で。両手に陣装を握り締めて。

 近距離魔力放出陣装。それは、有名な『雷撃の槍投』の縮小版である。ジョージは縮小劣化版と表現したが、正確には違う。ごく近距離から相手に魔力を送り込み、行動不能にする、というニーズに合わせて作られただけである。

 そのニーズ上、近距離魔力放出陣装はサイズが小さく、元の『雷撃の投槍』と違うところがいくつかある。まず、名前から分かるように相手に密着しないと仕えない。そして、魔力が弱く、大抵の場合は死には至らない。

 ジョージは走る。慌ててこちらに向けられた腕をすり抜け、ナイフを突き出すように陣装を構えて前に突く。陣装が男の体に触れた途端、男の体がびくびくと震えた。その様子にジョージは安堵する。

――そして、右頬が衝撃に震えた。一瞬の浮遊感の後、背中に痛みが走った。肺の空気が全て抜けた。パァン! と、銃声がし、頬の横を掠めて地面に穴を穿った。魔力が弱いため、耐性のある物には、一瞬の硬直効果をもたらすことしか出来ない、ということに、ジョージは気付いただろうか。 

 「ジョージ! 」

 ニーナが悲痛な叫び声を上げジョージに駆け寄ろうとする。しかし、

 「糞餓鬼が…。動くなよ、次こそ殺すぞ。」

 という男の声に立ち止まった。

 男は、男のそばに落ちた近距離魔力放出陣装を拾い、懐に入れながら、話を続ける。

 「止めた。お前らは殺さねぇ。持ち帰って二人ともサンドバッグにしてやるよ。自分を護るチャンスなんて微塵も与えてやらねぇ。死ぬまで暴力を受けるだけの達磨でいろや。あぁ? 」

 「それは勘弁して欲しいな。助手が二人もいなくなってしまったら、私の研究に支障が出てしまう。ただでさえ助手の育成に手間を掛けているのだから。」

 怒った男が狂言を吐いたとき、聴き慣れた声が聞こえた。

 「……!」

 怒った男が、驚いた男になって周りを確認する。しかし、音の元は見つからない。

 「やれやれ、失格だな。こういう中途半端に魔術を身につけた輩が一番ダメなんだよ。私なら直に探査魔術を使用するのに。」

 もう一度同じ声が聞こえ、ジョージとニーナが顔を輝かせる。

 「クソッ。何所にいるんだよ! 」

 怒った男に戻った男が、そんな叫びを上げると、

 「ここだよ。」

 真後ろから返事があった。

 慌てて男が振り返るが、そのタイムロスは致命的。

 強烈な暴風が男を襲い、ジョージとニーナの後ろまで吹き飛ばした。

 男は、虚のある木に後頭部をぶつけて動かなくなった。

 「こんなところで何をやっているんだ。いつもの時間にこないから探しに来てしまったじゃないか。さぁ、私の小屋に戻るよ。」

 ジョージとニーナが予想した通り、男を撃退したのは、ニコルソン・ドッピーニだった。ニコルソンは、何も無かったように平然と言う。2人は、更に顔を輝かせ、口々に礼を言う。それから、

 「先生、さっきの魔術はなんですか? 」

 と、興味を抑えきれないようにニーナが訊く。

 「うーんと、さっきのは、固有名『空縮弾丸(エアロバレット)』。正確には、陣装ではなくて、魔術間接行使機構、略して魔間機。蓄包(カートリッジ)と呼ばれる部品の中に、魔術の結果を蓄え、非魔術的な仕組みで開放する。」

 ジョージがどこかでメリメリッという音が聞こえた気がしたが、ニコルソンが話を続けたため、そちらに意識を戻した。

 「利点は魔蓄池の出力に頼らなくて良いから、大きな威力を簡単に出すことが出来ること。欠点は、一度蓄包を使い切ると蓄包の再充填に週単位、月単位の時間がかかることだ。また、充填にもある程度技術が必要なため、出来る魔術師が少ないことも欠点だといえる。」

 「それで『空縮弾丸』の場合は、動体魔法で圧縮した空気をこの畜包に充填し、開放…」

 更にニコルソンは実物を見せながら説明を続けようとしたが、中断せざるを終えなかった。

 理由は単純。男が放った攻撃で穴の開いた木が、自重を支えきれなくなったからだ。

 ジョージがいち早く気付き、横に逃げ、ニーナがそれを見て気付き、ニコルソンは行動に戸惑った。

 ニーナに一瞬遅れて回避行動を行ったニコルソンに、倒木が襲い掛かる。

 倒木は気絶した男に恨みを果たすように押しつぶし、かろうじて回避したニコルソンの、手に持った『空縮弾丸』に直撃した。『空縮弾丸』半ばから折れ、暴発した圧縮空気の圧力でどこかへ飛んでいった。

 ズドム…と、巨大な音を立てて倒木が地面に到達する。

 「危なかった…」

 「ギリギリだった…」

 「………………」

三者三様に口々に気持ちを言う。

 「『空縮弾丸』が…」

 ニコルソンが、今まで平静以外の感情をあまり出した事の無いニコルソンが、悲しそうに言った。

 どこかへ飛んでいった『空縮弾丸』の半分は、辺りを見回しても見つからないほど、遠くに行ってしまった。折れた前半分が、木の虚の前に転がっている。

 ジョージは、『空縮弾丸』の前半分を拾い、ニコルソンに渡そうと思って木に近づく。『空縮弾丸』を拾い上げ、近くに落ちていた包みを一緒に拾い、ニコルソンに黙って差し出す。

ジョージはニコルソンがここまで道具を大切にしていると走らなかったが、黙ってニコルソンの気持ちに付き合った。

 ニコルソンは、ジョージから『空縮弾丸』を受け取り、その後ジョージが持っている包みに目を向ける。

 「…………何だそれ? 」

 そして、言った。

 「え? 先生の魔間機の一部じゃないんですか? 」

 ジョージが驚いたように言うと、ニコルソンは更に否定の言葉を返す。

 「あぁ。当たり前だろう。使われている部品が包まれている訳が無いからな。」

 「じゃあ、これはなんですか? 」

 ジョージが当然の質問をする。

 「さぁ、何だろうな…? 」

 ニコルソンは、そう言いながら包みをがさごそと開く。

 その中から出てきたのは、金属性の板に薄い正方形や細い棒や円柱などがくっついている、手のひらに収まるほどの小さな物だった。ジョージは、それが何かわからなかったが、ニコルソンとニーナは口をあんぐりと開けたまま固まっていた。

 「ねぇニーナ、あれは何? 」

 ジョージがニーナに訊くが、ニーナからの返事は無い。ただ、なぜ分からないの、という視線で見ているだけだ。ジョージはその視線を受け、記憶を探す。しかし、似ているものすら見つからない。

 不思議そうにしているジョージの横で、漸くショックから覚めたニコルソンが、ジョージに一言言った。

 「この前新聞に載ってた、新開発高性能魔具だ。」

 それを聞いて、ジョージは口をあんぐりと開けたまま固まった。

 ニーナは、それに良い印象を持ってないはずだが、それが目の前にあるということで驚いたらしい。

 「これは、元製造工房製(オリジナル)他工房製(レプリカ)か調べてみたい。元製造工房製だったらすごいことだ。」

 ニコルソンが、そんな事を呟く。それを聞きつけたニーナが、

 「先生、オリジナルとレプリカってどういうことですか」

 と訊いた。

 「あぁ、オリジナルは開発した工房が直接造った物、ということ。レプリカは、他の工房がそれを模して造った物、という分類になる。」

 ニコルソンはそう答え、それをポケットに入れた。

 「さぁ、小屋に帰ろう。」

 そう言って、ニコルソンはニーナとジョージを連れ歩き出した。


 小屋に戻ったニコルソンは、その魔具の解析を始めた。といっても、自分の手に持っていろいろな角度から見ているだけだったが。ジョージとニーナはそれを少し離れたところでみていた。

 その魔具の銘は直に見つかった。『Almighty』全知全能。裏(普通に置くと地面に触れる部分)に刻印してあったのだ。

 しかし、製造工場を示すシンボルマークはニコルソンに見覚えの無いものだった。DとMが円の中で組み合わされているようなマーク。今まで数多くの魔具を扱ってきたが、このマークは初めて見る、とニコルソンは言った。 

 ジョージとニーナも手に取り、調べてみた。しかし、ニコルソン以上の事は分からなかった。

 気付くと、既に太陽が傾いていた。三人は魔具を調べる手を止め、ジョージとニーナは村へ帰る支度を始めた。しかし、その目にはまだやる気と興味が宿っている。

 「先生、明日着たら、今晩分かったこと教えてくださいね。」

 「先生、よろしく! 」

 ジョージとニーナがニコルソンに、荷物をまとめながら言う。

 機具を片付け終え、荷物をまとめた二人が小屋の外に出る。

 「ありがとうございました! 」

 「ありがとう! 」

 ドアを開け、外に出て行った。

 

 空が紅い。村のほうから紅くなっている。

 (こんな夕方まで夢中にになって調べていたのか…)

 ニーナは空を見上げ、そんな事を考えてから足を進めた。太陽が傾いて、しかしまだ正午の半分ほどの高さから、二人を見下ろしている。

――パチッ、パチパチ

 そんな音が聞こえた気がして、ニーナは足を止めた。火がはぜたような音。しかし、周りを見回しても、火が燃えている様子は見られない。

 (気のせいか…)

 ニーナはその音をそう判断する。 

 「ニーナ、どうしたの? 」

 ジョージがニーナに訊くが、

 「なんでもないよ。」

 ニーナはそう答え、再び足を進める。

 小道が見えてきた。今日も目印を見誤らなかった、と安堵する。

 少し前から腐臭がしてくる。ニーナは、あの無残な死体を思い出しそうになり、早足に小道に向かう。

 小道を少し歩くと丘に出る。村を見下ろすことが出来る、丘の上に。

 森の中が、しん、としている。生き物の営みにすら気付けない程に。丘につく前に、ソレに気付いたニーナは、少し周を訝しみながら進む。

――パチパチ。パチパチッ。

 また、何かが燃え、はぜたような音が聞こえる。先程よりも大きく。

 「ニーナ…」

 ジョージが後ろから声を掛ける。

 「なによ。」 

 ニーナは振り返らずに答えたが。

 「何かが、はぜるような音がしない? 」

 ジョージの言葉に思わず振り返った。

 「ジョージにも聞こえたの? てことは、わたしの幻聴じゃなかったの? 」

 ニーナが問いかけると、ジョージは頷いた。

 「どこかが燃えてるんだわ。村の人達に教えてあげないと。」

 「そうだね。飼ってる牛の数が減ってもイヤだもんね。」

 そう合意して、小道を走り出す。

 丘の上に続く坂道を駆け上がり、何時ものように村が見――

 見えなかった。見えたのは、紅と血と赤と緋だけだった。

 全てが燃え盛る、(アカ)

 倒れた村人から広がる、(アカ)

 空に無限に広がる、(アカ)

 全て混じり混じった、(アカ)

 炎に包まれ、何一つ動くモノが無い、ただの焼地があるだけだった。

 ジョージは、ニーナはそれぞれ茫然していた。

 ジョージは、一度ごしごしと目をこすり、ニーナは数秒目をつぶる。

 これは、タチの悪い、夢であってくれ、と祈りながら―。

 こすった手を戻し、目を開ける。

 視界一杯に広がる、(アカ)(アカ)(アカ)(アカ)

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 二人は悲鳴を上げて、視線の先に焼地を捉えたまま、地面にへたり込んだ。

 二人の目には生気は無く、ただそこに角膜が、瞳孔が、水晶体が、硝子体が、屈折体が、鞏膜が、脈絡幕、毛様体が、虹彩が、網膜が存在しているだけだった。

 二人の顔に表情は無く、ただそこに輪郭が、眼が、洟が、口が、耳が、髪が、睫が、眉毛が存在しているだけだった。

 二人の体に意思は無く、ただそこには右手が、左手が、右足が、左足が、胸部が、腰部が存在しているだけだった。

 崩れていく。日常が。

 逃げていく。幸福が。

 落ちていく。家族が、知人が、闇の底へ。 

 失くしていく。大切な物が、者が、モノが。

 欠けていく。記憶にある、何かが。

 沈んでいく。村での生活が。

 壊れていく。皆での思い出が。

 潰れていく。全てが、ギリギリと音を立てて。

 乱れていく。全てが、あっという間に。

 毀れていく。手の中から、記憶から。

 破れていく。自分が立っていた、地盤が。

 狂っていく。自分の人生の歯車が。

 壊頽していく。自分の生き方が。

 破綻していく。自分の考えが。

 ジョージとニーナは(アカ)に照らされ、崩れ、逃げ、落ち、失くし、欠け、沈み、壊れ、潰れ、乱れ、毀れ、破れ、狂い、壊頽し、破綻の感覚に襲われ、あっさりと意識の手綱を放した。


 ニーナは、草むらの上で目を覚ました。

太陽はほとんど地平線に隠れている。ニーナは夕日を見ながら、思う。

 (疲れて、こんな所で寝ちゃったのか……。早く帰らないと。)

 「ねぇ、ジョージ。聴いてよ。わたし、ものすごく怖い夢を見ちゃった…。」

 そんな事を言いながら、隣のジョージを揺り起こす。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 ジョージはそんな事を叫びながら飛び起き、ニーナの頭にジョージの頭をぶつけた。

 「イタァ! 」

 「痛! 」

 二人してそう言い。

 「何するのよ! 」

 ニーナがジョージをたしなめる。

 「ごめん…。ものすごく、怖い、恐ろしい夢を見てたから…」

 「怖い夢…? もしかして、村が、焼けて無くなっちゃった、て奴? 」

 ニーナがそう訊く。

 「何でニーナが知ってるの…? 」

 そして、心が拒否した現実を、意識は再び捉え始める。

 ジョージのその返答に、二人は何かに気付いたように村がある方向を見る。

 その光景は、二人に地獄をイメージさせた。

 薄暗闇の中、広がる(アカ)(アカ)(アカ)(アカ)

 「何これ…」

 ニーナが口を押さえ、よろよろと数歩下がる。

 ――村は、いや、村だったモノは、焼けた材木と、

 「なんで…」

 ジョージが瞳に涙を浮かべる。

――死人から成る、奇妙で奇怪で怖さが滲み出る、

 ニーナの顔が蒼白に染まり、ジョージの瞳から水滴が垂れる。

――巨大なオブジェのようになっていた。

 ある所で、黒こげた材木と死人が織り成す小山があれば、黒焦げの散乱しているところもある。

 ある所で、黒焦げたナニかが散乱しているところがあれば、死人が踊るように散らばっている所もある。

 その光景は、到底二人に受け入れられるものではなかった。

 「こ…………こんなの、ゆ、夢…だよね…。ま…ぼ、幻にき、決まってるよね……。」

 ニーナはゆっくりと丘を下りる。

 「そ、そうだよ…。げ、幻覚に、決、まってるよ、ね…」

 それに縋り付くようにジョージも続く。

 丘を下った所に広がる、麦畑。綺麗に苗が植えられていた畑は何所にも無く、足跡と、累々たる死体が広がる。

 その脇を、二人は覚束ない足取りで、進む。

 「さ…触れ、ば、…消、えちゃう、よね…」

 「夢、なん、だ、から、幻、なんだ、…から…」

 その声は、果たしてどちらから出たのか。

 幻を消すために、夢から覚めるために、進む、二人。

 幻から覚め、夢を消し、日常に戻るために、進む、二人。

 焼け落ちた柵を越え、村へ、かつての村へ入る。

 家も、店も、全て焼け崩れている。

 丘から見えた、小山。黒こげた木材と死人が織り成す小山。いくつも連なるその一つに、ジョージとニーナは近づく。

 「触れれば……」

頭のどこかで何かが思う。

――崩れていく。逃げていく。落ちていく。失くしていく。沈んでいく。壊れていく。

 それが恐ろしくなり、更に足を速める。

 ついにたどり着いた、小山。二人して手を伸ばす。

頭のどこかで何かが叫ぶ。

――潰れていく。乱れていく。毀れていく。破れていく。狂っていく。壊していく。破綻していく。

 手が触れた。ざらざらした、半分隅になった材木に、二人の手が触れた。

 光が、音が、臭いが、味が、触覚が、視界が、聴界が、臭界が、触界が―

 なにも、ナニも、何も、変わらない。

 夢が覚めず、幻が消えず、日常に戻らない。

 「う…ウソだ……! 」

 触れる。さわる。なでる。握る。掴む。叩く。殴る。

 変わらない。

 「なんで…? 」

 殴る。叩く。掴む。握る。なでる。さわる。触れる。

 変わらない。

 「夢じゃ……」

 「幻じゃ……」

 「「ない?」」

 そう認識した2人は、やっと現実を認めた二人はある場所へと走り出す。

 「母さん!」

 「父さん!」

 自分の家に向かって。自分の両親が、生きていることを祈りながら。

 家だった残骸の小山の連なるあたりを抜け、角を曲がればすぐ見える。

 難を免れて、家を建て直している母と、父と会えるはず! 

頭のどこかで、何かが呟く。

――日常が。幸福が。家族が。知人が。大切な物が、者が、モノが。記憶にある、何かが。村での生活が。皆での思い出が。

 角を曲がると。 

 視界に広がったのは。

 二つ寄り添う、小山。それぞれ人が倒れている。

 「母さん!」

 「お母さん!」

 倒れている人に駆け寄る二人。その周りに広がる、血。

 抱き上げようとして、それぞれ気付く。

――すでに、温かみが、失われていることに。

 それぞれ、死人はひどい有様だった。

 片や、体の各所に切り傷が走り。

 片や、全身が黒くこげている。

 五体満足なのが不思議なくらいだ。

 そして、共通点が、三つ。

 顔が、この世のものと思えないほど、必死の形相であること。

 血が、小山から道のように続いてるということ。

 そして、両方とも、左胸に鋭い槍に貫かれたような穴が開いている、ということだった。

頭のどこかで何かが言う。

――音を立て。あっという間に。手中から。記憶から。地盤が。歯車が。生き方が。考えが。

 母親が、死んでいた。

 父親も、生きてはいないだろう。

 「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 ジョージは、声を上げて泣いた。

 「うわあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 ニーナは叫びを上げた。瞳から、涙が、こぼれた。

 「「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」」

 二人の悲鳴が消滅した村に、響いた。太陽が沈み、陽光が途切れた。


 どれくらい時がが経っただろうか。喉はとうにカラカラになり、声はすでに枯れ果てている。

 月光が周りを照らす。ジョージはこのとき初めて、月光が明るいものだと知った。

 ジョージの心に、穴が開いていた。それは15歳の少年が背負うには大きすぎる穴だった。

 ニーナの心には、虚無があった。それは15歳の少女が抱えるには深すぎる闇だった。

 月光が静かに二人を照らす。まだ、生物の気配も感じられない。

 二人は何も考えられず、ずっと慟哭の姿勢を保ったままだった。

 それから、二人はやっと立ち上がった。そして木片を取ると、それぞれ穴を掘り始めた。

 数時間経った。ニーナが、その中に母だった物を入れ、丁寧に穴を埋め戻す。そしてジョージの前に移動し、ニーナの掘った穴の三分の二ほどしかない穴掘りを手伝った。やっと人一人が入る穴が出来ると、その中にジョージの母だった物を入れ、土を覆せた。

 その後、二人は広場へ向かった。ナニかあるか、誰かいないか確かめながら。

――動くモノは何も無く、静寂が広がっていた。

 村の中心にあった広場には、そのシンボルであった樹齢100年と言われる老木が立っている。

 更に、広場には男たちが折り重なるように倒れている。周りを見れば、360度に広がる、焼地。

 ジョージとニーナが生まれ育った村は。 

 ほんの半日前には、血の通った人が、生き、住んでいた村は。

 沢山の人が、それぞれの人生を歩み、進んできた村は。

 美しい光景が広がり、優しい人々が、厳しい人々が、生を営んでいた村は。

 焼けた、荒地に成っていた。 

 「こん、なの…こんなのないよ……」

 ジョージが呟く。

 ニーナが、天を仰いで、神に叫ぶ。

 そしてニーナは立ち上がった。復讐を果たすために。村の無念を果たすために。

――それは、これ以上の惨劇を見たくない感情の裏返しだと、ニーナは気付いただろうか。

 ニーナの決意は、すぐに方向性が決まることとなった。

 ソレは、老木の幹に、釘で止めてあった。


 「村への襲撃作戦、終了しました。」

 黒いつなぎを着た男が、高級感漂う装備をつけた男にそう報告した。

 「ご苦労。一時間休んだら、全隊員に『英雄の槍』と『無空刀』の動作確認をするように伝えろ。ソレが終わり次第、その他の自分が持つ陣装、魔間機の調整を行え、ともな。」

 高級感漂う装備をつけた男―隊長は、部下にそう命令を下す。

 「という事は…武力衝突の可能性がある、ということですか? 」

 「そう言うことだ。お前、きちんと伝言を残したんだろう? 『Almighty』を渡せ、という奴を。」

 「えぇ、残しましたけど…」

 「おそらく、武力抗戦に出るだろう。そいつらを倒し、『Almighty』を回収すれば我ら(シェイダーズ)の任務は終わる。まぁ、すぐに別の任務が来るだろうが。」

 「…了解しました。クラスⅡ対人戦闘の用意をさせます。」

 隊長と部下は、そんな会話をする。クラスⅡ対人戦闘用意、と言う命令は、瞬く間に陰隊員に伝わった。

 

 ソレは、老木の木の幹に、釘で止めてあった。

 紙が、釘で止めてあった。

 紙には、血で文字が書いてあった。

 曰く、一週間後の午真夜中、魔具『Almighty』を持ってここへ来い。こない場合は、更に酷い惨状を見るだろう。諸君らの判断が賢明なものであっることを期待する。

 「ふざけんじゃないわよ! 」 

 ニーナの怒りが爆発した。」

 「『Almighty』が欲しいなら、普通にわたし達と話せばいいじゃない! こんな事をしなくても、普通に頼めばいいじゃない! そしたら渡したわよ! そこそこの対価は要求したかもしれないけれど! こんなわたし達の大切な人を傷つける、なんて方法しなくていいじゃない! 何でよ! 何で! 何でこんな方法しか取れないの! 」

 ニーナの怒りは、真っ当なものだった。しかし、ニーナが決断した事は、傍から見れば真っ当なものでは無かった。

 「あぁ、こんな事をしたやつらを傷付けたい! 害したい! 毀したい! 損なわせたい! ?賊したい! 蝕みたい! 犯したい! こ、殺したい! かあさんとおなじ目に遭わせてやりたい! 村の人達が味わった感情を食らわせてやりたい! 私と同じ気持ちにさせたい! 」

 もしかしたら、ニーナはあの時壊れたのかもしれない。母の死を目の当たりにし、生じた虚無はニーナを飲み込んだのかもしれない。その虚無がニーナを、ニーナの意識を変えたのだろう。

 だとしたら、ニーナの虚無のくらさと同じ暗い大きな穴を背負ったジョージは…。

 「潰滅させてやる。根絶させてやる。絶滅さてやる。殲滅させてやる。剪滅させてやる。全滅させてやる。漸減させてやる。勦絶させてやる。断絶させてやる。滅絶させてやる。弾滅させてやる。誅鋤させてやる。殄滅させてやる。撲滅させてやる。没滅させてやる。減絶させてやる。滅亡させてやる。絶え果てさせてやる。絶やしてやる。滅ぼしてやる。亡ぼしてやる。衰減させてやる。衰亡させてやる。破滅させてやる。誅殺してやる。誅滅してやる。誅戮してやる。途絶させてやる。掃滅させてやる。滅尽させてやる。根絶やしてやる。」

 既に、狂っていた。壊れていた。

 母の死に、父の死に、友人の死に、知人の死に、ギリギリ耐えた心が、しかし大きな悪意に破壊された。大きすぎる、深すぎる穴が引き出したナニかでジョージは動いていた。

 二人の瞳には凶気が宿り、角膜が、瞳孔が、水晶体が、硝子体が、屈折体が、鞏膜が、脈絡膜が、毛様体が、虹彩が、網膜が、禍々しく光を放つ。

 「傷付けたい! 害したい! 毀したい! 損なわせたい! ?賊したい! 蝕みたい! 犯したい! 殺したい! …」 

 「潰滅させてやる壊滅させてやる没滅させてやる断絶させてやる殲滅させてやる剪滅させてやる…」

 二人の凶気の復讐鬼は、着々と恨みを蓄積させていく。

 

 月が、煌々と照っている。

 2人はしっかりとした足取りで、ニコルソンの小屋に向かっていた。

 凶気の表情は失われていたが、瞳の奥に、未だ凶気は残っている。

 まだ明るいニコルソンの小屋のドアをノックすると、ニコルソンが出てきた。

 ニコルソンの顔を見た安心感で、2人は気を失った。


 「『Almighty』は持ってきたか? 」

 黒いつなぎを着た男たちは、二人にそう訊く。

 「もってきたよ。」

 ジョージはそう答え、ポケットから『Almighty』を取り出す。」

 時刻は真夜中、半月は雲に隠され、辺りは闇に包まれる。

 ニーナが持つ松明と、黒いつなぎを着た男たちが置いた篝火のみが、明るさを発している。しかし、互いの顔は見えないほど暗い。

 「OK。では、こちらに渡せ。」

 黒いつなぎを着た男がそう指示するが。

 「…………」

 ニーナとジョージは何も答えない。 

 何も答えないで、腕を動かした。

 ジョージが、『Almighty』を男たちに山なりに投げる。

 放物線を描いて堕ちる『Almighty』。それが、放物線の頂点に達するか否かと言うところで、ニーナが腕を動かす。

 腰からニーナが引き抜いた、攻撃陣装。それは離力を用いて鉄釘を加速させ、『Almighty』を打ち抜いた。

 「……………………!」

 黒いつなぎを着た男たちが驚愕で硬直する間に、『Almighty』はぼろぼろと部品を落としながら地面に近づいていく。

 場所は村の広場。ジョージとニーナの背後には老木がある。 

 『Almighty』が地面に落下。それと同時に硬直が解けた男たちが武器を構えるも、そこには誰もいない。ただ、老木の陰に入り遠ざかっていく足音が聞こえるのみ。

 「くそっ、追え追え追えっ! あいつらただじゃおかねぇっ!!」

 クラスⅡ対人先頭装備。黒いつなぎを着た男たちは、隊長の指示に従って殺さず捕獲するための装備を手にジョージとニーナを追う。


 

「はぁ、ハァッ、はぁっ」

 ジョージとニーナは、まず走る。相手を撃滅するために、より有利な戦場へ誘導する。

 それは森の中。15歳の体という、大きすぎない体を小山などの遮蔽物に隠し、徐々に、ゆっくりと森中へ誘導する。

 

 「目標、森方向へ逃走中。」

 胸に吊り下げた中距離通信陣装から連絡が入った。草原方向に立てた高さ約50mほどの櫓にいる仲間たちからだ。組み立て式大規模陣装『吊上機』を使って五日で組み立てた。そこで二日かけ、半径8キロメートル圏内の地図データを探査魔術により収集。そのデータとの不整合位置を探すことで、目標の位置は容易く捉えることができる。

 目標が武力抗戦に出ると予想した隊長は、事前に隊員を五人一組八班に分割。一斑を櫓、三班を予備、四班を近距離に配置し、効率よく追い詰める作戦に出た。更に予備として置く三班のうち、一班を総司令作戦立案本部として固定。状況に合わせた戦術を取ることができるようにした。

 現在、櫓にいるA班、近距離にいるB~E班が、目標を追跡している。


 本格的な攻防が始まった。

 勝利条件は、相手に諦めてもらうか、全員撃滅するか。

 校舎が叶うよう祈りながら、凶気の瞳を爛々と輝かせる二人。先程は暗くて見えなかっただろうが、今日この日になってから二人の目はこの状態で固定されている。

 現在位置。森よりの村、森まであと80メートル。80メートルの長さで、畑が広がっている。遮蔽物が無いため、これ以上森方面へ行くのは困難。

 それを打破するためにはどうすればいいか。

 10秒。10秒時間を稼ぎさえすれば80メートルを走りきれる。

 10秒。されど、それを稼ぐのが難しい。


――たとえ、罠を使っても。

  

 小山から小山へ移動する、こちらを補足した相手がこちらへ向かってくる。

 最短距離となる、小山と小山の間に足を踏み入れると。

――紅蓮の炎が盛りと咲いた。

 今、相手は二つの意味で驚いているだろう。

 ジョージとニーナが、罠を設置する、と言う理性を残していること。

 そして。

 魔術による罠が実用化されていること。

 現在魔術では、魔術の遠隔起動は不可能なはずだ。つまりは、相手がそこを通ったタイミングで魔術を顕現させる罠陣装など出来るはずがないのだ。

 それなのに。ジョージとニーナは罠を配置する。

 陣装『紅蓮息吹(フレイムバースト)』に、ジョージが開発した罠用術式『遅延発動(レイトスタート)』を組み込んだ罠陣装。発動すれば、紅蓮の炎が狂い咲く。

 ジョージとニーナは(わる)い考えに取り付かれているが、狂っているわけではない。凶い考えに導かれ、理性的に行動している。これが第一の疑問の答え。

 そして、第二の疑問の答えは。

 イタズラ好きの少年が、イタズラのために遅延術式を欲し、完成させてしまったと、誰が予想できるだろうか。今まで誰も思いつかなかった方法を、ただの少年が思いついたと信じられるか。

 一度引いた男たちが、もう一度足を踏み入れる。この間三秒間。再びガスが噴射され、魔術によって火花が点火し、紅蓮の炎が盛りと狂い咲く。しかし男たちは気に留めず、前に進み炎の中から脱出する。最初の突入から、五秒後。

 猛然と走る男たちから、さらに逃げるジョージとニーナ。いくつもの魔術攻撃が、二人の背後を穿ち、焼き、斬り、焦がし、暴虐していく。


 「報告! 目標は罠陣装を使用しています! 」

 櫓にて、目標を狙っている男たちにもその通信は聞こえていた。

 「バカな! 遅延術式は不可能と断じられたはず! 」

 「しかし、目標の地点とは別の座標で魔術攻撃が起動しています! 」

 その通信を聞きながら、彼は手に持った陣装を手に目標を狙う。

 (俺には関係ねぇ。罠は近づいた敵に対する防御。遠距離から狙うにゃ効果は無ぇ! )

 そして、撃った。

 彼が使っているのは『英雄の槍』の強化版。本来50メートルの射程を、20倍にまで引き伸ばすために、図体も、魔蓄池も大型のものとなっている。

 しかし、1キロメートル先のものを狙うために作られたこの陣装は、威力が高すぎるが故に目標を殺してしまう。つまり、今回の作戦において直接は狙えない。

 どうするかと言うと。

 目標の周りを狙撃し、目標の動きを誘導する。

 (さぁ、行くぜ! )

 彼は死を誘導する引き金を引く。

 音速の三倍に加速された金属飛翔体が、目標の1メートル前方を貫く起動で進み、

――予測地点とは離れた場所に着弾した。

 「はぁ? 」

 思わず、声を出す。櫓に登っているほかの仲間に怪訝な顔をされたが、彼らは気付かない。

 もう一度、移動している目標の1メートル前方を貫くよう調節し、引き金を引くが。

――やはり、予測地点とは離れた場所へ着弾する。

 (おかしい……)

 彼は狙撃の手を止めて考えた。彼は陰の中でも一、二を争うほど遠距離狙撃が上手く、仲間内から「狙撃手」と称されるほどだ。もともと陣装は銃器と張り合う様設計されており、この遠距離用『英雄の槍』は銃器のライフルより、火薬を使わないために反動によるブレが無く、離力を使って加速するため銃器のように火薬の衝撃に耐える必要がないため、大きくなることも無く、音速の三倍の速さで飛翔するため、銃器の1.24125倍重力や風の影響を受けにくく。殆どあらゆる面でライフルに勝つとされている。

 つまり、距離800mのこの状況で、ライフルすら外さない、この状況で、弾がずれた。

 これは、ありえないことだ。

 彼はもう一度狙いをつけ、引き金を引くが、予想通りずれる。

 櫓にいるもう一人の狙撃手に、

 「なぁ、さっきから弾道がずれないか? 」

 と訊くと、

 「お前もか? あぁ、ずれて狙い通りに行かない。」

 と言う答えが返ってくる。

 「全員に告ぐ。原因不明の狙撃のずれにより、遠距離支援狙撃を一度、中止する。」

 陰無線にその連絡が入ったのは、20秒後の事だった。

 ジョージとニーナは、自分たちを狙う攻撃にばらつきが少なくなったのを感じた。狙撃が無くなったのだ。

 狙撃は、森の中へ誘導する上で、特別注意すべき存在だった。遮蔽物も何も無いところでその80メートルを走ると、確実に打ち抜かれる。

 それを防ぐために、ジョージとニーナは村の中三箇所、敵が立てた櫓から見て右方向、左方向、中心の手前に、大規模離力発生陣装を配置して、逃げ回りながら発動させた。ニーナはそれらの陣装を用意した一週間を思い出す……


 ニコルソンの小屋で倒れたジョージとニーナが、目を覚まし、最初に見たのは小屋の天井だった。

 「どうしたんだい? 」

 短く、ニコルソンが訊いた。状況や表情から、何があったかを察しているのは分かった。

 二人とも、ゴソゴソと体を起こし、ニコルソンのベッドの上に座った。そして、今見てきたことをニコルソンに話した。

 「…………」

 ニコルソンはそれを聞くと、しばらく黙っていた。それから、隣の部屋で紅茶をいれて持ってきて、、二人に出した。

 「飲みなさい。」

 二人は指示通りに紅茶を飲み干す。まだ脳の働きの一部が正常に働いていないのか、外から指示されたことに反抗することがまだ出来ないようだ。

 「寝ていなさい。」

 更に出された強引な指示に、二人は再び体を横に倒す。

 ニコルソンはランプを消し、この部屋から研究室の方へ出て行った。

 ニーナはジョージに話しかけようと、

 「ねぇ、ジョージ…起きてる? 」

 と訊く。しかし反応は無い。心地よさそうな寝息を立てて眠っている。ニーナは、こんなに早く眠るのはおかしいと感じながら、強烈な眠気を感じて意識を落とした。

 眼を覚ましたのは、次の日の朝だった。

 朝日が部屋の中に侵入し、柔かく二人を照らしている。

 眼を細め、体を起こしたニーナは、まだ眠っているジョージを置いて、ニコルソンの研究室へ向かった。

 いつものように、大机の上に物が散乱している。ニーナは「日常」をみて、やっと安心できたような気がした。ここにまだ「日常」が残っていることに安堵した。

 バタン、と、外に繋がるドアが開いた。咄嗟に身構えるが、入ってきた人物を見て緊張を解いた。

 ニコルソンが帰ってきたのだ。

 ニコルソンは、こちらを見ると、

 「おはよう。」

 と一言言った。

 ニーナが、

 「お、おはようございます」

 と返すと、一つ頷いて寝室に入っていく。

 程なくして、ジョージと一緒にニコルソンが戻ってきた。手には盆があり、パンとミルクとコーンスープが乗っている。

 ジョージとニーナで大机の一部を片付け、三人分の料理を置くスペースを作る。

 片付け、開いたスペースにニコルソンが料理を並べる。

 沈黙の中、黙々とパンを、スープを口に運ぶ。

 「お前たちの村を見て来た。」

 ニコルソンが、その沈黙を破った。ジョージが、ニコルソンを凝視する。

 「『Almighty』をどうする。」

 ニコルソンは、村の惨状に一言も触れず、核心に触れる。

 それは、ニコルソンなりの優しさ、配慮だった。

 静寂が、その場を支配した。無音の時間が刻々と過ぎ去っていく。

 「『Almighty』は渡さない。」

 数分ほど経って、ニーナが言った。

 「わたし達の大切な人を傷付けたあいつらなんかの言いなりにはならない。」

 ニコルソンはニーナの顔を見つめた。そして気付いた。ニーナの瞳に凶気が宿っていることに。そして、それ以上の覚悟を、決断を、その心の中にしていることにも。

 「分かった。攻撃陣装の用意もいいが、防性陣装も忘れるなよ。」

 ニコルソンはそう言って、二人の意思に任せた。

 そうして、残りの時間を陣装、魔間機の準備と調整に使ったのだった。


 何とか遠距離狙撃を封じることが出来たが、それもずっと封じておける訳ではない。強力な離力は体内にある金属さえも引き付ける。防離、防弾、防魔、三つの性能を併せ持つ、チョッキ型の冒性陣装を装着しているが、その性能を考えても20分以内に離力を浴びるのをやめないと、この後の行動に支障が出る。そのため、発動から20分で止まるよう、陣の中に魔具を組み込んでおく。

 大規模離力発生陣装が発動してからもう五分が経つ。つまり、後十五分で森の中に誘導しないと、生存率が下がり、死んでしまう可能性があるのだ。 

 支援狙撃が止んで、戸惑っている近くの敵を横目に、あるポイントへと急ぐ。敵が戸惑い攻撃の手が止んでいる内に、ポイントにたどり着かねば! 

 あるポイント―少し大きい木材の小山の陰にたどり着くと同時、攻撃が再開される。

 恐怖を抑えてジョージが周りを見ると、真正面に敵の塊が二つ、左右に一つずつ。

 (これなら行ける! )


 B班の班長である黒いつなぎを着た男は、「支援狙撃中止」の無線を聞いて戸惑った。

 五日以上かけて、全員各々が使う道具の調整をしたのだ、狂っているわけが無い。

 しかし、戸惑いも長く続ける訳には行かなかった。目標が移動したのだ。

 咄嗟に陣装を取り出そうとしたが、上手くいかない。普段はクラスⅠ対人

戦闘用器具――殺すことを前提とした陣装――を使っているからだ。例えば、『英雄の槍」は、打ち所が悪いと即死、良くて手足が千切れるほどの威力を持つため、人体を貫通しない程度の『名槍』に換装している。『無空刀(エアシュレッダ)』は、切れ味を抑える事ができるため、そのまま使用していた。。

 やっと『名槍(グレードスピア)』を取り出し、目標がいた場所に向けるが、既に移動している。慌てて首をふり、目標を補足。咄嗟に『名槍』を撃つが、逃げ込んだ木材の小山に音を立てて弾かれる。

 C,D,E班に連絡し、小山を挟撃する作戦を決行。B,C班が一番近くにいたため、その二班が正面から、少し送れてD,E班が左右側面から攻撃しようと配置に突いた。

 「作戦を決行する。5.…」

 立案者であるB班班長の彼は、攻撃タイミングを指示し始める。

 「4…3.…」

 ピリピリと、緊張が高まり。陰閣員が各々戦闘体制に入りながら。

 「2…1…」

 陰閣員が、自分の得物を握りなおし、いつでも魔術を顕現、行使できるよう。

 「ス」

――轟音が。

 タート、と言い終わらないうちに、轟音が。三箇所からそれぞれ響く。 

 『割の杖』に、ジョージが時計の内部を見て思いついた『遅延発動 二式』を組み込んだ陣装。二式は一式と違い、指定時間経過後に発動する仕組みだ。

 『割の杖』によって生まれたものは、深き、長き、地割れ。10メートルもの長さで出来る幅3メートル、深さ2メートルの溝が瞬時に構築され、陰達の足を阻む。。

 轟音を聞き、密集体系だったに関わらず魔術顕現スイッチを押す馬鹿は、どこの班にも一人はいる。それが同士討ちを引き起こし、班に混乱を引きこす。

 目の前に出来た溝を飛び越えるのは困難。各種陣装を持っている今では生身との条件が違いすぎる。

――さらに、敵の攻撃は続く。

 後方から、強烈な風が吹いてくる。と、思ったら、仲間の一人が吹き飛ばされ溝の中に落ちる。

 (同士討ちで四人、今ので一人が怪我をしたな…今ここにいるのは後五人…)

 彼がそう考える内に、更に一人が吹き飛ばされる。

 地に伏せた彼は、今この班を襲っている脅威について考える。

 (強烈な風…『無空刀』の余波か? いや、それではここまで強い風は出ない。と言うことは何らかの方法で強風を引き起こしているだけか。)

 同じようにして生き残っている仲間と合流するため、彼は膝をついて上体を起こした状態で進む。

 (ただの強烈な風なら、抵抗面積を小さく保てば飛ばされないはず…)

そんな考えに基づいた行動だった。が、彼は二人が飛ばされた地点で肩に『空縮弾丸』を食らい、ひとたまりも無く溝の中に飛ばされた。


 二つの陣装の遠隔、連続起動。それを可能としたのは、陣装の巨大化。正確には、陣の巨大化である。ある地点に陣装を配置し、魔蓄池と魔具をつなぐガーパを延長。他の地点までガーパを延ばす。そこでガーパに魔術顕現スイッチを取り付ける。そうすることで、離れた地点から陣装を発動することが出来る。これが『遅延発動 一式』。罠陣装は、単にスイッチを敵に踏ませただけに過ぎない。

 今回使った陣装は、『割の杖』と『空縮弾丸』。『割の杖』で敵を足止めし、『空縮弾丸』を後方から放つことによって奇襲されたと錯覚させ、意識をそちらへ誘導する。その間にジョージとニーナは森へ逃げ、後から追ってきた敵を迎撃する。今のところはプラン通りだ。

 『空縮弾丸』が敵を引き付けていられるのは五分程度。その後は、自分自身と罠陣装だけで闘わなければならない。

 森の中に入った2人は、罠陣装の位置を確かめ、身に帯びた陣装を確かめ、予備の陣装を置いた場所を確かめ、敵の迎撃に入る。


 D班班長の黒いつなぎを着た男は、後方からの奇襲を防ぐため、攻撃地点へと向かっていた。探査魔術を使い、今得た情報と以前得た情報との不整合地点から、位置を割り出す。不整合地点はおよそ四つ。二つを敵だとするならば、残り二つのどちらかが奇襲攻撃を放ってくるポイントだ。この二つの不整合地点の座標を見て、攻撃が行われた方向に最も近い地点を攻撃地点と断定。五秒ごとに探査魔術を行い、撃滅すべく進撃する

 D班班長の黒いつなぎを着た男は、班員三人を自分の後ろに縦に並べ、小型の盾を構えて歩いていた。盾は左腕に取り付けられ、45度ほど上に開くよう傾いている。

 (前の攻撃から三分…。もうそろそろ攻撃が来るはずだ。)

 彼がそう考えた瞬間、風が鳴る。

 腰を落とし、腕を出来るだけ体に近づけようとしたところで、

―――重い、重い衝撃が、左腕を貫いた。

 衝撃を与えたモノ、それ自体は斜めに構えられた盾に沿って上空へ飛び去っている。

 彼は、それを空気を固めて発射しているもので、その副作用で強風が発生していると推測している。

 それが正しいとすれば、今空気の塊が、彼の左腕を折るギリギリ手前の衝撃を与えて飛び去った、ということになる。

――戦慄した。

 空気の塊を、物質に衝撃を与えられるほど硬化させたこと、それを音速近くまで加速させていること。

 それは、既存の魔術では出来ようも無い。

 そして決心する。必ず相手を鹵獲し、その技術を魔術都市へ持ち帰る、と。

 不整合地点を確めるため、探査魔術の結果を表示させる。

 四つのメーターが並ぶ表示装置。上から順に、Front,Right,Left,Backとメーター名が表示され、30、10、0、の所をそれぞれのメーターが指している。つまり、30メートル前方の、右に10メートル進んだ所に不整合地点がある、と言うこと。

 「…総員、盾を構えろ。」

 小声の彼の指示に、後の三人が無言で従う。

 全員、半身になるように体を傾け、盾を構えて走る。まずは正面へ、frontのメーターが0になれば右へ、そして、全ての表示が0になったところにあったモノを見て、

――心臓が止まるほどの衝撃に見舞われた

 不恰好な形のアサルトライフルのような物体が、土台つきの高さ1メートルほどの支柱で支えられ、旋回していた。

 そして、ある方向へ銃口が向けられると、

――風が、風が、風が鳴り、

――圧が、圧が、圧が吹く

 その間にも支柱の旋回は止まらない。つまり、三つの方向に空気の塊が射出されたことになる。

 (罠陣装…。しかも無人攻撃陣装だと!? )

 風に驚き、厚保に跳びそうになった彼は、それでも背中に氷を突っ込まれたような寒気を感じる。

 (罠陣装だけでも魔術史に残るような技術なのに、奴ら、その先に行ってやがる! )

 ゆっくりとそれに近づきながら、陣装の反応を見る。近づくと、それのアルゴリズムが変わらないとも限らないからだ。

 (どうしようか、これ。この大きさなら、鹵獲するにしても相応の準備が要る。上に指示を仰ぐか。)

 そう判断し、通信陣装を取り出そうと、それから目を離した一瞬のうちに。

 彼に従っていた三人のうち、一人がそれに近づいた。

 一瞬の間、と言っても、それと自分たちの距離は1メートル以内。今の探査陣装の能力では一立方メートル以内に収まれば不整合物があっても探知できない。つまり、探査魔術で不整合地点へ行っても、最大1メートルのズレがあるのだ。

 そんな近くに手に入れたい未知の技術があったのなら、多少欲目があってもしょうがない、のかもしれない。

 「バカが! 早くもどれ! 攻撃性アルゴリズムが変化したらどうすんだ! 」

 その可能性を考えるに至らなかったのか、近づいた隊員がビクリ、と体を震わせる。

 「す、すんません! 」

 「んなこと言う前に戻れ! 」

 そいつは振り返ると、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。それの旋回は、240度を2分ほどで回っていたため、時間はまだある。しかし、いつアルゴリズムが変化するか解らない。

 そいつが三歩目を踏み立したとき、足を乗せた場所に気付いたもう一人の隊員が、声を荒げて叫ぶ。

 「アホ! 足戻せ! 滑るぞ! 」

 そいつが足を乗せたのは、濡れた金属板の上。いくら靴底に滑りにくい素材を使用していると言っても、水に濡れたものの上では関係ない。問答無用で滑る可能性がある。

 そいつには危ない橋を渡っているという自覚が無かったらしい、声をかけられたことに驚き、それから言われたとおり、足を動かそうとして、

――滑った。

 つるん、と言う擬音が聞こえてこないのが不思議なほどだった。これぞ滑りの見本と言う素晴らしさで転んでいく。彼も、残り二人の隊員も唖然とした表情でそれを眺めていた。

 四人にとって永劫とも取れる長いい一瞬の後、そいつはそれに頭をぶつけた。ゴン、と言う音が周りに響こうとし、そいつに注意しなかった方の隊員が「おい!」と言う突っ込みを入れる、その前に。

――爆発した。

 火薬による爆発とは、また異なる音が周りに響き渡り、彼は、それの残骸である破片をその身に受けて、激痛と大音響で意識を闇へと手放した。


 パァン、と、風船を割ったような、火薬の爆発とは異なった音が、どこからか響く。

 その音を開戦の角笛とばかりに、ジョージとニーナは攻撃へ出た。

 今回の標的は三人小隊。先程の音――相手に『空縮弾丸』を奪われることを防ぐための圧縮空気の開放―に驚き、こちらに背を向けている。

 (チャンス! )

 ジョージが右の敵、ニーナが左の敵にすばやく接近。手のひらの大きさの小瓶の口を敵に向け、瓶上部のスイッチを押す。瓶の口を封じていた蝋を破るように、中から髪の毛ほどの針が飛び出し、直後に暴風が吹き荒れる。一瞬で仲間が二人倒されたことに茫然とする真ん中の敵は、左右両方から近距離魔力放出陣装による痺れに襲われる。失神魔力量の二倍の魔力を喰らい、身に付いた耐性をも貫かれ、男の意識は暗闇に包まれた。

 二人がはじめに使ったのは魔間機『空縮弾丸』の蓄包をカスタマイズした、使い捨ての魔間機である。『空縮弾丸』の蓄包は『空縮弾丸』本体に接続されていないときは、密閉しておかなければ暴発する。これは『空縮弾丸』の蓄包に限らない事なのだが。瓶に増設したスイッチを押せば、瓶の内部から細い針が飛び出し、中に圧されていた』空気が一斉にそちらへ吹き荒れる。あたかも、風の神が通った跡の様に。『風神跡路(ヘルメスロード)』と、ジョージは名づける。しかし、元が蓄包のため、用意した数は六個と少ない。

 ジョージとニーナは、手に陣装を持って、倒した敵を見下ろしていた。どちらも、陣装の照準は失神している敵に向けれられている。後一つ、魔術顕現スイッチを押せば、二種の魔術が敵を蹂躙するだろう。

 しかし、ジョージもニーナも、その人を殺すことの出来る威力を持つ、陣装のスイッチを押せなかった。感情と、理性。そしてニコルソンとのこの攻防に関するたった一つの約束が、際限なく二人の頭の中で鬩ぎあっている。

――「君たちの事だから、覚えていると思うが。初めて私の研究室に入ったときの誓いを忘れていないだろう? 」

 この攻防が始まる前に、ニコルソンと交わした、たった一つの約束。

 毀すことしかできない魔術を、良く考えて行使する、と言う誓い。

 それを忘れるな、と言うことは。

 殺すな、と言うこと。

 彼らにも家族はある。知人はある。大切なモノはある。生活はある。思いではある。恋人もあるかもしれない。

 それを、身勝手な判断で、魔術で、毀すなということ。

 魔術について未熟で、甘い彼らに、自分たちのソレを奪われたから、と言って、自分がそちら側に堕ちるな。

 ニコルソンの思いは正しく二人に伝わっていた。


 だからこそ、2人は葛藤していた。

 感情が、憎き敵を殺せと言う感情と、鬩ぎあうのが、論理に基づく理性だけならば、二人は容易く感情へ走っただろう。両親の、知人の、村人の、敵。50人を超す人の怒りならば、理性など勝負にならなかっただろう。

 しかし、先生の。恩人の。恩師の約束ならば、その重要度は最高ランクまで上がる。そうしてやっと勘定と鬩ぎ合えるほどになるのだ。

 ソレは、二人が弱い、と言うことではない。感情が、憎しみが、怒りがそれだけ強いのだ。

 相反する思いが、互いに互いを消滅させようと、激突している。衝突している。

 食い違う主張が、互いに互いを論破しようと、論を述べる。意を唱える。想いを叫ぶ。

 手元にある突起に、力を篭めるだけ。

 それだけで、敵は。村の人たちを殺した敵は、死に至る。

 ダラダラと、汗が流れる。

 手に、体に、顔に。

 殺してやりたい、と言う思い。殺すな、殺してはいけない。という、約束と、想い。

 そして2人は、

――押した。

 震える手を押さえ込み、流れ出す汗を飛ばし、理性に蓋をするように、魔術を顕現させた。

 『離鎚(スレッジハンマー)』から飛び出した金属飛翔体。仕組みは『英雄の槍』と同じだが、更に大きなものを飛ばし、貫通、と言うよりも叩き潰したような傷を作る陣装から放たれた弾が。

 『弾性発射(ラバーバレット)』から飛び出した黒い物体。先端のみが金属で、残りは強い弾性を持つ物質で作られたそれに、魔術によって強い衝撃を与え、弾性で加速する珍妙な弾が。

 共に小さな音を立てて、虚空を飛ぶ。

 そして容赦なくその威力を増し。

――男の顔の真横に、小さなクレーターを作り。

――男の左胸すぐ横の地面に穴を穿った。

 外した。

 そう認識するのに、いくばくかの時間を要した。距離は1メートル以内。誰がどう撃とうと、照準がそちらを向いていれば外すことが出来ない距離だった。

 しかし、外れた。。

 ソレはどういうことか、ジョージとニーナは少し考えて。

 「あぁ…」

 「うん…」

 「ぼくは…」

 「わたしは…」

 「「先生との約束を守れたんだ…」」

 どこか安心した様子で理解した。

 つまりは、一度は理性に負けたのだ。だから、スイッチを押してしまった。しかし、理性はその後勝った。

一度の勝利で気が緩んだ感情から、勝利を奪い取ったのだ。そうして、ギリギリのところで照準をずらし、ニコルソンとの約束を守りきったのだ。

 一種の感慨に浸っていた二人だが、長くは続かない。まだ、敵を全滅、いや、全員行動不能に陥った訳ではないのだ。何所からか足音が聞こえ、2人は岩陰に体育座りで身を隠す。


 「報告、報告せよ! B班! 」

 黒いつなぎを着た男の叫びが、草原に吸われていく。

 「D班に続き、B班からの連絡も途絶えました。」

 ここは櫓の更に後方。『Almighty』奪取総司令作戦立案本部である。

 その男が、作戦立案実行権保持者で、この作戦の総司令官―H班班長に、そう報告する。

 「これで二つの班が全滅…。E班から二人、C班から一人の負傷者か。まさか15人も戦闘不能者が出るとはな…」

 H班班長が何か言う前に、どの班にも分けられていない隊長と呼ばれる男が呟いた。

 「そうですね…。ここまで彼らが強いとは思ってもいませんでした。…。通達。F班、前線に上がって敵二人を捕獲せよ。C班は作戦維持、E班は現地点で小休止を許可する。十五分の小休止の後、捕獲作戦に再参加せよ。A班、後十五分経ってズレガ直らないなら、前線に出よ。」

 隊長の言葉に同意し、H班班長が各班に指令を出す。

 「二人ではないのかも知れん…。」

 隊長が再び呟くが、それは誰にも聞かれること無く消えていった。

 彼は中腰で、音も無く夜の草原を走っていた。

 体制を傾け、出来るだけ体を小さくし、走る。彼の走る先には、小規模な塔―櫓がそびえ立っている。

 櫓まで残り五十メートル。しかし、気付かれている様子は無い。その理由も、彼は知っていた。なぜか、弾道がずれる不具合が生じ、原因解明に櫓の上にいる五人はかかりきりなのだ。

 その情報を知ったのと同じ方法―倒された黒いつなぎを着た男から奪った中距離通信陣装から流れる通信を開く―で気付かれていないか調べようとするが、通信陣装には何の音も発さない。ソレを気付かれていない証だと断定し、50メートルを二十秒かけて進む。

 (予想通り、櫓まで来ても気付かれていないようだ。これなら問題なく実行できる。)

 彼はそう考え、かすかに内側へ傾斜が付いている。四本の櫓の支柱の一本へ向かう。

 背に負ったバックパックから何かを取り出し、柱へ紐を使って括り付ける。

 全ての支柱へ何かを括り付け、それらに一つ一つ何かを行う彼。最後に櫓の中心点に、何か別のものを置く。

 行い終わった彼は、来たときと同じように体勢を傾け、安全圏―森の中へ帰ろうとする。

 その行動が考え足らずだったと感じるのは、少し経った後だった。櫓からある程度はなれると、黒いつなぎを着た男たちの班に遭遇してしまったのだ。

 最も簡単な魔術である単一色光継続発光魔術。それを顕現させるために作られた陣装をこちらに向ける。丸い、炎より明るい光が、彼の上半身を照らす。

 闇のうちより出てきたその顔は、黒いつなぎを着た男たちが見たことの無いものだった。しかし、最初から戦場に偶然紛れた民間人ではないと断定していた。

 「さっきの探査不整合因子はお前か。随分と舐められたものだな。原因不解明も二度目は無い。何所の雑魚魔術師かは知らないが、櫓周辺で何をしていた。答えろ。」

 高圧的な態度で、五人いる黒いつなぎを着た男たちの中、一人が彼に訊く。

 「…ルソン・ドッピーニ。」

 「は? 」

 「ニコルソン・ドッピーニと言う魔術師だ。失望したよ、いや、幻滅かな。君たちのレベルがここまで低いなんて、全くもってがっかりだ。」

 黒いつなぎを着た男の大半は、何を言っているのかわからない。一人が、しかし畏怖の声を上げる。

 「ニ、ニコルソン・ドッピーニだと!? 貴様、本物か? 」

 「いやぁ、もう十五年経つのに、私のことを覚えてくれている人がいるとはね、これは驚いた。」

 畏怖の声を上げた男と、意味不明な言葉を口走る相手にイラついた一番最初に口を開いた男が、

 「貴様の名前などどうでもいい。何をしていた。答えなければ、無理やりにでも口を割らせてやるぞ。」

 そう言って、ニコルソンと名乗る男へ回答を強要する。その後ろでは、畏怖の声を上げた男が硬直していた。

 その答えは、数秒後に返ってきた。

 「25…24…23…」

 黒いつなぎを着た男たちには意味のわからない形で。

 「18…17…16…」

 しかし、ニコルソンと名乗る男は数えるのを止めない。 

 「そうか…テメェ、死にてぇんだな! 」

 ついに堪忍袋の緒が切れたか、最初に口を開いた男が怒鳴るが、ニコルソン、と名乗る男は依然として数え続ける。

 「12…11…10…」

 右手に『名槍』、左手に『無空刀』を構え、3メートルと離れていないニコルソンと名乗る男へ突撃しようとした最初に口を開いた男だが、肩を突然つかまれ、一度、止まる。方を掴んだのは、畏怖の声を上げた男だ。

 「どうした! 怖気づいたのか! 」

 「違う訊け! ニコルソン・ドッピーニ、と言うのは…」

 そんなことをしている間にも、ニコルソンと名乗る男のカウントダウンは止まらない。

 「3…2…1…。爆発。」

 ニコルソンと何乗る男が最後の数字を呟くと。

――空が、真紅に染められた。

 極限の爆発音が響き、強烈な風と圧力があらゆるものを放射状に吹き飛ばそうとする。

 先程の、謎の紛い物の爆発とは、比べるのがおこがましいほどの、絶大の爆発。

 光が目を焼き、音が耳を壊し、熱が波田を焦がし、風と圧力が全身を痛めつける。

 「だから答えてあげたじゃないか。」

 今まで裏からジョージとニーナを支援していたニコルソン・ドッピーニの呟きは、男たちの届いただろうか。

 六人の周りは、灰が風に踊る不毛な荒地へ、一瞬で変貌していた。

 五人の服も、所々が焦げ無くなり、露出していた肌は赤く爛れている。

 しかし、ニコルソンは無事だった。

 防火素材、つまり燃えにくい素材で作られたフードつきマントを着ていたためだ。更に爆心地に背を向けていたため、光で目を焼かれていることも無い。顔も、風や圧力で押さえつけられたフードのおかげで守られている。

 ニコルソンは、ゆっくりと後ろを振り返る。爆心地を見るために。

――業火と、業火に燃やされた煙が立ち上っていた。

 本来、生木とは燃えにくいもので、年単位の時間をかけて乾燥させた物を家庭で使っている。

 しかし、今、その生木が、櫓の残りかすが、空を真紅に染め、、燃えている。

 材木の殆どが、直径50メートル級のものを使っていたため、2、3日は燃え尽きることすらないだろう。

 唯一良い所があるとすれば、草原の草は爆発の熱波を浴び、灰になっているため、燃え移ることが無い、と言った所だろうか。

 櫓の上に居た五人の生存は絶望的だ。

――しかし生きていた。大怪我をおってはいたが、すぐ死に至るレベルではなかった。

 それは何故か。50メートルも上から落ちたのなら生きているわけが無い。たとえるなら、十六階ある建物の屋上から飛び降りたようなものだからだ。

 良く見れば、櫓があった場所に、白い、大きな布が落ちている。それは、燃えることを拒んでいるかのように火を寄せ付けない。それは、ニコルソンの着ているマントと同じ素材で出来ていた。

 しかし、それだけでは墜落死を免れた理由にはならない。焼死からそこにいる人間を守るだけだ。

 その白い布こそが、ニコルソンが櫓にいた五人を守るために使った手段の成れの果てだった。そもそも、ジョージとニーナに殺さずの約束を取り付けたのはニコルソンなのだから、ニコルソンが人を殺す方法をとるわけが無いのだ。

 使い捨て陣装、『軟性守護』。衝撃が加えられると、布製の風船が広がり、そこで人間を受け止める、と言う用途で使われる、一種の安全装置である。

 その光景をを小型の望遠鏡で確めたニコルソンは、気を失った5人を気にも留めずにそこから静かに立ち去った。


 爆光が、爆音が、爆熱が、爆風が、爆圧が。

 突然目の前から放たれ、隊長と呼ばれる男は、それらをやり過ごした後驚愕した。

 100メートルほど前に堂々と建っていた櫓。それが今、可燃ゴミに変わって行った。

 「報ゥ告ゥゥゥゥゥゥゥ!!」

 その声は叫びに近く、内心の驚きを如実に表している。

 あわただしく状況把握に走り回る陰隊員たちを見て、隊長と呼ばれる男は冷静さを取り戻していく。

 (爆弾か!? しかし目標は森の中のはず。クソッ最悪の予想が当たっちまったか…だが仕掛けた当人は捕獲できるはず…何しろ一対五なのだから)

 しかし、そんな予想はあっさりと裏切られる。

 「櫓周辺の不整合因子を調査に行ったG班の反応が動きません! 行動不能状態だと思われます! 」

 更に悪いことは続く。

 「櫓の上にいたA班ですが、全員行動不能状態です。かなりの重傷です。」

 「重傷!? 死んでないのか? 50mの高さから落ちたんだぞ! 」

 隊長と呼ばれる男は、報告するH班の班長に聞く。

 「は…はい。かなりの重傷ですが、すぐに死に至るようなものではないと、回収に向かった奴から報告が。」

 (そうか…。今まで行動不能にされた隊員から陣装が無くなっている、と言う報告があったが、お前の仕業か。)

 H班の男の返答を聞きながら、冷静に分析し。

 しかし。

 冷静に分析できたのはそこまでだった。

 「ふざけんじゃねぇぞっ! おい! 何で敵であるこちらを助けるようなマネしてんだよ! そこまで手前は余裕なのかよ! ただ単に爆殺したほうが楽じゃねぇかよ! なんで目標もお前も誰も殺さないんだよ! 」

 司令官の乱心におろおろする陰達だったが、その姿は彼の目には映らなかった。

 (ちょっと待てよ…。誰も、死なない? )

 自分の言葉をヒントに、何かに気付いたからだ。

 (誰も死なないって言うのは、相当の力量差が無いとできない芸当だ。でも、目標はそこまで高い技術を持っているようには感じられないし、仲間を殺すチャンスは何回もあったはずだ)

 隊長と呼ばれる男の思考が加速し、ある真実へ近づきつつある。

 (と言うことは、目標の奴は誰か強い力を持った奴に「殺すな」と言う命令をされてるって訳だ。で、この周辺でそんな事をやれる奴は思いつかねぇ。こいつ以外はな。てことは、片方を締め上げれば両方の情報が手に入る、つーこと。よし! )

 隊長と呼ばれる男は、限りなく真実に近いその意見に基づき、陰全員へ命令する。

 「G班と抗戦し、勝利した相手をアンノウンと呼称。そして作戦命令権をただいまよりH班から俺へと以降。残15人を3班のβγへ再構成。アンノウンを無視して、全力を持って目標を捕獲せよ! 」


 「狙撃対策に配置した離力発生陣装が故障している。」

 ニーナが持っていた通信陣装から、ニコルソンが言った。

 「………………。」

 「………………。」

 理解できないものを聴いたような反応を二人はし、続いてニーナが通信を切る。

 沈黙した陣装を腰に戻し、移動しようとする二人。

 だが、再び陣装の呼び出し音がプルルルと鳴く。通信をつないだし陣装から、再びニコルソンの声が。

 「狙撃対策に配置した離力発生陣装が故障している。」

 ニーナが掴みかかるように言う。実際、ニコルソンが目の前にいれば掴みかかっていただろう。

 「それがわたし達に害だからって防性陣装着てるんでしょ? それでも20分以内の活動が限界だって言うのに! 」

 と、ニーナが機関銃のように捲し立てる。

 「だから、出来るだけ村に近づくな。お前たちが一番離力を浴びているんだ。かなり危険な状態だ。これ以上強く浴びないようにしろ」

 ニーナの言葉に、ニコルソンは対策を述べる。

 「離力発生から25分。まだ悪影響は出ないと思うが、少しでも体調が悪いと感じたらすぐ休め。具体的には貧血に注意しろ。最悪、三半規管がやられてまともに立つことすらできなくなるぞ。手動で切ろうと努力はするが奴ら一度村の中に撤退してきている。気付かれないよう切るには一時間はは要る。すまないが耐えてくれ。それから奴ら、今からお前たちに総攻撃するらしい。15人の連携はきついだろうが、それで最後だ。あの約束を破らず頑張れ。」

 ニコルソンはそう言って通信を切った。

 元々ニコルソンはジョージとニーナの補助。主に、ジョージとニーナが倒した敵の持つ陣装、魔間機を回収するために動く、と事前に打ち合わせしていた。しかし、二人に敵に位置がばれるリスクを犯してもその情報を伝えた。その重みを考えながら、ニーナはジョージにニコルソンの言葉を伝える。

 そして、総攻撃を仕掛ける相手を邀撃すべく、罠陣装の位置を確認、調整する。


 α、β、γの三班に、陰残存人員は分かれた。αは疲れていない元H班。β、γは残りから戦力が均等になるよう人員を分配。奇襲に確実に対応できるよう、全員一塊になって進む。以前なら狙い撃ちで全員死亡の可能性があったため、こんな方法は出来なかっただろうが、陰隊長の分析によって殺される心配が無いと解った今なら数でゴリ押しするほうが有効だと判断したのだ。

 更に、士気も上がっていた。元々陰隊員は全員鬼籍に入っており、そこから地獄のような訓練を受けて今ここに立っている。その同士を半分以上倒されており、仇をとるぞ、と言う意味で目標に対する意識が高くなっている。これで負けるはずが無いと、αβγそう班長である元H班班長、α班班長は考えている。

 再編成のため、村の広場まで下がっていた三つの班を森へ向かって進ませる。今まで回収した味方の倒され方を見る限り、敵は不意打ちでこちらを倒しているらしいので、随時探査魔術を行い常に結果を表示させながら進む。

 数値はFront 100、Right 0、Left 25、Back 0.

 出来る限りRight、Leftの数字を0にするよう進む。100の数値が50になったころから、最前列の三人に盾を構えさせ、ゆっくりと進む。いつからか出来上がった白い霧の中を。前方1mすら見れない訳ではない。しかし、10m先は見通せない。視覚をばわれ、残り資格をフルに使ってかすかな動きを見逃すまいと、神経を張り詰める。ゆっくりと、ごくゆっくりと発せられたため、異常と気付くことが出来ない人工的な霧の中を。

 Front 10、Right 0、Left 0、Back 0。

 そう示す地点まで彼らは進む。この霧は10m先から見通せないので濃さが今までどおりなら後数秒進めば見えるはず。奇襲を防ぐため、今まで異常に神経を尖らせ全方位を見据えながら確実に、ゆっくりと進む。まるで、何も見逃さない寮の監督のように。

 ザッ。ザッ。と足を進め。

 ガクッと。盾を持った先等の男が地面に偽装された何かを踏み、足が沈み込む感覚を覚える。その男の足並みがずれたことを感じ、停止し、周辺を警戒する彼らに。

 突如、一本の光条が正面から彼らを照らす。

 バッと。風を切る音がしそうなほど、勢い良く振り返った彼らが見たものは。彼らに恐怖の念を抱かせる

 人が、人の形の部分の人が。首だけの人が。首だけの女性が。髪を逆立てた女性が。口を一杯に開けた女性が。この世の物とも思えない恐懼の表情をした女性が。ところどころがぼやけ、曖昧な生首が。血にまみれた首が。

 丁度、こちらの顔の高さまで浮き上がり、こちらをじっと覗いている。 

 多くのものが恐怖でで動けなくなり。

 少数のものが『名槍』を撃つ。

 カカシュッ! カシュッ! 

 四発放たれたその弾は。

 血まみれの生首をすり抜け、霧へと消える。

 「ひ……ヒッ!」

 喉が張り付くほどの恐怖に見舞われた撃った男たちは、己の攻撃が効かぬ事実に畏怖して。

 「ゆ、幽……霊……!」

 その呟きは誰が発したものなのか。ただ、それは十五人全ての心の内を代弁している。

 と。

 「ヴァ……」

 何かが聞こえないか。

 「グルァ…」

 かすかに。どこからか聞こえてこないか。

 「グルガァァァアァアァァァァアアア!!」

 叫びが、頭を揺らし体を震わす声が。

 「グゴガグルァァァァァアアアアアアアア!!!」

 大音響で、恐怖を誘う声で。絶叫する首。

 それはパニック映画のワンシーンのパニック映像の一コマのようで。

 当事者たちには笑い事では済まされない。

 叫びながら。

 こちらを蝕もうとばかりに近寄ってくる首が。

 恐ろしい形相をした首が。

 「グガルゴギァァァァアァァァァァァァァァァ! ! ! 」

 と。こちらを食いつくさんとばかりに口を拡げ、視線で射殺さんとばかりにこちらを凝視し、大きさで、重さで圧し潰さんとばかりに大きくなり。

 武器の、陣装の効かぬ相手に陰は意志をなくす。


 「…痛っ…! 」

 ジョージとニーナが仕掛けた『濃霧噴出(フォッグスポウト)』と『活動写真(モーションピクチャー)』、更には『蓄音発声(グラマフォン)』の三つの陣装をあわせ作られた、組立機構『幽霊発現(ゴーストエントランス)』。組立機構とは、複数の陣装などを用いることによって待った区別の現象を引き起こそうとする機構の事である。複数の陣装を一つの陣装に組み込むのではなく、陣装、魔間機間の連携で単体の陣装が起こす現象とは別の現象の発生を目指す。『幽霊発現』では、『濃霧噴出』が蓄包に溜まっている水蒸気を動体魔術で拡散(よって『濃霧噴出』は陣装)、霧を発生させる。次に『活動写真』が絵の描かれた半透明のフィルターに向かって発光魔術を行い、霧にその絵を投影。協会で、内部がステンドグラスの色に染まるのと同じ理屈だ。絵を一秒に六十回というスピードで変えることにより、人間の目から見ると動いて見えるようにすることもできる。その動く絵に従い、『蓄音発声』が予め収録しておいた音声を発生、見た相手の精神を心理的に圧迫、行動を制限する事が出来る。

 つまり、奇襲をするための隙を作り出すことが出来る仕組みであり、それは確かに隙を作り出した。

 しかし、奇襲は出来なかった。

 何故なら、ニーナが突然の頭痛に襲われたからだ。

 「痛……。うっ! つ…」

 「ニーナ! 大丈夫? …そうか、今は薬は無い…!」

 頭痛―。それは、皮膚色の蒼白化、動悸の激化、倦怠感の発生などと同じ、貧血の初期症状の一つ。それは、二人が確実に蝕まれていることの証明であった。

 女性よりも多少頑丈な男の肉体を持つからだろうか、ジョージにはまだ明確な症状は現れていない。しかし、現れるのは時間の問題といえる。

 二人が隠れているいわの陰から、敵の様子を窺う。『濃霧噴出』が霧を噴出し続けているせいででシルエットしか見えないが、まだこちらに気付いている様子は無い。一まず安心してニーナに視線を戻す。体操座りから立ち上がりかける途中、といった姿勢で頭に手を挙げ、痛みに耐えているニーナ。良く見れば、顔が少し白くなっている。貧血は、着実にニーナの体の中を蝕んでいるのだ。

 「ニーナ、休ん…」

 「バカ言わないで。わたしは、あいつらを倒すためなら何でもする。倒すチャンスがすぐそこにあるのに、それをみすみす手放しなんかしないわ。予定通りに行きましょう。わたしは『飛翔鉄釘』と『離槌』、ジョージは『飛翔鉄釘』と『弾性発射』で足を打って転倒。行動不能に陥らせる。」

 ジョージの気遣いを撥ね退け淡々と言うニーナ。それを機器、ジョージは言う。

 「了解。じゃあ、三分後にまたここで。……それから、無理は駄目だよ、ニーナ。」 

 「…………。」

 ニーナは無言で頷く。ソレを見て振り向いたジョージには聞こえただろうか。

 「分ってるわよ。そんなの。」

 そのときだけ、年相応の少女の顔に戻ったニーナの呟きが。

 しかし、すぐにもとの顔に戻り、凶気の瞳を霧の奥へ向ける。

 二手に分かれたジョージとニーナはそれぞれ的の右、に分かれた。隠れていた場所は敵の真後ろだったのでそれほど時間差無く予定地点へ到達した。数秒待ってから小声で通信陣装に話しかける。

 「ニーナ? 予定地点に着いた? こっちは到着したよ。いつでもOK。」

 「こっちも予定地点へ到達。じゃあ合図と共に。」

 「攻撃を開始、分ってる。」

 「それじゃあ。3…2…1…! 」


 「グルガグギゴガァァァァァァァァァァァァァァァァ! ! 」

 恐怖を誘う叫びを上げ、こちらに襲い掛かろうとし、また戻り、右に左に漂う首。

 先程から、ココから移動しようと、移動しようとするもその方向に首が現れ、叶わない。

 もう何度目か分らないほど多く受けた首の恐怖。再びこちらに向かってこようとする首に耳を塞ぎ、目を閉じる隊員が続出。しかし、それでも恐怖は拭えない。

 更に。

 「ぐ、がああああああああああ! 」

 「ぎゃ、あ、ああ、ぎゃああああああああああ! 」

 悲鳴が、紛う事も無い、味方の悲鳴が。

 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ……゛ぁ…」

 奏でられ、追走し、重奏する。

 霧は真っ白に周りを囲み、すぐ近くにあるはずの木でさえ明確に見分けることが出来ない。

 彼は、H班の班長は、必死に恐怖を押さえつけ、考える。

 (これは幽霊じゃない。幽霊なんていない……! )

 しかし、

 「がぁ! ぐ、がぎゃぐがあああああああああ! 」

 彼は奇声を発し、足を見る。

 考え事をしていて、目線を上げていたものを下げる。

 直後、視覚に遅れて痛覚が、灼熱感だった物が痛覚に変わり。

 シュッ、と。かすかな音と共に、もう一本の足に釘が刺さる。

 体重を支えることが出来なくなり、足を前に投げ出すように転ぶ。

 「ぐ、ぎ、がああああああああああ! 」

 彼は叫ぶ。叫びは叫びと融合し、痛覚を表す音楽を奏でる。

 「グルゴガァァァァァァァァァァァァァ」

 唐突に、霧を漂う首が消えた。まるでスイッチをオフにしたように掻き消えた。

 首が発していた恐怖を誘う絶叫が消え去り。

 味方の呻きしか聞こえない、静寂が現れた。

 彼は自分の裾を噛むと、足に手をやり、食い込んでいる釘を引き抜いた。

 長さ五センチのもの長い釘は、骨こそ外しているものの筋肉を破壊している。傷口を布で圧迫する程度では、動くことすら不可能だろうが、これ以上の出血を防ぐため、三角巾を取り出し傷に当てる。反対の足も同じように処置を行う。こちらは骨にまで食い込んでいたが、力をこめて一思いに引き抜いた。

 霧が、晴れ始めている。

 見れば、ここは少し開けた場所だった。一番近くの木でさえ、四mほど遠くにある。

 彼と同じように、四人が倒れていた。そうでない者も、地面にへたり込んでいる。

 「おい…。皆、大丈夫か? 」

 彼は陰に向けて言った。恐怖から開放され、安心しきった声で。

 「α、二人やられました…。」

 「β、一人です。」

 「γ、βと同じく.…。」

 その声を聞き、仲間がまだ要る事に安心する。そして、

 「αの2人は怪我人と共に退去。一人はβに再編、β班長に指令権を移動。残人数で追撃せよ。…十五分後に開始だ。」

 彼はそう命令した。


 隠れていた岩の後ろで合流したジョージとニーナは、移動を開始した。音を立てないように、素早く、確実に。

 ジョージとニーナが、大人数の敵と正面から戦った場合、ほぼ100%の確立で敗北する。それでも勝ちたければ、奇襲で少しずつ削っていくか、敵を少数に分断し、一つ一つ確実に撃破していくしかない。

 そのために配置した『濃霧噴出』だったが、先程の攻防で壊れた。流れ弾にでも当たったのだろう。霧が晴れるまで、後十分ほどだろうと推測できるう。そうなれば、また異なる策を使用するしかない。

 「痛……! うぅ…ぅぅ……う…! 」

 ニーナの頭痛が悪化している。先の攻防前よりも強く頭を抑え耐えている。眩暈をも併発し、動くたびに吐く息も荒い。完全に貧血の症状だ。

 体を丸め、小さくなるよう体勢を整えて走っているのも拍車をかけている。元々は、ニコルソンの敵の探査魔術から逃れるためのアドバイスだったのだが、今はニーナの貧血を悪化させているだけのようにしか見えない。

 しかし、体勢を戻せば敵に発見されてしまう。生きながらえるためにもこれは続けなければならない。

 「ニーナ、本当に大丈夫? 」

 ジョージはニーナに訊く。もう何度目かすら分らない。

 「何度も言わせないで、大丈夫よ。私は、あいつらを倒すまでは倒れていられない。」

 返ってくるのは、字面だけ強気な返事。強いのは表面だけで、言い方も、力の入り方にも、強さは無い。

 「ジョージ、わたしの心配なんかしないで、早く探査魔術を行って。敵の位置が分らなければ、罠へ誘導することすら出来ないから。」

 ニーナは、力の入らない声で、なおもそう言う。

 と。

 ピシィィィィィィッ! 

 ジョージの頭に軋みが走り、その音が頭の中で反響する。

 「ぐ…っ! 」

 ジョージ思わず頭に手をやる。

 しかし、それが失敗の始まりだった。

 痛みに耐えるため、頭に手をやり、視界の半分近くを塞がれる。

 視界の半分が見えなくなり、遠近感が失われ、

――転ぶ。

 腰を地面に打ち付け、痛みが広がる。

 痛みで声も出せないジョージに、ニーナが立ち上がって叫ぶ。

 「ジョージ! 」

 体の側面をぶつけたジョージは、体を伸ばしてしまう。

――敵の探査魔術から逃れるために、小さく丸めていた体を。

 ニーナは立ち上がってしまったことに気付き、すぐに体を小さくする。

 覚えているだろうか。陰が使っている探査魔術は、一立方メートル以内なら、不整合物があっても認識は出来ないことを。

 ニコルソンは、現在の探査魔術の発達具合から陰の持つ探査魔術の性能を推測し、見つからないための対策を二人に教えた。それが体を丸め、一立方m以内の大きさに体を押し込めること。

 もし、それができなければ。それは、陰に発見されることを意味する。

 そして、発見されることは、正面から大人数対二人の戦いになることを意味している。それは最悪の戦いだ。

 ジョージは、痛みで伸ばした体を寝転がったまま膝を抱えるようにして小さく折りたたみ、耳を、聴覚神経を澄まし張り詰める。今の事を探査し、接近する敵がいないかどうか。

 耳を澄ました二人の耳に飛び込んできたのは、ザアアァァァという葉擦れの音と、

 「……ちだ、反…………った。あの辺り……」

 敵の忍び寄る声だった。

 確実に。気付かれた。ならばやれることは。

 一つ。逃げるという選択。

 戦力が、先頭可能人数が、二倍なら普通負ける。まして今回の敵の数は八倍。半分を倒したとしても、まだ四倍は残っている。はっきり言って、そんな戦いを挑むのは自殺行為だ。

――誓いを忘れるな、というニコルソンの約束。それは殺しを禁止するものだ。

 つまり、それは自分の命を顧ず、相手に突撃し命を散らす。その、自分で自分の殺す行ためをも禁止している。だから逃げる。全てを丸く治めるには、それしかない。

 「ハァッハァッハァッハァッハァッ。」

 「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ。」

 走る。生きるために。逃げるために。負けないために。勝つために。

 しかし、すぐにあることに気付かされる。

――体力が、スタミナが、ごっそりと失われ、なくなっていることを。

 しかし、そんな訳は無い。とジョージは必死に思う。今、走っているといってもスピードは小走り程度。重い装備を下げた敵が全速力で走らなければ追いつかれない、出来るだけ長距離を走れるよう、速度を抑えた走り。

 それなのに、一歩足を踏み出せば感じる。腕が、足が体が、節々まで絶叫を上げ、呼吸だけが無意味に加速し、心臓が痛いほど激しく暴れる。

 もし、ここに医師がいて、見ただけで正確な診断が出来たとしたら、その医師はこう病状を告げるだろう。

――強力な離力を浴びたことによる貧血。それによる運動時の息切れと、恐怖による過呼吸。

 更に。

 その二つが合わさり起こした、酸素欠乏症だと。

 酸素欠乏症。呼んで字のごとく、体中の酸素が少なくなる症状。脈が激しくなったり、呼吸がおかしくなったり、精神に障害を与えたりと、罹るには簡単だがその影響は多岐にわたる。最悪、脳の働きが壊れたりする。

 が、それは先の話。

 今は。

 無酸素で酷使され続ける四肢が問題だ。

 酸素欠乏症が起きた理由は、貧血と恐怖。その二つが併発したからこそ起きた症状。ならば片方を解消できれば消える症状。消えさえすれば、通常通り四肢の筋肉に酸素が供給され、無酸素での筋肉使用などという危険な行ためをとめさせることができる。

 だが無理だ。

 過呼吸を生み出す基となった恐怖は何故生まれた? 勿論、敵と大量の敵と遭遇したからだ。なら恐怖を消すためには、大量の敵を排除しなければならない。

 そんな事が出来れば逃げてなどいない。

 つまり、敵から見つからない場所に身を隠すまで、酸素欠乏症は続く。

 (何故だ…? 何故こうも体力が無い? )

 そんなことに気付いていないジョージは考える。考えて、考えて、そして結論が出ない。

 それでもジョージは絶叫に耳を塞ぎ、加速を防ぎ、暴れを宥めて足を前に進める。


 β班班長は、小走りに目標を追いかけていた。

 十五分間の休みが終わる少し前、彼がチェックしていた探査陣装に、不整合反応が検出された。五秒後の再探査の際には検出されなかったが、彼はニヤリ、と顔を歪ませた。そして、残存陰九人に呼びかけた。

 「よし、お前ら、大体休めたな? 今、俺の探査陣装に反応があった。北西173メートルの地点だ。目標に間違いない。ちょっと早いが行くぞ! 」

 有無を言わせぬ声で呼びかけた。しかし、彼は見つけてしまった。四人ほどしかいなかったのが、明らかに不満げな奴らを。そいつらの顔はこう主張していた。『え~、十五分まで後一分四十七秒ありますよ~。それくらい待ちましょうよ~。疲れたしぃ…』と。

 「なぁ、お前ら悔しくないか。仇を討ちたいと思わないか。」

 そこで、彼は話しかけた。士気を上げるために。

 「俺は討ちたい。道の技術に倒れていったあいつらの無念を晴らしたい。そうだろう? 本当はこんな数の被害受けるはずじゃなかった。でも、受けてしまって行動不能になってしまったやつらがたくさん出た。だから、そいつらが求めていた目標の捕獲ってのを俺たちはやり通さなければならない。そう思うんだ。」

 そして、黙った。彼は、元々C班で一番初めに目標と交戦したうちの一人だった。彼は、軽度の復讐鬼になっていた。

 「俺も討ちたい。」

 どこからか声が上がった。

 「班長の言う通りだな。」

 また声が上がった。それは次々と声の濁流へと変わり、静寂の夜を塗りつぶした。

 「行くぞ! 」

 彼の声に残存影たちは大きく頷き、反応があった地点へと進む。


 五分ほど走ると、不整合反応があった地点に着いた。

 「逃走予想経路を算出しろ! 終えたらすぐに報告! 」

 彼の言葉が陰に飛び。

 「了解! 」

 「あいよー! 」

 「はいはい。」

 そう言うことが得意なやつらが答える。

 果たして。

 「ありました! こっちの草に踏」

 「反応が! 探査陣装の不整合地点が検出されました! 南西五十メートル。同方向に移動し続けています! 」

 得意なやつらが逃走経路を見つけると同時、探査陣装に反応が生まれた。

 「被せんな! 」

 得意な奴が抗議の声を上げるが、見つけるのが遅いからだと彼は冷たく言い放つ。

 「敵の速度を考えると、追いつくのは難しい。が、追いついてしまえばこの人数差だ。勝てる。さっさと行動不能になった奴の仇を討とう! 」

 そう言い放ち、彼は全速力で走り出す。総指揮権を持ちながら、先頭に立ち、他の人を置いていくような速度で。

 そして。

 通常の三倍ほどの速さで、五十メートルを、八十メートルを百メートルを駆け抜けた彼はついに背中を捉えた。探査陣装の数値を見るまでもなく、はっきりと目で捉える。

 ギリッッ。

 彼の口から、歯から、音が漏れた。強く歯をかみ合わせ、丹念に力を入れ、走る。未だ走り始めてから二十秒ほどしか経っていない。

 残り10メートル、9メートル、8メートル。段々と、少しづつ。だが確実に狭くなっていく距離。

 捕獲用の陣装など使う気は無い。味方の無念を晴らすため、出来るだけ無傷で捕らえる。

 極限まで荒い息を吹きながら彼は走る。森の中を流るる白き流星のように。

 こちらを振り返る目標が見える。その目は恐怖に見開かれ、こちらを凝視している。

 彼はその様子に歓喜する。今まで味方を欺き、打ち倒してきた敵のその表情が喜ばしい。

 反対に、彼は唇を吊り上げ、笑う。獰猛に。猛獣のように。

 残り6メートル、5メートル、4メートル。急速に、全速に一挙に近づいていく距離。

 仇の恐怖の顔をエネルギーに変え、力強く地面を踏みしめる。体を揺さぶるほど高鳴る心臓。歓喜に、喜楽に、割れるほど痛む頭。

 それらを全て力に変えて、体を移動。残り少ないその距離を、まさに彗星のごとく駆け抜けるため。

 視界の八割を占める目標の背に、届けとばかりに手を延ばす。

 残り3メートル、2メートル、1メートル。

 地を砕かんとばかりに体を蹴りだし、最後の限界を超えた加速を試みる。

 残り、0メートル。

 手が届く。

 目標の片割れ―おそらく男―に手が触れる。

 触れる!!

 彼は拒んだ方を思い切り引き寄せ、転倒させる。逆に彼はその勢いさえも利用し、二人の目前へ。そして手を広げる。

 「通せんぼだ。目標のお前ら2人はここで気絶してもらう。」

 通せんぼ。その意味のままに。

 目標の片割れ―おそらく女―がヒィッと悲鳴を上げる。不自然なほど呼吸を繰り返し、おかしいほど顔を蒼白にした目標が。

 もう一人の目標が、頭を抑えて体を起こす。

 そして目の前に立つ彼を見、後ずさる。

 しかし、彼は気付いていた。彼らの目には、まだ凶気が宿っていることに。

 バタバタバタバタッ! 

 と後行していた残存陰がやっと追いつく。そして手を広げる彼を見、即座に状況を理解し、先行していた彼の周りを取り囲むように動く。

 すなわち、目標二人を包囲するように。

 方位が終わったころを見計らい、彼は再び二人に言う。

 「チェックメイトだ。お前らは隊長の命令に従って捕獲させてもらう。お前たちに倒された仲間も待ってるぜ。」

 言いながら、彼は陣装を構える。出力を高めた近距離魔力放出陣装を、動体魔術で飛ばす陣装を。

 通常使われる近距離魔力放出陣装の出力を2.5倍ほどに上げ、失神と体損傷の狭間を狙った高出力。

 重さのせいで低速でしか飛ばないが、当たれば確実に相手を失神させることが出来る陣装。

 躊躇無くそれを目標に向け、魔術顕現スイッチに手をかける。

 「君たちは良く頑張った。が、『Almighty』を渡せば払う必要の無かった努力だ。さぁ、一眠りした後に『Almighty』を壊した報い、受けてもらおうか。」

 彼は、言った。

 目標は、動かなかった。

 そして。

 彼は魔術顕現スイッチを押し込んだ。

 弾となる超小型魔力放出陣装に魔力が循環し、バチバチと火花が鳴り、動体魔術陣に組み込まれた魔具が高速回転を始め、ギアがその回転を加速、伝道し、超小型魔力放出陣装の凸凹にギアの歯が填まり。

 カタパルトのように、空中へ投擲される。

 超小型魔力放出陣装は空を飛び、ジジッと音を立て。闇夜に小さな閃光が灯り。

 ドガッと。人が一人、倒れる音が深夜の盛りに悲しく響いた。


 信じられない。

 ジョージの心の内は、その思いで一杯だった。

 敵に比べて遥かに軽居であろうこちらの全速力に敵は追いついてきた。

 ダッダダッダッダッ

 という音に響き、後ろを振り返れば、そこには地獄が待っていた。

 喉が干上がり、更に早く走ろうとすれば、転地が逆転し、気付けば敵が目の前で何かを喋っていた。

 さらには、多くの足跡と共に多数の敵がやってきて取り囲まれる。

 理解できない。

 ニーナが立ち竦み、ジョージが地に伏しているこの状況が。

 取り囲まれ、銃を、陣装をこちらに向けられているこの現実が。

 「君たちは良く頑張った...」と語られているこの様子が。

 語っている男の手の、陣装を握る手に力が入る、この行動が。

 ジョージもニーナも惚けた様に、語っている男の手が魔術顕現スイッチを押す所を見た。

 そして

 目を瞑った。

 ウィン! ! 

 という音がし、何か重いものが空を飛んだ。

 一厘のときが過ぎ。

 ドガッと。何か、重たいものが倒れるような音がした。

 ジョージは目の前が暗くなった様な気がして。

 目を、開けた。

 そこで倒れていたのは。

――ニーナでも、ジョージでも無かった。

 先程まで陣装をこちらに向け、語っていた男だった。

 混乱が敵の中で広がった。口々に「訳が分らない」という旨の言葉を発していた。

 しかし、ジョージとニーナはその例外だった。倒れた男を見、理由が分ったのだ。

 蒼白に染まる顔、体。意味無く繰り返される呼吸。服の上からでも分る、心臓の動悸の激しさ。

 全て、二人が身を持って経験しているもの。

 即ち。

 腰から各々陣装を取り出し、残り八人に攻撃を仕掛けた。

 虚を疲れた一人を『風神跡道』で吹き飛ばし、もう一人にぶつける。

 『離槌』が次々に放たれ、敵の足を窪ませ、痛みのショックで気絶させる。

 こちらに向き直った四人へ、ジョージは球体を投げる。球体は空中で二倍ほどの、人の頭ほどの大きさへ巨大化し、四人へ襲い掛かる。驚破用陣装『突膨球体』。相手の意表を突くだけの陣装。

 目標の行動を注視していた四人は、連携も何も無くおろかにも一つの行動を選択してしまう。

 迎撃、という行動を。

 何時ものように、仲間との連携を確立している時ならば、球体には一人が対処に、残りは変わらず目標に視線を注げただろう。

 しかし。

 目標に止めを刺そうとしていた班長が突然倒れ、混乱しているとき、目標に向き直ったのは反射的なものだった。そんな、仲間の事すら頭に入っていない状況で、敵からの迎撃可能な攻撃が来れば、全員が全員同じ行動を取るのは必然。

 「あ…!!」

 誰かが声を上げるが、その時にはもうジョージもニーナも敵の懐に入っている。

 陰、最後の四人もあっさり沈黙した。


 結局の所、最後にジョージとニーナが勝てたのは、敵の不注意と準備不足だった。

 敵は、協力な離力を浴びていることに気付かずに行動し続けた。その結果、体力はどんどん削られていき、ジョージとニーナよりもよほど体力のある男たちは、対離力対策を施した二人よりも先に気を失った。倒れながら陣装を扱ったのだから当たる筈もない。

 葉擦れ音しかしない森の中、2人は立ち尽くしていた。

 少し経ち、ニーナの通信陣装に通信が入った。

 曰く、大規模離力発生陣装の停止と敵最後の一人、総指揮官の無力化が終了した。

 東の空が白み始めた。

 復讐の夜が明けた。

 2人は、涙を流しながら、手をつなぎ、何時までも朝日を眺めていた。

 「先生! ジャム取って! 」

 「ジョージ、自分で取れる所にあるわよ。」

 一日が過ぎた。

 あれから2人はニコルソンの小屋に戻ると、一日寝ていた。

 眼を覚ました二人は、まず一日寝ていたことに驚き、次に空腹を訴える腹を宥めた。

 そこにニコルソンが来てとりあえず一日ぶりの朝食となった。

 二人の瞳に、顔に、体に、凶気は無かった。復讐が終わったことで狂気も冷めたのだろう。

 「はい、ジョージ。」

 ニコルソンがジョージにジャムを渡す。ジョージはジャムの瓶を開け、パンに塗る。

 ニコルソンも、そのジャムをパンに塗り一口齧ってから言った。

 「さて、これからのことだけれども。」

 ジョージとニーナは顔を上げ、ニコルソンの顔をまじまじと見つめた。

 「君達はどうするんだい? 」

 そしてニコルソンは二人に問いかけた。

 それは、全壊した村の代わりに何所で生きていくつもりなのか、という質問だった。

 「「…」」

 ジョージとニーナは黙るしかなかった。元より、これから生きていくアテなど無いのだから。

 「もしアテが無いなら、私と一緒に住む、という手もあるんだが…」

 二人のそんな事情を理解していたように、ニコルソンは言う。

 しかし、二人はそれを考えていない訳ではなかった。考えたけった。とある理由で候補から外していたのだ。

 その理由は。

 「……、でもわたし達『Almighty』を先生に黙って壊しちゃったし…」

 ジョージも重ねて言い連ねる。

 しかし。

 そんな理由など、ニコルソンは聞いていなかった。

 「君達は、これから暮らしていく術を持っているのかい?」

 ニコルソンは、再び二人に聴く。

 しかし、2人は答えられる答えを持っていなかった。

 沈黙の仲、ニコルソンが口を開く。

 「馬鹿か! 君達は。アテが無いなら今、現実に泊めてくれている私を頼れ! 更に言うなら私には子供を守る義務があるんだ、君たちの遠慮なんて関係無しに! 君たちの親族がなくなった今、おそらく君たちの保護者は私になるんだ! 親と思って頼れ! 」

 その言葉を向けられた二人は、ポロポロと涙を落とした。

 ニコルソンの善意に、では無い。

 怒鳴られたことに、でも無い。

 今、はっきりと、意識的に、体感したのだ。承知したのだ。理解したのだ。

 ああ、ぼくの、わたしのお母さんは、お父さんは、友達は、死んだのだ。

 と。

 もう二度と、会えない。触れ合えない。声を聞けない。存在を感じることが出来ない。手助けを頼まれることも。料理を作ってくれることも。頭を撫でてくれる事も。良くやった,と誉めてくれることも。寝過ごしたときに起こしてくれることも易しく接してくれることも木の伐り方を教えてくれることも。

 父親から母親から。

 愛を感じることも。


 無い。絶対に。完全に。



 この世に、もう、実存しない。


 「ああ、あ、ああ……」

 「う、うううう…」

 2人は嗚咽を流した。

 あの時燃え尽きた村で、母を、冷たくなった母を見つけたとき、凶い考えが二人に取り付き、流した涙は冷たい涙だった。ショックと、復讐の、凍える液体だった。

 しかし、今流す涙は暖かさを持っていた。15歳の少年少女の、暖かい涙だった。悲しさと寂しさと心細さが流させた、本物の涙だった。叫びではなく、啜る声が聞こえるだけだった。瞳には凶い光ではなく涙が溜まっていた。

 決別の悲しみがもたらす、静かな、暖かな涙。2人は、それが何なのかはっきりと理解して、とめどなく涙を流しつづけた。

 カチリ。

 時計の長針が時を刻んだことを告げる。ジョージとニーナの嗚咽はいつの間にか止まっていた。

 「さて。わたしは君たちを養っていくことに決めたのだが。」

 それを合図にしたようにニコルソンが口を開く。が、ニーナがそれを押しとめた。

 「ま…待ってください。わたし達、『Almighty』を壊してしまったので…」

 「さっきも言っただろう。もし君達が『Almighty』を壊してしまったとしても、それは君たちを排斥する理由にはならないと。」

 「でも…、…もし?」

 ニーナが更に反論しようとするが、ニコルソンの言葉に違和感を覚え、口を止める。なおジョージは『Almighty』を壊したことにそこまで執着していなかった。

 「もしって、どういうことですか? 『Almighty』は壊れていないんですか?」

 ニーナが違和感の正体に気が付き、ニコルソンに慌てて聞く。

 「その通り。実は君たちが壊した『Almighty』は僕が一週間かけて本物そっくりに作ったレプリカだよ。あんな大事なもの、壊されたら堪らないからね。」

 そう。村が打ち壊されてから陰と闘ったあの夜までの間に、ニコルソンは外観だけでもと整えたレプリカを自身の研究のために作っていたのだ。

 それを来たニーナが、それほど話を真剣に聞いていなかったジョージが。

 「…………」

 「…………」

 絶句した。

 それほどの事なのだ。一週間で新しい魔具を作るということは。

 魔具は製作がとても難しい。既存の魔具ならもしかしたら可能かもしれないが、動作理論も配置部品も分らない魔具なら、たとえ現物が横にあっても一週間では終わらない。最速でも三週間かかるだろう。

 「じゃあ…」

 ポツリ。とニーナが呟いた。ジョージは驚いて目を横に向ける。

 「じゃあ、わたし達の心配はなんだったんですか! 」

 爆発した。ニーナにしては珍しく、誰がどう見ても怒り心頭に発していた。

 「わたし達、『Almighty』を壊したから先生に顔向けが出来ないと思っていたのに壊したのはレプリカで、しかもレプリカだとわたし達に知らせなかったんですか! おかしいですよね先生。普通伝えますよね! そしたらわたし達何の気兼ねも無く『Amighty』レプリカを壊せたじゃないですか! 」

 「い、いや…それはだね」

 ニコルソンが大慌てに慌てて反論しようとするが、壮絶なまでに怒っているニーナはそれを許さない。

 「そもそもなんで先生はそんな荒事したんですか? 常識的に考えて一週間では無理でしょう? 元からそんな計画があったのなら、わたし達に教えてください手伝いますから! 最初から『Almighty』を壊すところを相手に見せ付けて諦めさせる計画なら言ってくださいよ! それを計算に入れて相手を倒す算段をつけたのに…それから」

 「と、とにかく! 」

 驚いて固まっているジョージを横目に、ニコルソンはニーナのお小言もとい説教を止めるために声を張り上げた。

 「私は君達を養っていく事に決めたのだが、それに対する君達の問題はこれで無くなった訳だ。」

 まだ不満そうなニーナを目の端で捕らえながらニコルソンは言う。

 「じゃあ、これからずっとこの小屋で暮らすの? 」

 驚きから現実に復帰したジョージが、突然の質問。

 ニコルソンは首を横に振った。

 「いいや、それでは君たちが学校に行くこともできないし、食費も燃料も足りない。何しろここは元々一人しか住まない事を前提にして立てられたんだからな」

 「じゃあ、何所へ行くんですか? 近隣の村にでも引っ越すんですか? 」

 未だ不満そうな顔をするニーナの問いに、ニコルソンは満面の笑みを浮かべ、答えた。

 「そうさ。かの有名な――魔術都市、パリだ」

 二人の顔が丸くなった。


 ニコルソン・ドッピーニ。ジョージとニーナの住んでいた村の隣にある森に住む魔術師で、ジョージとニーナの先生。高レベルの魔術を使いこなし、日々新しい魔術開発に努めている。

 更に。ジョージとニーナの知らないことでは。

 魔術による水の分解に始めて成功し、魔粒子論の足がかりとした。

 その後も次々と魔術、陣装の開発に成功し魔術と既存の体術を組み合わせた戦闘技、『魔化体技(エクストラアーツ)』をも開発。『魔術都市最大の功労者』と呼ばれるも、二十年前、あっさりと魔術都市を離れる。それにより、魔術都市に住むもの殆どに憎まれている。


 パリ中央魔術学院中央玄関のすぐ外で、ニコルソンを取り囲む人たちを見て、ジョージは改めてその事実を認識した。

 「ニコルソン・ドッピーニ。お前よく俺たちの前に顔を出せたなぁ…! 」

 ニコルソンとジョージ、それにニーナを囲む沢山の人の内、正面に立っていた男が声を上げる。

 それは信頼を壊されたものの顔だった。

 それは安住を破られたものの顔だった。

 その憎ましげな視線を受け、しかしニコルソンは直前と同じ、普通の顔で表情を崩さず、言った。

 「顔を出せた、とはどういうことかな。私は移住や移動をいちいち君等に報告する義務など無かったと思うのだが」

 「テンメェ…! 」

 声をかけた男が歯軋り交じりに怒気を含んだ声を上げる。

 「そうじゃねぇよ! テメェは魔術都市最大の功労者と呼ばれ、魔化体技を開発、体系化することも成功したんだろう! ならそれを伝えるのがテメェの責任だろうがよ! その責任から逃げたテメェが、いまさら何故俺たちの目の前に顔を出したのかって聞いてんだよォ! 」

 が。

 「その責任は、私個人の権利を妨げるものではない。更に言えば、わたしが編み出した技術も、魔化体技も、一通り人に教えてからこの町を出たはずだが」

 その言葉さえ、ニコルソンの声によって打ち砕かれる。

更に、

 「それとも何か? 君。君は私は何所にも行かず、魔術の研究と指導のみをやっていれば良いと言うつもりなのかい? 他人のためのみに身を粉にして働けと? そんな事出来る訳無いじゃないか。私だって人間だ。こんなこと、少し考えれば分ることじゃないか。」

 「………」

 男を押し黙らせ、ニコルソンはそこへ追い討ちをかける。

 「結局、君の言っていることは他力本願でしかない。ただ、誰かが作ったものをさも当然のように享受しようとする姿勢しか見えない。自分が楽をして安定した生活を送ろうというキモチはわからないでもないが、それは人間として最悪だよ。」

 「……何が分る」

 ポツリと、男が呟いた。

 「テメェに、何が分る」

 もう一度、はっきりと。

 「生まれ持った才能だけでそこまで上って、それを簡単に捨てるようなテメェに、俺たちの何が分る。死ぬほど努力して、才能がある奴に届かそうと奮闘して、それでも届けなくて、半端者の烙印を押される。努力の苦難も、スゲェ奴が目の前にいてソレに届けない無力感も、失敗して弱った感覚も、死力を尽くした結果すら認められない絶望感も! テメェには分らないよなぁ! テメェらが簡単に上る階段の一段目にすら俺たちは到達出来てないんだ。その、そんな俺たちが感じるような完全なる劣等感、いや、敗北感なんてテメェには理解できねぇ。出来る訳ねぇ! だから俺たちがテメェらからおこぼれをもらうのは当然なんだよ! 」

 そして、男はニコルソンに向けてまくし立てた。

 恐らく、それこそ男がニコルソンを責め立てる理由なのだろう。意義なのだろう。

 しかし。

 しかし、ニコルソンは答える。口を開く。男の断定を覆す形で。

 「わかるよ」

 ただ一言。反駁する。

 「良く分る。」

 「………」

 男が絶句した。あっさりと自分の考えを否定され。

 「嘘をつけェ! 」

 そして男は絶叫した。

 「テメェらになんか分る訳無ぇんだよ! 技術を独占し、持って生まれた才能だけで世に出たテメェらにはなぁ! 」

 そして。

 それが引き金となったようにニコルソンを取り囲む人々が、一斉にニコルソンに殴りかかった。

 ジョージはやれやれ、と首をふり、腰の陣装に手を延ばした。


 話は一週間前に遡る。


 「そうさ、かの有名な――魔術都市、パリに」

 ニコルソンの言った言葉に、二人の顔は丸くなった。

 「パリですか!? 先生が卒業した魔術教育の最高峰。パリ中央魔術学院があるパリですか!」

 ニーナが突然叫び声を上げた。直前までの不満そうな顔はどこかへ行ってしまっている。ジョージは無言で口をパクパクさせている。

 「そうだ。明日の夜馬車で出かける。それまでに荷物をまとめるから、手伝ってくれるかい? 」

 「明日!? 先生、いつの間に隣町と連絡したんですか? 」

 ニコルソンの言葉に驚いたジョージがニコルソンに訊く。

 「一週間前。それから隣町じゃなくてパリに直接。この家からなら『遠方通信』を使った通信が出来るから」

 「超々遠距離でも通信で居る陣装でしたよね、それ。でも中継ポイントになる繋ぎ用の陣装が要るんじゃないんですか? 先生。」

 その返答を聞き、ニーナがニコルソンにまた聞く。しかし、ニコルソンが答える前にジョージにニコルソンに聞いた。

 「なんで先生はパリへの通信手段があるんですか? そもそもなんでこんな所に住んでいる先生がそんな技術を握ってるんですか?」

 ハッとした顔をしたニーナを一瞥し、ニコルソンは一言答えた。

 「魔術都市に住んでいたからさ」

 「………」

 「………」

 ジョージもニーナも明かに納得していなかったが。

 「さあ、朝食を食べて荷造りだ。早く食べて食べて」

 親権者としてのニコルソンの言葉に、おとなしく従った。


 翌日の夕方。

 三人は、家の前に木箱を並べ馬車を待っていた。

 荷造り自体はつつがなく終わり、特に大きな問題は起きていない。逆にいえば小さな問題は発生したのだが。ジョージとニーナはそれを「日常」として噛み締めながら対処した。この一週間以上ばかりだったので、久しぶりの日常を楽しみ、認め、戻ってくるために。あの異常を絶対に「日常」と認識させないがために。

 半刻ほど待つと、馬車が到着した。通ってきたのは半分獣道と化している道。ここの建物を作るとき、資材搬入路として使われていた道だ。今は、何年も放置され道とは言われないと分らないほどに荒れている。

 「よお! ニコルソン。久しぶりだなぁ! 五年ぶりか!? お?」

 一台につき馬二頭が引く馬車三台が続々と現れ、最後の馬車の中から降りた男からそんな声をかけられた。

 「ダービックか? お前が来たのか」

 「あったりめぇよ! お前からの依頼なら俺様が出なくてどうするよ! お? 」

 ニコルソンが当然反応し、談笑が始まる。残りに大の馬車に乗っていた男(御者)も降り、馬車の脇に待機していた。

 「変わらないなぁ、お前」

 「あったりめぇよ! 俺様が何か変わった事、一回でもあったかよ! お? 」

 「いや、初めて会ったときから変わらないな。年齢以外」

 「そりゃそうだ! いくら俺様でも老化は防げん訳よ! ハッハッハァ! …ヘッ! 」

 しばらく談笑した後、ダービックが二人の御者に指示を出して荷を積ませる。そして、

 「それでよニコルソン。こっちの可愛いお嬢さんと面構えの良い青年はどうしたんだよ。お?」

 ニコルソンにそう聞いた。

 ニコルソンはそっと二人に目配せし、答える。

 「隣の村が山賊か何かに襲われて全滅してな。2人人はその生き残りだ。魔術の才能がありそうだから連れて行くことにした」

 これが昨日三人で話し合い、決めた他人への事情説明だった。まさか馬鹿正直に「正体不明の魔術集団が現れ村人を皆殺しにしたから復讐しました」と言う訳にも行かない。仕方の無い事なのだが、

 「そうか……悪いこと訊いたな…」

 説明された人がこういう申し訳なさそうな行動を取ると後ろめたい。

 「そんな訳だから、あまり昔のことを訊かないでやってくれ」

 ニコルソンがデービックにそういい、紹介が終了した。

 「…じゃあ先に馬車に乗っててくれ。俺様たちはそこの荷物を積むからよ。お? 」

 デービックがその後の行動を支持し、馬車へ案内する。

 荷物は一刻にも満たないうちに全てつみ終え、がたごと塔G期始めた。

 道程は、殆どつつがなく消化された。


 四日後。

 「見えてきたぞ、ジョージ君とニーナ君。俺様の予定通りここからはパリが見える」

 デービックがうつらうつらとしていた二人に声をかけた。慌てて目を開き、デービックが指差す方向に目を向ける。

 「うわぁ…」

 「すごい…」

 そこには、もう闇になろうとする夜の暗さをものともせず、魔術の光に照らされる都市があった。四角柱の形の建物が並び、灯台のように四方へ光を振りまいている。昼にはただの建物にしか見えなかったのだが、夜になれば分かる。見渡す限り魔術に照らされる建物が広がり、故に他の都市と比べて活動時間が長い。魔術によって支えられた、魔術によって成り立つ魔術都市。その風景はジョージとニーナの心に刻まれた。


 一晩が明けた。ジョージとニーナが目を覚まし、辺りを見回す。

――そこには、見慣れたものと見慣れないものが混在していた。

 ある町の大通り、馬車が二台すれ違うことが容易に出来るほどの広さの道の両側にいくつもの店が並んでいる。

 果実を売っている店、野菜を売っている店、服を売っている店、雑貨を売っている店。

 魔具を売っている店、魔具製作機を売っている店、ガーパを売っている店、陣装を売っている店。

 更に奥に目を向ければ、子供が陣装片手に遊びまわり、大人は魔術研究所と書かれる施設へ歩く。

 少し目を凝らせば、至る所に陣装が使われている。

 魔術と共存し、共生する都市、パリ。

 石と鉄と魔術とが、この町を支える。

 馬車三台は、ジョージとニーナが目を覚ましてからもしばらくガタゴトと進んだ。

 進めば進むほど建物が段々と古風な綺麗なものになっていく。

 馬車はそんな建物の一角を曲がり、馬車一台通るのが限界という狭い路地を進む。

 馬車は路地を抜け、少し広い道と合流した所で止まった。

 そこにあったのは。

 北向きに建つ、小ぢんまりとした、汚くもなく綺麗でもない、普通の家だった。

 「わぉ…」

 「綺麗…」

 だが、地方の村出身であるジョージとニーナには、そう写らなかったようだ。

 「おいおい、こんな家ならこの町のどこにだってあるぞ? お?」

 「この家でそんなにまで驚くなら、パリ中央魔術楽員の建物を見たらショック死するかも知れないな。」

 ダービックとニコルソンが呆れたように言う。それでも目をキラキラさせたまま家を眺めている二人を見て、ニコルソンは溜息をついた。

 「よっし! 荷物をおろせ!」

 ダービックのその声で御者二人がそれぞれの馬車から荷物を降ろす。

 「ニコルソン、これで依頼は終わりだな? お?」

 「ああ、何フラン位だ? 手持ちが少ないから後払いになるかもしれないが。」

 「あーと…」

 ニコルソンはダービックがそんな事を離している間も、二人の視線はそこに注がれていた。

 少したち、二人の会話が終わってニコルソンがこちらに向き直った。

 「ジョージ、ニーナ。これからパリ中央魔術学院へ転入手続きへ行くよ。」

 そう言うニコルソンにニーナが、

 「えっ……。家はどうするんですか? 」

 と訊く。

 「大丈夫だ。ダービックの奴に全て任せてある。それより、もしかしたら転入試験があるかもしれない。道すがら思い出しておけよ。なに、大丈夫だ。馬車の中で復讐したことを覚えていれば合格できる。」

 後半は不安そうな顔をしたジョージとニーナに向けていった事なのだろうが、その手の言葉が安心感を覚えさせることは少ない。

 不安に押し潰されそうな表情をするジョージとニーナに、

 「まぁ…。頑張れ」

 ニコルソンはそう言って歩き出した。ジョージとニーナが慌ててその後を追った。


 パリ中央魔術学院へは歩いて十五分ほどの距離だった。ジョージとニーナの足だともう少しかかるかもしれない。

 パリ中央魔術学院は1808年のハンフリー・デーヒによる白色発光魔術の成功と共に元々貴族学校だった建物を改築して使われている。その後、魔術の発展には必ず一枚といわず三枚以上噛んでいるといわれるほどに目覚しい結果を上げている。

 つまり、何が言いたいかと言うと。

 建物が、もはや綺麗を突き抜けて華美、いや荘厳なのである。

 ニコルソンが連れて行った先程の家と、比較するのもおこがましいレベルだ。。

 「…………。…」

 「……。………。……」

 ジョージとニーナはすっかりその雰囲気に呑まれてしまっている。しかし、ニコルソンは一瞥すると軽やかな足取りで敷地内に入っていく。しかし数歩歩いて後ろを見やると、ジョージとニーナが動いていなかったため、彼等の意識を現実に戻させなければならなかった。

 敷地内の校庭さえ、入るのが躊躇われるほど煌びやかだった。一流という言葉では済まされない匠の庭師が、定期的に整備しているようだ。

 しかし、ジョージは既に気付いていた。ニーナは敷地内に入った瞬間理解した。二人はそれを見逃すことが出来るようになるほど、あの復讐から時間はたっていなかった。

 すなわち。

 憎しみ。恨み。怨嗟。嫉み。妬み。そう言った悪意が。

 こちらに向けられていることに。

 それは周りを歩く人間を見れば更に良く分った。

 にらむ者。目を背ける者。憎々しげにこちらを眺める者。無いものとして扱う者。

 害意が渦巻く中、ニコルソンは普段と変わらぬ歩調で歩く。

 そして多くの者が吸い込まれるように進んでいく中央玄関に足を踏み入れた。

 ニコルソンはその足で、勝手知ったるようにどこかへ向かう。

 止まったのは、大きな両開きの扉の前だった。この扉にも、恐ろしく精緻な紋様が刻まれている。

 扉の上のプレートには、「学園長室」と銘打たれていた。

 ジョージがごくり、と生唾を飲み込んだ。

 敷地内に入ってからの害意との遭遇で、不安、緊張は薄れていたのだが、いざこうして其れが目の前にあるとぶり返してくる。同じように、ニーナも緊張した顔で立っている。

 ニコルソンが扉をノックしようと手を上げ……

 唐突に扉が開いた。

 内開きのドアらしく、開いたドアの中央に誰かが立っている。

 ニコルソンがノックしようと振ったその手はその誰かに中央からあたり、

 「あふんっ! 」

 その人物の第一声を上げさせた。

 ジョージとニーナの目が点になり、硬直する間にその人物が再び口を開く。

 「あぁ~んニコちゃんお久しぶり~。ココに帰ってたなら早く言ってよ~ニコちゃんのためなら何部屋でも開けちゃうんだから~」

 その人物は黒のスーツを着ていた。しかし趣味の悪い黒と紫と黄のネクタイと8分丈のスーツ用ズボンから見える君の悪い茶とピンクのハイソックス。そして何よりは口調が、スーツの醸し出す真面目な空気を相殺して余りある…何というか、キモチ悪さを噴出させていた。

 ベタベタとニコルソンにくっつくその人物の首根っこを掴み、自分から離すニコルソンがジョージとニーナに紹介した。

 「…これがパリ中央魔術学院学院長、フレンディ・ハーネスだ。見ての通りの変態。念のためだが、こいつは男だ。」

 「紹介に預かりました、フレンディで~す。可愛い子達は大歓迎よ~。」

 ニコルソンに続けてフレンディと名乗る男が言う。

 「ジョ、ジョージ・ストニーです」

 「ニーナ・ブ・ブロイです」

 ジョージとニーナが慌てて自己紹介する。

 「ふぅ~ん。ジョージちゃんにニーナくんか…。可愛い名前だし顔も可愛いし、おっけ~!」

 フレンディが意味不明なことを呟くと、ニコルソンが口を開いた。

 「何がOKなのかは分らないが…。取りあえず、今日はこいつら二人をパリ中央魔術学院に転入させてくれるよう頼みに着たんだが」

 「ジョージちゃんとニーナクンのパンツくれるならいいよー! 」

 ニコルソンの言葉から一瞬すら開けずに即答するフレンディの首を絞めながら、ニコルソンは怒気をこめて言う。

 「真面目にやれ」

 「ぐふ…っ。わ、分ったわよ。筆記と実技のテストどちらかに合格したなら許可するわよ…。」

 フレンディは痙攣しながら答える。

 その答えを聞き手を離したニコルソン抱きつこうとしたフレンディは、ニコルソンに一睨みされて諦め、ズボンのポケットから中距離通信陣装を取り出してどこかと連絡を取る。何かの確認が取れたのか、うんうん頷きながら陣装の効力を切る。

 「筆記はF3教室。実技は第7中距離魔術戦闘訓練室で行うわよ~! レッツゴー!」

 フレンディの先導によって四人は学院長室を離れた。


 難しい問題と易しい問題とが入り混じった筆記テストが終わり、四人は第7中距離魔術戦闘訓練室へ移動していた。

 「テストは解けたか? 」

 未だに緊張しているジョージとニーナに、ニコルソンは訊く。

 「………。半分くらいはあってると思うけれど…」

 「出来た気がしない…。半分出来たかなぁ…」

 心配そうな声を出す二人。

 「まぁ、今は忘れろ。あの変態を倒すことだけをまず考える。」

 そんな気弱そうな二人をニコルソンは激励した。

 「もうそろそろいいかにゃ? 実技訓練を行いたいんだけどにゃ~? 」

 新たな属性を追加したフレンディがジョージとニーナに聞く。

 「ルールを説明するわょ~! 致死性がある攻撃は体技、魔術を問わず禁止にゃ! でもそれ以外は何でもありって言うことよ~! 殺さなければね~! 」

 フレンディはジョージとニーナの返答を待たずにルールを説明する。

 「わ、分りました」

 「り、了解です」

 二人が了承すると、三分の準備時間を与えられる。

 部屋の角で固まりニコルソンのアドバイスも受けながら陣装を整え、装備する。フレンディはそれをよだれを流しそうな顔で見ていた。

 そして。

 三分後、ジョージとニーナフレンディと対峙していた。フレンディが、「二人一緒にかかっておいで~!」と豪語したからだ。はじめは学院長と戦うことに戸惑っていた二人も、ニコルソンの「フレンディは『魔化体技』を一番初めに教えた奴だ」という言葉に戸惑いを捨て、全力で戦う覚悟を決めた。

 「ジョージちゃんとニーナくんは初めてらしいから優しくしてあげるね~! ニコちゃんは審判お願いにゃ~! 」

 フレンディがその言葉を言い終わると同時、ニコルソンが高らかに宣言する。

 「フレンディ流『魔化体技』師範、フレンディ・ハーネス対我流ジョージ・ストニー、ニーナ・ブロイ」

 戦闘の火蓋が、今、切られる。

 「演習戦闘。――始め! 」

 フレンディ・ハーネス。背中から足までを覆う大きな可動金属パーツを装着。前腕にもプロテクターあり。

 ジョージとニーナ。学院から借りた汎用戦闘服に身を包み幾つかの膨らみが見える。

 両者、合図と共に動く。

 動く! 

 ジョージは横に散開し、ニーナは弾の金属部分を抜いた『弾性発射』を構え。

 その間に、フレンディはニーナの懐に滑り込む。



――悠に、15メートル以上空いていた、その距離をつめて。



 「!?」

 慌てて『弾性発射』を横にし、ガードを行う。

 その上から。


――フレンディのプロテクターに包まれた右拳が突き刺さる。


 バチバヂッッ! と。フレンディの右拳から火花が散り。『弾性発射』の通体を通し、魔力が流れ込む。

 「がああああ…っ!」

 ニーナの両手が不自然に震え、『弾性発射』を取り落とす。

 「このっ!」

 ジョージが同じ『弾性発射』を放つも。


――その弾はフレンディを貫かない。


 何故なら。フレンディは既に5メートル後方に下がっているからだ。

 そう、これこそが。

 いくつにも、伝えるものの個性が入り混じり、分化した『魔化体技』の一つ。

 その、近距離では最強と呼ばれるフレンディ流の闘い方。

 圧倒的な速さで的の反撃を許さず接近し。

 逆転を不可能に。一撃で無力化する。

 今ニーナが倒れなかったのは、致死攻撃禁止という縛りがあったからに他ならない。 事実、ニーナの両手は暫く使い物にならない程に激しく痙攣している。

 フレンディはジョージに向き直り、三度目の高速移動を開始。

 ジョージはそれをて、後ろに下がる。

 だが無意味。フレンディ流と相対したものは必ず距離を取ろうとする。

 しかし、その行動速度よりも速く動けるのだから、その行動は意味を成さない。

 右の拳を構え、一直線に突き進む。

 ジョージは腹の前に何かを構え、

 お構い無しにフレンディの右拳が……


――突き刺さらない。


 暴風が吹き荒れ、フレンディとジョージの体を押し流したからだ。

 魔間機の蓄包を改造したものだからこそ、フレンディの知らない陣装。『風神跡路』をジョージはジャンプし空中にいるとき、顕現させた。

 人一人を軽々と吹き飛ばすその圧縮空気は、通常より遥かに重い装備をつけたフレンディを後方へと押し流し。

 空中にいるジョージを、反作用により吹き飛ばす。

 彼我の距離が再び開く。

 30メートルほどはあるだろうか。しかしフレンディは驚かない。戦闘中は驚くことを放棄している。

 そしてフレンディが取った行動は、

 愚直に、再び高速接近すること。近接最強のフレンディ流。裏を返せば近づかなければ勝機は見えない。

 ジョージが投げる『突膨球体』を巨大化する前に首を振って避け、一直線に進む。

 後方へ勢い良く流れる『突膨球体』を眺めながら、ジョージは目を凝らし、耳を澄ましフレンディに対抗する策を見つけようとし。

 そして、気付く。

 ヴぁァァァァァン! と、羽虫の立てる羽音を一千倍に大きくしたような音がしていることに。

 稼動金属パーツの複数箇所に穴が開いていることに。

 『突膨球体』が勢い良く流れるほど、強く何かが吹いていることに。

 (…空気を吸い込んで、噴射する反作用で高速移動しているのか…)

 ジョージはそう結論を下すと同時、再び『風神跡路』を顕現させ、距離をとろうとする。

 しかし、フレンディも二度同じ攻撃を喰らう者ではない。体を斜めにし、圧縮空気の流れを受け流す。反作用で開いた距離は20メートル。

 再び距離をつめるフレンディに、足元を狙い陣装を投げる。が、今度はフレンディが急減速し、その陣装は当たらない。

 しかし。

 フレンディは遅延発動術式が存在することを知らない。

 『遅延発動 1式』。魔術を外部反応によって顕現させる術式。それが組み込まれた近距離魔力放出陣装、『魔導機雷』。不用意に踏んだものに魔力を流し、行動力を奪う陣装を、そうとは知らず破壊しようとフレンディは踏み抜く! 

 バヂィッッッ! 

 と。火花が狂い咲き、フレンディの装着する金属パーツを足がかりに、フレンディの全身に魔力が流れる。

 高速移動が、止まる。

 静寂が訪れる。

 戦いは終わった。


――と思われた、その瞬間。


 ヴぁァァァァァァン!!

 と、千の、万の羽音が鳴り響く。

 「な!?」

 ジョージが驚き叫ぶがもう襲い。

 プロテクターに包まれたフレンディの右拳が、胴を守るようにまわされた左腕に突き刺さる。

 「ぎゃ、あああああああ! ! 」

 ジョージが悲鳴を上げ、崩れ落ちようとする。

 しかし、ジョージの目は死んでいない。闘志が湧き出てくる、青少年特有の負けん気が崩れ行く体を押しとどめ、なおも闘わせようとする。

 フレンディはニヤリと笑う。勘違いの愚かさに。ジョージの闘志の熱さに。

 フレンディが着る可動金属パーツは、吸い込んだ空気を高速射出、反作用によって加速し、装着者の動きをブーストする『背足強化(ウォークアクセル)』という陣装である。

 しかし、用途は強化に限らない。限りなく力を抜き、『背足強化』の動きに身を任せれば、『背足強化』だけの力で動くことが出来る。

 そう、今のように。今の場合は自分の意思と関係無しに力が抜けたため、この動作に最適の状態になってしまっていたのだ。

 つまり、フレンディの動きを止めるには、体と陣装、その両方を止めなければならない。フレンディは似たような動きを行う上半身の陣装を着ていないので、『背足強化』さえ無力化できればフレンディ自体を止めることが出来る。重い鎧は動かせない者にとって枷になるのだから。

 フレンディは再び右拳を振り上げ、攻撃を加えようとする。『背足強化』がわずかに後ろへ下がり、足を中心の円弧を描くように大人の体重を全て篭めた防御を許さぬ攻撃を放とうと…

 ガッ

 と。『背足強化』が下がる予定の距離を半分も下がらず停止した。

 「!?」

 フレンディがこの試合初めて慌てる。このままではジョージに拳が届いても生半可なものになってしまう。

 だがもう遅い。ジョージが放つ拳が、この演習戦闘初めてのフレンディへの当たり攻撃と…。

 ズンッ! 

 体重が乗らない分、腕の筋肉を使って加速させたフレンディの右拳が、ジョージの右前腕に当たり狙いをそらす。更にその反動を使い、フレンディは体勢を直立状態に戻す。

 なぜ『背足強化』が停止したのか。

 それは、『背足強化』に開いている複数の噴出口、そこに何かが詰まったのだ。

 いや、何かではない。ジョージが悪戯のために作った『誘倒膨球』だ。『突膨球体』の縮小版とも呼べる、直径3センチの球体が約1,67倍に大きくなる陣装。足元に撒いて転倒を誘うというその使用法上、大量に用意されていた陣装。

 訂正しよう。

 負けん気は青少年の特有。専売ではない。

 成し遂げようとする人間に、男も女も関係なく現れるものだ。

 ニーナが震える手で大雑把に握り出し、そして震えのない足で蹴って『背足強化』の背面側の穴に入れたのだ。

 穴の中で膨張した『誘倒膨球』は、壁の穴とがっしりかみ合い、ちょっとやそっとでは外れない。

 至近距離というフレンディ流の土俵といえる場所で行動不能となってしまったフレンディ。しかし、フレンディはそれを確認すると、胸の前で両腕をクロスさせ、防御姿勢を取る。

 魔力が流れていることを、食らって学んでいるジョージが攻めあぐねている間に、『背足強化』が動き出す。

 ヴぁアアアアアアアアアアアアアアンッッ! 

 と、先までが耳を澄ますと聞こえてくる音ならば、こちらは普通に聞いているだけで耳が痛くなる音。

 理由は分らなくとも、高速移動が止まっていることを理解しているジョージが警戒し。

 バァンッ! 

 凶悪な音と共に、穴に詰まっていた『誘倒膨球』が吹き飛ぶ。『背足強化』の穴は、吸気孔と噴気孔をかねており、万が一詰まっても噴射すれば問題ないようにしてあるのだ。穴の形が、外に広がるよう円錐型になっており、外から中への移動は難しくとも、中から外の移動は容易になるよう設計されている。

 これまでの高速移動とは一線を画する移動速度の肩当にジョージが倒れ、ニーナが再び右拳を喰らいその魔力に屈する。

 沈み行く意識に、「そこまで! 」というニコルソンの声が届いた。


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