戦乙女の鼓笛銃姫兵 第三話
黒龍の戦乙女
戦術は時代とともに常に変化する。
古代にまで遡れば、三大陸の内、北東大陸ユンガルの西半分以上、中央大陸アジラルの北半分以上を領土として超大国があった。
神聖ブロミオン帝国。
統率された精強な重装歩兵を数多く揃え、堅固な防御力と多彩な連携を武器に、無敵の強さを誇った。
だが、その最強軍団も軽騎兵による機動戦の前には苦戦し、帝国の崩壊とともに衰退していく。
軽騎兵を活かして新たな時代の覇者となったのが騎馬民族のティグライ帝国であった。
ユンガル大陸を中心に猛威を振るい、世界統一すら夢ではないかと思われた第二の超大国も、旧ブロミオンの流れを組むアジラル諸国が重装騎兵をそろえるようになると、覇者の玉座から引きずり降ろされた。
単体の戦闘力では最強の重装騎兵は、あらゆる兵科を蹂躙する決戦兵器であった。
重装騎兵の時代が続く中で、その対抗策も着実に練られて行った。
そしてそれは先祖返り的にブロミオンの重装歩兵と同じ発想になっていく。
長大なパイク槍と盾を持ち、密集した隊列によって動く要塞となる方陣テルシオ戦術。
大砲、小銃と火器の発明により攻撃力も兼ね備えたテルシオはたちまち世界を席巻した。
それはまさに戦術革命であった。
五賢臣が一人であるかつての大元帥ポルフィリー・ザイツェフの軍事的成功も、軍事革命によってテルシオをヴェルワスクに取り入れたためである。
1703年現在、テルシオは帝国内において最新最強の主力戦術であった。
※※※
ヴェルフェリオは何も新しいことはしていなかった。
ただ騎馬の突撃に有効なテルシオ戦術を用いたにすぎない。
テルシオの長所を分析し、一度解体し、組み立て直しての応用であった。
騎兵の突撃を防ぐ柵、長槍とマスケットによる直接刃を交えぬ中距離からの攻撃。
突撃の威力を殺して足を止めてしまえば、守勢に回った騎兵ほど脆いものはないのだ。
同時に、相手の心理を誘導したことが有利に戦いを進めている要因であった。
兵は死地によって初めて生きる、とは兵法書の格言である。
死地に陥った兵士は生き残るために全力で戦い、傷つくことを恐れず、体力・知力・気力、全てを使って生きのびようとする。
これはつまりは反語である。
兵士というものは全力でなかなか戦わない。傷つくことを恐れ、余力を残し、頭も使わず、適当に戦おうとするものなのだ。
勝ち戦ではそれが顕著になるために、勝勢にありながら寡兵に手痛い反撃を喰らった例がいくつもある。
今回も同様であった。
少女だけのお飾り部隊が250人。籠って戦うのは堀も土塁も中途半端で騎兵が突撃できる平坦な箇所がいくつも残る不完全な陣地。
圧倒的に数でも上回っているカザークがどうしてこれを警戒し、策を練るだろうか。
そしてそうやって楽な相手だと一度は油断した部隊が、思いも描けぬ反撃を受けて損害を出した時、どうなるか。
命を惜しんで怯むのだ。逃げ出すまでにはいかないが、攻撃に及び腰となって受け身になる。
ヴェルフェリオはそれを狙った。
戦いの主導権は完全に銃姫兵達にある。
だが、まだ数で相手は上回る。斬り込んだアクセリナ隊は奮戦しているが、いずれ飲みこまれ揉み潰されるだろう。
アルティ隊が遊撃的に矢を射かけ、アクセリナ隊へ攻撃しようとする動きを牽制しているが時間の問題だ。
「つまり、ここでもう一押し、というわけね」
「その通り。なので今からアーシェ直々に出陣してほしい」
櫓に昇ってきたアナスタシアと二人きり。ここなら誰にも会話は聞かれることはない。皇女を愛称で呼ぶ無礼も咎められることはない。
「もちろんヴィーチャもついてきてくるのよね」
「ああ。アーシェのことは絶対に僕が守るから」
ヴェルフェリオとアナスタシアには、単なる顔見知りの親密さとは異なる絆がある。それは同じ秘密と悲願を抱えた者同士の鉄鎖にも似たつながり。
どちらからともなく手を握りあう。ほんのわずかな時間、互いの温もりを確かめ合った。
それで充分だった。
「私は臆病なのよ、ヴィーチャ。あなたがいなければ、今までも、そしてこれからも戦えないわ」
「大丈夫だよ、アーシェ。この戦いは絶対に勝つ。キュエルのほうも準備はできてる。僕らがするのはほんの火遊びだけさ」
軽い口調で嘯いて、二人は櫓から降りる。下で待っていたタチアナが澄ました顔で聞いてきた。
「逢引の時間は終わりましたかしら? 皇女殿下もいい趣味ですこと」
「本当に逢引ならよかったけれども。こんなところでは盛り上がるものも盛り上がらないわ」
タチアナの嫌味を軽く受け流すアナスタシアだったが、ヴェルフェリオの方はそうはいかない。
怜悧な瞳を向けられて言葉に窮し、こそこそと馬に跨る。
「知人にあなたによく似た方がいましてね。そうやってお逃げなるのが上手でしたわ」
「逃げてるわけではありませんよ、タチアナ様。今から出陣しようとしているだけです」
「私としては逃げる程度に腰抜けのほうがいいのですけども。進むことで誰かを巻きこむような方は特に」
意味ありげな言葉を交わしながら、タチアナも騎乗し、アナスタシアと共に陣内に残っていた隊員たちが集う。
アルティが弓、アクセリナがサーベルとすればアナスタシアの隊はマスケットであった。
先行する隊員たちが突撃前に放置した250丁の小銃を50人が持ち、アクセリナを完全に包囲しようとするカザーク達へと突っ込む。
弾はすでに込めてある。敵はアクセリナに気を取られてこちらに無警戒だ。
奇襲はたった50名。しかし装填済みの250丁の小銃が驚異的な火力を持つ。
「総員構えーっ! 撃てぇっ!」
アナスタシアの号令の元、最初の50発がカザーク達に襲い掛かる。続けて、第二射。三射。四射。
五射目を撃ち終えると、アクセリナを囲んでいたカザーク達はほぼ壊滅状態になっていた。
火器の威力は如何にその射線を集中・連続させるかで決まる。
通常あり得ない前進しながらの五連撃に、
「よしっ! そのまま抜剣し突撃っ!」
アナスタシア自ら先頭に立ち、サーベル突撃を敢行する。
その勢いに押されてカザーク達は下がりだす。
まだ死地ではないからだ。本来なら勝てる戦いだからだ。後方にはまだ歩兵部隊が残っている。
だから生き残ろうとする。目の前で部隊の3分の1が壊滅して、士気が萎えたのもある。
ろくな抵抗も示さず、カザーク騎兵は退却していった。
いや、まだ戦略的後退の部類だろう。再び戦うために歩兵と合流しようとしているのだから。
「だが、それも無駄なんだよ。何もかも君らは僕の思い通りにしか動いていないのだから」
ヴェルフェリオは無意識的に嗤った。それは自らの異のままに他者が動くことへの全能感故か、あるいはそこから生じる惨劇の喜悦か。
彼自身は自覚はしていない暗い感情が浸み出すのを抑えることはできなかった。
「さぁ、キュエル。フィナーレは君だ。最高のアリアを聞かせてくれよ」
※※※
キュエルはあまり一人が好きではなかった。
孤独に耐えることはできるけれども、耐えられることと好む好まないの問題は別だった。
「主様、キュエルはひとりぼっちは寂しいです」
ヴェルフェリオ達のいた陣地から離れた場所で待機中のキュエルは、その場にしゃがみ込んで周囲の草葉を適当にちぎって編みはじめた。
ひらひらとした飾り布の多い服を着ているために、今のキュエルは野原に遊びに来たただの幼い少女にしか見えない。
遙か向こうでは今頃激しい戦闘が繰り広げられているのだろうが、彼女の周りの空間は穏やかであった。
そうこうしている内に、いつの間にか籠ができていた。
今は特に入れるものがないので使いどころがないが、後で持って帰っておけばに何かにはなるだろう。
「主様に渡してもいいし、主様がいらないならイーネスさんでもいいかな」
隊員の中でも一際素朴で家庭的な雰囲気のイーネスを、キュエルは特に気に入って懐いている。
闘争的でない普通の女の子らしい彼女は、キュエルにとってとても親しみを覚え安心できる存在だ。
「イーネスさん、大丈夫でしょうか? 怪我とかしていないでしょうか?」
立ちあがって陣地の方に目を凝らすと、こちらに向かってくるカザーク騎兵達が見えた。
キュエルがいるのはカザークの歩兵達と騎兵の間の平地だ。
逃げ帰ってくる騎兵隊を待ち伏せするようにヴェルフェリオから言われている。
「主様の策は成功したみたいですね。だったら、ここからキュエルの頑張りどころです」
草籠を手から放すとキュエルの影の上に落ちる。地面に当たるはずの籠はまるで沼地にでも飲みこまれたかのように黒い闇に沈んでいった。
それと同時に、キュエルの背丈よりも巨大な剣が浮かびあがる。その規格外の大きさから想定されるような重さなどまったく感じぬ動きで、キュエルは大剣を手に取った。
更に影が波打ち、キュエルのゴシックドレスの上に簡易な装甲が着装された。
続けて屈強な兵士の姿をした影の塊が一つ、一つと這いずり出て、やがて一帯を埋め尽くすほどに大量に生みだされた。
その数なんと500。全員が軽装ながらも鎧を身に着けており、キュエルと同じ大剣を持っている。
黒龍の戦乙女が生みし影の兵士達。
突如として出現した軍勢に、先頭をゆくカザークが驚愕に目を見開いた。
「な、なんだこいつらはっ!? いつの間にこんな軍勢が――うわっ! ぎゃあああああっ!」
小さく華奢な身体のどこにそれほどの力があるのか、先頭の騎兵をキュエルは馬ごと容易く両断する。左右に分かれていく人馬はまるで扉のようで、鮮血を絨毯として戦乙女は騎兵達の中へと躍り出る。
すれ違い様に右側にいたカザークの左肩を斬り落とし、そのまま勢いをつけて左側のカザークの右わき腹を抉り裂く。
片足でくるりと回転するとフリル満載のスカートの裾がふわりと広がる。まるで本当に踊りに来たかのように足取りは軽く、扇を翻すが如く華麗に大剣が舞う。
一振りで首が二つ、三つと飛び、一踏みで三騎、四騎と斬り倒される。
「ま、まさかこのガキが帝国に現れたという戦乙女かっ! まるで化け物じゃないか」
キュエルの想像を絶する強さに大混乱に陥った騎兵達は、右往左往して進むも退くもままならず、いたずらに犠牲を重ねるだけであった。
たった一人の少女が勇猛を謳われたカザークを蹂躙していく。
正面から向かってくる相手の頭蓋を切り飛ばした。
側面より切りかかってきた者は軽く躱してその勢いのまま首を刎ねた。
怯えた馬を抑えようとする不運な兵士の喉を鋭い切っ先で抉り取った。
逃げ出す臆病者の背にたやすく追いついて袈裟懸けに斬り捨てた。
背後から狙う卑怯者は振り返りもせずに肩から腕を斬り飛ばした。
馬をやられて落馬した戦士の心臓を貫いて楽にしてやった。
胸甲を着て突撃してきた勇者のあばらを鎧の上から根こそぎ砕いた。
弓の名手がいたので面倒になる前に距離を詰めて両の前腕を落とした。
命知らずにもまだ向かってくる相手の腹を裂いて倒れるに任せた。
時には大剣の重さを利用して馬上の敵を潰した。
時には大剣で長槍を絡めとるようにして投げ捨ててると、暴れる馬の踏むままにした。
馬の下から垂直に斬りあげて馬上の兵士の脳天までを真っ二つに断った。
警戒して周囲を取り囲む連中の前でぐるりと回転し馬首ごと大剣で撫で斬った。
剣を合わせるまでもなく一太刀で絶命させていく。
剣を合わせてもそのまま相手の得物を砕いて屠る。
それはさながら人間の形をした残虐なる黒い暴風で、さきほどまで長閑な草遊びに興じていた少女とは到底信じられない光景であった。
そしてそのキュエルと同等の圧倒的な戦闘力を影の兵士たちも有していた。
文字通りの一騎当千の戦略兵器とでもいうべき暴威が500名である。
天災にも似た一方的な殺戮が繰り広げられた。
一瞬にも満たない時間で。勇猛なるカザーク騎兵は全て人間だった肉塊へと処理されていく。
全てを討ち果たした後、ようやく大剣の切っ先を下げたキュエルのゴシックドレスには、驚くべきことに返り血の一滴もついていなかった。
次元の全く異なる驚異的な剣技。そして影より様々なものを生みだす異能。
黒龍の戦乙女の人智を超える力の一端であった。
「これで全部、ですね。主様の言いつけ通り、キュエルは全部やっつけました、はい」
ここにはいないヴェルフェリオへ独り言での報告をすると、まるで飴細工が熱に溶けていくかのように剣も鎧も兵士も形を失っていく。
全て元の不定形の塊に戻ると、ずるりずるりと影の中へと戻っていく。
代わりに泉を探るかのようにキュエルが影の中へ手を入れると、先ほど作っていた草籠が現れる。
先ほどの悪鬼羅刹ごとき戦いぶりはかき消えて、戦乙女はまた可憐な幼女の雰囲気へと戻った。
「殺してしまってごめんなさい。キュエルは殺すことでしか、主様のお役に立てないので。どうか魂だけでも安らかに」
自らが殺したカザーク騎兵の死体が埋め尽くしている草原を、少しだけ振り返ると目を閉じて悼む。
戦争は終わった。いともたやすく速やかに。
後方の歩兵隊のことは考えなくていい。
ヴェルフェリオはそう言った。全ての細工はしてあると。
戦場の外で何もかもが終わっているのだ。
カザークの歩兵達の側からこちらへ必死になって駆けてくる伝令があった。
「おい、そこの娘。こんなとこで何してる。もうすぐここは戦場になるんだ。危ないからどこかへ逃げ――ひぃっ!?」
全滅した騎兵隊の死体を見た伝令はたまらず悲鳴をあげる。
少しは隠すべきであったか。きちんと埋葬する時間はなかったので影の中に飲みこませてしまうなど、やりようはあったかもしれない。
「あの、伝令さんは向こうのカザークさんたちのとこから来たんですよね」
「あ、ああ。そうだが」
カザークの伝令は蒼白になりながら、キュエルの問いに答えた。先ほどこちらに逃げる様に指示するなど悪い人ではないのであろう。
こちらへの害意は最初から持っていなようであり、また、今仲間の凄惨な死体を目の当たりにして闘志も萎えているようだ。
殺さなくてもすむのであれば、これに越したことはない。
「でしたら、向こうの方たちに主様――じゃなかった、アナスタシア皇女殿下からの御言葉を伝えます」
中央諸国の令嬢がするように、スカートの裾を掴み恭しく頭を垂れる。
カザークたちの死骸の中心にいながら、まるで宮廷の舞踏会のように小さな少女が可憐な所作で振る舞う光景は、非現実的な悪夢さながらで、伝令はただただ呆気にとられて無言であった。
「えーと、『ウルタイ・カザークによってバタルスカヤはもう陥落しました。そろそろその報せが届く頃でしょう。ウルタイはその勢いで今はグリヴァを攻撃中です。シャフロスコエも親帝国派の内通者によって集落が占拠されていますでしょうね。我々は騎兵を撃退した後は追撃いたしませんので、皆様ご自分の集落に戻られることをお勧めします』とのことでした」
そう。本当の戦場はここではなかった。
帝国軍という囮で三つのカザークを引きずりだし、防備の薄くなった各集落を別のカザークに襲わせる。南部の水運事業の利権をめぐる対立を利用して、ウルタイ・カザークに南部カザークの集落を襲わせたのだ。
ウルタイ・カザークはアナスタシアの母親の出身であり、ティグライ帝国の流れを組む騎馬民族である。20年ほど前に帝国に臣従し、娘を側室として差し出す代わりに高度な自治を与えられた親帝国カザークの筆頭だ。
彼らの勢力拡大という実利に一族出身のアナスタシアのためという建前を与えれば、動かすのは容易かった。
アナスタシアの銃姫兵はそもそもが囮であった。勝敗すら重要ではない。この局地戦での殺戮は、勝てるから勝っただけのことにすぎない。
より大きな規模での戦略をヴェルフェリオは描き、それこそあまたの演奏者を束ねる指揮者の如くに完璧に操ってみせた。
「……了解いたしました。伝えましょう」
それだけを絞りだして、伝令はすぐさま本陣へと戻っていく。得体の知れないものと出くわした恐怖を顔に張り付けて、巨大な獣から逃げる鼠のように無様に弱々しくかけていく。
深々と頭を下げてその後姿を見送った後、キュエルは
「お墓、作りましょうか」
と、小さく呟いた。
影から再び屈強な兵士たちを生みだして、キュエルは遺体を埋葬するための穴を掘り始めた。
戦乙女の自分は人を殺すことしかできない。己の主を流血の運命に導くことしかできない。
それはしかたのないことなのだろうか。逃れられないことなのだろうか。
静かな秋の平原で、影の兵士が土を掘り返す音だけが聞こえる。
いつか血の臭いは風に消え、肉も骨も土に帰るだろう。
そして彼らの存在も、ここであった戦いもいつか忘れ去られるのだ。
これは大きな歴史の流れの中の、ほんの小さな砂粒ほどの出来事。
ただ悠久の時を生きる戦乙女だけが、いつまでも憶えつづけている。




