戦乙女の鼓笛銃姫兵 プロローグ
三英傑の前夜
正暦1707年、スクラハブの地にて三人の若き英傑が同じ月を見た。
タウロスのドルゴン・ガラクは戯れに弓をつがえて狙いをつけた。長大な体躯には力も意も満ち満ちて、今ならばあの天空をも射抜けると、獣の如くぎらついた目で笑った。
その傍らで屍の戦乙女アルケーが、明日に流れる大量の血を思い、子供のように戯れ笑った。
天に輝く月は彼らにとっては獲物にすらなり得た。
セルティアのルクレツィオ・サルヴァトーランジェロ・エピファーニオは、月光を浴びながら己を天空の主に重ねていた。他の星をかき消して煌々と照る満月は、才も血筋も人も権勢も運も手にいれた己と同じに見えた。
その傍らで月麗の戦乙女アイレンは、彼に傅いて夢見るように陶然としていた。
美しき月夜は彼らのものであった。
サンタン=ヴェルワスクのヴェルフェリオ・ツベルビューラは、フルートを吹きながら月明かりに照らされた草花を見ていた。今はただ戦のことも、若き身に背負った幾多の重荷も忘れ、冬を乗り超えた逞しき命に即興の夜想曲を奏でた。
その傍らで黒龍の戦乙女キュエルも、オーボエで彼に合わせながら、静かで穏やかな時間に目を閉じた。
月と星だけを観客に彼らは二人だけの楽団であった。
旧き大陸が生まれ変わろうとしていた。
長く凍てつく冬のごとき中世を経て、荒涼たる大地に近世と言う名の春の芽吹きが訪れようとしていた。
長年にわたり降り積もった雪はすなわち封建貴族であり、あるいは細分化された部族であり、そして独立の気風の強い自治都市であった。
己が何者であるかは血筋か土地か、人の身で抗えぬものによって決められ、因習という名の凍土によって覆われていた。
季節が移り変わるようにその雪を溶かす陽が射そうとしている。
産業の発達、中間層の増大、何よりも若き才能。
時代がもたらす大きなうねりが永遠に思われた停滞を推し流し、世は変化していく。
しかしながら北の地の春は泥濘の季節でもある。人々はぬかるみに足を取られ、不格好に泥まみれで歩かざるを得ない。
冬に歩けば足は凍え、春になれば靴は汚れる。それは必然であり、人の身では避けることのできぬ道理。
この物語は歴史の変わり目に生を受けた三人の英雄の物語である。
草原の遊牧国家であるタウロスを、その武威によって強国に押し上げたドルゴン。
海洋貿易で栄える都市国家であるセルティア自由都市同盟にて、陰謀術数を繰り広げ総統の地位についたルクレツィオ。
そして、広大な領土を抱えながら皇帝と貴族の争いで斜陽に向かいつつあるサンタン=ヴェルワスク帝国。この国を立て直さんとヴェルフェリオ・ツベルビューラは奔走する。
彼らが駆け抜けた先にどのような時代が待つのか、それは誰にもわからない。
流血と策謀と裏切りの果てに彼らが手にするのは、燦然と輝く栄光の玉座か、それとも朽ち果てた負け犬の墓標か。
冬の終わりの夜明け前。
月は白く、雲は無し。
三カ国の命運はこの一戦に託された。




