俺と師匠の極太呪文
──テクシル村の者どもに告げる! 速やかに我が要求に応えよ!!
山あいの村を十重二十重に取り囲む、武装した男たち。声の主はその包囲の輪から少し離れたところに、威圧的なポーズで立っていた。
禍々しい意匠の施された黒い魔道甲冑に身を包む、燃えるような赤毛の美少女。その右手の杖がわずかに動き、夕陽を直線に引き伸ばしたようなまばゆい光の矢が先端から放たれた。
シュッ……ドォオオン!!
一瞬遅れて響く破裂音。そして巻き起こる、もうもうたる土煙。牧草を貯蔵するために作られたレンガ造りの塔が跡形もなく消え失せ、物陰に隠れた村人たちの間から押し殺した悲鳴があがった。
俺は──グレン・コーブランドは共有地の崩れた石垣の陰に身をひそめ、滅亡一歩手前の村を見守っていた。
魔法の修業を放り出して師匠と二人、故郷に戻ってきたら村が軍隊に包囲されていました──一言で言えばそういう状況だ。
……どうすりゃいいのだ。
──今のはほんの小手調べだ、だが力の差は十分理解できただろう? さあ、おとなしく大魔導士ナム・アルディンを引き渡せ!
(あー。やっぱり奴の目的は私か……面倒なことになったな)
俺のすぐ耳元で、師匠が呟いた。たった今あの赤毛の女魔導士が名前を口にした、まさに本人だ。
「なあ師匠。このままじゃみんな殺されっちまうぜ」
(そうは言ってもなあ。引き渡せといわれてもこの状態ではどうにもならんし、お前がのこのこ出て行ってもかえって話がこじれるだけだろう)
「そりゃそうだけど……」
──奴がこの村に養われていることは調べがついている。おとなしく言うとおりにしろ!! そうすればお前たちの命は保証すると言っているのだぞ!!
赤毛の美女は畳みかけるように脅し文句をわめいている。
(あー。命を保証するとは言っておるが、命以外はどうなるか分かったもんじゃないわな。あの兵士どもの盾に書かれた紋章を見てみぃ……あれは悪名高いゾランの傭兵団だ。このままの流れだとこの村の娘たちは、明日にでも根こそぎ都の娼館に押し込まれることだろうて)
「……冗談じゃねえよ!!」
(あっ、バカ)
思わず大声をあげながらはじかれた様に身を起してしまう。あっ、と思ったその瞬間、こちらを振り向いた女魔導士と視線が合った。
「何奴ッ!?」
その右腕が杖とともに振り上げられる。
(やべえ、死ぬっ!!)
対抗魔法の準備はしてないし、そもそもああいう単純な攻撃魔法は威力が低い分発動が速く、ほぼ防ぎようがない。
だが、その瞬間は訪れなかった。
瞬き一つを境に目の前の光景は一変。
図体の大きな傭兵が女魔導士のをかばうように棒立ちになっていた。喉元からほぼ水平に生えているのは黒く塗られた細長い棒──狩猟用の矢。
村の方向に視線を向けると、くしゃくしゃにもつれた金髪の娘が防柵の上に半身を出して、弓に次の矢をつがえていた。あれは多分、幼馴染の弓使いだ。
「アステル!? バカっ、引っ込んでろ!!」
思わず怒鳴ってしまった。俺を助けようとしてくれたのに違いない──だが、これで状況はさらに悪くなった。赤毛の女魔導士はアステルに向かって杖を向けながら、険しい表情で周囲の傭兵たちに指示を飛ばしている。
「……待て、矢は引き抜くな! 鏃に返しがあるかもしれん。そいつは後送して手当てしてやれ……おい、そこの弓使い。油断していたとはいえよくもこんな。死ぬほど後悔させてやるぞ……!」
膨れ上がる殺気と威圧感。アステルがびくっと身を震わせて一歩後ろに後ずさった。
まずい。いくら気丈でも、彼女はしょせん小動物相手の狩人どまり。戦場で軍隊を相手取るような上位の魔導士たちとは踏んだ場数がちがう。
女魔導士は地面に杖を突き立て、立て続けに短い音節の聞き取りにくい言葉を叫んだ。それにつれて足元から光が紡がれ、それは複雑に絡み合った魔法陣を構成していく。
俺にもわかる。あれはこれまで見たこともないほど高度なものだ。組み上がって発動されれば、この村一帯は燃え盛る火炎地獄かあるいは生と死の秩序が逆転した亡者ひしめく地上の冥府か。いずれにしてもひどいことになる──
(うむ、広範囲の高熱火炎魔法を準備して居るようじゃな。最近はああいう形式の陣が流行りか……いやはや、ひどいもんじゃ。非効率的というか根本を忘れたというか)
耳元で師匠がそういった。ひどくうんざりした調子で、ため息交じりだ。ただし、その様子がわかるのは、俺だけ。
「とにかく出るぜ……ここで出なきゃ何のために修行したんだかわからない」
(よし! バカ弟子よ、やつらに修行の成果を見せてやれ! わしもこっそり手伝ってやるぞ)
いちいち物言いがひっかる。だがとにかく俺(と師匠)は石垣の陰からとびだし、敵の眼前に全身をさらして叫んだ。
「やめろ! 村を焼いても無駄だ、師匠は──ナム・アルディンは死んだ」
「何っ!?」
厳密な意味では少し違うがのう、と師匠がぼやく――俺の耳タブにぶら下がったピアスの中から。
師匠は一週間前に病気で死んだが、その知恵と力、心はこの魔導器の中に保持されているのだった。
「俺はアルディン最後の弟子、グレン・コーブランド。村は師匠に代わって俺が守る!」
俺は背負った剣を引き抜き、切っ先を大地に突き立てた。この件は杖を兼ねるように作られた特製品なのだ。
「力を!」
叫びに呼応して杖が活性化する。俺の足元から魔力の光があふれ、魔法円を描き出す──「陣」ではなく単純明快な「円」だ。
「なっ……なんだそれは! バカにしているのか、それはただ丸を描いただけではないか……!」
女魔導士から、あまりにも予想通りの反応が返ってきて、俺は思わず噴き出した。
「よく見ろよ、これがただの丸だっていうんなら、あんた素人もいいとこだぜ」
「な、何だと!! 無礼な、結社でも三指に数えられるこの一級魔導士、ミリアム・ストライブを素人呼ばわりなど……」
言いかけて彼女はうっと息をのんで言葉に詰まった。怒りと驚きの波状攻撃を受け、彼女の顔は赤くなったり青くなったりを目まぐるしくを繰り返す。
「な、なにこれぇ……太い。こんなの見たことなぃ……」
そう。師匠が伝え俺が身に着けた魔法。その基盤となる魔法陣──いや、魔法円は、単純そのものの一重丸。ただしそれを構成する魔力のラインはとてつもなく太く、重かった。そこから──
「破砕ぉ!」
巨大な光の矢──というよりはむしろ破城槌が飛び出して、彼女と後ろの兵士たちを襲った。
光の破城槌が一切をなぎ倒し、先ほど牧草倉が倒れた時よりも大きな土煙があたりを覆った。それが風と共に晴れたとき、ミリアム・ストライブはまだどうにか生きていた。
ただし、口元から血をたらして満身創痍。
「か、かはっ……ま、魔導甲冑がなかったら即死だった……まさか、それがナム・アルディンの伝える古代の奥義だというの……?」
「……そうさ。原初の魔術は単純で、その分巨大な力を持っていた。本当に、本当に一握りの才能に恵まれたやつしかこんな強力なものを制御できなかったのさ」
(……だから、時代が下るにつれ、魔術師たちは魔法陣を複雑に、重層的な構造に変化させていったんじゃ。制御しやすくなって安定化したが、その分、起動までに時間がかかり煩雑な手続きを必要とする。まあ、堕落じゃの)
師匠が得意げに説明をさしはさむ。まあ、これは俺にしか聞こえてないんだけど。
「俺もまだ完全じゃない。だから……この魔法円を使うとしばらくその周囲では大地からのパワーが枯渇して魔法陣をつくるタイプの術は一切起動できなくなる」
見てみろ、と言いながら彼女の足元を指さす。そこにあったはずの赤い光は散り散りに乱され、半ば消え失せていた。
「こんなの……こんなのひどい!!」
涙目になって立ち上がるミリアム。彼女はよろよろと数歩後ずさると、次の瞬間背中を翻してまっしぐらに街道をもと来た方向へ駆けだした。
「覚えていろ、グレン・コーブランド! 次に会った時は絶対に貴様をずたぼろのぺしゃんこにしてやるからな!!」
あとに残されたのは半死半生のゾラン傭兵たち。防柵から出てきた村人たちが、てきぱきと彼らの手足を荒縄で拘束していく。
俺も自分の極太魔法円を解除して、がっくりと腰を地べたにおろした。弁解の使用もなく、まだ修行が全然足りないのだ。
「グレン! やっぱりグレンなのね!?」
俺を確認したアステルがこちらに向かって小走りにやってくる。三年ぶりにあった彼女は、背丈が伸びてあちこちに豊かな凹凸が加わり、何とも魅力あふれる、刺激的な姿になっていた。




