氷結世界フロスタニア
巨大な蟲が、地表に激突した。
世界中からそれは見えた。地中から噴き出す氷結の剣。刃を上に向け、天を貫く偉大なる形。
それは、氷河時代の幕開けを告げる光景であった。
聖暦五千二百四十七年。魔王ルゼラードが勇者を倒すために選択した最終手段は、『魔蟲の落下』だった。
魔力砲を使って上空まで打ち上げた魔蟲の卵は、附属した栄養を空中で補給、成層圏近くで重さ五百トン、直径七メートルの巨大蟲となって落下した。
その暴力は、勇者の住む王都ドロスザリアを直撃し、霊脈を完膚なきまで破壊した。
その結果、暴走した霊脈から噴き出した魔力が世界中を冷却しはじめたのだ。西を向けば今も見えるだろう。
――――天を突く氷結の天剣が。
吹きすさぶ風。叩きつけるような雪。伸ばした手の先すら見えない氷結の世界が広がっていた。
雪原のそこかしこには、建物の屋根が見えていた。この下に埋まっているのだ。
周りには木すらなく、人の介在を拒む世界がそこには存在していた。
そんな風景の中を、一人の人間が足跡を付けながら歩く。
「何も見えねえ。大物を狙いすぎて、旧王都に近付きすぎたか?」
ザックはぼやいた。
同僚の話によれば、旧王都の奥深くに大物があるのというのだ。吞み代のツケがあるそいつを締め上げて情報を手に入れ、誰よりも先んじてそれを手に入れようとするのは、旧王都を探索する雪人として当然だろう。
雪人。それは「氷結の天剣」によって雪に閉ざされた旧王都に眠る遺物を集める者たちだ。魔王ルゼラードと最前線で戦っていたドロスザリア製の魔道具は、今の時代では再現できないほどすごい性能を誇る。小さなものでも一攫千金というわけだ。
ザックはちらりと自分の腕を見た。腕につけられたインジケーターによると、体温を守るための炎の魔石はもう少しもつ。それまでに進退を決めなければならない。
本当ならば、もう引き返す頃合いだ。それが決断できないのにも理由があった。
「このまま手ぶらで帰っちゃ大損だ……! せめてなんか見つけないと!」
旧王都のこの深度にもぐりこむまでに、相当な無茶をしている。このまま何も見つからなければ、生活がまずいどころではない。
何がそんなにザックを駆り立てたのか、自分でもわからないほどなのだ。
焦り。それは人の視界を狭める。
いつもなら気付くはずの違和感。雪原の盛り上がり。周りとの高度差。踏み込む雪質の違い。
そういったものを見逃した。
ザックが気付いた時には、雪原にぱっくりと裂け目が開いていた。
「な――――ッ!?」
足下の雪ごと滑る。逃げようがない。
滑る。滑る。滑る。
持っていたカンテラはすぐにどこかにいってしまった。死の滑り台で、せめてもの対策として体を丸める。
どこかに流されているのはわかる。雪が川のように流れ、右へ左へと身体が振られているのがわかる。
魔術を唱えることもできない。魔力を捉えるまえに、濁流のような流れに千切れていってしまう。
(ぐっ……! うッ……!? ぐぉッ!?)
何度体をぶつけたか。いつの間にかザックの体は止まっていた。
頭が痛い。当然だ。ザックは頭を下にして逆立ちのように壁にもたれていた。ずるりとすべってべしゃりとこける。
「いててて……。なんだここ……。どこだよ」
ザックは辺りを見渡す。雪と一緒になだれ込んだはずなのに、その雪が無い。
寒いどころか、温かさまで感じる。顔を保護するためのヘルメットマスクが暑く感じられ、剥ぎ取るように脱ぐ。
目の前はまだ暗いが、ひとまず雪で圧死は免れたようだ。
懐からまだ無事だった雷の魔石を取り出すと、そのまま起動させる。寿命は短いが、しばらくの灯りにはなる。
照らされた光景にザックは呆然とした。
どうやらどこかの室内にそのまま運ばれていた。壁をぶち破り、直接室内に入ってきたらしい。背後には滑ってきたであろう雪の坂道が存在した。
ザックは立ち上がる。先ほどから温かいと思っていたのは、ぶつかっていた壁だった。
いや、壁ではない。謎の球体だ。ザックよりはるかに大きい。ゴツゴツした表面は硬く、よく見ると大きなパーツが組み合わさってできている球体。
「見たことがあるなこんなやつ。救命ポッドとか確かこんな形を――――」
――ぶしゅっ。
空気が抜けていく音。いや、吐き出される音か。
ザックは一歩さがる。
まるで花が開くように。ゆっくりと球体の前面が開いていく。
「嘘だろ……。オイ」
呟きながらも目が離せない。
球体の中はまるで粘土をこねてつくったかのような椅子と、それにぐったり腰かける少女の姿があった。
絹糸のような髪。この世のものではないような美しさをそなえた少女。
ザックの声が聞こえたのか、うっすらと、目を開けようとしていた。
いや、目を開けた。
エメラルドもこの瞳には勝てない。魅力に吸い寄せられるように、目が離せない。見つめ合う。唇が震える。
少女がすぅっと息を吸いこんだ。
「あなたが――――――勇者?」
<了>




