孤島サバイバルは超能力と共に
日本の南西に位置する絶海の孤島。歪な菱形の島は八百平方キロメートルほどの大きさである。
本日、そこに二百人にも満たない男女が集められていた。東側の浜辺付近にある複数の木造ペンション。人々の大半はその中に泊まっている。
とはいえ、全員が島に到着したのは昨夜のこと。現在は早朝の五時過ぎだ。ほとんどの人物はまだ目覚めていない。
そんな中、まさに今この瞬間、夢の中から身を乗り出してきたのは藍本義史。冴えない高校教師だ。一つ二つの呻きを漏らして、薄く開いた片目でカーテンの隙間から差す薄明かりを睨む。
「もう朝だぞ。起きろ……起きろ……」
再び瞼を閉じてから自分に言い聞かせつつベッドに飲み込まれていく様は、教師の威厳など欠片も感じさせないものだった。
そもそも教師など、怠け者の彼には全く向いていない職業なのである。流れるままになってみれば担当は体育で、年は二十四の新米だ。それなのに、就任して間もない彼に突然食らわされた命令は、島流しのような類いのものだった。
「『アビリティ持ちの少年少女を対象とした調査及び教育のための特別修学期間』ねぇ……。面倒な行事だこと」
義史が呟いてから完全に掛け布団に潜りきった頃、部屋の扉が勢いよく開かれる。
「おい義史! てめえ、何を悠長に爆睡してんだよ!」
怒声と共に入ってきたのは、彼と同い年に見える短髪の男性だった。赤いジャージに身を包み、細長いつり目で義史を睨みつけている。乱暴な足取りでベッドまで来るや布団を一気に引っぺがした。
「ん〜、秀か……。お前こそ何だよ。七時の全員集合と点呼にはまだ時間があるだろ」
「特訓だよ、特訓。うちの生徒とお前のとこの生徒でアビリティの扱い方を練習するって話だったの忘れたか? お前が決めた事だぜ」
言われて初めて彼は気付いたようだった。露骨に嫌そうな顔をした後、やけに重そうに体を起こす。
「……そういえば、七瀬に押されて勢いでオーケー出したな。しかも週三日の約束で。……なあ、これって二人も見張りいらないよな。生徒も合わせて六人だろう。秀だけが付けば良いんじゃないのか?」
「おいおい。小学校からの付き合いなのに、ちと冷たくはねえか。お互い教員になってからはあんまり会えなかったんだぜ。まさか再会したばかりの幼なじみに面倒な仕事を押し付けて、一人で二度寝ぶっこくつもりじゃねえよな?」
微笑みながら旧友を見下ろす瞳には、有無を言わさない迫力があった。
義史は口を一文字に結んで諦めたように肩を竦める。立ち上がって荷物に近づきながら、少し汗で湿気っている服を脱ぎ捨て、答えた。
「とんでもない。ただ、面倒な友人を持ったもんだと思っただけさ」
体育教師なだけあって彼の肉体は一般の成人男性よりかは健康的かつ筋肉質だった。同じく体育を担当する結城秀の体も、服の上から分かるくらいに完成されている。
「……ところで、ここの部屋の扉は鍵を閉めてたと記憶してるんだが、どうやって入ってきたんだ?」
カーテンを開け放つ秀に問いかける義史は洗面台にいた。上半身裸のまま寝癖を直している。
「『どうやって』って、そりゃあ……」
秀は義史の背後まで来ると右手の指を一本立ててみせた。その指はみるみるうちに変形し、やがて銀色の鍵に変わる。人差し指が鍵になったのだ。
「これを使ったのよ」
得意げに見せびらかす彼を鏡越しに見た義史は深い溜め息を漏らすばかりだ。
「アビリティをそういう風に使うのは違法だぞ。生徒にバレたらどうする気だ」
「大丈夫だって。注意は怠ってねえよ」
「いや、問題の本質はそこじゃないんだがな? 分かってるか?」
「おうとも。俺達はそういう細かい事を気にするような間柄じゃねえってところまで、バッチリ分かってるさ」
白い歯をニカッと見せて快活に笑う秀とは反対に、義史は気だるげな表情を崩さない。対照的な性格の二人である。
「まったく、本当に面倒な友人を持ったもんだ」
寝癖を直し終えた義史は、歯ブラシを取り出しながら、さっきと同じ台詞を繰り返すのだった。
季節は夏である。日が海の彼方から姿を現し、波の音に虫や鳥の声が混じりだす頃、七人の男女が浜辺に集合していた。
そのうち二人は義史と秀だ。義史は黒いジャージを着て、表向き凛とした調子を取り繕いながら、顔面で潮風を涼しげに受け止めていた。
彼の前には女生徒が二人、秀の前には男子一人と女子二人が並んでいる。お互いに数メートルの距離を置いて生徒達と挨拶を交わしているようだ。
「さて、今から他校との合同練習を始めるんだが……七瀬桜はどうした」
腕時計を一瞥する義史に答えをよこすのは女生徒の一人だ。軽く挙手して報告する。
「桜ちゃんは体調不良みたいです。『今日は参加できないって伝えて』と……」
「あいつ……提案者のくせに初日不参加かよ……」
「ま、まあ、ベッドからも出られないような高熱だって言ってましたから」
同じ感想を抱いていたのか、対する生徒の表情も苦笑いだ。
もう一人の生徒はといえば、ずっと無表情で虚空を眺めている。他の生徒は体操着だというのに何故か彼女だけは学校指定の水着を着ていた。
「……それなら待っていても仕方ないな。説明を始めるぞ」
観念したように腕時計から目を離した義史はそっと居住まいを正した。
「アビリティ……平たく言えば超能力だな。ここの島に来ている人の九割はそれが発現した人々だ。最近目覚めた大人の方々も十数人いるが、お前達みたいな高校入学までに発現した子が最も多い」
「確か、そういう子は学校ごとのグループで先生に引率されて来るんですよね?」
「ああ。まあ引率といっても、そこまで大人数じゃない。アビリティ持ちの生徒は一つの学校に多くて五人までだと聞いている。話を戻すが、そういう訳で、今日からアビリティの扱いについて学ぶ、特別修学期間とかいう名のバカンスが始まるんだ」
「よかった〜、仲良い子達と一緒で。桜ちゃんも雪ちゃんも同じクラスだもんね!」
ガバッと隣の水着少女に抱きつく女生徒。雪と呼ばれた女の子はされるがままになりながらも小さく身じろぎする。
「こっちとしても助かるよ。その調子で仲良く楽しく一ヶ月間を過ごしてくれ」
彼女達のクラスの担任でも副担任でもない義史には興味のないやり取りだった。ぶっきらぼうに返すと、説明の続きを話しだす。
「忘れないうちに伝えておくが、俺みたいな引率教師は一般人ばかりだ。それとお前達に講義をしてくれる先生方もな。裏を返せば、それ以外は能力者ばかり。これを機に、似たような境遇の友達を作るのも悪くないだろう。今から行う合同練習はその一環だと思ってほしい。是非とも有効活用してくれ」
イチャイチャしている二人の声と風の音に負けぬよう、気持ちだけ声を張ってみる義史。適当に教師らしい事を述べた後は秀に目配せして準備完了を告げるだけだ。
「じゃあ行ってこい。指導は結城先生だ。アビリティ持ちの教師で、言わばお前達の先輩だな。色々と学べることもあるだろう。俺は基本的にここで控えてるから、何かあったら遠慮せずに言えよ」
「はい! 行こっ、雪ちゃん」
女生徒は元気に返事を返してから雪と共に秀のもとへ歩いていった。ちょうど彼らも話が終わったところで、生徒達はそれぞれ異なる反応をしながらも自己紹介を始める。
義史はそこでようやく彼女達から目を離した。水平線、水面の波、遠くに見える飛行機雲、美しさすら感じる白さの砂浜と、気ままに景色を眺めている。
「能力者か……。よその問題児とは関わらないようにしないとな」
何気なしに独りごちて顔を横に向けると、秀達が練習している場所と反対側に、一人の女子生徒を発見した。
朝から海岸を全力で走っている。それもパジャマのままで。
義史から徐々に遠ざかっていく彼女の先には船着き場くらいしか無かったはずだ。一体何をそんなに急いでいるのかという疑問よりも、義史には気にかかる要素があった。
「七瀬……?」
目を細めて見るも、少女の姿は既に豆粒以下の小ささになってしまっていた。制服を着ていないから判断材料は後ろ姿だけだ。義史は怪訝な顔をして硬直するしかなかった。
「……まさかな」
問題児とは関わらないようにしようと決断したばかりだ。髪の長さや背丈が似ている生徒なんていくらでもいるだろう。そう結論づけて、彼は練習の監視に戻ることにしたのだった。
義史と秀の学校は同じペンションに割り当てられている。他の高校も合わせると十校分の生徒が一つ屋根の下で暮らしていた。
今は合同練習と全体点呼の後、朝御飯の最中である。全員揃って食堂で食事をするものの、一部の人物以外は同じ学校の生徒と固まって談笑していた。一日目なのもあって、まだ距離を取りかねている者がほとんどのようだ。
ちなみに、義史はその中に混じってカメラを構えている。絵に描いたような無表情であった。他の教師が各自やるべき事をやっている時間、彼は生徒達の写真撮影をしているのだ。
生徒に近づいてはポーズと笑顔をお願いし、パシャパシャとシャッターを切っていく。自分は朝食を我慢している状態。彼にとっては軽い苦行を強いられている気分だろう。
「おい、藍本先生いるか!」
突然、部屋の扉が慌ただしく開かれた。義史にはその前の激しい足音から、秀が来ることは分かっていたらしい。片眉を上げてドアの方を振り向き、わざとらしく咳払いをする。
「結城先生。危ないので廊下を走るのはやめてください」
「うっせえ! 廊下は走るもんだろうがっ!」
呼び方から仕事中であることを暗に伝えようとしたのに、秀は気付く様子もない。生徒達の忍び笑いも耳に入らないといった調子で義史に近寄ると、彼の手を取って部屋の外まで引っ張り出してしまった。
「ま、待て待て! どうした、秀。何かあったのか?」
食堂から大分離れた場所まで来て、義史はやっと手を振りほどいた。後ろを向いた秀と視線が交錯するも、彼の真意は義史に伝わらない。瞳から察せられるのは僅かな焦りだけだ。
暖かい日差しに包まれ、蝉の鳴き声が喧しく響く廊下にいるというのに、二人の間には確かに一時の冷たい静寂が流れた。
「……歩きながら話す。船着き場へ向かうぞ」
秀が歩き出したのに倣って、義史も仕方なく続いていく。一つ角を曲がったのを合図に彼は説明を開始した。
「夜中に警備で廻ってた人と別施設に泊まってたアビリティ持ちの生徒が死んだ。発見されてるだけでも三人だ。事故で逝った感じじゃない」
「……は?」
唐突に告げられた非現実的な文章に対応できないのも無理はないだろう。義史のとぼけた声を聞いた秀は改めて伝え直す。
「人が殺されたんだよ。しかも船とヘリ、全てが一晩のうちに破壊されている。さっきから電波も通じなくなってやがるぜ。生徒達が気付くのも時間の問題だ」
「お前、サラッと言ってるが、緊急事態じゃないか」
「だから呼びにきたんだって。もう大人は皆集まってるぞ」
心持ち二人の歩みが速くなったように感じる。しかし彼らには廊下が長く思えてならないだろう。空気は重く、表情は険しく変わった。
「……助けは来ないのか?」
「何か手を打たない限り、少なくとも数日は来ないと見ていいだろうな。その間、俺達は顔も知らない殺人犯と孤島に缶詰めさ。最高のバカンスだね」
「冗談言ってる場合かよ……」
「ジョークにでもしないとやってられねえぜ。問題はまだあるんだからよ」
「何……? 何だ、その問題っていうのは」
尋ねる義史の後、焦らすように間を置いてから、秀は視線だけを彼へ向けた。一瞬の逡巡を挟み、少し顔を近付けて小声で答える。
「……おそらく、犯人は一人じゃねえ。何人かいやがるんだよ。この島に、頭のイカれた殺人鬼がな」
瞬間、彼はまた神妙な雰囲気に戻る。その声色は根拠の無い妄言を吐いているようなものではなかった。
こうして、約二百名の男女による孤島サバイバルは、あまりにも静かに幕を開けたのである。




