されど愚かに天使は踊る
振るわれる拳。
舞い上がる血しぶき。
飛び散る肉片。
むせ上がるような血の臭いが風と共に少年の鼻腔に突き刺さる。
周りに転がるいくつもの魔物の死骸はどれも、頭が潰れていたり、首がねじ切れていたりと無残な有様だ。
「う……えぇ……!!」
あまりにも凄惨な光景に、少年は胃から逆流した朝食を胃酸と共にぶちまける。
なんだ、これは。
少年は恐怖の色も隠そうとせず、この光景を生み出している少女に目を向ける。
12、13といった年頃の美しい少女だ。
腰まで伸びたシルクのように白く、美しい髪、そして陶器のように白い肌は返り血で赤に染まっている。
赤いどんぐり眼に丸い顔は、少女の幼さを引き立てており、その顔に似合う無邪気な表情を浮かべていた。
そんな少女に狼の様な姿をした魔物が牙を剥き、躍りかかる。
このままでは魔物の牙は少女の首元に突き刺さり、少女は物言わぬ骸になり果てるだろう。
だが、そんな結末は訪れない。
少年にはそれが理解出来る。何故ならば、少女はこの数分の間に十数体に及ぶ魔物を屠ったのだから。
「――――あはっ」
少女は笑う。邪気のない、ただただ純粋な、天使のような笑み。
少女は拳を振り上げ、魔物に向けて振り下ろす。
めきりと、嫌な音が響く。
少女の振り下ろした拳は魔物の頭をかち割る。
魔物は砕かれた頭から鮮やかなピンク色の脳髄をばら撒き、血液を噴水の様に吹き上がらせながらその場に倒れ付す。
そんな仲間の散り際にも残りの魔物は怯むことなく少女に向け、牙を向ける。
されど少女はそれを踊りのように軽くいなし、少女は残りの魔物にも拳を、蹴りを、叩き込む。
そうして残った最後の魔物の首を蹴りでへし折り、状況は終了する。
そしてこの場に残るのは、血塗れの少女と、少年。そして十数体に及ぶ、凄惨な魔物の死骸。
圧倒的。ただひたすら圧倒的な個の蹂躙劇。
少年はただ、見ている事しか出来なかった。
少女は手についた脳髄を軽く振って払い落とすと、少年の方を見る。
「ヒッ!」
殺される。そう思った少年は逃げ出そうとする。
だが、腰が抜けたのか、はたまたは恐怖か、いずれにせよ少年の体は動かない。
そうこうしているうちに、少女は少年の目の前に立っていた。
「おにーさん。だいじょーぶ?」
そう言って、少女は右手を少年に向けて差し出す。
返り血にまみれ、ぽたぽたと血を流れ落とす右手を。
「ここ、最近魔物が多い。おにーさん危なかった。一人は危険」
その顔には、先程の純粋な笑みではなく、ただただ、少年を心配している表情が浮かんでいた。
少年は、なにがなんだかわからなかった。
理解が追いつかないとも言えるだろう。
何故ならば、先程まで純粋な笑みで魔物を蹂躙した少女と、心配そうな顔を浮かべている少女が、どうにも同じ人物だと結びつかないからだ。
「おにーさん。立てないの?」
手を取らない少年に、少女は疑問を投げかけ、そして自らの手を見てハッとした顔をする。
「すまないおにーさん。手が汚れていた。汚いのはいやだよね。うっかりうっかり」
そう言って、少女は自らの血塗れたシャツの辛うじで汚れていない部分で手を拭くと、再度手を差し伸べる。
シャツで拭いた所で血はぬぐいきれていない。
されど、汚れの隙間から見える純白の肌。
綺麗だな。少年はそんな場違いな感想が浮かんだ。
気がつけば、少年はその肌を求めるように手を伸ばし、その手を取っていた。
「あり……がとう……」
ようやく、少年は言葉を絞り出せた。
その言葉は聞いて、少女はにっこりと人当たりのいい笑みを浮かべると、少年の手を強く握る。
「ここ、危険。街まで送る。歩ける?」
「……ご、ごめん。い、今ので腰が……」
「むぅ……それ、大変だ……よし。おにーさん、少しガマンして」
「え? ちょ、うわっ!」
返事をする間もなく、少年は少女に抱えられる。俗に言う、お姫様抱っこの状態だ。
「町まで走る。それまで、ガマン」
そう言って、少女は駆ける。
なぜこんな幼い少女の細腕に自分を抱えられる力があるのか、なぜこんな幼い少女があんな化け物を圧倒していたのか、そしてなぜ――――日本で暮らしていたはずの自分がこんな所にいるのか。
わからない、わからない、そう不安を滲ませた表情を浮かべる少年に――――少女はにこりと、天使のように微笑んだ。
「――――大丈夫、私は、おにーさんの味方だ」
それが少年と少女の出会いであり、一つの恋物語の始まりだった。




