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理想的な教師になるためには

作者: 会津遊一


 A氏は理想的な教師になる事が、ずっと夢だった。


 教壇に立って生徒たちと正面から向かっていく姿に憧れていた。

 教師とは、世間では何かと低い評価を受けることが多いかもしれない。モンスターペアレントなど大変な問題も多いのだろう。だが、理想的な教師というものは、どんな難題であろうとクリアし、一人一人の生徒と心を通わせて成長していくことができるのだ。


 もちろん生徒だけではなく自分も。

 こんな素晴らしい仕事があるだろうか。


 それは教育実習の過程を終えていく段階でも薄まることはなく、より強い衝動となってA氏の中で育っていったのだった。


 ※


「初めまして、A先生」

 大学を卒業後、A氏が赴任先として指定された小学校に向かうと年老いた校長先生が笑顔で出迎えてくれていた。初日ということで固まっているA氏の手を取って、緊張をほぐすためにソっと握ってくれるような優しい気遣いをしてくれたのだ。

 いい上司でよかった。こんな人のいる学校なら、きっと頑張れるだろうと、早くもA氏の中で最初の気持ちがより大きくなっていた。


 しかし、実際はA氏を安心させようとしたものではなかった。この校長先生は新任教師の初日に行うDNA検査と登録を済ませていただけ。具体的には握手のような態度で、A氏の手に安全ピンほどの針を挿して採血してきたのである。


「いたっ」

「おっと、すまないね」

「なにをするんですか」

「あれ聞いてなかったかね」

「はい。い、今のは一体……」

「ははは。まあ、最近は物騒な時代だからね。初日だから専用のIDを作っているだけだよ。これで君の偽物がきても見破る事ができるだろう」

「は、はぁ」

 警護のためという理屈を並べられれば理解できるが、あまりに急な行動だっただけにA氏としては驚く事しかできなかった。校長先生からすれば慣れた光景なのか、登録の手続きが終わったら、とっとと自分の席についてコーヒーを飲み始めてしまったのだった。


「……それでは失礼します」

 釈然とはしなかったがA氏は早々に校長室を後にした。

 今日は学校の教師になって初日である。少し神経質になっているだけかもしれない。それに、もしかしたら自分が事前の説明を聴き逃していただけで今のDNAの採取は事前に取り決められていたルールなのかもしれない。どうせ登録するために必要なら仕方のないことだろうし、とA氏は自分を納得させていた。


 今日、一番大事なことが他にあるのだ。


 初日ということで担任教師のS氏に付き添い、子供たちと一緒に授業に参加しなくてはならない日なのである。こんな所で時間をさく訳にもいかないだろう。自分はなりたくて理想の教師になったのだとA氏は足早で急いだのだった。


 ※


「おはようございます」

 取るものを取って教室に足を踏みれた。

 だが、瞬間、A氏は再び驚くこととなってしまう。入る時に挨拶をしただけなのに、すぐ担任教師のS氏から廊下へと連れ出されてしまったのだった。しかも、何やら怒っている様子で。


 理由を聞いた。

「あの、どうしたんですか」

「……どうして、あんな挨拶をしたのですか?」

「え。僕の挨拶がダメだったんですか」

「あんなの普通ではありません。貴方、マニュアルはご存じないのですか」

「え。どんなマニュアルですか。一応実習は受けていますが」

「はぁ。最近の教師は不勉強にも程がありますね」


 理由はよく分からないが先輩から怒られている事だけはハッキリしていた。


「すいませんでした」

「まったく」

「ただ、同じミスをしない為に聞きたいのですが、一体、僕の何が悪かったのでしょうか。普通の挨拶をしたつもりなのですが」

「そんな事も分からないのですか」

「すいません」


「イントネーションですよ」


「え」

「おはようございます、のイントネーションに抑揚がありすぎるんです」

「は? どういう事ですか?」

「おはようございますの言い方が元気一杯だと重いと感じる子もいるでしょう」

「……はい。かもしれませんね」

「おはようございますの言い方が暗いと嫌な気分になる子もいるでしょう」

「はぁ」

「おはようございますの言い方がおかしいと気に障る子もいるでしょう」

「……」

「ですから、この場合、抑揚の少ない、かつ明確な滑舌であり、それでいて煩くないおはようございますというイントネーションが正しいのです。そうマニュアルにも書いてありますよ」


 信じられない。

 だが、確かに渡された本を読んでみると、S担任教師が言うとおりだった。

 本当にそれを国が認めているのだった。


「新人の方には大げさに感じるかもしれませんね。ただ、差別のない公平な教師の態度を取るにはこれしかないのですよ」


 公平性という理屈としては正しいのかもしれないが、初めはその言い分をA氏は受け入れることができなかった。うまく言葉にはできなかったが、正しいのに何か釈然としないものをA氏は感じていたのだった。どうしても素直にS氏の言うマニュアルに従うだけの態度はとれなかったのである。


 その違和感は続くこととなった。


 後日、「頑張れ」と一人の生徒に言うだけで担任教師であるS氏に叱られたのだ。

 また、ある時などは、運動のできない子に「縄跳びができたら体育は合格にしてあげるよ」と譲歩したら、公平ではないと叱られた。

 ずっと算数が苦手だった子に放課後ソっと教えてあげたら規程違反だと国から通達が来た。どうやらS氏が通報したらしい。残業に値する行動を勝手にとってはいけないとの事だった。



 何なのだろう、この学校は。

 情熱を燃やしていたA氏からすれば混乱するしかなかった。


 そして最後の事件が起こった。

 あんまり細かい事は気にする必要はないと思っていた矢先、ある女子児童の髪留めを褒めたらセクハラだとご両親から訴えられそうになったのである。最終的には示談で済むことになったが数ヶ月の減給が言い渡されたのであった。


「マジかよ……」


 どうやら、この学校、社会では少なくても、公平である、という事が全てらしい。

 しかし、果たしてそれが本当に教育なのだろうか。

 自分が夢見た理想的な教師の姿なのだろうか。


 A氏には疑問であった。


 ※


 今の学校のシステムに耐えられなくなったA氏は、とうとう教師を辞めてしまった。


 どうしても自分の思っている教師の姿とはかけ離れているとしか感じられなかったからだ。一人ひとりの生徒と心を通い合わせ、向かい合い、問題となる点を共に解決するため地道に努力していく、それが教師として正しい姿に思えて仕方なかったのだった。時にはそれがブラック企業として考えに通じるかもしれないが、A氏としては、自らの時間を全て使う覚悟があるのだからブラックでも本望であった。それが教師なのだと信じていたのだ。


 教師をやめてから二ヶ月後、同じ大学に通っていた同期のB君からお茶でも飲もうかと連絡があった。あれ以来、無気力というか、教師になることだけを夢見ていたので本当にやることがなかったA氏はその誘いに乗ることにしたのだった。


「お前ヒマなんだって」

「おい。僕が学校辞めたと分かってて言うなよ」

「ははは。悪い悪い」

「ったく」

「そんなヒマでどうしょうもないお前に朗報だ」

「どうしょうもない言うな」

「俺が通っている学校に教師の空きができたんだ。お前、やらないか」

「……は? 本気か?」

「ああ。本気だ」

 B君の眼には人を騙そうというものはなかった。

 失業中のS氏からすれば誘ってくれただけでも嬉しいし、もう就けないであろうと思っていた教師に再びなれるチャンスではあったが、現在の教育現場に失望して前の現場を辞めているだけに簡単に教師に戻る気にはなれなかった。むしろ簡単に戻っても、前と同じ失敗をするのは誘ってくれたB君にも失礼な結末になってしまいかねないだろう。


 断ろうと思った。

 ただ、するとB君はこう続けたのである。


「お前を誘ってるのは本気だよ。むしろ本気じゃなくては困るんだ」

「どういう事だよ」

「俺みたいな教師になったばかりのペーペーが辞めたばかりお前を誘うなんて普通ないだろ。誘うにしたって俺からじゃない。事務手続きを含めて、普通は上の人がやる事だよ」

「だな」

「でも、そんなすっ飛ばしてお前を誘うには理由がある。教師としての熱意だよ。俺の働いている現場は本当に努力が大切な場所でさ。生半可な覚悟じゃ通用しない、マニュアル重視の人間はかえって邪魔になってしまうんだ」

「……」

「そういうのダメだからお前は前の学校辞めたんだろ。それにお前の性格を知ってからさ、同期の俺から覚悟の程を確認しにきたって訳よ」


 ほう。


「……そんなにきついのか、その現場」

「きついというか、大変だね。現実として、やらなきゃいけない事はおおいぜ」

「なるほど」

「一人の生徒と濃密に時間を過ごさなきゃならない。親と同じぐらい、その子の為に頑張る必要がある時だってあるんだ。まず、その覚悟がお前にあるのか聞きたいんだよ」


 B君の真っ直ぐな瞳が睨みをきかせる。

 だが、そんなの上等とばかりにS氏の眼は再び輝きが灯っていた。

 ずっと理想的な教師になることが夢だったのだ。


「なるほど、なるほど。実にやりがいがありそうじゃないか。そういうのを待っていたんだよ。理想的な教師になるのが僕の夢なんだ」


 ※


 後日、S氏は再び教師になる為、B君のいる学校に勤めることとなる。やることは多いが、B君の言うとおりそこはA氏にとって天国のような教育現場である事は間違いなかった。一人ひとりの生徒と心を通い合わせ、向かい合い、問題となる点を共に解決するため地道に努力していく。


 マニュアルではない判断しない理想的な教師になるため。

 A氏がたどり着いたのは、マニュアルだけでは判断できない病院内に設置された学校であったのだった。

 そこには入院していなければならないほど弱った生徒がおり。

 

 やっと、そこではA氏が望む教師の姿になれたのだった。


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