第5話 狐憑きの神童
なんだかんだ鷹瑳とはすぐ仲良くなれた。
俺が御伽役としてではなく、僧侶として扱ってくれたのが嬉しいみたいだ。俺も初対面の気まずさもあって、意識して対応している。罪悪感はますます増えるが。
というより、信長を消すと意識したのにも関わらず逃げ道が出来た途端、直ぐにそこに向かってしまった。これは戦国の世において非常に不味いことだと思う。
やると決めたことに確固たる意思を持たないとブレブレになってしまう。それでは食われるだけだ。
信長以前に周辺の三好や六角、敵対中の加賀の一揆勢、更には従属中の浅井や身内にもやられかねない。
今は誠心誠意を持って鷹瑳と付き合おう。罪悪感も募るがそこは自分のせいだ。呑み込むしかない。
そして今、話は飛んで俺は占いに嵌まっている。
俺自身は信じちゃいないし胡散臭い物と捉えてる。なら何故か?それは俺が突拍子の無いことを言い出したり、やりだしたりするための布石だ。
きっかけは些細な冗談だった。
「唐の国の書物に書いてあったことだけど、秦の時代の呪術で、夜の月にお尻を向けると頭が良くなるらしい。俺もそうやって算術を覚えた」と可愛らしく小粋なジョーク。俺としても唯の会話のキャッチボール、軽口のつもりだったんだ。
けれどもそれを真に受けた孫三郎は直ぐに実行した。
連日夜遅くまでやってたらしい。戦国時代なんて夕食後はすぐ眠るのが普通だ。
そんな中寝ずに外でお尻を出してる子供がいたらウツケ者云々(うんぬん)では無く医師を呼ぶだろう。
ただ、この行為を誰も止めなかったらしい。というかむしろ孫三郎の母親が推奨してたみたいだ。城で会う父親の景隆は何とも言えない顔をしていたが。
母親が推奨していたのは神童と呼ばれ始めた俺の言うことに間違いないと信じたからだそうだ。
始めその報告を受けた時は「またまたぁ」等と俺自身が本気で捉えて無かったが、母子共々が真剣な顔だったので、確認したらマジだった。こればかりは素直に「冗談でした」と謝ったよ。唖然とした母親の何とも言えない顔は今でも忘れられない。
ともかく、この時代の人々は神仏や奇怪な呪術・物事に対してあまり疑いを持っていない。山や森に対しての土着信仰が根強かったり、戦前に戦場の方角や陣地の運勢を占う職業のやつもいる。
考えてみれば三國志の諸葛亮公明や、かの黒田官兵衛も祈祷なりしてたらしいじゃないか。
そんなことが蔓延っているのなら俺が占いから得た知識と称して未来の事柄や知識を使うのもスムーズに行くと思う。まぁ本格的に覚える気は無く、それらしい形で誤魔化すことさえ出来ればそれでいいだろう。
なんて事を考えてると、母上からお怒りの呼び出しを受けた。
何と長夜叉兄上もどこからか聞いた俺のジョークを信じて、お尻を出して1等賞を受賞してたらしい。初めは兄上の奇行を渋々受け入れていた母上も、俺がデマだと白状したことを知るや直ぐさま俺に対してお怒りをぶつけた。
軽はずみな言動のせいで俺は見事に副賞として母上の説教を受け取ることになった。今後冗談を言うときは時代に合わせた物にしよう...