第3話 現状確認。そこから目標に向かって
お読みいただきありがとうございます。
決意をしたのはいい。目標も決めた。ならその為には何をすればいいのか考えよう。
まず、俺の立場だがこの時代ではトップクラスだろう。
父親は越前一国を治める守護大名――越前朝倉家当主の朝倉弾正左衛門孝景。
という名前が長い人だ。
その朝倉家の治める地域国力は各大名の中でも上位、所謂ところの大大名の部類に入る。また海に領地が面しているのでこの時代の戦略物資となる塩を自給することができる。
そしてなんと言っても越前と言えば領国にある敦賀港だろう。日本有数の港で西は博多や大阪、山陰山陽、東は酒田や蝦夷地など多数の港と交易している。
それと...大きな声では言えないが明との繋がりもあるようだ。本当は幕府の許可が必要らしいんだけど、今の幕府からは強く言えないようだ。それを良いことに、まぁ、大々的にはしてないが取引をしているらしい。
詳しくは知らないが儲かっているんだろうなぁ。大内家という実例もあるし。
ヨーロッパ等の南蛮勢力はまだ渡来してはいないみたいだ。あの以後良く(1549年)だったっけ?確か?
やって来る時期は曖昧だけど火縄銃は戦を変える武器なんだ。いち早く手に入れるように、アンテナは常に張って待っておこう。
ただ、日本では火薬原料の一つである硝石が自然に採れる量が少なかった。そのために輸入に頼る処が大きかったが、対価に金銀以外に人身も流出したのは悲しい話だよな。
まぁ、硝石はその後直ぐに時給方法が発見されたんだけどね。
うろ覚えだけど、確か湿気のない屋内で尿と草木を混ぜるんだよな?そしてそれを土に還すんだよな。よね?だよね?
.....そこは試行錯誤しないといけないが、最悪まだ安値の内に買いまくるのもいいかな?そんで高値の時に転売で儲けてもいいし。
硝石を含む火薬については要課題だ。
話は戻って本拠地の話をしよう。越前今北郡にある一乗谷についてだ。
人口は一万人を越える戦国時代の大都市。歴代当主が戦乱から都落ちした公家や高僧を保護しまくって栄華を極めたと言うが、実際はそれだけではないと思う。
文化だけではなく土地もいいのだ。
一乗谷という名前の通り、この土地は山に囲まれている。谷間一杯に城下が広がり、それらを見渡せる山間部に俺が住む城が存在する。
京の都を模したと言われるだけあって平地部分の城下町は道が綺麗に整備され、建物は碁盤の目を意識するように配置されてるようだ。この配置も敵が攻め入った時に守りやすくする為のものらしい。
城下の中心には九頭竜川の支流、この土地から名付けられた一乗谷川が流れてる。
この時代は蛇口も無ければポンプ式の井戸も無い。溜池や用水路が発達したのも江戸になってからだ。そのため水が近くにあるだけで土地としては優良となる。
付け加えてると、一乗谷には各家に井戸まで常備されているんだ。それだけ水に恵まれており、敵に攻められても水の心配もない。
最も、一乗谷まで攻めてきた勢力は皆無らしいので一度も活躍した事はないらしいが、それはそれで良いことだよね。
とまぁ、一乗谷の素晴らしい処を余すこと無く上げたのだが、流石に平成感覚で言うと建築数も人の数も少なく思える。けれども、碁盤の目を意識した町並みには北の京と呼ばれるだけの美しさを感じさせられる。
また地理的にも繁栄する理由があった。
南西にある敦賀から海から来た交易品や海産物、近畿から淀川~琵琶湖間を経由された品物の集積場所としても良いのだ。とは言っても、些か集積場としての立地としては優れている訳ではないのだが朝倉家のお膝元なだけあって荷の安全面では優れている部分もある。
さらに北陸へ向かう時には九頭竜川を使うことで日本海へ出ることも可能だし、九頭竜川の支流も合わせれば越前各所を巡る事も。
極めつけは越前という土地だろう。日本有数のお米の生産地なのだ。そのお米は本拠地なだけあって大半は一乗谷に運ばれる。必然的に越前の集積地となったのだ。そこからは先は言わずもがなだな。
「ローマ時代に生きていたら勿論ローマに住む」というフレーズを何処かで聞いた覚えがある。それを日本の戦国時代に当てはめると京になるのだろうか?
だとしてもだ。現段階では戦国時代の荒廃した京よりも今の一乗谷の方が上なのだろう。
それなのに何で負けたんだよぉ兄上ぇ
まぁ散々自慢したがそんな朝倉家の宗主の次男坊が俺ということだ。朝廷との繋がりも深く国力もある。そんな朝倉を潰した信長が凄すぎなのか朝倉家の当主が弱すぎたのかは分からない。
後者なら俺が変えよう。
1549年に伝来したのはキリスト教で1543年に鉄砲は伝わっていました。
そこを勘違いしてます(笑)