第16話 春が来た。春が来た。猿も来た。
本来の話から修正することがありました。言い訳ですが後書きを見て貰えると助かります。
1543年4月
年が明けて俺は数え4歳になった。舌足らずは多少良くなってきたが、それでもまだまだ舌ったるい。
鷹瑳はあの後「誠心誠意お仕えします」と言って頭を下げてきた。
その後はいつもの変わらぬ様子だが雰囲気は一皮剥けたのがヒシヒシ伝わってくる。父上も景連叔父上も驚いていたが良い成長だと思ってるみたいだ。
一益へは一応誘導工作はしている。引き抜きはダメなので手紙を1通出しただけだが。内容は「困ったことがあればウチにこい」「一益殿の様な方がいてくれたらなぁ」的なやや父上との約束グレーゾーンなラブコールだ。
一益も満更ではないようだ。あの朝倉家からの直々のお誘いだもんな。彼は分家の次男だ。年は19歳で六角の中でも有象無象に埋もれてる。そんな彼に俺の手紙は耳に良いだろう。
ただそれでも朝倉という敵国の囁きだ。彼は疑うだろう。だから2通、3通目と送り続けて誼を作っておく。コツコツと信頼を築いておくのだ。
年末年始の挨拶では父上が「今年は疲れた。来年からはもっと忙しくなるだろう」とこっちも向いて苦笑い。
だってしょうがないだろう。リアル炎上回避のためだ。
また兄上に正室が来ることになった。
細川晴元の娘だ。京では細川一族の内紛またが起こりそうなので晴元は後ろ楯に朝倉の力を取り入れたいのだろう。
晴元の今の正室は六角定頼の娘だ。つまりは定頼の孫となる。
「六角の血を入れるなぞ」と反対意見もあったが六角の属国である浅井とも緊張緩和するから父上も望んだのだろう。
敵対するものが1つ消えるだけで安心するのだから。そして打って出るのも戦国大名だ。
今回の婚姻で状況が変わり何処が攻めやすくなったかを考える。一番は加賀だろう。畿内の雄である六角定頼は娘を細川晴元と若狭守護の武田信豊に嫁がせている。細川晴元と武田信豊は義兄弟の関係になり、兄上は晴元の義息子となる。
ややこしいがこの関係で若狭の可能性が減った。
また美濃という手もあるが山越えが厳しいしことと、今の美濃国を支配しているのは前守護を追い出し正式な守護になった土岐頼芸である。頼芸は前守護の息子であり自分の甥でもある土岐頼純と戦っているらしい。頼芸には有能な重臣が着いているらしく頼純は負ける寸前のようだ。その美濃に侵攻すれば泥沼だ。朝倉の兵を頼純は宛にするだろう。さらに土岐頼芸は奪ったとは言え今や正式な守護大名だ。大義名分が強くない。
なので加賀だ。守護の富樫家は風前の灯火である。
幸いにしてこちらには一揆撲滅キャンペーンに力を入れている宗滴殿がいる。大打撃を与えてくれるだろう。
だが史実では多くの信徒を討ち取って大打撃受けた加賀を手に入れることは無かった。何故だろうか?
答えは正月に知ることが出来た。
彼等は死に対する恐れが薄いからだと。なので何度も襲ってくると。正月に一乗谷に寄っていた景紀殿がそう教えてくれた。
相変わらず元気だが言葉足らずで要領を得なかったが、信仰心が強く、その教義から何度でも襲ってくるものだと自分なりにそう解釈した。
支配するなら根切りによる抵抗勢力の一掃か、長年朝倉と争っていた彼等も納得できる懐柔かな。
どちらも違う意味で難易度が高そうだ。
1543年 5月
それと5月の真ん中に秀吉がお腹の大きな母親と姉、幼い弟を連れて一乗谷にやって来た。一応は迎えの護衛兼道案内も出しておいた。
後、自分で「幼い弟」言っておいてあれだが、かなりのブーメランだと思う。
まずビビったのは秀吉の年齢が8歳だと言うこと。
名前は藤吉郎で名字は無い。
木下という名は父親のものだったが家来も無く下働きの者も無く、あるのは家と畑のみ。最下層の武士だった。イヤ、武士を名乗るのを辛うじで許されている身分だった。その木下家では父の体調が悪くなり、戦働きが出来なくなった。そのため武士を辞めさせられることをその土地の領主から迫られたそうだ。
武士は税を徴収する側だ。木下家は曲なりにも武士なので禄で生活していて税は払わない立場だ。戦働きが出来る者には録を払うが出来ないなら税を払う側になって貰いたいのは領主にとっては当たり前。
そしてタイムリーなことに父親が今年の2月の始めに死んだと言うこと。この時に木下姓が失われてしまった。
だが父は前に来てた朝倉家からの話を勝手に受けてたらしい。ここにいても元気な自分が居なかったらお前達に苦労させると。だからお前達は俺を置いて朝倉で生きていけと。そして最後に「済まない」と言って臨終したらしい。
凄くハートフルな話だ。
年間15貫の給与である事を伝え、太刀を与えると共に中村郷から来たので中村と名乗ることを許可した。
また城下武家長屋の端に小さな屋敷を与えた。どちらかと言うと平民が住んでる所だが、その方がいいだろう。武家以外の住民と近い方が彼等も楽だろうし。
この待遇に家族全員が感極まって大泣き。
15貫と本当に武士にして貰えると思って無かったらしく、仕官の話は嘘で、猿顔と小さな体を何処からか聞き付け道化になることを覚悟していたらしい。だか一縷の望みに賭けていたらしい。
それを素直に言うなよ。バカにしてると思われて殺されるかもしれないぞ。
それと、朝倉家の勧誘だったからこれを断ると家族諸とも暗殺されると思っていたみたいだ。何故か家族のことも知っていたみたいだし。俺のあやふやな情報が当たっていることが拍車をかけたみたいだ。
...これは確かに俺が悪いな。
ただ、俺が占いで導き出したことと、命懸けの心配を掛けたことを謝ると、逆に平謝りを繰り返していた。訳が分からずに謝っているのか?武士に対する農民的な行動なんだろうな。
うーん、まず教養が足りないし言葉使いも名古屋弁を出さないようにしてるのか、たどたどしい。
これだと使い物にならない。史実のように放浪してないからだろう。
なら今から学ばせればいいだけだ。
同い年だし教師は孫三郎にやらせよう。鷹瑳は忙しい上に気まずいだろう。
人に物事を教えるのは良い勉強になるハズだ。孫三郎にも人に教える勉強にもなるし良いだろう。幸い孫三郎は素直だし新しい部下は他国の農民と伝えても嫌悪感は示して無かった。むしろ仲間が増えるから喜んでた。何気にありがたい。
それと富田流の道場にも通わせよう。鍛えることと、少しは侍との交流を持たせて朝倉の侍を感じ取って貰おう。
それと嬉しいことに石鹸が完成した。
かなり雑だが。
高温で焼いた藻と貝殻を砕いて臼で潰したものと油菜の組み合わせだと言う。
俺からするとアルだけましな感覚だが、周りの大人は皆が驚嘆していた。ずっと褒め称えてくる。
...傲慢過ぎた自分が恥ずかしかった。
まだストックが余り無いので少数だけだが、販売先も船で博多や長門、酒田に。そして明へ。陸路で尾張や目賀田の街を中心に運ばれていく。堺には勝手に届くだろうさ。その時には品薄だろうが、珍しさと有用性から堺から買い付けに沢山の人が来るはず。
これから更に増産しなくては。
と思ってた矢先に増産が追い付かなくなるかもしれないと父上が言ってきた。労力が追い付かなくなるらしい。何度か見てたが確かに臼で磨り潰すのはかなりの労力だ。時間もかかる。
水車を提案しようか?そうなれば蕎麦面も量産が容易だろう。
幸い間藤善次郎の高級石転製作の稼働も終わったらしいし。
水関係で生活水準向上の為に手押しポンプも提案しようと思ったが無理だった。
手押しポンプなんて平成生まれで見たことも触ったことも無い人が大勢だろう。俺もない。一度構造を本で見た覚えはあるが「フーン」で終わり、構造なんて全く覚えてない。
その代わり水車は分かる。
車輪と車輪の中央に棒を結合及び連動させ、その棒から垂直な棒を伸ばす。この棒が回転する度に粉砕筒を持ち上げて落とす。持ち上げて落とす。持ち上げて落とす...の繰り返しだ。
言葉で説明するのは難しいがイメージはある。間藤善次郎はフル稼働させないと勿体ない。今すぐ父上の所に向かおう。
謝らないといけないことがあります。秀吉に関してですが、私の勘違いで1527生まれと思ってましたが正確には1537年ないし1536年生まれでした。
・少しでも年齢を上げるために1536年生まれにすることにしました。
・子供の藤吉郎が来ることになりました。
・小一郎や旭を同父としました。
・一人身で来る予定だったのを家族も加えることになりました。
・ハートフルな出来事があったことになりました。
これ等が修正及び追加点です。
一応は同父説もあります。
私個人としては元々小一郎と旭の同父説の方を信じてたのですが、この小説では物語進行のために異父説で進めておりました。そのため急遽変更させて貰いました。
正直、彼が今後の話にかなり係わってくるので彼を採用しないとなると大幅な修正になります。
なので年若くて、状況的に厳しいんじゃないかという部分もありますがそのまま登用させて貰います。
そして後の話が成人している藤吉郎のお話を
子供になっている藤吉郎に対応するため修正して行きますが辻褄を合わせるために、多少信憑性の低い資料からも参考にするかもしれません。
長々と言い訳を見てくれてありがとうございました。
また修正とは関係ありませんが鷹瑳の報告し忘れの1つとして彼は藤吉郎本人が自分から行くと言い出したように言いましたが言ったのは彼の父の弥右衛門です。これが1つ目です。




