幽霊屋敷に住む家族
立ち入るには少し勇気がいる森の開けた場所に、これまた御誂え向きの大きなお屋敷。
屋根や壁には植物の蔦が所々巻きついている。
屋敷の中からは場違いなくらいに楽しそうな子供の声が響いた。
「お皿は私が持ってくわ。私がうさぎの柄で、お父さんが猫で、カレンが犬ね」
キッチンでは黒く艶やかな髪を三つ編みにし、頬っぺたが丸味がかった6歳くらいの女の子と、腰まであるだろう金髪を後ろで束ねた長身で細身の男が朝食の準備をしている。
「ありがとうございます、マルお嬢様。ところでお二方、パンにつけるジャムはいくつお持ちしましょう?イチゴに杏にブルーベリー、など色々ありますが」
「私は昨日はマーマレードだったから、イチゴにするわ」
「では、俺はブルーベリーを…」
「マルお嬢様がイチゴで、フィオ様がブルーベリーですね。ではワタシはマーガリンに致しましょう」
テーブルには紫がかったジャムが入った瓶と赤いジャムが入った瓶、そしてマーガリンが入った壺型の器が並び、食パンや茹でたり焼いたりした卵、そしてフィオの席には猫の皿、右隣であるマルの席にはうさぎの皿、フィオの左隣であるカレンの席には犬の皿が置かれた。
フィオによって並べられた、磨き抜かれた美しい銀食器達が、出番はまだかまだかと待ち構えている。
食事の前の祈りを唱え、フィオはパンを手に、イチゴのジャムを塗り始めた。
たっぷり塗ると、ワクワクとした眼差しで待つ愛娘の皿へと置く。
「ありがとう、お父さん」
フィオはほんの些細なことでも、マルが喜ぶのなら父としてしてやれる限りの世話を焼きたいし、マルとしても、自分で出来ることだけど、甘やかして貰うのは父の温もりを感じられて嬉しいのだ。
「学校は慣れたか?」
「うんっ、友達も出来たよ。でもね、失礼なことを言う奴らがいて…」
「なんて?」
「ウチが幽霊屋敷だって言うのっ。だから私、腹が立って、確かに見た目は少しボロいけど、土地はとっても広いし、住まいは何部屋もあって掃除が大変なほどすっごく大きいから、毎日お嬢様生活よっ、て言い返したわ」
「そうですね、マルお嬢様は間違いなくお嬢様です」
「確かにウチは内装はわりと豪華だが、外装がボロいからな。なんか取っても取っても巻きついてくる蔦とか生えているし、こんな感じの屋敷、ミステリー小説や怪談物の絵本によく出てくるな」
「もうっ、二人してそんな呑気なこと言って!!だから幽霊屋敷なんて呼ばれるのよ」
「はははっ、すまん、すまん。だったら、せめて今日はお前が学校へ言ってる間に屋根のペンキが剥がれているところでも塗り直しておくよ」
「では、ワタシは無駄かも知れませんが、家に巻きつく蔦を狩っておきます」
「そうね、みんなで少しづつでも綺麗にしたらその内幽霊屋敷なんて呼ばれなくなるわよ」
マルは二人へと頷いて、塗って貰ったジャムパンに噛り付いた。
庭で育て収穫し、少ない砂糖で煮たおかげで、苺本来の美味しさが口の中に広がった。
学校と家の登下校は薄暗い森を通ることもあり、危ないからとカレンが送迎してくれる。
送迎といっても、乗り物でとかではなく、手を繋いでお喋りしながらだ。
その後ろをフィオが着いてくる時もある。
マルは学校に着けば、友達や悪ガキと楽しく過ごし、授業を受け、給食を食べ、放課後になればカレンが迎えに来て、まあ、それなりに楽しい一日を過ごすはずだった。
「どうしました?そんなに暗い顔して。また幽霊屋敷とか言われましたか?」
「ううん」
「具合悪いのか?」
帰宅中から元気の無いマルを心配して少し早目にしてくれた夕飯時、こんがり焼けたチキンや好物のトマトをいつもより食べられず、残したマルに、相談してくるまで待つつもりで待てなかった大人二人が質問責めにする。
「違う、なんでもないの。ただ、疲れたから今日はもう寝る」
だがマルは、心配ですと顔にでかでかと書いた保護者二人を残し、早々に部屋に引きこもってしまった。
「どうしたんだろうな」
「あの年頃だと…恋の悩みかもしれませんね。お嬢様はお可愛らしい花ですから、寄ってくる害虫の一匹や二匹や三匹や四匹、沢山いるでしょう」
「何匹寄って来ようと俺の敵では無いな。全て討ち取ってやる」
「では、微力ながらワタシも助太刀致しましょう」
「それは心強いな」
片付け始めていたナイフとフォークを両手に掲げながらフィオとカレンが高らかに宣言していた時だった。
チリンッ、チリンッ。
「おや?誰か訪ねて来ましたね」
「珍しいな。こんな時間に煩わしいがカレン、頼んだ」
「はい」
重たいチョコレート色の扉を開けると、そこには縁の厚いメガネをかけ肩まで伸びた赤い髪、撫で肩に合ったベージュ色のスーツを身に纏ったマルの担任の先生が立っていた。
「これは、これは、先生。こんばんは。いかが致しました?」
「実は、今日の授業のことでちょっと……、あの、貴方はカレンさんですよね。マルさんのお父さんは御在宅でしょうか?」
「いえ、ただいま仕事で出払っておりまして、ワタシがその間、マルお嬢様のことに関しましては一任されておりますので、良ければ客間にてお話をお伺い致します」
「ええ、では」
と言って案内された客間で、マルの先生が語ったことは、こうだった。
なんでも、授業で家族の絵を描いたのだが、カレンはちゃんと描いているのに、父であるフィオは白紙で提出。
まさか、家庭に問題でもと思い、見に来てくれた先生を事情を聞き出し、父のフィオに会うまではと粘り強く居着きそうだったのを、カレンが口八丁でお帰り願った。
その甲斐あって先生は、こちらは素晴らしいご家庭だとか感動して帰って行った。
初の家庭訪問はハッピーエンドだ。
では、問題は?
フィオはマルの部屋を訪ねた。
レディーの部屋だ。ノックをして返事を待つ。
「…はい」
ドアの先にはベッドの上に膝を抱えて座り、開いたドアから差す光によって暴かれる、暗い表情をしたマル。
「さっき、先生が来て帰ったよ」
「ごめんなさい」
「謝ることは無い。マルは悪くない」
左右に首を振ったマルは、
「違うの…私」
と呟く。続く言葉をフィオは黙って見守る。
「私、お父さんの顔を思い出せないの…」
マルの声に滲む涙。
「なんだ、そんなの当然だろう?」
「え?」
「なぜならマルは俺の顔を見たことないしな」
「ウソ…」
「本当だ。それに俺はマルが俺の顔をわからないんだとしても、良いんだ。こうして俺からはマルの可愛い顔が見られるのだからな」
「…ずるい」
気障で自分勝手な台詞にマルは思わず笑ってしまう。
「ああ、今のは一番好きな表情だ」
さらに笑みを深くしたマルとフィオの会話を、カレンは開けっ放しの扉の側で聞いていた。
「さあ、そろそろおやすみ」
ベッドに入って目を閉じたマルを見届けて、フィオは部屋を出て行く。
星空や月が好きなマルの為にカーテンはしない。
マルは閉じた瞼を開け、大きな丸窓を見る。入り込む部屋を包む優しい明かりは、フィオのようだと思った。
フィオが言ったマルがフィオの顔を見たことが無いというのは気遣いからくる優しいウソなのだった。
「だって、顔は覚えてないけど、私が小さい頃に繋いだお父さんの大きな手は覚えているもの」
聴く者のいない言葉は霧散して、明かりに吸い込まれ、今度こそ目を閉じて、マルは夢のなか。
カレンはフィオの私室にお茶を持って来た。
茶菓子はと聞いたら、20時過ぎは太るからやめておく。俺ももう若くないしな。と断られた。だからお茶にも砂糖とミルクは無しだ。齢三桁を超えた辺りから数えるのをやめたと言っていたが、フィオの場合、いったい幾つから若くない部類に入るのか、カレンとっては不思議だ。
「あの忌々しい魔術師の娘であるマルが来てから五年か…」
革張りのソファーの前の洒落たテーブルに、お茶が入った白磁のカップをおく。
「ええ、そして魔術師に貴方が消滅の魔法をかけられてから五年…」
宙に浮いたカップ。風もないのに湯気が飛ぶ。
「かけられる瞬間、奴を消し炭にしたおかげで消滅は免れたが、全身透明になってしまった。しかも命あるものには触れない、触れてもすり抜ける、命あるものが触れてる物さえ、有効範囲は在れどもすり抜けるなどなど、特殊な制約があって正直面倒くさい」
「それでは好物である人も、満足に狩れませんからね」
「ああ、全くだ。俺の知るところによれば、この魔法を解くには術者の最も近しい血縁の命が必要。だが、今のままでは幼過ぎるし、何よりこんな、消滅魔法をかけられたはずなのに、全身透明にされたなんて恥ずかしくて吹聴出来ない、あまり類を見ない魔法をかけられたのは生まれて初めてだから、命をどう使うのか、そもそも命を使うで合ってるのかとか、不安要素だらけだからな…」
少しだけ飲んだ薄い金色のお茶に、斜め後ろに立つカレンの美しく整った顔が映る。
「そんな表情をするな」
「フィオ様も、同じ表情をしていますよ」
「…見えないだろ?」
「わかりますよ。長い…付き合いですから」
「そうか」
フィオは手持ち無沙汰に茶を揺らし、
「……とりあえず、マルが健やかに過ごし、幸せな一生をおくり、天寿を全うできる方向で魔法を解く鍵を探ってみる。何年かかるかわからんが、手伝ってくれるか?」
「お任せください!!」
従者であり三人家族の内の一人でもあるカレンの頼もしくも嬉しそうな応えを聞き、
「ありがとう。話しは変わるが、明日、マルは学校休みだろう。三人でどこか出かけないか?」
「良いですね。では、新しく出来たレジャーランドなど…」
休日お出かけ計画は明け方まで続き、朝食の席でどこか行きたい所はあるかとフィオに聞かれたマルが、「今日は大掃除よ」と答え、幕を閉じたのだ。
幽霊屋敷と呼ばれる屋敷に住むのは幽霊などではなく、娘として育てている少女に甘く、頭が上がらない、ただの家族であった。