心の落し物を貴方へ
暫く更新の間が空いてしまいました。
心地良い日差しが窓から差し込み、外では爽やかに小鳥が鳴いている。
朝の陽気に当てられたそこには、疲れ果てて眠っているガナードの姿があった。
現在はメイビス家の屋敷、その客室を一室ガナードに貸し与えられていた。
彼はメイビス家の当主、ノルマルドから個人的に修行を受けている身ではあるが、ガナードを気に入ったノルマルドの一言で屋敷に留めて貰っていた。
初めこそ貴族の屋敷という事もあり、郊外の村出身であるガナードは緊張していたが、ベルルマントやノルマルドが彼の想像していた貴族像から離れていたのもあり、順応してしまうのはあっという間の事であった。
ノルマルドは彼に戦闘だけではなく、王都での礼儀作法やマナー、その他にも役立ちそうな事は全て叩き込もうとしているようだ。
ベルルマントの協力もあり、最低限の作法は身につけたようだ。ノルマルドはまだ満足していないが。
そんな、彼の眠る客室の扉が軽く叩かれた。
控えめに、起きていれば気付く程度の音が部屋の中へ届くが、返事は無い。
もう一度、今度は先程より少し強く、ゆっくりとノックされる。
……返事は無い。
扉には鍵は掛けられておらず、ゆっくりと音を立てないように開かれていく。
そこから顔を覗かせていたのは、ベルルマントだった。
部屋の中を確認するように視線を走らせ、極力音を立てないように、気配を殺して部屋の中へと足を踏み入れる。
客室の扉を閉め、彼女はガナードが眠るベッドへと視線を移した。
昨日、ノルマルドと訓練をしていた時のような引き締まった顔ではなく、年相応の少し幼さの残る力の抜けた顔に、ベルルマントの視線は釘付けられる。
「なんだ、そんな顔もできたんだ……」
ベッド脇へと移動したベルルマントは、優しくガナードの頬に触れた。
「ガナード……あの人、アギサさんっていったい何者なの? それに、一緒に居たレンって人も…………ガナードの目には、あの背中しか見えていないの……?」
呟く言葉は宙に舞う。
ガナードは強くなろうとしている。それは、邪魔してはいけない事だと、強く感じていた。
そして、このままだと自分はガナードに取り残されてしまうだろうという、焦燥感が彼女の胸中に深く渦巻いていた。
離れたくない、離したくない。家族以外の誰かにこんな感情を抱く事なんて、今までは無かった筈なのに。
ベルルマントの中に、困惑と焦燥が混ざり合い、それが余計に自分に不安を駆り立てていく。貴族として振る舞う彼女の周囲に居たのは、本心をひた隠しにした関わりしか無かったのだろう。
自分が、そうであったように父であるノルマルドも他の貴族との話し合いで本心を明かすことは無い。
だからこそ。
本心を隠さない、真っ直ぐな彼の姿に心惹かれたのだろう。
「本で読んだものとは、結構違って感じるのね。ねぇ、ガナード……私、今、恋をしちゃってるかもしれない」
ゆるんだ寝顔に囁きかける彼女の表情は、とても優しいものだった。憑き物が落ちたように、さっぱりとした気持ちで。
「だからね。私、決めたの……」
優しく、髪の毛に指先が触れる。
変わらない寝息に微笑みかけ、優しく頬まで撫で下ろす。
「……私も、強くなるから。このままじゃ、駄目だと思うの。だから、だから……ごめんね」
ふわりと優しく、撫でるように唇を重ねた。
触れ合う唇の柔らかい感触と、甘く切ない恋の味がする。
「……パパには伝えてあるから。ガナード、また会いましょう。強くなって、帰ってくるから……」
決意を秘めた瞳で、彼を見据え、瞳を閉じる。
胸に秘めた恋心を、表に出さぬように。
彼の事はきっと、ノルマルドが鍛えてくれるだろう。
なら、自分は見ているだけでいいのか?
このままで彼の力になれるのか?
私は、どうしたい?
そういった自問自答を繰り返し、彼女は自分なりの答えを見つけた。
貴族としてのベルルマントではなく、ただのベルルマントとしてやりたい事を見つけた。
その為には、まず強くならなければならない。
今よりも、ずっと。
ビモグランデが動き出したという不穏な噂も流れている。
もう、時間が無い。
「貴方に黙って出ていっちゃうの、本当にごめんね。黙ってないと、私が未練がましく離れられなくなっちゃいそうだから……帰ってきた時に、沢山怒ってくれていいからね」
客室の扉は再び閉じられ、静寂だけが残る。
そして、この日から屋敷からベルルマントの姿は消えた。




