紅い雪
感情も抑揚も何一つ感じられない冷たい声。この場に聴こえたそれにその場に居た全員の動きが凍り付く。
「だ、誰だ!! まだ仲間が居たのか!? 隠れてないで出てこい!!!」
マディガンが周囲へ視線を迸らせながら叫ぶ。乱された集中は技にも影響を与え、コントロールを失った破壊のシャボンは霧散して消えていく。
『私は隠れてなどいませんよ。さっきからずっと居るじゃないですか』
「う、うわぁぁっ!?? 」
「な、なんだこいつは!?」
静まり返った空間に再び聴こえる謎の声。それは、兵士達二人が押さえ付けていたアギサだったもの。その胴体から響くように聴こえていた。
その事に真っ先に気付いたビモグランデの兵士二人は、あまりの状況に思わず身を引いて手を離してしまう。当然だ。確実に首を落とし、命を刈り取った筈のモノから声がするのだ。
不気味に思わないわけがない。
それほどまでに、異質。
手放された胴体は、そのまま重力に従い地面へと倒れ込む。
「ア、アギサ……なの、ですか……?」
震える声で問い掛けるレンに、それは答えない。
「わ、私は助かった……っすか?」
「……どうやら、そのようですね。リルリィ、私から離れないでください。次も助かるとは言いきれません」
「わ、分かったっす!」
そうして、杖を構えるレンの背後に回り込むリルリィ。剣を抜いてはいるが、この場では攻撃にはほぼ意味が無いのは理解しているのだろう。腹を盾に見立てて、自身の急所を覆い隠すように構える。
『…………何か違和感があると思ったら、まったく。頭も腕もこわされているではないですか。首からオイル漏れてますし……飾りだから問題ありませんが』
口調とは裏腹に抑揚も感情も感じられない無機質な声。それが一層に不気味さに拍車を掛ける。
そして、ついに。ついに、その瞬間は訪れる。
理解したくない現実。有り得ないと、切り捨ててしまいたい現実。
『……片腕というのも不便ですね』
動き出したのだ。死体が。頭を失った状態で。左腕も失った状況で、それが当然と言わんばかりに、動き出し、ゆっくりと起き上がって見せたのだ。
「な、何者なんだ!! 何なんだお前はァァァ!!?」
狂乱混じりにマディガンが叫ぶ。
これは、きっと幻覚に違いない。せめて、一撃でも当ててしまえば……。
マディガンの魔鎧、リーヴォルグから破壊のシャボンが高速で放たれる。
それは、真っ直ぐに起き上がったナニカに向かっていき、翳された右腕に触れた瞬間夢想のように消え去ってしまう。
『ワンパターンすぎます。それは、もう効きません』
無機質な声は言い放つ。
「そんな馬鹿な話が、あるものかァァァ!!! 渾身のヴォルグストームだ! 満身創痍のその体で、防げるものではない!!!」
その言葉がマディガンに火をつける。逆上とも呼べる衝動に身を任せ、数多の破壊のシャボンをナニカの周囲へと散開させていく。
マディガンの意思に従って、シャボンはナニカを完全に包囲する。
数多に降り注ぐ破壊の嵐は、周囲のものを削り取って吹き荒れる。
その数は、先程までレン達を襲っていたものより多くも感じさせる。
その様子を、歯を食いしばって眺めるレン。
今は、被害がこちらに及ばないように自分とリルリィを対象に障壁を展開させるだけで手一杯なのだ。破壊のシャボンの余波が、二人をも襲っていた。
『聞こえませんでしたか? それはもう"効かない"。そう言っているのですよ』
冷たく、無機質な宣告。
だが、マディガンにはその言葉が神経を逆撫でする不快なものにしか聞こえない。
「ふ、ふざけるなァァァッッ!!」
「マディガン様、お辞めください! この距離では私達にも……!!」
「そんな……マディガン様!!」
ナニカの傍に居たビモグランデの兵士二人は、既にマディガンの視界から消え失せていた。あるのは、不愉快な白いナニカのみ。リーヴォルグの破壊の嵐がそれを中心に吹き荒れた。
「アギサ……」
レンも、その光景をただ見ている事しか出来ずにいた。
だが、破壊はそのナニカに届く事は無かった。
『忠告した筈です。効かないと。馬鹿ですか?』
ナニカが右腕を軽く振った。動作としてはそれだけだった。それだけで、シャボンが全て掻き消されてしまう程の暴風が吹き荒れたのだ。暴風は砂煙を巻き上げ、紫電を迸らせる。
この時既にビモグランデの兵士達二人は息絶えていた。それが、マディガンによるものなのか、白いナニカによるものなのかは分からない。
それすらも、次の腕の一振りで最初から無かったかのように消えてしまったのだ。
マディガンは、膝から崩れ落ちる。
勝てる未来が想像出来ない。それを頭で理解してしまった瞬間、糸が切れたように全身から力が抜けてしまった。
『己を悔い、そして呪え』
「ヒッ……!?」
ナニカはマディガンへと歩み寄り、頭を掴んで持ち上げる。
『断罪の墓氷となり砕けなさい』
「や、やめ……」
言い終わると同時に、マディガンは物言わぬ氷像と化す。その一瞬で凍り付いた体はバランスを失い、地面へと吸い込まれ、粒子のように砕け散った。
夕暮れに紅い雪を纏い、ナニカは静かにその場に佇んでいた。




