二話「この世界と竜」
「あれ……」
とある真夜中、ティアは誰かが……
アルフレッドが家から出ていく音に目を覚ました。
ゆっくり体を起こし、窓からその姿を確認する。
「森?」
ふと、仕事関係かと思ったが彼がこんな時間に外出しないことを知っている。
この時間は、獣も凶暴化したり。普段出会わないような魔物も徘徊している。
「……」
ティアはアルフレッドの行き先が気になったが、
この時間に外出することも出歩くことも禁止されていた。
「少しだけなら……いいよね」
そう言って、ティアは服装を整えると静かに家から出た。
彼のあとを追うように森へと足を踏み入れる。
昼とは全く違う雰囲気に少々恐怖を感じるが
それを好奇心が勝ったティアはゆっくり奥へ奥へと進んでいく。
「ひぃっ!」
突然の物音に驚きの声を上げるが、
それは風であったり、小動物だったりと
無害なものがほとんどであった。
しかし、蓄積されていく恐怖心は限界に近づく。
「大丈夫……大丈夫……」
そう自分に言い聞かせて平静を保つ。
いつでも反撃できるように魔力を集中させる。
しばらく、進むが未だにアルフレッドを視界に
捉えることができないでいた。
「どこまで行ったんだろう……」
もしかしたら入れ違った、などと考えて始めた時
ふと、何者かに触れられた。
大きな悲鳴を上げてその方向へ魔法を放つ。
森が焼き消えると思える程の大きな魔法が
真っ暗な夜を明るく照らし、そして直ぐに暗闇へと戻る。
魔法が消えると、そこには悪戯に笑みを浮かべるアルフレッドと
焼けて野原になった森であったものが存在していた。
「熱いよ」
その一言にティアは腰を抜かしてしまった。
彼との付き合いの中でその異様な実力差はいつも感じていた
人間としての本能が自然と直感的な死、またはそれと同等の
恐怖を感じていた。
「ご、ごめんなさい……殺さないで……」
「心外だなぁ」
そう言ってアルフレッドはティアを立たせるとニッと笑った。
「態々、ついてこなくてもよかったのに。そんなに気になった?」
「気になりました」
「素直だね。なんで帝都になんて……って言っても無駄なんだった」
アルフレッドは焼き野原となった道をゆっくり歩き始める。
唖然と立ち尽くすティアを横目で一瞬みると
「おいてくよ」と問いかけた。
ティアは黙ってアルフレッドのあとを追いかける。
彼から未だに恐怖心を感じるティアは自然と足取りが重くなる。
時々、こちらの様子を振り返って確認するその動きが監視しているように見えて尚更それが恐怖心を煽る。
「ついたよ」
そう言われティアは顔を上げる。
そこには山の岩肌の大きく空いた洞穴だった。
なにかを聞きたいのだが余計な事と思い言葉がでない。
アルフレッドはティアの様子を気にすることもなくその穴へと歩む。
黙って彼のあとを追う。
「あ、あの……」
暗い穴を進んでいく不安にティアが口を開く
アルフレッドは一瞬、足を止める。
ティアもそれにつられ足を止める、
アルフレッドが「続けて」と声をかけるがティアは声を出すことができない。
低く唸りを上げ、奥の暗闇からこちらを眺める紅く光り輝く双眸
「やっぱりいたね」
その姿を見て薄く笑みを浮かべる目の前の少年がやはり恐ろしく感じる。
双眸の何かは暗闇で小さく唸りを上げ、こちらへ近づいてくる
ティアからは姿が見えない、しかしアルフレッドは明らかにそれを見ている。
「動かないで音を出さないで」
先程よりも冷たい声でアルフレッドは呟く
ティアは声も出さずに激しく頷く
刹那、彼の姿が消えると同時に何かがティアの側を掠める。
通常、人間の脳は自身の理解を超える現象を視認すると思考が止まる。
ティアはその場で腰を抜かし座り込む
紅い双眸と荒い息遣いが近づいてくる。
生ぬるい何かが体を這う、思考は完全に死んでいる。
生きようとする人間の本能すら停止していた、反撃の余地もない。
むせ返るような匂いが体を包むとその何かはしばらくすると奥へと引っ込む。
そして静かに低く声のようなものが響く。
「ニンゲンカ……」
それはとても人の声帯から発せられるものとは思えぬ声。
それがティアの頭に響くように聞こえる。
「あ……ああ……」
声にならない声で一生懸命言葉を発するが恐怖で体が震え
うまく声がでない、ただうめき声に似たなにかを発するだけだ。
「恐怖スルナ……私ハニンゲンヲ襲ワナイ」
目の前のそれが突然青白く発光する。
そして暗闇が消えそこには美しい鱗に覆われ長い胴を持った竜がいた。
青い鱗は煌びやかに輝き、その恐怖であった双眸は美しく象られた
まるで彫刻のようにも見える。
「きれい……」
思わずそうつぶやく、今までの恐怖は消え
目の前の美しい生き物に心奪われていた。
しかし、その光をまるで消し去るように一閃の光が洞窟を照らし
その美しい竜の体を打ち抜く。
打たれた竜はその鱗を散らし、苦しく悶える。
「俺のものに手を出すな……」
姿が見えなくなった、アルフレッドがティアの後ろからゆっくりと歩いてくる。
服はボロボロに裂け、その隙間から見える皮膚は幾千の傷が刻まれている。
そしてその顔には今まで見たこともない笑みを浮かべ
その狂ったような双眸は美しき竜を凝視している。
「さすがにかてえな。四石の竜は……」
そしてアルフレッドが構えた右腕に光が収束する。
「マ、マテ人間。我ラニ敵意ハナイ」
しかし、その声が聞こえていないのかアルフレッドは構わず続ける。
聴き慣れた詠唱と同時に大きな稲妻が暗闇を駆け抜け竜へと当たるが
竜はまるでもとから攻撃などなかったかのようにそれを消し去った。
「ほう……さすが蒼の竜、魔法に関しちゃ無敵ってわけか」
そう問いかけるアルフレッドの顔から余裕が消えている
しかし依然とその恐ろしさは消えない、まるで竜に身内を殺された
そんな気概さえみえる。
「話合ワナイカ人間……」
なるべく刺激しないよう竜は言葉を選ぶかのように話す。
「今更お前たちとなにを話すのか……そもそも自分たちの立場がわかってないんじゃないのか」
竜は焦っていた、もともと手負いの体に残り少ない魔力
さらに目の前の子供は今の状態では一時と持たないであろう
自分をねじ伏せる力を持っている。
そしておそらく大戦の被害者であることも見て取れた……
戦争孤児が一番自分との邂逅が難しいことを知っている。
「頼ム、我々モ余裕ガナイ……」
そう言って竜は頭を下げる。
「なら、四石の王とお前たちが逃げた理由を教えろ」
すると竜はしばし悩みこう言った。
「ソレハデキナイ、我々ニハ発言権ガ設定サレテイナイ。ダカラソノ頼ミハ……」
瞬時、稲妻が走り竜の障壁を突き抜けその鱗を焼き焦がす。
彼の焦燥と怒りに満ちた瞳が竜を睨みつける。
「余計なことは聞きたくない。話さないならここで殺す……」
「我トテ四石ノ竜ノ端クレ貴様ゴトキ小僧ヲ殺スコトグライ造作ナイゾ」
竜の瞳が光り、不思議な青い光が竜を取り囲む。
負けじとアルフレッドも両の手が黄色い光が収束する。
暗闇しかなかった洞窟が青と黄の光が混ざり合い輝く。
ティアですらこの状況を理解した
ぶつかり合えばお互い無事ではすまないと……
「ま、まって……」
しかし、収束する魔力の波動がか細い声をかき消す。
二つの大きな魔力が今まさにぶつかろうとしている。
ティアはよろよろと立ち上がり
アルフレッドの前へと歩き出す。
その様子に一瞬、ためらうがアルフレッドは冷たく「邪魔だよ」と叫ぶ。
それでも彼女はゆっくり近づいてくる。
竜はその様子を怪訝そうに眺める。
「邪魔するならお前ごと打つぞ」
歩みをやめぬティアにアルフレッドが怒鳴りつける。
そして嗚咽の混じった声でアルフレッドの体に抱きつき耳元で囁いた。
「やめて……いなくならないで……」
アルフレッドは魔力を解いて、ティアを抱き返す。
「ごめん……」と呟いて竜に叫んだ。
「話せる範囲で話し合おう」
竜の話はまるでおとぎ話のようだった。
四石の竜とは「霊峰セーングリア」を守護する四匹の竜のことを指す。
朱の石竜ガーネット、蒼の石竜アイオライト、翠の石竜サンドライト、紫の竜アメシスト。
本来は霊峰から彼らが姿を見せることはない
しかし、五年前のある日……霊峰に鎮座する四石の王が突然消えた。
暗黒の雲が霊峰を包み、辺りは腐海の森と化した
それから各国や地方で大型の魔物や怪物が次々と出現するようになった
これらは腐海の森の影響で腐海化した普通の動物達である。
腐海化の影響を受けた動物は凶暴性が増し、目に映るものをところ構わず襲い。
しかも、体は硬化し筋力は増加、さらに死に対して恐怖を感じなくなり厄介なものへと変化してしまう。
この変化は腐海化の影響を受けてからゆっくりと変貌していくため気が付くことも難しく、逃げてきた家畜が腐海化し人を襲うといった事件もあった。
さらに霊峰が暗黒化した影響で四石が逃げ出したと同時にいろんな腐海化した生物が霊峰から下山したため五年前はまるで戦争のように腐海化した物と人間の戦いが至るところで勃発していた。
帝都は被害を沈静化させるために各地方に関所を設置し必要のない出国、入国の制限をかけた、それにより被害は抑えられたが代わりに物価の上昇と兵力増強のために徴兵と増税が国民に降りかかった。
しかし、安全に生きるためと人々は文句言わずに協力した
二年前ほどから腐海化した生物は息を潜め始め、縄張りに近づかなければ
襲ってこないようにまで沈静化したが帝都の関所による制限はまだ解除されていなかった。
現在では価格が抑えられているが、それでも高い価格設定をされるほど交易も制限されている。
とくに薬など専門の材料が必要とされるものはとてもじゃないが手出しできるような値段ではない。
そんな現状を帝都のせいにするものが反乱を起こした。
これが「反帝軍セルバ」
霊峰から下山してきた竜を憎む「滅竜リード」と
二つのグループが結成され、三つ巴の膠着状態になっている。
そのため竜は嫌悪の対象とされている。
竜の話はここからである。
霊峰に訪れた暗黒は意思を持っており、世界の破滅の協力を申してきたが
霊峰の王がそれを拒否、すると暗黒は霊峰の王を連れ去り
すべてを包み込んでしまった。
王の命令により四石の竜は霊峰に住む生物を連れ下山した
ところが腐海化の影響で暴走した彼らを統率することができず野放しにする以外方法がなかった。
それどころか腐海化した生物に襲われ、竜は姿を消して身を潜めたらしい。
気が付けば人間は生物を連れ下山した竜を嫌悪するようになっていた。
なんども四石の竜は人間と接触し交渉をしてきたがすべて無下にされ
行き場を失い、今はもう人間と腐海化した生物を恐れ各々姿を隠した。
竜は昔のように威厳ある生物ではなく、ただ死を恐れ逃げ惑うものになってしまった。
そう蒼の竜は語った。
二人は竜の話を黙って聞いていた。
そして話終わるとアルフレッドはこう言った。
「それで、僕にあなたを見逃せと言うのですか」
先程までと別人のようにその言葉、視線に殺気は含まれていない。
竜は頭に響く声で静かにこう言った。
「君達ニンゲンガ我々ヲ憎ム気持チハ理解デキル、ダガ我々モ王ノ身ヲ案ジドウニカシタイト思ッテイル……我ハドウナロウト構ワナイ、シカシ一度ダケ頼ミヲ聞イテハクレヌカ」
そう言って竜は静かに頭を下げた
アルフレッドは本気で悩んでいるがティアは二つ返事で承諾した。
「でもアルフがよければだけど……」と付け加えた。
これはティアなりの遠慮であったがアルフレッドとしては頭を抱える問題であった。
「少し考えさせてくれ」
そう竜に告げる、アルフレッドを竜は感謝を述べた。
竜は「今シバラクココニイル、断リデモイイマタ会イニキテホシイ」
と眠りに就いた。
二人は、暗い洞窟を出ると焼け野原となった森を町へと戻っていく。
「セット。フォレスト。アクション」
戻り際、アルフレッドの魔法により簡易的に森を修復した。
その力は明らかにその年代の人間の許容を超えているが
今のティアにその判断をすることはできないし
もし出来たとしてもそれを疑問に思うことはなかったであろう。
次の朝、まさか二人の一連の行動が世界を変えてしまうとは今のだれにも
わかるはずがなかった。