プロローグ
少年は微睡みのなかから意識を呼び戻す。
混乱した思考が五感を鈍くさせているがゆっくりはっきりとした意識が戻ってくる。
瞼を開ける……見慣れない天井と匂いがやってくる。
自分の記憶と現状を照らし合わせるが噛み合わない……
しかし、それをおかしいと思うはずの自分がいないことに疑問を持つこともなく体を起こす。
辺りを見回すと古びた木製の家具とオイルランプの照明がぶら下がってるいる。
窓から見える景色は野と山に覆われた美しい自然が見える。
「おはよう。今日は随分遅いのね」
幾らか年を取っているであろう女性が盆に食器を乗せて部屋にやってくる。
女性はベッドに備え付けられた机に食器を綺麗に並べると近くの椅子に座った。
「熱いからゆっくりね」
女性は優しそうに微笑む。
少年はとくに抵抗もなく並べられた料理を口へ運ぶ。
「おいしい……」
初めて食べるはずの料理が懐かしいように口に広がる。
しかし、疑問には思わない。
まるで当たり前だったかのように違和感がない。
「珍しい、そんな風に食べてくれるなんて」
女性が驚いたように声を上げる。
そして嬉しそうな表情をする。
少年は、ここに来て違和感を感じる……いや今まで違和感はあったのだがそれを違和感だと気づかなかった。
しかし、今は違う、目の前の女性が誰なのか疑問に思う。
それと同時にすべての現状が違和感としてやってくる。
「僕はだれだ……?」
思わず口に出してしまった。
ハッとして女性を見るが変わらずニコニコと笑顔を見せている。
「新しい遊び?」
女性がそう聞いてくる、なんて答えるのか答えればいいのか。
処理が追いつかない、僕は誰でここはどこでこの女性は誰なんだ。
この食事は、季節は、時代は時代……
数々の疑問がすべて頭に浮かびあがりそれが頭を支配する。
聞くしかない、解決方法は他にない。
そして恐る恐る口を開く。
「すみません、なにも覚えてないのです。ここはどこで僕は誰ですか?」
女性はハッとした表情で慌てて立ち上がり少年の顔をしっかりとみる。
その表情を見てなのか、その言葉を信じてなのか女性はそのまま部屋を飛び出していく。
戻ってきた時には町一番の医者を連れてきてだった。
少年は、断片的な記憶障害であると言われた。
常識、道徳。そういったものは忘れていないが名前や地名などといったものを一切覚えていなかった。
しかし、生活に支障がないと判断され記憶を取り戻すことは自然にと判断された。
少年の名前は「アルフレッド」
元気で明るい少年でよく悪戯をする男の子だった。
母親のシチューが好物だが、おいしいと言ったことはなかったそうだ。
そんな少年が自分を自分と認識できなくなってしまってから、五年の歳月がたった。
幸いにも失った記憶は周りの助けもあり補完することができた、そのため生活に困ることはなかった。
しかし、母親はなかなか受け入れることができなかった。
今までは人が変わったように、人を思いやる賢い人間になったアルフレッドを周りの人間は褒めるばかりだった……それが母親の心に負担を与えていることにだれも気付けなかった。
そして母親の精神負担が限界に来ていたときにある知らせが届いた。
「そ、そんな……」
母親は届いた知らせを見て膝をついた。
アルフレッドがそれを見たとき、そこにはアルフレッドの父親が死んだことの知らせが書かれていた。
アルフレッドが母親に声を掛けようとしたとき、母親は金切り声をあげてその場で意識を失った。
―――交易町レルア―――
「おはようございます」
町の中央に存在する市場、そこの酒場に少し幼い面影を残す少年が現れた。
場違いな雰囲気を醸し出しているが回りは違和感なく受け入れ挨拶を交わしている。
少年は酒場のカウンターに腰掛けると鞄から鉱石のようなものを取り出しておいた。
すると従業員であろう一人がそれを受け取り奥へと消え去る、入れ違いに出てきた従業員が麻でできた小袋を渡し一礼する。
少年も礼を返すとそのまま酒場を後にした。
酒場を出ると初老にかかろうかという老人が話しかけてくる。
「なんだ、また小遣い稼ぎか?」
少年は「またか……」といった感じだったが簡潔に肯定する。
「そうかそうか、怪我せんように気をつけろよ、まあお前は大丈夫だろうがな」
といいながら笑い出す、少年は「急ぐので」とつぶやき一礼してその場を去る。
町中を駆け足で進む、騒がしい市場を抜けると徐々に回りはさびしい風景へと変わっていく、もうそろそろ森へ差し掛かるというあたりで小さな一軒の家が見えてきた。
少年はその勢いのまま扉を押し開けて駆け込む。
「ただいま!」
少年が声をかけるが反応はない、それを気にもしない様子で奥の部屋へと駆け込む。
そこにはベッドに横たわる女性が一人いた。
「ただいま、母さん」
そういうと枕もとの小箱に小袋を入れる、そこには同じような袋がいくつも入っていた。
少年は大事そうにその箱を枕元におき直すとそそくさとその場を後にした。
家を出ると、近くを通りかかった女性が話しかけてくる。
「あら、アルちゃん仕事帰り?」
「これからもう一個」
「関心ね、お母さんの様子は?」
「変わらない。すみませんが急ぎますので」
「ごめんなさいね」
少年は早々と走り出し森の奥へと消えていく。
女性はその姿を心配そうに見つめていた。
―――レルアの森・深部―――
「くっそ……こんなところで上級種と出会うなんて……」
右肩から血を流しながらも全力で森を駆ける少女がいた。
「グエエエエエエ」
巨大な羽と大きなくちばしを携えた翼竜のような怪物が少女の後を追いかける。
少女は木々や倒木をうまくすり抜け速度を落とさないようにしているが、怪物はそれらをものともせず木々をなぎ倒して向かってくる。
しかし、怪物の速度は落ちず正反対に少女の速度は落ちていく。
「嫌だ……死にたくないよ……」
少女は切れ切れの息で死にたくない一身でその足にさらに力を込めた。
「ん、今の音……」
幼さ残す姿から似合わない、銀の短剣ダガーを携えた少年は息絶えた狼を担ぎながら聞きなれない音が耳に障った気がした。
確信はないが少年はその死体を当たりに捨てると一目散に走り出す。
「獣かな……急ぐか……」
ふと手が赤く光ったと思うとそれを地面にかざす
すると少年の体は軽々と飛び上がり森の木々を超えた。
そのまま、木と木の上を器用に飛び回る。
「嘘……嫌だ……」
少女はその場に力なく座り込む。
疲労がピークになり足に力が入らない。
その瞳からは自然と涙が零れる。
自身の命が失われることを感じたのか、それとも拒否したのか頭か思考が消える。
ただ、死ぬということだけを理解した。
「グエエエエエエエエエエエエエエ」
鳥のなり損ないのような化け物は醜悪な体を揺らしながら近づいてくる。
狩猟者の本能か獲物をゆっくり追い詰める、ゆっくりとゆっくりと。
「あ……あぁ……」
少女から思考が完全に失われる一歩前、反射的に魔法を発動させる。
手のひらから炎の塊が放たれ、怪物の顔に直撃する。
しかし、それを意に解さないどころか逆に死にぞこないの一撃を貰い怪物は歓喜にも似た雄たけびをあげる。
「グエッ、グエッ!」
獲物の最後の抵抗が心を擽ったのか化物はその手を大きなクチバシで加えるとそのまま腕ごと引きちぎる。
「イヤアアアアアアアアアアアアアア」
少女の悲鳴が森に響き渡る。
それを聞くと、化物は嬉しそうに少女の体をクチバシで転がす。
次は足か、それともまた腕か、まるで選りすぐるかのようにゆっくり舐めまわす。
「嫌だ、殺してよ……」
その瞳は色を失い、すべてに絶望していた。
「グエゥ」
少女の目の前で化物が大きく仰け反る。
「痛い……やっぱり近接はだめだ……」
その声に少女は顔を上げる、痛みで目も霞むが自分より年下であろう少年がそこに立ってるのが分かる。
しかし、それを最後に少女の視界は暗転した。
少女が目を覚ますと、どこかの家のベッドにいた。
力がうまく入らないがゆっくり首を動かす。
宿ではなく、どこかの民家か、うまく思考が回らない。
それどころか、自身がなぜ生きてるのか、それすら理解できてない。
「いい匂い……?」
ふと鼻に触れるその匂いは懐かしいような感じすら感じる。
すると足音が近づいて来るのが分かる、それはこちらに徐々に近づいてくる。
少女は僅かながら身構えるが、それが無駄なことだとすぐに理解した。
ここにいるということはすぐにでも自分を殺すことが目的ではないと思ったからだ、少女は少なからずまともな思考が出来てきていることに安堵した。
「起きたの?」
不意打ちで声が聞こえる、少女は慌てて視線を移すが
そこには自分より幼い少年がお盆と暖かいスープをもってそこに立っていた。
どこかで見たと思ったがそれより優先すべきことがあった。
「ここは?」
まず最初に発した言葉がこれだった。
なによりも気になったことだった。
「食事はできる?」
少年は少女の言葉を無視して、近くの机にお盆を置いた。
「あなたは?」
その言葉を聞くと少年はちょっと顔をしかめた。
「僕はアルフレッド。ここは僕の家だよ。聞きたいことはもうない?」
口早にそれだけ言うと少年はスープを少女の口に無理やり運ぶ。
「ま、まって起きるから!」
少女は慌てて起き上がるが、激痛がはしり直ぐにうずくまる。
「無理しないでよ、寝てていいから」
アルフレッドは憤りながら、少女の体を整え毛布をかける。
「食べれるようになったら勝手に食べてそれまで寝ててね」
それだけ言い残すとそそくさと部屋を後にした。
一人残された少女は自分が自己紹介し返していないことに気がついたがそれどころじゃなかった。
あっという間に意識を失い、深い眠りについた。