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夏期講習の後、家族で旅行に出かけることはちゆちゃんの口から直接聞いていたし、わたしもわたしで補習が終わった後は親戚の家に長く滞在することになっていたから、夏休みになったら今までのように逢えなくなるという問題が大きいといえば大きかった。でも、一番の問題は時間的なものでも、物理的なものでもなく、もっと精神的なもの、ずっと感覚的なもので、それが何かといえば、ちゆちゃんの中に、わたしの存在がひとつも感じられないことだった。
どんなに近くにいても、触れ合っても、教室に戻ればいつもちゆちゃんのそばには誰かがいて、その誰かはわたしと同じように手を取ったり抱きついたり、ちゆちゃんもちゆちゃんで、わたしに向けた笑顔と同じ笑顔を振りまいたり、わたしに触れるように他の誰かに優しくしたりと、そこにわたしだけという特別なものが一切なかった。
わたしができることなんて誰でもできて。
わたしがされることなんて誰でもされて。
それを知った、あるいは思い知らされた時、わたしはいらいらの正体が悔しさと、どうにもできない歯がゆさからくるものだと気づいてしまった。




