「好意には甘えておきましょう、そう言ったんです」
記憶というものは実に曖昧なもので、自分の都合の良いように、または悪いように簡単に改変されてしまったりもする。
特に幼い時の記憶というものは実に曖昧で、ふとしたキッカケで思い出し、「ああ、こんなことがあったなぁ」とか「なんで忘れてしまっていたんだろう」なんて過去の思い出に耽ることもあるだろう。
俺は、葬儀に出席しながらそんなことを、ぼんやり考えていた。
――あの時、駆け寄ってきた彼は、存在しなかった。
実際には30センチなんてズレてなくて、巻き込まれて。
自動車のバンパーと柱に押しつぶされて。
首から上が破裂した。
突っ込んできた自動車は、藍原をなぎ倒し、バンパーにその頭蓋を引っ掛け、そのまま柱に激突して止まった。
彼はあたりに脳漿をぶちまけて、即死だったという。
――その状況を俺は目撃したんだと“思う”。
あまりに衝撃的な状況を、俺の脳は許容できず、はたまた助かったことへの安堵か、その後すぐ気を失ったらしい。
現実でなく、幻実だったのか。
棺桶に横たわる彼だったものは、体のほとんどを包帯で巻かれており、顔に至ってはその上から真っ白い布を被されて、まるでデッサン人形のようになっていた。
次の日は、この出来事により左足首を骨折した青山さんのお見舞いに行った。
申し訳ないことに、結構強く突き飛ばしたらしく骨折していたらしい。
病室に入ると、左足首をギブスで固定された彼女が上半身だけベッドから起こして、仏頂面でテレビを見ていた。
――ピンク色の生地に、小さい星と、うさぎさんがデコレーションされた子ども用のパジャマを着ていた。
「やぁ」
俺が声をかけると、彼女は小動物のようにビクッとしてコッチに顔を向ける。
「……白沢くん?」
みるみる顔を真っ赤にして、バッと布団に包まってしまった。
その仕草が年相応――姿相応に可愛らしかったので、思わず苦笑してしまう。
「お見舞いに来たよ、大丈夫?」
包まったまま彼女は答える。
「……不服です」
聞くと、彼女に合うサイズのパジャマはこれしかなかったらしい。
「骨折だって? ごめんね、強く突き飛ばしちゃって」
「……謝らないでください、こっちがお礼を言うべきなのですから。……骨折といっても、軽くヒビが入っただけらしいので、一週間ほどで退院できるそうです」
「それは良かった」
「白沢くんと……藍原くんの方は?」
「俺は肘と足を少し打ったくらいかな。……ただ、玲司は」
そこまで言って、言葉を飲み込む。
「……」
雰囲気から悟ったのか、彼女もそれ以上言及しなかった。
「……そういえば、サークル。見に行けてなかったですね」
「そうなんだよ、気味悪いことにあの車。……人が乗ってなかったんだよ! あと、運転席のシートにFとかO……いや、∞だったかな。とにかくそんな文字がたくさん書いてあってさ……」
聞き込みをしていく過程で、あの事故――事件を目撃した人が口を揃えて言うことはだいたいこのことだった。
――人が乗っていない。
――FとOのアルファベット。
「確かにそれは気持ち悪いですね」
夕方、大学の講義が終わると青山さんの病室に立ち寄ることが日課になっていた俺は、講義のプリントと、ノートのコピーを渡しながら、そのついでに聞き込みで得た情報を彼女に伝えていた。
「白沢くんって、お人好しって言われません?」
「いや、全然」
反射的に苦笑する。
彼女は「……別にこんなことしなくてもいいんですよ?」と憂いを帯びた表情で飲みかけのペットボトルのお茶に口をつける。
「というか、なんかもうね、うちの課程で“青山係”は俺になってるみたいでさ」
――ぶはぁっと。
それはもう盛大に。
漫画みたいに。
青山さんはお茶を吹き出した。
ゲホッゲホッゲホッと派手に咳き込む。
「だ、大丈夫!?」
「な、な、な、なんですか!? “青山係”って!?」
「ほら、小学校の時、帰る方向一緒の奴が休んだらプリント持ってくみたいな係あったじゃん。それみたいなやつ」
「私は小学生ですか!?」
――たぶんそんな扱いされてるよな。
なんて言ったら怒るだろうか。
「いろいろ迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
「なんであやまるの? 言っとくけど迷惑とか考えるなよ、俺としては友達にはこれぐらい当たり前なんだから」
言ってしまったあとになって、恥ずかしくなりちょっと目をそらす。
ふふふ、と彼女は笑ってこうつぶやいた。
「本当に……か……な……だから」
「え?」
声がかすれていたようで、うまく聞き取れなかった。
「好意には甘えておきましょう、そう言ったんです」
そう言って微笑んだ彼女に、俺は少し見とれてしまった。