「……いつまで抱きしめてるのかな?」
「……ハァァァァァ」
俺の姿を確認するや否や彼女は条件反射のように深いため息をついた。
「またあなたですか、白沢くん。それと……あなたは……」
青山さんは俺の隣に立つ、茶髪に目線を送る。
どうやら名前を覚えていないようだ。それを察したのか、玲司は軽く自己紹介をした。
「同じ課程の藍原です。よろしくー」
怪訝な顔で軽く会釈をする青山さん。
「それで、私に何のようです?」
冷ややかな視線で俺を睨みつける。
俺はその眼光に耐えながら口を開く。
「今日の放課後だけど……サークルとか、見に行かない?」
新学期4月、新入生が大学に入学してくるともなると、新たなる部員やサークルメンバー獲得に目を光らせる上級生の群れが、新入生の登校に合わせて毎朝ビラ配りをしている。別に受け取る必要もないのだが、結局のところ俺は、大学の正門を通って1時間目の講義がある教室に着くまでに数十枚単位のビラを両手に抱える羽目になっていた。
「俺はもう軽音楽部に入ったからー」
なんて言っているのは玲司だ。
初日に入部を決めていたらしい。
「ギター弾いてみたかったんだよね」
と、目をキラキラさせて語る姿はなんかちょっと子どもっぽかった。
にしても、茶髪イケメンのこいつがギター弾くと絵にはなるよなぁ。そう考えるとイケメンって本当に得な存在だ。
「敬ちゃんはどうするん?」
「……なれなれしいな、お前」
「持ち味なんで」
「まぁ別にいいけどさ。……サークルとかまだ決めてないよ」
「ふーん」
玲司は興味なさげに返答をしたかと思うと、次の瞬間何かを思いついたようにいやらしくニタァと笑い――
「じゃあさ、青山さんを誘って“サークル巡り”しようぜ!」
と、提案したのであった。
これが約十分前の出来事である。
青山さんが乗ってくるはずないと、そう思っていた。
思っていたんだが、物語は思いがけない方向に進むもので、思いのほか彼女は簡単に承諾した。
「いいですよ」
「え?」
「だから、行くって言ったんです」
「なんで!?」
「あなたも変な人ですね。誘っておいてその言い草はないでしょう」
「あ、……ごめん」
青山さんは大げさにため息を着いた。
「断ったとしても、明日明後日も誘ってくるんでしょう。ねえ、藍原くん?」
隣でクスクス笑っていた玲司に、青山さんは同意を求めた。
「まぁ、その予定だったよ」
まじか。
「それなら最初から承諾していたほうが疲れません。――そのかわり」
条件です。と彼女は付け加えた。
「今日で私に話しかけるのは最後にしてくださいね、白沢くん」
ニッコリと満面の笑みで、釘を刺されてしまった。
と、そんな約束を取り付けたのが昼休みだったので、この3人で学食“セレーノ”へ行くことになった。正確には、セレーノへ向かう青山さんに俺たちが無理やりくっついていったというほうが正しいのだが。
――ちなみに学食に名前が存在することはこの時初めて知った。玲司が「学食に名前がついてるなんておもしろいよねー」と言ったためである。
「え、伊織ちゃん、大盛りカツカレー食べるの!? 食べきれるの?」
「この前もカツカレーだったけど、完食してたよ。この子」
「まじで!?」
「……食事中は静かにしましょうって習わなかったんですか?」
青山さんに注意された玲司は、肉うどんデリシャススペシャルを啜りながら「はぁい」と肩をすくめて黙った。
傍から見れば、幼女に大学生(男)が注意されている光景は非常に滑稽であっただろう。
周りからの視線が、空気の読めない俺でもチクチク刺さるのを感じていた。
てか、こいつサラッと“伊織ちゃん”って言ってなかったか!?
――沈黙が訪れる。
……。
…………。
………………。
……気まずい!
さっきの「静かにしましょう」発言で会話が止まってしまった。
青山さんは一心不乱にカツカレーをほおばっているし、もとより会話する気ないし。
玲司は玲司でいつのまにか取り出したスマートフォンを弄りだしてる。
付き合いが短いが故の沈黙。
その居心地の悪さに負けて、俺は口を開く。
「次の時間俺たち空きコマだよね? 2人は何をするん?」
「勉強ですよ」
「いろいろかなー」
……。
…………。
………………。
コメントしづらい!
もうちょっと何かあるだろ!
――ところで話は変わるが、俺たち3人は学食セレーノの窓際の席に陣取っていた。
その時、俺――白沢敬助――は気づくことになる。
異変。
それも一刻を争う異変。
そのことに気づけたのは幸運といってもいい。
無言時間に耐えられなくなり、なにげなく窓の外に目をやることで気づけた。気づくことができた。
そして、気づいたと同時に席を立ち、対面に座る青山さんに突進“することができた”。
「へ?」
間抜けな声を発した小さい彼女を両手で抱きしめて、全力で向こう側へダイブする。
――瞬間。
俺たちが今の今まで座っていた場所に“それ”が直撃した。
“それ”は窓ガラスを突き破り、テーブルをなぎ倒し、貫いて、柱に激突し、「ボンッ」と煙を出して止まった。
一瞬にして修羅場と化すセレーノ店内。
悲鳴とか、怒号とか、そんなものはどうでもよくて、俺は直撃した“それ”の正体を確認する。
“それ“は自動車だった。
自動車が俺たちのテーブルに突っ込んできたのだった。
鉄の塊が自らの命を脅かしに来た事実を知って、俺は動くことができなかった。
しばらくそのままでいると、腕の中から声がした。
「……いつまで抱きしめてるのかな?」
「あっ! ごめん」
青山さんを抱えていることを完全に忘れていた。
慌てて両手を解放すると、顔を真っ赤にした彼女がオドオドしていた。
「いや、その、あの……助けてくれてありがとう」
青山さんがお礼を言ったところで、向こう側にいた玲司が駆け寄ってきた。
「二人とも大丈夫かい!?」
「俺たちは大丈夫。そっちは怪我なかった?」
「ちょっとガラスで腕を切ったくらいかな。正直、あと30センチこっち側にずれていたらヤバかったね……。ほんと目の前を通ったから」