06:老人と悪友
パンは飲み物、サラダは飲み物、スープはうん飲み物だ、酒は味わうなすぐ飲み干せ。
早く食え、食ってここから出るんだ。
見るな見るな見るな見るな、聞くな聞くな聞くな、でも動くな動くな動くな。
何が彼の機嫌を損ねるかわかったものではない、午後の平和な店内が男一人の出現で魔獣か魔物か竜の巣にでもなったようだ。
事実、ここはもはや地獄だろう。
窓の外を見ればわかっただろうが、多くの黒服が統制された動きで店の周りを囲み部外者を一切立ち寄らせないようにしている。
店内で酒を飲んでいたヤクザ者の一人は好奇心に勝てずコアとヴァルをちらりと見る。
美しい花はいささかの動揺も見られず、対して獅子は焦れてるようにすら見える。
「俺の許可無く、付き添いもなく街を歩くな正気か!?」(五年前のような騒ぎを起こす気か!?)
獅子の言葉に客の何人かはビクッと肩を震わせる。
危なかった、あれはヴァル・オルトの身内、それも直に声をかける程の、心配されるような近親なのだ。
攫うなどと馬鹿な事をやってみろ、拷問見本市のような責め苦を味わいつくした後にレグナ河に沈められる。
「ヴァーちゃんは心配性じゃな」
コアの何気ない言葉に。
ブフーーーーーーーーーーーー
店内でスープを、酒を、茶を飲む者は盛大に噴いた。
あまりの特異な、突飛な動作に胃が痙攣するが、すぐさま咳き込むようにし、またある者は唇を噛みしめ誤魔化し、耐える。
護衛の者が剣呑な気を店内に撒く。
だめだ落ち着け、いまここで迂闊な事をすれば死んでしまう。
本当に死んでしまう。
「それは外ではやめろ」
ヴァルの言葉に客達は『ヴァーちゃん、二人きりの時はいいんですか!!』と心中でつっこまずにはいられなかった。
あぁくそ、くそ、やばい、これは会話から察するにあの花はオルトの愛人、その類だ、もうこれは確定だろう。
こんな気安い会話を他の誰とする?
友人同士だ? それこそありえない組み合わせだろ。
男同士で不毛だぜ。
いやエロいんじゃね?
性別はこの街じゃともかく、さすがに子供すぎない?
いやいやここではそれも珍しい事じゃないだろ?
……大きくなるまで待ってから喰う。とかじゃないのか?
自分好みに育てる……オルトの長はスケールが違うな!!
そこに痺れる憧れるぅ!!
いやいやボスの方が喰われる可能性も……。
その発想はなかった。
ちょっと今トイレ借りられないかな!!
お前最低だな!!
客同士の妙な連帯感と極度の緊張がささいな身振りとアイコンタクトで意志のおおまかな疎通を可能にしていた。
誤解なき意思の疎通、刻が見えそうです。
あまりの恐怖と緊張感にテンションがおかしくなっているが、しかしそれで状況が好転するわけではない。
あの花がボスの愛人となると問題は花が入店してから客らはジロジロと不躾に見ていた事にある。
それも邪心を多分に含んでだ、花は平然としていたが不愉快に感じていて退店する際にヴァルに店内を見回し、愛くるしくおねだりしたらどうなるだろう。
首をかっきる動作をしながらとかな。
死ぬ。
死んだ。
死んでしまった。
終わった、おわた。
手持ちの紙にさらさらと何かを書く者。
指を組み合わせ祈りを捧げるもの。
俺、店から出られたら田舎に帰って家業継ぐんだ。
冥界への門は開き、店内はお通夜の如き様相に様変わりしている、死神がいるのならさぞ居心地の良い空間だろう。
「ここじゃなんだ、表に出るぞ」
獅子は花を促し、花は頷き席を立つ。
「にしてもヴァー……オルトよ、煙草はやめよ」
「…俺の勝手だろ」
「――煙草は体力を落とす、そんな調子では紙一重の闘いで不覚を取る事もあろう?」
左目の眼帯の方を見つめながらコアは語りかける。
その言葉は相手を心配する慈愛の言葉には他人に聞こえたかもしれない、荒事に心配する愛人の言葉に聞こえたかもしれない。
だが言われた当の本人は護衛の者達はそれが意味する事を知っている。
安っぽい挑発。
ヴァルを見るコアの顔は蠱惑的でさえある。
当人達にしかわからぬ意と不穏な気が満ちる。
「…それもそうだな、善処しよう」
葉巻を巨木のような掌ですぐさま握りつぶし空き皿に捨てる。
彼の言葉にコアは一瞬呆けてしまった。
あっさりといなされてしまったからだ、以前ならばすぐさま相応に噛んでくれただろうに。
「この街に当てられてるな」
今度は相手側からの挑発。
「…………うむ、先程の誘いはいささか色気が足りんな、すまぬ」
素直に謝罪の言葉を口にする。
手合わせも、喧嘩をするのもいい、ただするならば相応の、高く売り、高く買おう。
色気のある、せめて意義ある闘争を。
それは二人の暗黙の了解だ。
衆目のある中で易々と見せて良いものでもない、互いを、言葉にせずとも認めてるからこその認識。
「いつのまにやら勝手に賢くなりおって、それはそれでつまらんなぁ」
「それこそ知った事か、日々成長よ」
獅子は嗤う。
見る者が見ればひどく珍しいむくれた毒花がいて、獅子と共に連れ立って店を後にする。
仲睦まじくすら見えただろうか。
後に残るは息も絶え絶え精神の擦り切れた者達が机に突っ伏していた。
た、助かった。
気にしすぎだったのだろう。
あちらはこちらの事など歯牙にもかけていなかった、ただそれだけの事。
怒りはない、ただただほっとした。
「…こちらをどうぞ」
客達の前に茶が出される、マスターが手ずから配膳していく。
「? こんなものは注文してないぞ?」
「……先程の美しい方から皆さんにと」
コアは手持ちの金をどうにも消費しきれず追加注文の際に店内の客らに茶を振る舞うようにばらまいていた。
それは親切心でもなんでもなくただ気紛れであり、たまたま金があったのでという巡り合わせがそうさせた事であったのだけれど店内の客らは目の前に配膳された緑色の茶を見つめ、次に天を見透かすかの如く天井を見つめた。
――あぁ、くそ、そういうことか。
なんという周到さ、なんたる手管。
暗月、この店はオルトの系列、傘下が運営する店だったはずだ。
そして、手持ちの様々な情報を検証し、どう考え抜いてもそうとしか答えが出てこない。
まさかここで毒が出るとはな!!!!!
飲めば死、飲まなくても、裏から怖い人達が出てくるんでしょ?
わかってる、わかってる、わかってますよー。
あぁせめて安らかに、眠るように逝ける毒である事を祈る、慈悲をこう。
天に光を、地に慈悲を。
女神パアルに祈りを捧げる。
周囲の客らは互いに目配せする、皆の気持ちは異常な緊張感と通り越した絶望ゆえか不思議な総体となり次の行動が一致する。
「「「「「乾杯」」」」」
まるで奇跡のような一体感のなか愚者は杯を一気に飲み干す。
敬虔とさえ言える神聖な心中で。
毒も何も入っていない適温のおいしい緑茶をだ。
はっきり言おう、ここには馬鹿しかいなかった。
***
黒塗りの馬車が石畳の道を走ってゆく。
紋章術の甲斐あって車中はほどよい冷気に満ち初夏の暑さを感じるも事ない。
快適そのものである。
が、快適な温度は隔たるように車中の空気は重い。
二人きり、対面に座るコアとヴァル。
「というわけで、うちの若い者が暴漢に襲われて金を巻き上げられたという話なんだが」
「へ~」
コアはさも知らぬ、今始めて知った事実かのよう呑気に相づちをうつ。
「なんでも賊は木の棒で武装してたとか…」
「へー」
「……」
「…………」
「正直なところ、あいつらどうだった?」
「三流じゃな、チンピラも下の下、ごろつきにすら至ってないわ」
「やっぱりお前じゃねぇか!!」
瀑布のような音量にもコアは視線を外に流し素知らぬふりを通す。
えっ、私なにか悪い事しました?
てな具合だ。
「……そもそもわしが『襲った』などというのが不本意じゃの」
「む」
ヴァルもコアが襲ったという事には懐疑的らしい。
「水掛けにしかならんが襲われたのはこっち、相応に礼をして迷惑料としていささか金銭を拝借はしたがの」
口角をつり上げ如何にもといった悪そうな、酷薄な顔。
「……こちらにもメンツというものがあってだな」
「あやつらもあやつらじゃ、私の姿を忘れたわけでもあるまい? 若い者というから最近になって入ってきた者か?」
「お前は……今のお前の姿とあのきたない姿は結びつかんだろう」
コアの疑問はヴァルが即座に否定する。
「――少々、身綺麗にして装いを変えた程度で見誤るとは……情けない」
コアはやれやれと、最近の若いもんはとでも言いたげに肩をすくめる。
ヴァルは頭を抱えたくなった。
お前のそれは変身に近いぞと。
ここ最近になって粗野な蛮族もかくやという女のような格好をやめ男の子らしい姿をするようになったかと思えば、結局コアが今の姿になったのは育て親の無理矢理に近いお仕着せに違いない。
婆さんが選んだのなら服のセンスも古いわけだ。
ヴァルはコアと仕事上、十三番街以外の場所でも出逢っていてコアとヘラとの出逢い以降にも会っている。
前もって知っていればこそヴァルは見誤らないが、それがなければとても同一のエルフなどとは思わないだろう。
今のような姿を数日前に見た時でさえ驚嘆したくらいなのだ、それを表に出す事こそしなかったが。
「…その件はもういい、こちらでなんとかしておこう」
「うむ」
事の面倒さをわかってるのかわかってないのか。
「それにしてもじゃ、よくわしの居場所がわかったのう」
「あの店は俺のとこの系列っていうのもあるがな、なによりくそ怪しいガキがいたら知らせろとは厳命してる」
「チッ」
「五年前の二の舞はごめんという事だ」
ヴァルは眼帯を撫でる。
その瞳は心なしか嬉しそうにも見える。
その心中は当人にしかわからない、いや当人にもわからぬ事なのかしれない。
あの日、潰し合った日から五年。
何度も再戦した、手合わせをした。
時に一緒に食事を取る事すらあった。
なにがどうしてそうなったのかはヴァルにはよくわからない、あんなにも意固地に追っていたのに向こうはまるで、懐かしいものを見てるような妙な雰囲気を漂わせていた
いまだにコアという存在がよくわからない、よくわからない子供だ。
もしかしたら子供に化けたなにか妖精の類なのかもしれないと思っている。
奇縁というべきなのか、もはや敵ではなく、かといって友人というわけでもない。
なんとも不可思議な関係だ。
強いて上げるなら悪友だろうか。
「……あと他にも言っておくことが多々あるが、まずはその服についてだな」
「えっ」
コアはここに来てまずいという面持ちになった。
逆にヴァルは獰猛そうな、非常に楽しそうな顔を浮かべる。
やられっぱなし、言い負かされっぱなし振り回されてばかりでは面白くない。
コアという者が何を嫌がるかなど獅子は把握しているのだ。
目の前のこの男、ヴァル・オルトは洒落者である。
男の立場でありながらファミリーの長という位にいる為に普段は相手に威圧感、舐められないようスーツ姿、シャツ、パンツルックなど女がする格好をしているがその実、男らしい男なのである。
まず前もって思い出してほしいがパアル世界では地球と違い、男が女の立場で女が強者故に地球でいう男の位置に収まっている。
そもそも世界創世神話で出てくる絶対神がパアルという名の女神であり、パアルが創造した神々も皆が女性、神々から神託を受ける預言者や聖者、神器を与えられる英雄、勇者、戦士に至るまで女という徹底ぶりである。
無論、地球におけるそれと一緒で巫女のような、男が神託を受けたり授けられたりという例もあるのだが。
つまりヴァルのような格好は大人の男がする姿としては例外に近い。
眉をしかめる者もいるだろう、何せ文化的価値観は国家や民族により多少の違いはあれど地球でいう所の近代中世に近い。
地球でいう暗黒中世期で女がズボンを履いて厳罰だ、処刑だ!と言うほどではないにせよ、あまりよく思われない感じと言えばいいだろうか。
地球で先進国の近代において女性がズボンを履いた所で男装だという者はいないが、この世界ではまだまだそこに至っていない。
パアル世界では幼い子供ならまだしも年頃の男がズボンを履けば倒錯的だと感じられるらしい。
しかし、パアル女がズボンではなくスカートを履いても変と思われない理不尽さ。
そもそも神話の神々や古代の英雄、女性にした所で腰巻き、スカートのようなものを履いてたりするのだ、おかしくはない。
これは強者故の性の不平等さを端的に表してもいるのだが。
さてヴァル・オルトという男は洒落者である、パアル世界において男らしい男である。
まず服にこだわるならば生地を直に見、吟味し、仕立てる。
仕立てるにしても流行がある、パアルの細工物や服飾技術は妖精人種が盛んで進んでいる。
流行の先端は妖精人文化圏から興り多種族の中継地とも言うべき人間世界、国や街を経てエルフ、ドワーフ、獣人の生息地域、各地、各国へ流れてゆく。
まず流行を知る為に情報の収集をかかさない。
馴染みの商人や情報を中心に扱う者達から昨今の情勢、流行、そして妖精人の興味を惹きそうな事を入手し万全をもって挑む。
が、ヴァルは自分が望む男性服を作ってもどこか満たされない感覚を味わっている。
せっかく服を仕立てるもののどうにも納得がいかないというか、作るまでが楽しいというべきか作ってしまうと興味が失せる感覚。
女物の格好をしすぎたせいか男物の服装を着る自分に違和感さえ感じるのだ。
悲しき習慣、職業病みたいなものだろうか。
パアル世界でヴァルのような屈強な男が地球でいう所のスカートなど女性服を着た所で変な事ではない。
コアのような容姿は大変に需要はあるし人を魅了するがヴァルのような者もこれはこれでアリという感覚はあり間違いでも、また変でもない。
美しい花を愛でる者もいれば大樹のような存在も趣きがあると感じるようだ、ある種、懐が広すぎるというか、この世界の女性の器の大きさというものが計り知れないとコアは思っている。
地球基準で考えればそら恐ろしくすら感じられる。
コアはヴァルの部屋を訪ねた時に姿見で流行りのブラウスやスカートを合わせている彼を見た時になんとも言えない顔をしたあげく。
「文化が違う」
としみじみ言ったとか。
洒落者であり服には一家言ある男ヴァル・オルト。
しかしながら自分が服を着る事に違和感を感じるヴァル、彼が最近はまっている事は他人に服を見繕い、また着せる事であった。
これが存外に面白い。
手近な部下や知り合い、男女特に関係なく気に入った者に見繕い、着せ、時には仕立て、あげ、着た姿を楽しむ。
要は実在の人を用いた、壮大な着せ替え人形遊びというわけだ。
何とも男らしい、ヴァル・オルトとはかように男らしい男なのだ。
そして最近になって彼にはお気入りの人形が出来た。
毒も棘もたっぷりに含んだ、けれどとびきりの美しい花。
これに似合うように見立て着せるのは思いの外楽しい、当分飽きる事はないだろう。
何が楽しいかといえばあの闘争においては無類のあれが、事これに関しては借りてきた猫のようになるのも痛快でたまらない。
なにかと面倒をかけさせる事もある花だが、ここにきて自己の趣味を兼ねた上で意趣返しも出来るのは僥倖という他ない。
「……うむ、さて、それそれ日も傾くじゃろ。名残惜しいがわしはそろそろ帰らせてもらうかの」
「まぁまぁまぁ、いい生地が手に入ったんだぁ……」
どこか危ない表情、獲物を見つけた獅子がそこにいた。
ヴァルはコアの肩に手を置き万力の如く固定する、あまりのさりげなさ、そしてこれほどまでに近接で固定されるとコアの膂力では如何ともし難い部分が大きい。
投げよう極めよう締めようと更にそこから動くのならどうとでも動けるのだが、ただコアが動かないよう、馬車から出られる事がないように制御しているのが憎い。
無理にそれ以上踏み込まず無用に力まず、これを切り返すのは難しい。
心なしかヴァルの目はうっとりとしてる。
危険を感じる。
「まて嫌じゃ、外見はともかく下着や肌着まで、もう嫌じゃ!」
「まぁまぁまぁ、年頃だし色々とサイズも変わるだろう? 先々の事を考えれば今から色々と知っておいて損はないぞ?」
「嫌じゃ嫌じゃ、もうあんな薄い布きれやら、胸当てや腰巻きやらもうたくさんじゃ!!」
以前に散々ヴァルに付き合わされて既製品の服やら下着やら肌着やらで散々と弄ばれた。
コアほどの武力なら無理矢理にでも跳ね返す事も出来るのだが、それは相手が悪意や害意をもってすればこそであり、むしろ善意でやってくる事に関しては武力で解決というのは非常に気が引ける。
グダグダと言われるがままなすがままにベビードールにキャミソールやら、タイツにランジェリーの類からアウター各種、装飾品に化粧品、香水。
地獄のような時間であったと後にコアは述懐する。
あの経験があったが故に今更に魔女から着ろと言われたワンピース程度、恥ずかしげもなく着られるのだが今になって思えば麻痺していた、浅慮という他ない。
今回その姿を、スカート姿をヴァルに見られて奴のなにかに火をつけたようだ。
――これは本気をだしていいという事だろう?
だから今日は逢いたくなかったのだ。
そして、また地獄のような時間がはじまる。
今度の地獄はもっと酷い事になるだろう、地球世界の価値観がどんどん切り崩されそうで恐ろしい。
辛い闘いが待っているだろう。
「忙しくなるな!!」
「やかましいわ!!」
馬車が服や細工物を扱う商店の通りへと向かう。
気分は輸送される牛か豚。
天に光を、地に慈悲を。
今のコアに出来るのは女神に祈る事くらいが精々であった。
武力で解決できない事など世の中にはごまんとあるのだ。