05:老人と暴力の王
昼過ぎのうららかな午後に『それ』はあらわれた。
美しい子だった。
きれいだ、かわいいなどではなく、ただただ美しい。
この国では滅多に見ることがない白い、透ける、妖精の如き細やかな肌。
肩口まで伸びた髪は綺麗に切り揃えられ、黒い、暗い、夜を固めたような闇色の艶やかさはそれだけで人の口からため息を零れさせた。
紅い、花弁の如き濡れた小さな唇は蠱惑的、細くたおやかな四肢は可憐。
瞳は黒き宝玉を嵌め込んだようであり、奈落へ続くかの如く異様な深淵さを讃えていた。
子供に宿るような、子が持つような美ではなかった。
各所の肌や爪に宿る桜色の赤みがなければ人形か何かだとでも勘違いする者もいただろう。
なによりも動きが堂に入っている、歩き方、その一挙手一投足に妙なキレや冴え、なんらかの理に従った美しさが内包されていた。
見る者が見ればそこに隙というものがほぼ存在しない事に戦慄しただろうか。
ある者はその美を見て完璧だと思うだろう。
ある者は作り物めいた美に一抹の麗しさを感じるものの気持ち悪いと感じるかもしれない。
ある者は言いようのない恐怖すら感じたであろうか、整いすぎた容貌、それは異常であり、時に倒錯的で反道徳的で幽玄ですらある。
ただただそこに在るだけで華で、毒であった。
ただただ美しい世にも稀なる灰色エルフだった。
一般的にライトエルフ、ダークエルフが交わり子をなしたところできれいに特徴が分かれる事はそうない。
普通ならば両族の特徴が混じり合い、混成する、だからこその灰色という名称。
だが、目の前の子は、ダークの特徴的な暗色を究めたような髪と瞳、ライトの肌色、体つきも繊細で華奢でありライトの特徴だ。
ダークはライトよりも肉感的な身体を持つ傾向にある、もし体つきがダークの特徴であったなら今とは違うもっと温かみのある健康的な美であったろうか。
どちらにせよ見事な、欲しがる者の多い希少な者であろう。
年の頃は三〇を越える、エルフの世界では五〇で成人とみなされる。
長命であるが故に身体の成長の緩やかなエルフの三〇は人間族でいえば十代の前半というところ、子供だ。
性別は一見しては判別し難いが着ている服装、ワンピースから男だと判断するのが妥当だろう、それにしてもなんとも野暮ったい、今時の流行から後れた服で生地もそう良い物には思えず、そこがなんとも庶民的、ちぐはぐで妙なおかしさを漂わせてさえいる。
肩からかけた実用性だけを重視したような、容量と丈夫さだけが利点ですといわんばかりの無骨な布バッグ、手にはなんの冗談か木の棒を持つ。
美しいが変な子。
しかし、大変に美しい子だ。
痛ましい事件の事もあり十三番街を歩くに子供はいくぶん安全になったであろうが、それでも限度はある。
そこらの路地裏や地下水道、手入れのされていない土地に隠れ住んでる汚いガキならともかく、ここまでの良い、高価な『商品』になりそうな肉を見て通りを歩いてる無法者がよく見逃したものだ。
よくここまで無事に辿り着いたと店内の客達は感心する、幸運以外のなにものでもない。
そして、その幸運は帰り道でも発揮されるとは限らない。
夜は本格的に酒場に、昼は軽食や茶、酒も飲める飲食店として開いてる店『暗月』。
美しい子は半裸の男女やその筋の黒服が遅すぎる朝食や賭けや酒と馬鹿話に興じてる店を省みる事もなく、入店しカウンターのマスターに物怖じすることなく注文、金銭を先払いして開いてる窓際のテーブル席に腰掛けた。
ジロジロと客ら不躾に邪念を含んで子を見る。
ただの見慣れぬ余所者であるならばここまで見られる事はない、客の何人かは子が外に出た瞬間にでもさらう気だ。
そこから後は転がるような転落人生だろう。
奴隷、娼館、どこにいくかな。
馬鹿な話だ、馬鹿で理不尽で運の悪い、よくある、ありふれた話だ。
食事と茶が運ばれる。
陽の当たる場所の最後になるであろう食事を、容姿に似合わない迅速さで次から次へパンをサラダをハムを卵を早さと速さで口に入れ咀嚼している。
あっという間になくなる食事にまだ足りないのかスープに肉にサラダに。
それもまた足りず。
な、なんだと…まだ食うだ…と……。
ナイフとフォークでスプーンで時に手でその動作は淀みなく優雅とさえいっていいが速さが尋常じゃない。
次から次へと食事が運ばれ、どこにおさまるのか子の眼前からどんどん消失していく。
あまりの健啖さに店内の人々は一時の邪念すらなく注視する。
「平和じゃの~」
半刻はすぎたかテーブルに数多くの空いた皿を残し緑茶を口に含み一言、鈴を転がすような声は静かになった店内によく響いた。
奴隷にした場合なんとも費用のかかりそうな事だ。
おい、あれ実はとんでもない不良物件じゃないのか?
そんな囁きが聞こえてきそうだ。
しかしこれは周囲の誤解といえる、美しい子、コアは食べないなら食べないで過ごしていける腹の持ち主である。
端的に言ってしまえば今のコアには金がある。
それ故についつい食べたに過ぎない。
その金の出所はいうとコアが街に足を踏み入れた時に絡んできた有象無象から巻き上げた財布の中身。
別にコアは聖人君子でもなんでもない、自分を襲ってきた暴漢、女から金を取り上げるのに罪悪感なぞさっぱりなかった。
そしてあぶく銭はとっとと使うに限るという持ち主だった。
食事という消費するものがよい、下手に物を買えば森の魔女に追求される。
誰かに貰ったのか?
買ったならそのお金はどうしたのか?
買うにしても毎月のお小遣い、お手伝い賃で買える物が望ましい。
へそくりにしても冴えた勘、嗅覚で発見されるので子供の度を越して金そのものを残すのはよろしくない。
魔女の手伝いの露店でしれっとコア手製の細工品や採取した薬草、鉱石の類も売っていてへそくりにしてはいるが正直それは雀の涙も甚だしい。
森の魔女、婆さんはこういう所では良い親代わりなんだろうが見た目の如く子供ではないコアにはちょっと息苦しい、不自由さをを感じるのも確かであった。
銀行などに預けるという手もあるが子供にはそれも難しく開設の手続きや諸々の諸経費、信用、ちょっと無理だ。
本来ならば。
ごく最近、コアはとある場所に口座を設けた。
いい加減、小銭で四苦八苦するのが飽きたというべきか、禁じ手というべきか裏技とすべきか。
口座を設けたのならそこに金を放り込めばいいではないかという話になるのだが、特殊な口座なのでそれも厳しい。
そもそもATMなどない世界で窓口で金を預けるにしてもそれなりのまとまった額でなければ預ける意味もなく。
結局の所、あぶく銭はうまい食事でもして消費するのが良い。
(仕返しにでもこんかのぉ♪)
金を取られた奴らが、有象無象がおしかけてくるのを想像して少しばかりコアはわくわくしはじめた。
この街は本当にけしからん街だ、遠い昔に捨てたけしからん気持ちにさせる街だ。
わくわくわくわくわくわくわくわくわく
「悪そうな顔をしてるな」
低い声。
男が悠然と店に入ってくる。
付き添いの女は二人、両脇に配され周囲を油断なく警戒している。
腰に帯剣しダークスーツに身をかためた姿は猟犬の如き忠実さと秘められ、制御された危険さを内在していた。
だが剣呑とすら言える女二人よりも目をひくのは中央の男だろう。
でかい、それはでかい男だった。
目測で身の丈は二メートルを越えてるだろうか、まず首が太い、腕が太い、足が太い、ただでかい事が正義であり最良であると言わんばかり主張する巨躯。
体躯が大木の如く圧縮された筋肉と原始的な暴力をはらみ、見る者を、対峙する者に否応なく威圧感と不安を与える。
褐色の肌、暗茶色の髪と髭、地に溜まる灼熱、マグマを宿したような覇気ある眼光。
獅子を人型にはめこみ鋳造すればこのような男が、ダークエルフが出来上がるかもしれない。
ダークがライトに比べ肉感的な体躯、瞬発力に優れた身体を持つ傾向にあるとはいえこの男の威容は規格外であった。
長身に生まれてしまったドワーフ、獣人族、南方の出の人間族といったほうがまだ皆は納得するだろう。
どんな所でも例外は存在するという事を証明したような男だった。
黒服に身を包み、その暴力的な雰囲気と相まって一目でまっとうな職種についてないと感じさせてくれる、傭兵、戦士、用心棒、あるいはマフィア。
女が如何に強者、魔力に優れようと天より与えられた希有なる腕力、膂力、暴力をもって差を詰め、こと近接の命の取り合いでは女にひけをとらぬ男。
男がおもむろに手を上げれば配された部下は意を汲み葉巻を取り出し渡す、火をつける。
男の視線はテーブルで泰然と茶を飲むコアを射貫く。
ゆっくりと歩を進め。
「この街に来た時は俺の所に真っ直ぐ来るのが筋というものじゃないのか?」
煙をくゆらせながら迷いなくそのままテーブル席のコア対面の椅子に乱雑乱暴に着席する。
男の眼光は忌々しそうにコアを見据える。
木の椅子はその巨躯の重みに軋みを上げるがその軋みは店内の悲鳴にも等しかった。
男の左目は見えぬのかその獅子の巨躯に不似合いとも言える黒い眼帯をしている。
男の名は『ヴァル・オルト』。
それはこの街で知らぬ者のなき名、そして知らなければ死ぬ事にすらなる名だった。
穏やかな午後の平穏たる店内がこの街のもっとも危険な地と化した瞬間だった。