33:統一王
ただいま
アルファ・ラグナ・アーゲントとコウ・ラグナ・レンフィルを連れ立って屋敷の大広間を歩く。
ことさらに意識して平静であろうとするも『男』の鼓動は早鐘のように打ち、足は目的の地へと僅かでも速く達しようと急いてしまう。
我が子がいる部屋、その扉の前へと侍従に案内され、立ち止まり、我知らずはやった気を鎮めるようコウ王子は静かに深呼吸し息を整える。
この先に我が子がいる。
この扉一枚向こうに我が身の半身と想う愛しい者がある。
長く焦がれた者との時がそこに、だというのにその先へと進み難いのだ。
答えはとうにわかっている。
その心を苛むは惰弱な怯え。
アルファより伝え聞かされた、成長した我が子に顕現した“異能”。
感応力とでも言うべきか、アルファの話に聞く読心にも近しい察しの良さもその恩恵か、その身に至近で触れる物、大地とさえも自らの身体、魔導回路へと繋ぎ、その魔力を我が物にするという馬鹿げた幻想の技。
通常、異能者は生まれて間もなくその力を発揮する。
それは先天的固有魔法保持者にとって、それは呼吸するに等しいとされるからだ、だが子にそのような予兆はなく、そもそもどのような異能であれ、それが魔法である限り魔力を糧に実現する。
魔力を保持できないゼロ、障害の身では使える道理はないと思われた。
だというのに魔力を取得し、魔法を、完全な制御こそ伴っていないらしいが使うという異常。
無より有を生み出す奇跡にも等しい事象。
そして、その力は成長を続け、あのアルファや魔導師クロウリーをして抑える事が困難と言わしめる。
我が子はそれをただの技術だと唱えているという。
だがそれを術理と呼ぶには弊害があろう。
空を飛ぶ鳥が、自らが飛翔するその様を“技術”である。と唱えたところで人は苦笑するほかない。
つまる所、アルファはいまだ言葉すら喋れず、立つ事すら出来ない脆弱な子供、加えてゼロである我が子の体質を見てもなお信じたのだ。
己と私の血を引くエルフ種の一つの集大成を前にして失敗と断じず、あきらめたりはしなかった。
我が子ならば何かをなすであろう、その為に生まれてきたと、いっそ苛烈とさえ言える多大な期待。
それこそが『女』と『男』。
突き詰めれば『母』と『父』の差異であるといえるのかもしれない。
どちらの愛に上下が、優劣があるわけではないのだろう。
しかし、コウには言い知れぬ敗北感が募る。
見事、我が子は『母』の期待に応え、貴種に連なる者として力を示した。
結果だけ見ればアルファは狡猾で、無謀でもあった。
王である母の威に恭順するようでいて裏では自らが信頼するクロウリーに子を託し、面従腹背を通したのだ。
不敬どころの話ではない叛意、逆心とされても仕方のない事である。
そこに如何ほどの覚悟と決意があったことであろう。
ただ我が身と子の幸福だけを思っていた自分との差が浮き彫りになるようではないか。
『女』は信じ、先を見据えていた。
『男』は子を愛してはいたが失敗作だと断じ、今だけしか見ていなかった。
そのような愚か者に愛し子と今更会う事が許されるのか?
……違う。
そんな愚かな父を前にして子にどう思われるか、その一点なのだ。
なんと言われ、見られるだろう、それがたまらなく、今になって何より怖ろしい。
きっとあの子は己に似て気位の高い子になっている事だろう。
明確な根拠すらない奇妙なその考えは確信にも似ていて、やがてコウに諦観をもたらす。
汚名ならば返上もできよう、捨てなければ失った絆も取り戻せよう。
この生ある限り、そしてその血が、想いがある限り私とあの子はもう離れる事はない。
その手を二度と手放しはしない。
やがて全てをやり直す扉が開いていくのだ。
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コアはひそやかに意識を鎮める。
見知らぬ男、父親がやってくる、コアは館に入り込んだ異質な気配を敏感に察知し精神を凪がせる。
感動も感傷もなく、頭を占める思考は実に面倒になったという点だけである。
今までこの体で生きてきて相応に訳ありの身の上であろうと自身の出生を疑ってはいたが、まさかエルフの王族などとは笑うしかない。
ごく普通の感性であるならば喜ぶべき所なのかもしれない。
が、生憎と自分には嬉しくもなんともないのだ。
偉くなりたければ己の力で勝ち取ればよい、いい思いをしたいなら己の器量で成し遂げればいい。
そして、煩わしい事に悩まされず悠々自適に暮らすには有能な者をたてて自身は隠れ、甘い蜜を啜るだけでよい。
十三番街、あの知性人類種が混成する雑多な悪徳の巣で頂点をあえてとらずヴァル・オルトに長を張らせているのはその為だ。
悪党共の一番を張って怨みを買って殺されようなのは、まぁなんだ、前世の一度で十分であろう。
王族などと責任と重圧、枷の塊ではないか、今更それを受け入れるという事自体が今まで築き上げた立場や利益を捨てるに等しく、看過出来るものではない。
ようやく軌道に乗り始めた十三番街の、興が乗ってきた多様な企み、砂場遊びの山を横暴な横槍で崩され、辞めさせられる不快感だけが募る。
実に気にくわない。
魔物一匹を飼いならす許しを得ようとしただけでとんだ面倒だ。
今まで放っておいたのだから捨て置け。
――とはいかんのだろうな。
独り、我知らず声なき呟きが漏れる。
どうして今になって会わせる。
今更になって事実を突き付ける。
クロウリーやアルファの前で自身が得た技を、大地と繋がる技巧を開帳したからか?
大した病気もなく三〇まで健康に生きられれば唾をつけておくべきと思われたか?
それとも宮中でなんらかの動きがあったか?
機は熟したというのか。
それとも、それとも・・・・・・。
様々な予想がよぎり、どれもありそうで、そのどれもが不足した情報の中では確度が低く、十二分な確信には至らない。
あの姉様、いや……母の、悪ノリと勢いだけという事もあるかもしれない。
あれにはそういう所がある。
およそ貴種というものとは似合わない気質であるから困る。
そして、それがまたコアをして魅力的に思えるので心底、度しがたい。
――まぁよい、雲上人の気紛れにあれこれと今更に気を揉むなぞ馬鹿らしい。
なるようにしかならぬ。
けっして思考停止ではない、考えた末にその結に達するのであればそれは意義のある答えである。
後は相手の出方次第。
これは自身すら駒にした盤上遊戯であると思えばまだ楽しめよう、勝負事、そう思えばこそ咲いた花の如き笑みも自然に零れるというもの。
勝負事は己の好むところだからだ。
扉が今、静かに開く。
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ようやく出会う、成長した愛する子を見て、ごく普通の親とはどうあるべきなのだろうか。
駆け寄り、抱きしめるだろうか。
何か感激の言葉を投げかける者もいるだろうか。
感極まって涙する者もいるかもしれない。
はじめて出会う『父親』を前にした『男の子』の普通の反応とはなんだろうか。
ただ困惑し、狼狽える者もいるだろうか。
何か声を発する者もいるだろうか。
言葉に詰まり、押し黙り、静かに泣く者とているかもしれない。
コウ・ラグナ・レンフィルとコアの出逢いはある種の異様、不気味ともいえる静かさ、静謐さをはらんでいた。
そしてそれは一種の必然とも言えた、両者ともに普通などとは縁遠い存在であるからだ。
親子は互いを見る。
父と子が互いを視認する。
であるにかかわらず
「…………」
両者とも続くべき言葉が一言たりとてない。
しばらくの観察するような互いの視線の交錯を経てもなお、互いの口からは言葉ではなく息が静かに漏れるのみであった。
なぜなら、人は優美なるモノを見てしまった際、しばし言葉を忘れてしまうものだからだ。
両者の反応は相似。
コアは眼前の男を見て刹那であるが不覚にも息を呑んだ。
話には聞いてはいた、在るだけで清らかに思える白肌、金糸の如き流れる髪、すらりと伸びる四肢と指。
その影すら麗しきとさえ思える程の妙。
何よりその瞳のまばゆさよ。
虹の瞳。
自分とは違う、紛い物ではない生来なる、そこに宿る神秘の光芒はどんな宝玉よりも尊く輝き、瞼を閉じてさえ瞼の裏に残るかのようだ。
こちらの意識に訴えかけてくるような、陽の光の如き強烈な鮮麗さを主張してくる。
楚々とした白き衣が霞んでしまう程の人物、大輪の華を思わせるような美が咲き誇る、それは一種の暴力的な苛烈さすら放つ。
これほどか……百聞とて一見に勝る事がないと改めて思い知らされ、極めて珍しい事にその事実、容貌に呑まれかけてさえいた。
そして、奇しくもコウ・ラグナ・レンフィルもまた、子の姿を見て息を呑む。
宵闇を溶かし込んだような流麗な長髪。
日に焼いてなお淡く、きめ細かい白肌。
細い体躯、それでいて病んだような色はなく、庇護欲を誘うような矮躯。
長く伸びた可憐な長耳。
何より目を離せなくなるのはその瞳だろう。
黒く、吸い込まれそうほどに深い、不可思議な、魔的とさえいってよい深淵な眼は見る者を余さず魅了する暗黒の力を放っていた。
コウ・ラグナ、己とはまさしく真逆、鮮烈な光、人を灼く美ではなく、何もかもを絡め取り、墜とす、奈落に墜落させる美貌。
いまだ、その齢は子の域を出ず、故にその様もまた未完成。
だが、花開く前の蕾であるがこその危うさ、青い、未成熟だからこそ放たれる妖しく危機感を覚えるような色がそこにある。
ある意味、それらをもって完成されている、と言う好き者もいるだろうか。
開花を待つその蕾を手折り、誰の目にも触れさせぬように自らの手中で花開かせたいと思う馬鹿な妄想をする者ははごまんと存在するだろう。
コウ王子のそれは人を、その寵愛を独り占めにせんと争いさえ呼び、コアのそれは人を堕としめ、その寵愛を得ようとするならば破滅を覚悟せねばならない。
正反対、互いを前に、互いにして陰陽、真逆にしてなお、それでも人に害するまで極まっている美という近似なる矛盾。
しかし、そこに在る危うさや厄介さは疑う事なく、皮肉とも言うべきか二人に確かな繋がり、連なりがある事は余人をして明白に証明していた。
まず動いたのは、形式張らない挨拶を披露したのは子であった。
ドレスの裾を摘み、膝を曲げ、頭を静かに下げて名乗る。
その礼法、所作の淀みなさ、堂々とした振る舞いにコウは自身の子が相応の教育を施されている事に安堵し、またそれを施したであろうアルファ達に思わず感謝を示したい気持ちにもなる。
『父』もまた返答を、礼を込め自らの名を開示し子に向き合う。
言葉は依然として少なく、まるで足らず、一つのテーブルを挟み、探り合うように言葉の手を差し出し合う。
父と子。
二人、一組の親子は互いが不在の時間を埋めるように語らう。
謳うように、撫でるように、囁き、ひかえめに笑い、また互いを推し量り、探り、より近く触れ合おうと踏み込んでいく。
そこは太腿、その内側たる内ももである。
一瞥して目の届かぬそこ、テーブル下。
コウの隣に座るアルファの、左足付け根付近にコウ王子の右手が添えられていた。
それを一見したなら艶事めいたものを想像してしまうが
「樹海に住んでいる。それ以前も森、山と人里から離れた場所を転々と――」
ギリリ
一見して、畏れ多くもライトエルフを束ねる国の、コウ王太子殿下のその声音はひどく静かで、その表情には微笑さえ浮かび、はた目には一片の怒気さえ含まれない穏やかさである。
ギリ、ギリリリ
「随分、楽しそうな暮らしぶりねぇアルファ?」
絡みつくような声は甘い香にも似て、アルファの耳朶を愉しませる。
麗人と称されるコウ王子の、浄眼たる視線は静謐とさえ言える厳かな雰囲気をたたえコアの隣に座る、クロウリーを経て自身の橫に座るアルファを注視する。
ギリギリギリ
自身の息子たるコアの死角、テーブル下。
コウ王子の手がアルファの左太ももの上に置かれている、一見して色事のようにも思えるが、それは『男』の指先から不吉な音を奏でていなければである。
「ずいぶん愉快な事になってるみたいね、あなた?」
笑んだ顔は咲いた花のようで黒姫アルファに向けられた王子の容貌は場に光さえ差し込んでるかのように錯覚さえしてしまう。
だがそれも、太もも、やわらかなその内を容赦ない力で抓られていなければの話である。
アルファの顔から脂汗が浮き出る。
内腿、そこは人体急所の一つにも数えられる極めて繊細な部位である。
多くの血管、動脈、神経が束ねられ存在し、刃で切り裂かれたならショック死の危険さえある重要部位にあたり、そして肉体的にも鍛えがたく、痛覚において人体のなかでひどく敏感、脆弱な箇所の一つでもある。
過酷な苦役、酷使、修練を重ねようが、魔法の介在しない、たとえ『男』『子供』のやわな力であってさえ、そこに花を手折るように指を添えられ、抓られ、さらに力強く捻られれば悶絶する痛みが即座に襲ってくる。
時に、腹に刃を差し込まれてもなお動く者が、その顔を痛打されて弱音を吐かぬ者が、その身に鋭い鞭を受けて耐える者が、その部位をつねられただけで、その眼に玉の如き涙を浮かべる理不尽。
人を創造した神がいるというのならその設計ミス、過失を問い正したくなる不条理。
眠気を吹き飛ばすには最高、だが生憎とアルファに眠気は一切なく、痛みを快感に感じられる高尚な趣味も持ち合わせていない。
さりとて自身の子に対する扱い、教育上のまずさをアルファも承知している。
信頼できる腹心、自身のかつての教育係であり魔法術の師でもあるクロウリーへと我が子を託したものの、衆目より隠れ住み、何度となく追ってくる王の手、『母』の手から逃れる為に僻地から秘境までを転々とするような老婆と幼子の生活。
子を守る為とはいえ頻繁に家を空ける保護者とそれを水面下から支援するアルファ。
理由があるとはいえ、こんな環境でまともに子が育つと思う方がおかしい、またこれを良しとするような『父親』なんてものはいないだろう。
故にアルファは払うべき代償として愛しい男、伴侶のなすがままに黙して、陰険にして陰惨な苦痛に耐えるのみであった。
むしろ、この程度で今の今まで放置、蚊帳の外に置いていた事が許されかもしれないのなら悪くない賭け、破格の安さであろうと前向きに我慢するしかない。
「ギョッ?」
「……飼いたい」
子犬ほどの服を着せた翼ある赤トカゲ、おそらくは火吹きトカゲの亜種か何か、魔物を抱き上げたコアがまず母にねだる。
首を傾ける所作は愛らしく、親をじっと見つめる双眸はいじましく、無条件で何もかもを許したくなってしまう力がある。
「うん? かまわ、グウウウウウッ」
つ う こ ん の い ち げ き。
りふじんな ぼうりょくが アルファをおそう。
不意打ちに内腿が一層強く掴まれ、ねじられる。
さすがのアルファも非難がましい視線を隣人へと投げるが、彼から噴き出す静かな憤怒に当てられては今は閉口する他ない。
まずもって常識として、人と魔物は相容れないものである。
一部の魔物を家畜化し、人と共存するという事例は存在する。
さながら長年飼い慣らした犬や馬など人類が使役できる動物であるとうそぶく者もいるだろう。
だがそれは侮りも甚だしい。
家畜と化し、野生を極限まで削いでなお一角馬は容易く人を殺す事が出来る、油断ならない恐ろしい生物であり個として極まった相手はアルファですら手を焼く。
子が、それも愛しい息子の近くに存在し、相手にしてよいものではない。
遠ざけ、忌むべきものであろう。
「飼いたい、ダメ?」
息子のうるんだ視線、おねだりはこちらへと向いてきた。
「父様、飼ってもいい?」
頭の痛い話であり由々しき問題だ。
今もって父と呼んでくれた子に「ダメだ」と一息には切り捨てがたく、なによりも疎まれ、嫌われたくないという弱みが己にはあった。
全くあれもこれも全て馬鹿アルファのせいだ。
苛立たしい気持ちは行動に表れ、視線が隣の黒姫を貫く。
「・・・・・・そうだなコア、私のお願いを聞いてくれたら飼ってもいいぞ」
しばしの黙考を経てアルファは一案あると笑んで勝手な事を言い始めた。
制止の言葉はアルファの黙ってろという視線に止められる。
「それをなすのなら、どんなワガママも許そう」
続くその言葉と深くなる女の笑みにはコアをして警戒させるに十分な意を含んでいた。
隠す気もなく、これは毒と暗に示している。
正直なのは結構な事だ。
それは人が持ち得る事の出来る美徳かもしれない。
が、そんなお願い・・・・・・不穏な“それ”をみすみす呑む馬鹿はどこにもいまい。
「私が言える事ではないかもしれないがな、コアよ」
アルファが手にした何かを眼前の机に置く。
「友人は選べ」
それを見、置かれた物体がなにか理解し、コアは静かに、ゆっくりと瞬きをした。
それが想う相手に対する、ささやかな敬意の表れだとこの場に気づく者はいただろうか。
「随分と手こずらされたと聞く」
アルファの、母の声が耳朶によく響く。
それは眼帯だ。
コアの前、机上に置かれた変哲もない革製の眼帯。
ただそれだけならばどうという事はない。
ただし、それがコアをして見慣れたヴァル・オルトという男の眼帯でなければの話だ。
「それをなすのなら、お前の“砂場”遊びをも見過ごそう」
考えるまでもない、暗に十三番街での事も不問にすると、あげく全て見通しているぞと示す。
コアの心には今以て動揺はない。
第一に悪徳の街での行動は隠し立てしていない事、偽名を使う事も変装する事も何もしていない、多少の取り繕いはするが、突き詰めて言えば全てバレたところで何も痛くないとすら思っている、そしてそれは今でも変わらない。
第二にあの男が早々に死んだりするとは思えず、利用価値があると、取引の材料に使えると思ってるなら生かしてこそだろうと考えられる事。
第三に母の不器用な誠意、優しさであろう。
もしコアがアルファの立場で人に言うことを有無を言わさずにきかせたいのならもっと悪質で、透明な手段を使うだろう、少なくとも自分が憎まれるような真似はしない。
おそろしく不器用としか言い様がないがアルファ・ラグナ・アーゲントは子に対してある意味で真っ向から憎まれようとしている。
その理由を察する事はコアには出来る。
母親の隣に座る父親。
自分が憎まれる、そこまではいかずとも反感を持たれる事で出会ったばかりの父が良く見えようというものだ。
父が庇えば更にそれは引き立つだろう。
アルファという女は甘い、甘いが故に心を乱す要素がないのだ。
が、一体なにから何までがどのような企みなのか、状況に対して情報が依然少なすぎる。
全体像は今もって見えず、故に
「私は何をすればいいのですか母様」
『子』は渦中へと飛び込むのもこの際は仕方なしと瞬時に判断し、問い
「レティシア様に会ってもらう」
「…………」
『母』は意図をもつが簡潔に答え、『父』は思う所があるのかしばし静聴する。
「ギョオオオオオオオオオオオ!」
ただ、矮小なりし赤竜は突然に聞こえてきた懐かしき“友”の名に記憶の残滓を掘り起こされ高らかに鳴くのだった。
レティシア・ラグナ・アーゲント。
それは数多の伝説を持ち、魔王が存在したという神代の時代から生き続ける妖怪の名であり、現在においてはダークエルフの王族、それに連なる傍流を含む高位貴族の中では曰く付きの噂を持つ存在である。
表舞台から姿を消し、既に亡くなっているとも時に揶揄されるが、ソレはほぼ誰とも会わず、魔法の深遠を覗き続け、探求に没頭しているという。
しかし時代の節目に彼女は会い、選ぶ。
そして、選ばれた者は玉座へと縛り付けられるのだ。
レティシア、それは古き王にして次なる王の選定者なり。
その事実をコアはまだ知らず。
母は自身の子、それもあろう事か『男子』を王にしようと企んでいた。