32:光の御子と闇の御子
お待たせしています
昨年に比べ勤務状態が改善するっぽいので、今年はもっと更新を、と思ってます
だらしねぇな!ですがご理解をお願いします(久しぶりに学校に登校する不登校児のような心境)
嘘偽りなく告白するならば、コウ・ラグナ・レンフィルがその両腕で我が子を最初に抱いた感想は“失望と落胆”であった。
エルフは他種人類に比べ長命だ、たとえ数十年程度の年月も、その生涯の長さから、人間種におおまかに換算したところで体感としては数年ほどでしかない。
だが夢を追い、理想を手にしようと足掻く者にとって、年月とは怠惰に過ごすそれとは隔絶した時間感覚を、焦りを時に己に課してしまう。
長命種ゆえの繁殖力の低さもまた焦りを生んだ。
そして、ようやく出来た子は理想とは程遠いものであったのだ。
その性は王の後継として『女』でなく。
そればかりか魔力を保持する事が出来ない欠けたる者、如何に知性があろうと魔法をろくに扱えぬであろう亜人の、例外の存在を考えればそれ以下であるモノ。
生まれたばかりのその姿はゴブリンか猿のように醜く、とても自分の血を引いた存在には見えず、思えず、触れる事さえ忌避感が湧いた。
失敗した。
男であり魔力を保持できぬ無力な体、しかしその身に宿る血脈ゆえにエルフ種にとって巨大な不和の芽になりかねない。
およそ政争の道具としてその生涯を、数多の作為と運命に弄ばれるだけの哀れな命。
そんなモノを生み出してしまった、作ってしまった。
罪深い事であると心底思う。
だが、やるべき事、決意も依然として変わらない。
しかし物事は覆らない。
失敗作は失敗と認め早々に処分せねばならぬ、なまじ真なる王の血統を持つ者などいては困るのだ。
そして、次に向かえばいい。
完成品が出来上がるまで、成功するまで挑戦すればいいのだ。
強い意志を持ち、失敗を糧に昨日から続く今日を、無垢なる命さえ踏みつぶし、明日へ向かうのだ。
何も間違ってなどいない。
この夢は、個人のくだらない感傷や感情に左右されるものではないしされてもいけない。
後年に歴史書で語られるコウ・ラグナ・レンフィルとアルファ・ラグナ・アーゲントの決闘、王子の敗北。
敗北者である彼がダークエルフ、黒の国へと攫われおよそ二〇余年の月日が流れていた。
彼の身柄は姫殿下みずからにより厳重に、封印ともいうべき警戒をもってアルファ姫だけが知る場所へと留め置かれ、この二〇年の間に起こった戦乱の調停、停戦、休戦はコウ王子を手中にしているからこそ成された劇的な結果である。
そして白国がコウ王子を一刻も早く取り戻したいが為に戦乱の抜本的な終結さえ既に秒読みへと至っていた。
猶予はあまり残されていない。
コウは思う、子を、新たな子を、自分のような贋作でもなければ失敗でもなく完たるモノを、完全な者を。
我らがエルフ種の妄念と悲願を一身に負い、衆生を統一せし真なる者、ハイエルフたる神をこの手に、と。
そこに、ただひとつ誤算があったとするならば……。
やわらかな暖かい陽射しの中で揺れる椅子。
『男』が毛布に包まれた男児をその両腕に抱き、あやす。
愛しい我が子は時折吹く、季節が近くなった夏風にくすぐられ顔をほころばせ、父の顔を見つめなんとも無邪気に笑うのだ。
『男』は父親としての表情で大切な壊れ物を扱うかのような丁重さで子を抱きしめ、その未熟でありつつも美しい長耳に己が耳をすり寄せエルフとして最大の親愛を示す。
やがて子が安らかな寝息をたてはじめたのを見て彼は何の含みもなく微笑するのだ。
その笑みに常にあるような嗤笑さはなく、裏のない情に溢れ、静かで確かな愛をたたえていた。
初夏の兆しが感じられるようになってきたとはいえ、ふいの寒さで震えないように衣類と毛布、乱れた子の首もとを正してやる。
もしその首に邪心をもって手をかける輩がいたのなら自分の全てを賭して守ろう。
如何なる寒さ、暑さにも、何人であろうともこの子に害を与える事はコウ、その真名コルネリウス・ラグナ・レンフィルの名において許さぬ。
我が子、それは待望の娘ではなく、望まぬ息子であった。
その重責を背負うべく血統を継いだ者は力を持たぬ事を許されぬ脆弱な無力者である。
しかし、自身の瞳に生命の輝きが宿る限り、俗物どものどんな作為にも、運命にだって抗い守ってみせよう。
嘘偽りなく告白するなら、コルネリウス・ラグナ・レンフィルがその両腕で我が子を最初に抱いた感想は“失望と落胆”であった。
だが、自分を見て無邪気に笑う我が子を見るにつけ己の中の頑ななにかが氷解していく。
妻から、アルファから与えられた住居で幾人かのメイドと共に子と暮らす内、この小さな命は自分を必要としている事をまざまざと実感していた。
当初、そんなものは下らぬ感傷だと一蹴したものだ。
捨て置いて良かったのだ。
事実、アルファ姫とて我が子をもてあまし、どうしてよいかわからなかったのだろうと思う。
子が病に伏し早世しても良かった。
高所から頭を打ち亡くなっても良かった。
コウとてメイドには積極的に我が子を世話しろなどと言わず、それはアルファも同じ。
半ば放置されるようなぞんざいな形で最低限の食事や世話を与えられ家中にあって捨てられたに等しい赤子。
ある日に理由などなんでもいい、死んでくれて良かったのだ、皆そう望んでいた。
それは些細な出来事。
ひとりのメイドが我が子にミルクを与えていた時だったか、暇をもてあまし気紛れで醜い我が子を観察していたコウに対し何気なく放った言葉。
――日増しに大きくなられ、目元など殿下に似ておいでですね
と。
おそらくはメイド自身なにかを意図したものでもなく、重苦しい沈黙を和らげる為だとかただその場を繋ぐだけの何気ない言葉であったのだと思う。
ただそれだけ、些少な事。
コウは我が子、コアと呼ばれる子、コーデリア・ラグナの面差しを見て
そうであるか
とだけ静かに応えた。
その時からだろうか奇妙な実感が芽生える、生涯において経験した事のない感情に彼は浸食されはじめる。
我が子が力なき者、『男』とわかって興味などなかったのに、今の今まで散々に放置しておいたのに、日を置かず、子を見る事を頻繁にするようになった。
子を、コアを観察する。
口元はアルファに似ているかも。
手は私にそっくりではないか?
ふふん、鼻梁も私か。
ゴブリンの如き醜さも月日が経る事になりをひそめていく。
そうしてくると露わになるのは自分との近似性だ。
親の欲目というやつなのかもしれない、この世にこれほどに整った子がいるのかと思うまでになる。
熱を出せばメイドに任せず、放置せず、いつまでも傍にいて紋章術を行使した魔法具にて、額の熱をとってやった。
寒がれば毛布を被せ、暑い日には眠りにつくまで扇で仰いでやる。
ベッドから落ちそうになれば慌て、気を揉んだ。
ごく稀に顔を出すアルファに対し、なぜ放っておくのかと無軌道な怒りを、わけのわからない感情から発せられる非合理な憤怒を表明したりもした。
王子はその視線をバルコニーから見える壮麗な庭園に向ける。
花が咲き、陽射しは降り注ぎ、心地よい風が私達の肌を撫でる。
私がいて、その膝元には今も健やかに育つ我が子があり。
隣にあの馬鹿女がいないというのは少し癪であるが妻という生き物は家庭を顧みない者も多いと聞く、気にしてもしょうがない、無事に家族の元へ帰ってくれば良しとするか。
それが良夫であるか。
コウの虹色の瞳は、今この時に確かな幸福をそこに見た。
愛しい我が子がいて、そんな子を産んでくれた妻に胸を満たすような言い知れぬ情が芽生える。
アルファに対して恋心などはない、だが恋心ではない別のほのかな、暖かな想いが今では秘められていた。
恋など知らず、女を知り、子を設け、やがて自らの内より沸き上がる愛を得た。
幼き日に答え……のようなものを見いだし、それを渇望した。
真なる者を求めた。
そして、いま思うのだ、私は一体いままで何に急き立てられていたのだろうか?
花は咲き、光は世界を包み、生きとし生けるものはその命を謳歌する。
神を作り出す。
それを以てエルフ種を平定する。
荒唐無稽で、愚かで幼い子供の夢だろう、なんと滑稽な話であろう。
人は人でよい。
神など成れぬ、なれずともいいのだ。
「ねぇコア、わたくし今とっても幸せだわ」
肌を撫でさするかのように優しい風が吹く。
愛しい我が子を両腕で抱く。
幸福はここにある、そして他の何処にもない。
最早それを手放す気は一人の、どこにでもいる平凡な、ただの『男』にはなかった。
■□
「陛下に事が露見した、これはこちらで処分する。お前は安心して国元へ帰るといい」
冷徹なその言葉を最初は信じられず。
ただ阿保のように立ち尽くし、やがて愚かで無知な『男』のように狼狽え、そして縋りつき、あるかもしれない『女』の慈悲と希望にすがりもした。
今生において発した事のない怒声と魔法を粉微塵に砕く異能たる浄眼がアルファを襲う。
返せ。
それは私のものだ。
髪を乱し、腕を振り上げ、手を伸ばし、その指先まで精一杯の想いと力を込めて視線の先、アルファに抱かれた我が子を取り返そうと足掻く。
神を作る為の器として選んだ伴侶、『女』の魔力は膨大で、そこから展開される絶対の壁たる魔法、念動は浄眼をもってしても完全に壊しきる事が出来ない。
渡せ!!
罵声と共に魔を殺す眼はその権能を発動する、『女』を見据え、その強固な魔法を壊さんと足掻く。
仮に、そう仮に奇跡を起こし、アルファさえ打倒できたとして子を連れて逃げきれるものではない
そんな事はわかっている。
結果のわかりきっている事を、覆らない結果に対して足掻くなど無駄で愚かの極みだ。
しかし、そうやって賢しく割り切れず、愚かとしか言い様のない行動を、縋ってしまう短慮を誰が責められようか。
家族なのだ、自分に連なる愛しい我が子なのだ。
眼前の子はようやく手にした宝だった。
嘘偽りなく告白するならば、コウ王子がその両腕で我が子を最初に抱いた感想は“失望と落胆”であった。
だが今は――。
父親である『男』の裂帛の声と気迫が母親たる『女』に叩きつけられる。
それを奇跡と呼んでもいい。
極限の集中と血を吐くような消耗と引き替えに、覆らない結果を覆し浄眼は身の丈を超える偉業を起こす、強固なる魔法を断ち、二人を隔てる壁を取り払う。
「お前がそこまで情の深い男だったのは誤算だな」
指、我が子コアを抱くアルファの左手、その逆、右手から繰り出され、突き出された三指。
我が子を取り戻そうと息が絶えそうな労力を要し、縋りつく男に女は冷静かつ冷酷な行為で応対した。
やがて熱に変わる鋭い痛み、悲鳴。
眼窩にさえ響く灼熱の如き痛みがコウを襲う。
アルファはその邪魔な眼を封じんと向かってくる『男』に躊躇なく指を突き入れたのだ。
怨嗟に満ちた鳴き声。
それは自身の不甲斐なさ故か。
掌中の蝶よ花よと育てられた『男』が初めて味わう生命を脅かすような痛み故か、それともその嗚咽は親としての情を一切感じさせない伴侶たる『女』故か。
「我が子をお前の国に連れてどうなる、それこそ道具として使われ、そしてそれはダークの多大な不利益となる、俺の血も引いてる以上な」
白エルフ共は黒エルフよりも血を重んじる。
父の国へと連れ帰ればその血統故に殺される事こそないであろうが『男』であり無能故にその末路は悲惨なものでしかない。
女達は政争の道具としてこれを使うだろう。
それどころかライトとダーク、両国に跨る、今回以上の大戦を呼ぶ男として歴史に名を刻む事にもなりかねない。
正しく戦呼びの子である。
「これは私の方で処理する」
それで仕舞いだと言わんばかりの言葉を最後に意識を奪われ王子は姫と別れる事になる。
大いに憎んだ。
そしてそれ以上に悲しんだ。
憎悪し、骨身を灼くような心の痛みを癒すべく短絡的な復讐さえ考えもした。
だが一年がたち、数年の時がたち、己の中で大きな違和感が育っていく。
――あの甘ちゃんが、自分に牙を剥くドワーフの女すら殺す事の出来ない馬鹿者に自分の子を殺すなどという事が本当に出来うるのか?
無理だ。
あやつにそれは出来ない。
では他者、従者に任せては?
それも否であろう。
そのような屁理屈や絡め手で己を騙せるほどに上等な精神構造などあの脳筋は出来てない。
その程度の事はわかるほどに互いに情を交し合っている。
溺れる二人、大切な者をどちらも救う、救える者こそが己であると奴は常々言い放っていたではないか。
そもそも思い返してみれば処分する、処理するなどという言葉は吐いても殺す、と明確な言葉は避けていたようにさえ思える。
だがそれならそうと言ってくれればいいのではないか。
わたくし達は既に共犯者である、なぜ黙っていた。
監視でもされていたか、何もかも自分一人で背負おうとしたか。
それとも――。
□■
「もしかして、わたくしを試していたのかしら?」
「み、耳がもげる!」
苦悶の表情と声でアルファが抗議の音色を放つも屋敷を前にザザから降り立ったコウは苦痛に喘ぐ『女』を無視し、片手で伴侶たるダークエルフの長耳を引きちぎらんばかりに引っ張り、歩みを容赦なく進める。
言い訳がましく『女』が言葉を並び立てる。
アルファの母たる女王の手から逃れる保障などなかった事、首尾良く逃れたとして将来の展望などあまりにも不透明だった事、淡い希望など確定的な絶望よりも時に残酷であるなど。
コウ自身も『女』の言葉を聞き、感情において否定するが理性では仕方なしと感じてはいる。
もしあの時にアルファから相談を持ちかけられたとして『男』である私が彼女ほど理性的に思考し行動できたかどうかは正直疑わしい。
我が子かわいさに短絡的な行動を取りかねないとも今なら思える。
そう思えば結果的とはいえ現在の所、全ては良かったといえる。
言えるのだが、理性としてそうであるという事と感情としての納得は別問題でもある。
つまり
「それでもいまだに腹が立つし、遺恨が全て消えたとは思わない事ね!」
「ッ!!」
と言い捨て、最後とばかりに耳を持つ手に力を込めて乱雑に離す。
『男』が行なった、エルフにとって侮辱的ともいえる耳を嬲られるという所行に対して女は太い笑みのみで応じる。
その鷹揚さがまたコウの怒りにちろちろと油を注ぐのだが、ここで口汚く罵った所で自分の格を下げるだけという程度には流石に頭は冷えている。
だからこそ彼もまた彼女の笑みに負けぬように嗤笑をもって佇むのだ。
「そういう可愛げのない所がなんとも愛おしい」
アルファの声を理解し思わず渋面になる。
こやつには『男』の皮肉や嘲りも褒美にしかならない。
「……貴方はそういう奴だった」
ため息一つで済んだのは僥倖と言うべき、己を褒めたい気分だ。
少なくとも事ここにきて“妻”の気質を十二分に思い出せただけでも良しとすべきであろう。
正に、言葉の通り馬鹿に付き合っていては日が暮れるのだ。
いちいち気にしては埒があかない。
率直にコウはアルファに問う。
――なぜ今になって……今をもって私を呼び、子と引き合わせる事を許す。
樹海での異変、森に棲むモノ達の活発化、戦後から半世紀を経たという事実もあるだろうが物事の進み方が異常ともいうべき早さだ。
加えて言えばこのように自分を迎え入れ、引き合わせるとなると王の耳にも入ろう。
今回もまた逃れられる、そんな保障はない。
『女』の視線が泳いだ。
アルファにしては珍しい所作だ。
言い淀むその様子もまた希有。
やがて重い扉が開かれるようにその口から言葉が漏れ出る。
言いたい事、伝えたい事はあるのだが、何をどう、どれから伝えていいのか、そういう声音、呻きがまず漏れた。
地の底から響くような呻き声が続き、しかし、これでは進まぬと。
だからアルファは端的に、伝えるべき重要な事を簡潔に言い放つ事にした。
「もうあれを抑える事が俺やクロウリー先生……言ってしまえば個人には出来んのだ」
「はぁ??」
それはエルフ種だけにとどまらない、人類最強が零す紛れもない、そしてコウ王子からしてみれば意味不明の弱音であった。
アルファ「竜が堕ちたかもしれないな!(これ息子の仕業やろ……)」
クロウリー「せやな(あっ、察し……)」