過去編 06 そして夢は走り出す
「殺したの?」
言葉そのものは物騒極まりなく、その実さして興味もないと言わんばかりの雑な音色でコウが問う。
むしろ厄介な力を持つドワーフなど早々に死んでくれてれば御の字であるくらいの思惑さえ垣間見える。
「死んじゃいないさ」
アルファは告げる。
その視線がドロテアから今も外れない。
最後の瞬間、ドロテアに何かを放ちアルファは危なげなく勝ちを収めた。
それが何なのか、ふたりの闘争、『女』同士の意地の張り合い、それらに興味のないコウにはよくわからなかったし途中からさして興味もなくなっていたので真剣に見てさえいなかった。
全てはどうでもいいこと。
「それにしても呆れた姿ね」
コウ・ラグナはドロテアを見る。
ドワーフの女は拳を突き出し、その場に膝さえつくことなく立ったまま失神している。
意識なくその場に立ち続ける異人種になにか障るものがあったのだろう、その身を突き倒そうとコウが悪戯に触れようと、手を出そうとする。
「やめろ」
ひどく小さく、静か、それでいて逆らうことを許さぬ意志力を込めてアルファが唱える。
「俺を失望させないでくれ」
「敗者は無様に地に伏せるべきよ、それが摂理というものでしょ?」
それは無邪気といっていいのかもしれない。
そして、何よりも自覚なき残酷な『男』の言葉だった。
「……この女は名乗った、それに俺は応え、死力を尽くし闘った。そこに卑怯な立ち振る舞いはなく、恨みも憎しみも余分な一切を介さない気持ちの良い決闘だった。そして、勇者には相応の敬意を払うべきだ」
コウがアルファを間近に視る、アルファもまたコウを見定める。
互いの冷徹とも思える視線が絡み、ぶつかり、摩滅する。
最初に折れたのはコウだった。
「ちょっとした冗談よ、そうね、それが『女』の世界というものだものね。理解できずとも納得しておきます」
「……」
微笑さえ浮かべコウはアルファに背を向ける。
そして黒姫にわからぬよう、ひどくささやかに嘆息した。
今、この瞬間にわかったことがある、薄々そうでないかとは思っていた。
この『女』には王器がない。
このまま順当に成長すれば、この敗北を糧として飛躍するであろう新たな怪物の卵を前にしてそれを割ることが出来ない馬鹿『女』であるとはっきりわかった。
アルファは傑物であろう、是。
アルファは勇者であろう、是。
アルファは並ぶ者なき希少な宝石であろう、是。
だがそれまでなのだ。
王族、王の後継ではなく、ひとりの将であればこれほどに心強く頼もしい存在はいないだろう。
以前にアルファの母が問い訪ねたこと、無二の友と恋人、どちらかを一方しか助けられないという選択、思考実験。
自分すら答えのない問答と断じたが……きっと答えはあるのだろう。
万の民を救うために千の兵を殺すことを時に決断するのが王なのだ、そしてそれを呑ませるのが王である。
その逆もあるだろう、将来を見越し万の民を殺しても千の将兵を生かすこと。
根本的にアルファにはそれが出来ぬ。
一瞬、コウ王子の思考に邪なものがよぎる。
このまま、白エルフでかの国を蹂躙した方がいいのではないか?と。
いや、詮ないことだ。
もはや馬車は走り出した、途中下車は出来ぬ。
アルファに王としての器がないとして、その子までそうとは限らないし、そうさせねばいい。
だが逆に言えば、子にその器がなければ私こそが躊躇なく処断せねばならぬ。
「それよりもアルファ、もう一人いると思うのだけど?」
「わかってる、いま捕まえた」
王子の言葉に黒姫は冷えた声で応じる。
ドロテアとの決闘、そのさなかにあってこちらを遠方から覗いてる者がいる事に二人は気づいていた。
そして今、急速に広げたアルファの念動力がそれを捕らえ高速で引っ張ってくる。
■□■◆
「……盗人、汚らわしい」
「火事場泥棒は死が妥当か?」
「ま、待ってくれい、殺さないでくれだぞい」
盗人、捕らえられたデボラの背にはアルファが蹂躙した白エルフの野営地から拝借した金品が満載された背嚢がある。
火事場泥棒で火事場の力というべきか複数の背嚢、肩がけ荷袋、手持ちの革袋、コートのポケットに満載された装飾品。
目を背けたくなるほどに、あまりにも低俗で、欲にまみれた俗物であった。
「首を捻り切る前に言い残したいことはあるか?」
「もういいんじゃない、こんなゴミ」
既にある決断は覆らぬと『女』は言外に告げ、『男』は早くしろと急かす有様。
「ままままま、待つんだぞい」
デボラ・ヤルヴィは生涯でこれ以上ないくらい焦った。
自身の持つ先天的固有魔法、異能の未来視は己の無残な情景をありありと見せてくれる。
鏡を使わずに自身の背を見つめる状況、場面など、そういう事であろう。
失敗した。
ドロテアの事など気にかけるべきではなかった。
悠々と、楽な金儲けとばかりに金品を火事場でちょろまかしつつ意識ある者にはこれみよがしに恩を売って渡り歩いておれば良かった。
ふと魔が差したというやつだ、このような機会を設けてくれたドロテアを気にかけてしまった。
助けられるものなら助けてもいいな。
そんな風に思ってしまったのがケチのつきはじめというやつで、遠眼鏡でたっぷりと距離をとって途中から状況を見守っていた。
万が一にも危険のない状態。
を維持しているつもりであった。
なにか嫌な予感を感じた時には時既に遅く、未来視を発動する前に爆発的に広がったアルファの領域に囚われてしまった。
あまりに速く、広域に伸びるその活動圏は事前にそうと知っていてさえ脱出困難なものであり、忌々しい事に魔人の称号は伊達や酔狂ではないと身をもって教えてくれる。
しかし、それはあまりにも高い授業料であったと言わざるを得ない。
「では疾く去れ、申し開きは冥界で存分にするといい」
アルファの冷徹な声と鬼人の顔。
デボラの頭部が自身の力で微動だにしなくなる、万力で固定されたかのように強大で緻密に制御された圧力で固められているのだ。
あとは酒瓶のコルクでも引き抜くようにその首が捻られる、のだろう。
それを裏付けるようにデボラの異能が悲惨な未来を正しく予見する。
だが、僅かに生存できる未来もまだ残されてはいることも教えていた。
未来とは揺らぐ波紋のようなものであるとデボラは認識している。
ほんの少しの風、人の干渉、物があるだけでその模様は円形ではなく楕円にもなれば予測困難の複雑怪奇な紋様にも容易に変貌する。
巨大な大筋、大局はともかく微細な未来は人の努力でどうにでも変えられる。
そしてその人の生死さえ些末でしかないということを経験上で知っている。
実に他愛ないことの食い違いで人は生き、死ぬのだ。
「わたしがドロテアをここまで導いたんだぞい!」
首を時計回りに九十度、真横にまで回されたところでデボラは声を発する。
それは命乞いの言葉ですらない。
そこが要である。
命乞いの言葉はかの者には届かない、それがわかっている。
そして嘘はいけない。
それは今も演算し未来視の魔法を行使し続けるデボラにはわかっていた。
フードを目深に被った、おそらくは『男』これが嘘を即座に看破する。
そして看破されたが最後、アルファ姫はデボラの首を躊躇なく千切る。
そういう未来も見えていたのだ。
「ほぉ」
デボラの回る頭部が動きを止める。
ぶっちゃけるともうそろそろ首の可動域限界であり元に戻してほしい、拘束を解いてもらえるとありがたいのだがそんな心情はおくびにも出さない。
出会い頭の無様さを払拭するかのように不敵に笑ってさえみせる。
不遜にすら見える態度であるが、こういう態度こそアルファ姫は好む傾向、悪癖があると察していた。
それはドロテアとのやりとり、また不確定極まりないが未来の情報を持っているが故にもたらされた結論である。
そして興味をひいた事に僅かに安堵する。
もっともそれを顔に出したりはしない。
「金品のことは謝るぞい。だが多少は目こぼししてほしいもんだの、ドロテアを医者に診せるにもひどく金がかかりそうな重傷だぞい」
さりげにドロテアとはそれなりに親しい旨を強調する。
ドロテアもデボラも治癒魔法は使えない、ドワーフの生命力ならなんなく治りそうではあるが腕の怪我はちゃんとした医者に、処置を施さねば、自然に任せて治すと今後使い物になるかどうかも怪しい。
「わたしには未来が見える、人の動きが読める、名はデボラ。わたしに占ってもらうなぞ値千金の価値だぞい、どうじゃ己のこれから、未来を知りたくはないか?」
首が回りだす。
このような物言いはアルファには勘気に障ったのかもしれない。
未来なぞ自分の力で如何様にも切り開いていく、強者であればこそのその想い、行動する者が多いという事もデボラにはわかってはいた。
力ある彼女らには自負がある。
その自信を自分はいま無造作に踏みつけたのだろう。
なにより貴族様というのは気位が雲上のように高い。
「待ちなさいアルファ」
静止の声はアルファではなく『男』から発せられる。
そう、未来が見えるなどという言葉はアルファの興味をひくのではない、つれの『男』の興味をひくものだ。
「未来視の異能を持つハーフリング……デボラという名は知っている」
「……おい、どうせふかしだろ」
アルファの声を『男』は無視する。
たしかに未来が視えるなどと人の手に余る偉業ではあろう。
「未来が視えるなどと大言壮語を吹聴してるそうね」
「とんでもない! 未来とは揺れ動く蜃気楼のようなもの、わたしが見えるのはおおまかな形であり、だからこそ不吉な未来であったとしても回避はでき、幸福な形ならばそれを確実に手に入れる為にお手伝いが出来ますぞい」
「詐欺師同然のそこらへんの占師と言ってる事は変わらない逃げ口上と自覚していて?」
「あのような紛い物と一緒にされては困りますぞい。砂粒を砂金として売りつける者、砂金の入った砂を売る者とは似て非なるものでしょう?」
『男』はデボラを一瞥する。
「不敬な……いいでしょう。まことにその力、値千金であるならばそなたの行い見過ごしてもよい」
「……おい」
「アルファ、あなたも興味あるでしょう? いいじゃないの、それとも先を知ってしまうのが怖い?」
安い挑発。
だがその安さゆえに逃げるのも癪な、そういう言い方だった。
コウという『男』はアルファという『女』の柔らかい部分を刺激せずにはいられない。
「……ちっ、好きにしろ」
「という事よ、ではこっちのアルファから先に見てちょうだい」
「……では、わっちと目を合わせてもらえますかな、そうすればより詳細に見えますので」
慇懃にへりくだる。
アルファは見下ろし、自由になった首でデボラは見上げる。
ひとまずは賭けに勝った。
あとは異能を用い、その有用性と『男』が興味をひきそうな話題を開陳して逃げおおせる。
何よりも手中に納めた金品の数々を諦めるつもりも毛頭なかった。
「見えるぞい、見えるぞい」
異能を行使しデボラは視る。
アルファを、その瞳を、その向こう側を、その先を、未来を異能が捉えんとする。
デボラの視界に水中から水面を覗くような、ゆらゆらと不定形の輪郭が“向こう側”に浮かぶ。
人、物、多くのものが目の前を流れていくが流れは速く、水壁の如き不明瞭な存在が視界を遮りいまひとつ詳細がはっきりとしない。
上下の判別もつかぬ、前後の感覚も曖昧に、未来は近時ではない遠くのものを視ようとすればするほどに抗えない渦の中を泳がされるような混沌とした感覚に陥っていく。
みる、見える、視る、ミエル。
希有なる怪物、アルファ、その行く末、未来。
怪物の末、それはデボラとしても一抹の興味はあった。
現状の行動が己が命、保身のための行いとはいえ、知的好奇心を満たすような充足感さえ味わえていた。
……みえた。
それは鮮明に、デボラの瞳に転写される。
このような感覚には覚えがあった。
ごく稀にだがある、不確定ではない、確定的な未来、運命とも呼べる潮流。
たとえば嵐のただ中にある日は容易に明日も豪雨であると察せられるよう、死病にかかった誰の目にも明かな者の行く末など。
覆しようのない流れというものをデボラに鮮明な像として異能が見させるのだ。
――なにゆえにわしを覗く?
虹色の化け物と目が合った。
まさに、正しく神がかった威をもって声が墜ちてくる。
子ども、極光、魔力の大瀑布、掌打。
死の気配。
■□■◆
「おい! おい! ふざけんな! 戻ってこい」
ひとりの女が未来を視ようと、占おうとした。
ただそれだけだった。
ごく小規模な衝撃がアルファの掌からほとばしりデボラの体を打つ。
小さな体が大きく痙攣する。
しかし事態は何も変わらない。
「なにを見た! せめてそれを言ってから死ね!!」
デボラの心の臓が止まっていた。
「正確な未来を視るのに心臓が止まる制約でも課してるの?」
制限、制約、ある種の縛りを設ける事で魔法はその万能性を著しく失い、代償に精度や出力を得る事が出来る。
「重すぎるわ! んなわけねぇだろ!!」
手伝えボケ、呑気に眺めてんじゃねぇよ。
人が訳も解らず死んでるんだぞ!!
「……容易く人を捻り殺せる『女』が今更なにを」
「直接、手を下すのと勝手に死なれるのじゃ話が違うわ!!」
先程まで自身の手で屠ろうとした相手である、己の手で始末をつけるのであれば何の呵責もない。
だがこれはあまりにも気持ちの悪い、すっきりしない結末だった。
叩きつけるよう、半ばやけくそに衝撃と雷撃を見舞う。
「がっ! はっ!!」
デボラの矮躯が数度にわたって跳ね、痙攣し息を吹き返す。
鼓動が本来の仕事を思い出し、肺が生を持続させるために空気を求める。
「なにを見たのか気になるけど、残念、時間切れね」
コウの歌うような口調。
美人は声音まで美麗なのだと場違いにも、しみじみ、改めて思う。
そしてアルファの知覚も捉える、自身を追ってくる間近に迫る存在、白エルフ達を。
だが、それよりも先んじたアルファ達の迎えも捉えていた。
「――来た」
アルファの視線の先に猛烈な勢いで疾駆する鎧を纏う一角馬一頭。
デボラをちらりと見る。
一瞬だが、連れて行くべきか?とアルファは逡巡するが即座に無理だと断じた。
一角馬、ザザと呼ばれる黒毛の魔物馬は非常に自尊心が強い、自らが認めた強者、友であるアルファ以外の者を背には基本乗せない。
自身の矜持たる足、それを鈍らせる余計な荷など納得する理由がないかぎり積載する事をよしともしない。
通常、人と馬の間に友誼は存在し得るが、使う者と使われる道具として明確な区別、上下は歴然と存在する。
太平の世なら如何様にも温い言葉も吐けるだろう。
しかし、戦時においては文字通り、道具の如く彼女らを消耗、使い潰す事もあるし、それを是として命じなければならない。
緊急時において、たとえ死する事あっても走り続けよと命じる事もあるのだ。
だがアルファとザザの間にはそれはありえない。
この二者は互いの力を認め、契約をかわし、盟約の元に乗せ、走る。
人と魔物の間にあって希有なる対等の関係がある。
ザザはアルファを認め、乗せ、風の如く駆けると誓い。
アルファはザザに敬意をもって接し、決して彼女が嫌がる事を、害する事をせず、その一生を扶養すると誓った。
戦場を駆けるという事ですらザザがひとたび拒否すればアルファに強制する事は出来ない。
今ここで彼女が単身で迎えに来るのもザザの純然たる好意に甘えるものでしかない。
デボラを持っていく事は出来ない。
残念だが今はあきらめるしかないだろう。
口惜しいが落ち着いてからデボラを捕まえるなり招聘して吐かせればいいか。
コウ王子に関しては問題ない、と思う。
一角馬、ユニコーンの牝馬は人の『男』が大好きだからだ。
コウほどの美貌なら喜んで乗せるだろう、と思われる。
しかし、懸念もある。
互いに知悉の仲であるならまだしも初見ではいささか不安もある。
ごく短い付き合い、やりとりであるもののコウがとてつもなく気位の高い『男』である事はアルファにもわかっている。
ザザの機嫌を損ねるような事を平気で言ってしまう、やってしまうかもしれん。
ひとつここは言い含め、またついでにアレもやはり確認しておくべきであろう。
「おい」
アルファは静かにコウに言葉を投げ、王子は何事かと訝しげに視線を向ける。
「 お 前 、 童 貞 だ よ な ?」
■□
「姫殿下は……酔った時分にしきりに言っておられたが、生涯であれほどに顔をはられた事はなかったと――」
「その、なんだ、あね……母はあほなのか?」
「……」
肉親、子供として、この場合においては沈黙が何よりこたえた。
内密の話、過去を紐解くにあたってクロウリーは屋敷の者達を部屋より退席させている。
今この場に存在するのはコア(膝上で寝るヤト)と彼女のみで、テーブルをはさみ対面する二者のその面持ちは対極といえた。
クロウリーはグラスに注がれた火酒を楽しみつつ微笑む、コアは呆れた顔を隠そうともしない。
「一角馬というのは奇妙な性癖を持つ魔物でな、乗るには相当に気に入られないといかんのだが、例外として純潔な者が大好物でな無邪気に乗せよる」
「うん、心底どうでもいい話だな!!」
「……で、まぁ紆余曲折あってお前が生まれて色々あってこうなってるわけさ、後は本人達からでも聞くと良い。ありふれたつまらん話だ、そしてこっちも時間切れさね」
クロウリーとコア、両者の感覚が屋敷の外、その馬鹿げた力を隠そうともしない者の存在感を明瞭に感じ取る。
くだんの話にあるアルファ・ラグナ・アーゲント。
であるとコアには容易に察せられた。
「姉の様な人ではなく実母とはな……気が重い、ぞい」
「そういえば将来は姉様と結婚する。とか言ってたな」
「…………」
クロウリーは目の前に座る子供の渋面を肴に酒を呷るのだった。
ドロテア「……知らない天井だ(ドヤァ)」
デボラ「意外と余裕で腹が立つぞい」
Q.この世界において童貞って価値あるんすか?
アルファ「新品の剣と中古の剣、誰だって新品がいいだろ!!(キレ気味に)」
Q.この世界において処女ってどうなんすか?
アルファ「……一度も落とされた事のない砦、開かれた事のない城門」
Q.じゃあ価値あるんですね?
アルファ「落とすほどの戦略的価値がないって事だよ!言わせんな!!(キレてる)」