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過去編 05 他人の夢

 ドロテアの左拳に合わせアルファもまた左拳を繰り出した。

 濃密な、常人には怖気さえ感じる念動の力を纏って放たれたそれをドロテアは脅威と感じなかった。


 【無傷】のドロテア


 それは彼女に贈られた称号であり祝福だった。

 如何なる攻勢もその女に真に届く事なく、故に一切傷つかず、しかし女の攻撃は相手に届き売るという理不尽。

 絶対の防御、魔法、異能の盾を持つ者としてドロテアはこの世に生を受けた。

 物心ついた時にはドロテアはその異能を自在に顕現させられた。

 力、その流れの操作、単純にして絶大なそれは如何なる打撃も、斬撃も、肌が刺激を感じ取れば皮一枚で防ぎきり、あらぬ方向へと逸らし、散らす。

 だからこその無敗、ただの一度たり敗走なく、引き分けることさえない。

 策謀など弱者の小細工とばかりにまっすぐ相手に突っ込み、先制を相手取られてもドロテアの異能は絶対の盾として機能し、狼狽える相手に一撃、ただ一発の拳を沈めればそれで全てが終わる。

 

 そしていつしか、本人すら気づかぬほど、ドロテアにとって闘いとは自己の無敵さを再確認する作業と成り果てていた。

 端的に言ってしまえば淀み、腐っていたし慢心が骨の髄まで染みこんでいた。


 ドロテアの拳とアルファの拳がぶつかり合った。


 そこから起きた出来事をにわかには理解できなかった。

 腕から体を貫く衝撃、重く、熱に変わる痛み。

 その体は吹き飛び地を舐め、屈辱の泥にまみれる。


 アルファは追撃を加えない。

 彼方より悠然と見下ろし、自らが踏みつけ、砕いた虫けらを見つめる。

 その視線の怜悧さ、傲岸不遜。

 はっきりと今ならわかる。

 あれは自分だ、勝利を確信し無敵を誇った今までの己そのもの。


「……思い上がるなよ化け物が」


 この台詞もまた覚えがある、自分にのされた者達がしきりに口にした遠吠えそのもの。

 自嘲的な笑みさえ浮かぶのはしょうがないだろう。

 だが言わずにはいられない。

 敵はまだ向こう、備えろ。

 立ち上がる、膝が笑う。

 感じる、自身の身に宿る異能、恩恵は今も十全に機能している。

 燃料たる魔力だって尽きてはいない。

 何故、奴の攻撃が通る?


「ねぇアルファ、何がどうしたの?」


 空気を読まない、場違いな『男』の可憐な声が響く。

 ドロテア・ゴルド・ロックハート。

 その名前にコウは聞き覚えがあった。

 如何なる攻撃も受け付けない異能にして完全なる戦士。

 アルファが凄まじく強い魔人であったとしてもその力が通らないのであれば負傷、負けも当然の事として有り得る。

 何が起こったのか、コウの疑問はもっともで、危うくなれば自身が手を、視る事もやぶさかではないと思っていたくらいだ。

 だが結果は多少の危なげはあっても余裕とさえいえる状況。

 少しばかり納得がいかなかった。

 

「斬りつけた時に奴の持つ魔法は大体理解した、おそらくは力の操作だな」

 

 知らず、ドワーフの女はここではじめて自らが起こしてしまった闘争に対して後悔めいた思いを抱いた。


 あの一手でそこまでわかるものなのか?


 ドロテアの背筋に薄ら寒いものが訪れる。

 察しが良すぎるという話ではない。

 大抵の者は自分の魔法、攻撃が通らない事に狼狽えるばかりが普通である。


「念動、似たような系統の魔法を扱うというのもあるが、こやつのような魔法の運用はずいぶん昔に考えて実行した事がある、不出来で魔力ばかりが嵩むものであったし無敵というものではない」

「……なるほどね、でどうしてあれは死にかけてるの?」

「簡単だ、絶対の盾を構え続けたところで攻勢には出られん。矛を突き出すならばその矛ごと撃ち抜いてやればよい、そこが穴だ」


 簡単に言ってくれる。

 だが、厳然とした事実としてドロテアの左拳、左腕がぐしゃぐしゃに砕け、歪んでいる。

 ただし言うは易いが行なうにはあまりに高い難度を要する。

 高出力の魔法、蛮勇ともいえるくそ度胸、冷静で精緻な肉体各種運用。

 とっさの仮説に対し実行策が閃いたとしてそれを躊躇なくぶっつけ本番で気負いなく実行、成功させる者が世界にどれだけいるのか。

 そもそも相手の全力、全速力の拳を見てから、あえてそこに自身の拳をぶつけるなど万人に出来るものではない。

 

 アルファが歩む。

 ドロテアに向かい、その一歩一歩を見せつけるように歩を進める。

 今までに生きてきてこれほどの圧迫感、威圧を個人から感じるのははじめてだった。


 逃げるべきか?


 ふと、弱気なその選択肢が何の気なしに頭をよぎる。

 生まれ出でて今の今まで湧いた事すら選択。

 僅かな逡巡、結果それは瞬時にドロテアに強烈な自己嫌悪と怒りをもたらした。

 

 もとより利き腕は右。

 もはや左は潰れ機能せずとも支障ない、右拳を握れ、敵を見据えろ。

 近づいてくるというのなら好都合、撃ち抜く、この右拳に合わせて拳ごと撃ち抜くというのならば撃ち抜いてみろ。

 こちらは更に上をいけばいいだけだ。

 腕を大きく後ろに傾ける。

 背を相手に向けるほどに体を捻る。

 全神経、全膂力、意識をたったひとつの物事を成す為に集中する。

 気合いを入れろ、敵の顔を見ろ。

 そこに、あとはこの右を最速、最短で叩き込めばいい。

 

 長耳の怪物がドロテアの眼前に立ちはだかる。

 

「待たせたか」

「なに、俺様とお前の仲だ。遠慮はいらんぞ」


 揶揄するような『女』の言葉に『女』は気安さをもって応えてみせた。

 言葉だけをとらえた、まるで既知な間柄のような弛緩した空気は錯覚。

 互いが互いを見据え、錬磨した刃を突きつけ合うような痺れるような緊張感。

 肌が我知らずひりつく。

 

「――ドロテア、お前は俺に似ている。そしてお前を見ているとかつての自分を見せられているようで苛つくな」

 

 ……それはどういう意味だ。

 いや惑わされるな、卓越した魔法使いにとって弁舌、舌戦もまた戦術であり戦い。

 その拳を放て、溜め込んだ力をいますぐ解放しろ。

 単純に考えろ、いやそもそも考えるな、もっと明解に、純粋に、一個の器物になれ。


 敵を斬るためだけに存在する刃。


 壁を打ち砕くためだけに在る槌。


 そういうものになればいい、今自分はそういうもので良い。

 

「来ないのか?」


 討つべき敵はもはや眼前、アルファの声にドロテアは反応しない。

 否、全身からふつふつと汗が噴き出す。

 反応しないのではなく、出来ない。

 肌にはこれ以上なく鳥肌がたち、背骨が氷に変じたかのような怖気が背筋にはしる。


 恐怖だ。


 ドロテアにして初体験ともいえる明確な心理感覚とそれが及ぼす肉体の作用。

 意識は鮮明で、心は急かすが体が萎縮する。

 意識はあれど意志はなく、心が駆動せねば体は動かぬが人の道理。

 

 激烈な痛みを伴った左腕への一撃。

 生きてきて鮮烈に感じた痛覚、並の者であれば泣き叫び、戦闘不能となったに違いない。

 そもそもドロテアはその特異ゆえに今までに痛みらしい痛みを感じる事がなかった。

 その経緯を考えれば今のこの状況すら奇跡のようなものだ。

 興奮状態にある事を差し引いても、およそ初めて感じる激痛にのたうち回らずこうして立ち、戦意を漲らせている事自体が驚愕すべきことである。

 なるほど、ドロテアの戦士としての適正は抜きん出ている証左といえる。

 

 この右拳を放てばどうなる?

 左のように砕かれるのではないか。

 

 両腕を砕かれたならば、どうすればいい?

 腕がないなら蹴ればいい。


 では足さえ砕かれたのなら?

 這いずってでも食らいつけ。


 ありとあらゆる手段を使い勝利をもぎ取れ。


 では、そうしてやってもなお勝てない時どうすればいい?

 もし、惨めに這いつくばり、卑怯な手を弄してでも、誇りさえなくしても勝てない時はどうすればいいのだ。


 ……いやだ、負けるのは嫌だ。


 追い詰められ剥き出しになる内面。

 自分は特別なのだ。

 それは正当であった驕り、誰にも膝を屈しない生まれながらの強者ゆえの権利。

 己はそこらへんに転がる石や岩など、有象無象とは一線を画する存在なのだ。


 負けたくない、負けを自覚するくらいなら死んだ方がましだ。

 

 そうだ放て、この拳を撃ち出せ、まだ何も決まってはいまい。

 問うた所で答えはでない、やらねばわからぬ。

 

 だが、もしやってなお、動かしようがない無慈悲な事実を突き立てられてお前は受け入れられるのか?

 ……どうしようもなく怖い、覆しようのない結果が出てしまうのが恐ろしい。



 そのドロテアの葛藤はさほど時を要してはいない。

 であるにもかかわらず

 

「ドロテア、お前の負けだ」


 アルファの声が降りかかる。

 それは有無を言わさぬ力を持ち、ドロテアの真意を見透かしたかのようであり、その心の柔らかい部分を正確に射貫いた。

 

 瞬時にして放たれる拳。

 認めぬ。

 進退窮まり、困窮したドロテアを動かしたものに意志はなく意地ですらない。

 限界までに注がれた圧に器が崩壊しただけの反射的な作用でしかなかった。

 言葉でなくてもよい、こちらを侮蔑するような視線をくれただけでそうなったに違いない。

 過大な緊張感、張り詰めた糸、なんらかの刺激があれば容易に破裂する膨張した風船、その結果が右拳による一撃の返答。

 

 卑しく悩む心を誤魔化す為に放たれた反射。

 

 そして、そのような拳はアルファには届かない。

 

 その暴力を怪物は一顧だにしない。

 酩酊にも似た前後の認識障害。

 胃を猛烈に攪拌されるような不快感。


「おごおおおおおおおおお」


 吐いた。

 ドロテアは眼前の敵を一時忘却し嘔吐した。

 自らの吐瀉物で溺死しないように膝をつき、地面に拳を打ち付けるのが精一杯だった。

 その姿を眺める者あれば絶対者アルファに跪き、頭を垂れて許しを乞う弱者の様ですらある。


 何が起こった?


 どうしてこうなっている。

 ドロテアは自らの体に起こった異常がなんらかの攻撃であると即座に看破する。

 しかしその内実まで察する事は今の彼女の、乱れに乱れた思考と体調ではとうてい不可能だった。

 

 

 コウ・ラグナ・レンフィルは場を見つめる。

 彼は視るという事に関しては随一の物を持つ。

 ドロテアの身に起こった異常、それはなんてことはない、単純に他者からの魔力汚染である。

 他者・他物の魔力は毒である、それはこの世界の常識である。

 どんな物でも魔力は宿っている、食物でさえ大量の魔力を有したような個体は魔力を散らしつつ気をつけるか、相応に加工しなければ食べるに適さない。

 近接にて戦う者の中には武具に魔力を纏わせ、相手に浸透させ戦闘不能に追い込む技術もあるという。

 

「嫌らしい小細工」


 ドロテアが急性の魔力中毒に陥ったのは左腕への一撃ではない。

 そもそも魔力の他者への浸透はそうと気づかれれば抵抗され容易には流し込めるものではない。

 そして魔力汚染、その肉体への閾値は個体によってまちまちであり一見しては不明瞭、闘争において実行するには実に非効率かつ確実性に劣る。

 流し込む魔力を使って攻撃魔法を行使した方が良い。

 魔力の流し込みは多数ある手段のひとつと捉え、また肉体より離れた防壁などの中和、邪魔などに使われるのが一般的だろう。

 

 コウは場を眺める。

 周囲に漂う魔力、周囲のそれに色を合わせたアルファの濃密な魔力が辺りに拡散している。

 おそらく一般的な魔法使いではそうとさえ気づく事も至難な小細工。

 自身の魔力を毒と見た場合、空気に合わせ無味無臭の毒ガスとして辺りに放っているに等しい。

 相手はそれと知ることなく呼吸を介し内部に摂取する。

 あそこまで明確に効果が出る所を見ると内部に入ったと同時に相手の色に合わせて偽装、急速に浸透させる等なんて事までしているのかもしれない。

 だが、なんてことはない、一度気づいてしまえばどうという事はない小細工である。

 気づき、認識さえしてしまえば自身の魔力を運用し抵抗出来る。

 魔力の流し込みとはそういうものであり、この技術体系が対人戦においてこれ以上に発展しない所以である。

 

 だが逆に言えば気づかれる事がなければ無類の強さを誇る一手であるのも確かであろう。

 

 意外、とコウは感じた。

 あのアルファがこのような卑近な技術を用いるとは想像できなかった。

 大量の魔力を有しているが故にこのような使い方をする事も思いつきもするだろうが、思いつく事とそれを実行する事には大きな隔たりがあるものだ。

 どんな卑怯や悪辣、悪徳さえ人は思いつき想像できるが、それをするとなるとまた違う。

 アルファが使うこの技、小細工は、アルファ姫らしからぬ。

 言うなれば、そう、彼女らしい強者の技ではなかった。

 

 

「カーラという魔女がいてな、かつて俺もそれと同じ事をされ今のお前のように無様に地面に這いつくばった」

「それは……」

「ドロテア、実に惜しい。今より技に優れていたなら、驕ることなく修練を積んでいたなら結果は大きく違っていただろう。つまり、簡潔に結果から言う、お前は恵まれ、強すぎたが故に負け知らずであり、だからここで無様に負ける。かつての俺のようにな」


 雷撃にも似た衝撃をうけドロテアはアルファを見た。

 汚濁に跪きながら天を仰ぐ。

 地を睥睨するアルファの瞳には慈悲さえ込められているかのように優しい。

 

 負けた?

 

 この怪物は負けたと言ったのか。

 聞き間違いか。

 簡単には信じられない話だ。

 この怪物の更に上が存在するというのか。

 

「きっとお前“も”誰にも負けた事などなかったのだろう。だからここで負ける、そしてここで負けておけ、それはさぞ重かろう」


 その言葉は答えの出ない問答のようだった。

 負けなかったから負ける。

 それはあれか勝利ではなく敗北こそが得られる経験が多いどという教訓めいた、弱者どもの定型文か。

 くだらない。

 お前の口からそんな軟弱な言葉なぞ、聞くに耐えんぞ。

 負けん。

 負けたくない。

 ひどい裏切りだ。

 お前は同じだと思っていたのに。

 

 いや、違う、勝手な期待だ。期待? 何が? 考えるな、敵は眼前、思考は不要。

 おかしくなっている? そうだ、ものごとは単純だ。

 この孤高の道を行けぬ、わからぬ凡俗ならばお前も砕けてしまえ負け犬。


 足、靴底。


 混乱と吐き気の擾乱がおさまらないドロテア、その顔面にアルファの蹴りが突き刺さる。

 魔力汚染のただ中にあって、僅かばかりに反応できた盾の異能は顔を潰すに至らず、ドロテアの命どころか意識も奪えない。

 栓を引き抜いた酒樽の如く、冗談のように鼻血が吹き出すがドロテアはもはや気にも止めない。


「しぶといな」


 アルファから放たれる怜悧な声を無視、汚泥から立ち上がり、懲りずに拳を握り、振りかぶる。

 震えは既になく、恐怖は彼方に消えた。

 気分は最悪。

 だが戦意はかつてないほどに昂ぶっている。


「砕けよ!!」


 それは魔法詠唱、強固な意志と力ある言葉がその異能を一段上へと昇華させる。

 盾が転じ最強の矛となる。

 ドロテアの身にかかる重力が、筋肉の、強すぎたが故に洗練されなかった稚拙な姿勢と動きから力の淀みが解消され拳の一点に損失なく流れていく。

 それは武人が長き習熟の果てに至る、肉の動きによる淀みと力の損失を解消し、繰り出される技巧の限りを尽くした果ての一撃に等しい。

 また、拳に纏われた力場の操作はそれが触れるものの結合を解く恐るべき権能を秘め、ドワーフの剛力で放たれるそれは如何なる物質すら容易に貫く破滅の力を内包していた。


「いや、防御を捨てて攻撃するのはまずいだろ」


 互いの腕が交差、ドロテアの拳撃は当たらずアルファの拳が一方的に顎を打つ。

 

「ぐぅううぅ」


 ドロテアの脳が揺らされ、自身の頭蓋に高速で衝突、攪拌され、前後も上下の感覚すら曖昧模糊の悪夢へと再び連れて行く。

 アルファの指摘は至極もっともで、無意識的にせよドロテアは最強の矛を得る為に盾を捨てていた。

 本末転倒。

 もし彼女が自身の力に驕らず修練を積み重ねていれば盾を展開しつつも矛の一撃を繰り出す魔法の並列発動を行えたかもしれない、そこまで至らずともその拳撃が当たる一瞬、刹那の瞬きの如く、盾から矛への高速的な切り替えを可能としたかもしれない。

 全ては可能性の話であり、ありえたかもしれないもしもの結果である。

 奇跡は起きない。

 人が窮地にあって都合の良い力などに目覚める事はない。

 積み重ねた以上のものを発揮する事などない。

 

 強すぎたが故に努力をしない者に都合の良い結果はついてこない。

 

「お前も、俺も、最強ではない、ましてやそれを無自覚にせよ怠った者には夢想する事すらおこがましい」


 ぐにゃぐにゃと視界すら定まらぬ不確かな世界、地に吐いた自身の反吐を舐めさせられる屈辱。

 意志と体を繋ぐ操り糸が切られた不自由な悪夢の中でたしかにその声を聞いた。

 

 ――強くあろうとするなドロテア。

 

 その声は慈愛にすら満ちていて

 

 ――お前も、強くなくて良い。その荷をもう降ろしていい。

 

 その言葉を認識したとたん、体が軽くなったような奇妙な感覚にドロテアは囚われた。


 強くなくて良い、荷を降ろしていい。


 それはどうにも抗いがたい響きを伴っていた。

 強くあること、有象無象と自分は違うこと、負けないこと、硬くあること。

 

 それははたして本当に自分のしたいこと、目指すべき“夢”であったか?

 

 獅子として生まれたものは獅子として生きる他ない。

 ドロテアは獅子だ。

 だが人は獅子ではない。

 

 無意識に拳を握る。

 

 敵の前にあって魔法的な補助などなくても誰よりも硬く、強く、他を圧倒する膂力を持って握り込められたその手をあえて握らぬという選択、獣ではない人であるならばそれが出来るのだ。

 

 異能、それは祝福であったはずだ。

 これは天の贈り物であったのだろう。

 

 だがいつしかその才と異能、それは自らを潰さんとする荷物へ、呪いになっていたのではないか。

 アルファはそう言っているのだ。

 

 人は獅子ではない、だが獅子としての才を、異能をもって生まれた人は、それを見出された者は、獅子として育てられるだろう。

 獅子として生きるしかないだろう。

 

 なるほど。

 

 悪夢のまどろみの中にあって戦意の高揚と伴ってかドロテアはある種、超常的な共感と納得を得る。

 不可思議なことだが魔法も何も使わずとも相対するアルファの気持ちが容易にくみ取れた。

 気の合った親友と会話する時にも似た、言葉を発さずとも察せられるような不可思議な呼吸と時。

 おそらく、そこに今この瞬間いる。


 体が身じろぎする、寸断された頭と神経が僅かばかりだが繋がる。

 触れればたやすく切れるような脆弱な連結を総動員し、眠りたくなる意識を奮い起こし立ち上がる。

 もはや結果はわかりきっている。

 このまま眠ってしまえばさぞ楽で、賢明な方法だろうとも思う。


 だがドロテアにも“意地”がある。

 そして、もう意地しかない。


 いまだ燻る獅子としての?

 

 高慢なエルフの前に立つ、ひとりのドワーフとしての?

 

 ドロテアは獅子ではない、だが獅子としての才をもって生まれ、獅子として育てられた。

 人を蹂躙し喰らう人食いの獅子、完成された暴力者、戦士。

 それは元来、ドロテアの夢ではなかったかもしれない。

 そうあれと願った他の誰か、賢しい誰かに授けられ、押しつけられたものだったかもしれない。

 

 今までの人生において、拳を解き誰かと穏当に、もっと触れあうことも出来たはずだ。

 笑い、時に人目を憚らず大声で泣くことも出来たはずだ。

 

 馬鹿な自分にはそれがわからず。

 他者に敷かれた道をそうと知らず、自分の道として歩んできた、ひどく滑稽な道化だったのかもしれない。


「だがな! 俺にも意地がある!!」


 その身は薄汚れ、目は血走り、鼻腔からはいまだに血が流れ続け止まらない。

 左腕は前衛芸術のように愉快なねじくれ方をしている。

 満身創痍。

 だがそれでも命じるのだ。


 拳を握れドロテア。


 腕を大きく振りかぶる。

 

 小綺麗に型にはまろうしなくて、そんなものは流儀じゃない。

 臆するな。

 思いっきり振り抜け。

 もはや、この身、心さえ獅子に非ず。

 メッキは剥がされ卑近な地金が露わになっている。

 だが、矜持がある。

 今日この日まで獅子として生きてきた自負がある。

 人食いの獅子として怪物の前に立ったという事実がある。


 多くの者を食い散らかしてきた現実がある。

 

 そして何よりも

 

「『女』としての意地がある!!」


 今持てる力を振り絞り、全身全霊の拳を撃ち出す。

 

 ドロテアは眼前に立つアルファを見た。

 怖気の走る凶相。

 裂けるかのように割れた口。

 瀑布、怒号の如き哄笑。


 世に並ぶ者なき人食いの怪物、虐殺黒姫がそこにいた。


――砕けそうにねぇや。


 怪物が笑う。

 癪だからドロテアも負けじと笑った。

 

 

 意識を失うその瞬間まで精いっぱいの虚勢を張って馬鹿みたいに笑い声をあげてやったのだ。

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