過去編 02 告白するのこと
その『女』には三人の夫がいた。
彼女は平等に三夫を愛し多くの子をもうけた。
時は流れ、『女』は更なる高みを求め、神界へと旅立った。
――いずれ帰る、それまで待っていてくれ。
優しい『女』の手と声が愛しい『男』達を撫でる。
夫は彼女の居ぬ国を守り、待ち続けた。
やがて滅びが、黄昏が訪れた。
天が裂け、海は割れ、大地が破壊の波に呑まれ砕けた。
栄華を誇った王都はもろくも崩れ去り、エルフ達の黄金時代は終焉を迎える。
誰が死のうが、滅びがあろうが、時は止まらず大河の如く粛々と流れ続ける。
百万を超える昼と夜、その繰り返しの果てにも歴史は刻まれ続けていく。
男達は待ち続けた、民は信じ、祈り、待った。
竜が神を擁し台頭しても、怪物達が王を擁し台頭しようとも待ち続けた。
真なる王の愛した夫達は既に死に絶え、その子、孫、子孫達も川の向こうへ、天の国へと旅立っていく。
やがて王の血脈を継ぐ三家はその夢を共にした一つのまとまりから分かれていく。
ノエルは変わらず真王を待ち続ける、祖たる男が愛した女を、本当に愛していたのだと、信じていたのだと彼の人に証明する為に待ち続ける、たとえ何度、世界が終わり、移ろい、変わろうとも。
アーゲントは解放を望み、自由を謳歌し、継いだその力を極めんと奔走する、自分達こそが頂きを継ぐ者であると誇りと自負をもって。
そして、最後の一家、レンフィルの選択は……。
「……聖杯などというものはないのか」
王子の声はするりと、自然な響きを伴って静寂に染み渡った。
アルファ姫の言葉を追求、ことさらに問いただすまでもなく真実であるとコウには察せられた。
王子の類い希な目と錬磨された耳は虚飾を看破する。
自らの放つ嘘を真実と信じ切るような生粋の詐欺師でない限り騙しきる事は出来ず、わずかな邂逅であるにも関わらず目の前のアルファという女がそのような者ではないとも既に見切っていた。
これで騙されるのなら仕方がない。
己の力量不足と馬鹿さ加減に呆れるだけであるが、そもそも聖杯なるものがあったとして邪教の至宝、そんなものにコウ自身は縋ろうとも使おうとも思わない。
「ま、そんな便利なものがあれば貴方を含め、ダークエルフは皆ことごとく手のつけようがない化け物にでもなっているんでしょうしね」
コウは笑みさえ浮かべて俯瞰した戦況を揶揄する。
この戦乱は既にライトエルフ、ひいては連合側が勝ったも同然。
王子の魔法を殺す浄眼を含めずとも、欲まみれの人間たち、ドワーフ、獣人などの中にも文字通り一騎当千の傑物が交じり出している。
戦争が持つ魔力、引力か、実力者を呼び寄せ、また急速にその才を芽吹かせていると表していい。
名を上げたい者、己を高めようとする武人、極限の中で研ぎ澄まされる者、引き合う者達。
優れた、強い魔法使いは同格以上の魔法使いを呼び込み惹かれ合うものだ。
アルファ・ラグナ・アーゲントという怪物がいてこそ護国は成るが、この怪物が戦場で力を振えば振るう程に同種が吸い寄せられていく。
あまりに皮肉な話であろう。
怪物が実力を示し名を上げれば上げるほどにその首の価値は跳ね上がり厄介者を魅了し惹きつける。
単騎にて万軍に相当する戦力。
古代の王の血を今なお引き継ぐ正統の一派。
だからこそレンフィルには必要である。
そこに言葉はない。
コウは静かに席を立ち、アルファへと無造作に歩み寄る。
互いの視線が微かな戦意さえ伴い交じり合う。
「じっとして」
優しさすら感じられるコウの美声だが、伸ばされた両の手は猛獣へと手を差し出すかのような緊張感をはらんでいた。
事実、眼前の魔人は人にあって人にあらぬ、範疇におさまる事、し難き存在。
その魔力は今でこそ見事に隠匿され微少な圧すらも感じられない。
だが、直に触れ、探ればわかる。
王子の両手がアルファ姫の包み込むように、頭部に添えられる。
触れ、同調し、探る、その深奥を看破する。
コウの口から驚愕とも感嘆ともしれぬ呻きが我知らずついて出た。
生涯、今まで生きてきて感じた事のない、今まで見たどの魔法使い、触れ観察したどのエルフよりも広く底知れない。
水平線さえのぞく巨大な湖面を前にしたような、豊かな水源、引き攣れた笑いさえ浮かべてしまう馬鹿げた広大さ。
到底一個の生き物、一個人、一人が内包してよい魔力ではない。
荒唐無稽とさえいえる量。
『女』とはいえこれは本当にエルフ、同種であるか。
汝、まことに人であるか?
竜や魔族が人に化身していると言われたなら万民が素直に頷く事さえ出来よう。
巨大で、広大で、深く、静かでありながら力強いうねり。
長き年月を経た巨大な樹を前にした時のような言い様のない、根源的な敬意さえ沸き起こる。
これほどの者がなぜ“虹”の形質を有していない。
彼女ほどの存在が虹を有していたのならと、詮ない事であるが思う。
虹の眼を宿していたこれほどの女であれば、エルフであれば頭を垂れぬ者などいない。
彼の人の真なる再来であるのならそれは生まれながら王であり、王権を返上すべきエルフ種の新たな神でもある。
親に逆らう子はいよう、王に反逆する民もいよう、だが神に反する事は誰にも出来はしない。
他種族、異教の神と信徒ならば背く事もできようが、エルフにとってエルフの神、神眼の魔神に逆らう教えは聖典に刻まれてはいない。
「なるほど、あいわかった」
王子は人造の怪物から手を離さず瞳を近づけ囁く。
自らが真なる王に成り代わるのだと錬磨し続けた一族こそがアーゲントである。
なるほど、たしかにその集大成、凄まじいまでの個の極致。
いまだ神に届かぬまでも人の意地というものを、執念を見せつけられた気がした。
だが、これでもおそらく足りぬのだ。
心身共に鍛え、技を錬磨し、血に依る事無く優秀な魔法使いを掛け合わせた果てで生まれたのは人外に踏み込んだ怪物。
それでも全くもって足りぬのだろう。
しかし、レンフィルの一族もまた終着、限界。
かの一族は待てど暮らせども帰ってこぬ神に代わるソレそのものを作ろうと考えた。
血と伝統、その血脈こそ至高とし起源に返ろうとした。
コウ・ラグナ・レンフィルは神ではない、神の似姿にどこまでも似た先祖返りである。
だが、アーゲントもレンフィルも目指す所は同じ、ただその手段の違いである。
進み、神に至ろうとしたか。
戻り、神に至ろうとしたか。
共に自身と、その血脈を改良して作り上げた果て、その作品が今ここにいる二者である。
王子には姉達がいた。
今はもうどこにも存在しない。
誰もがライトエルフの法による成人年齢、三〇まで生きる事が出来ぬほど弱い、脆弱な心身しか持たなかった。
濃縮された血の限界点。
血の尊さを何よりも重視しそこに至ろうとして滅びかけている一族。
もはや終わりを迎え、膠着したレンフィルには新たな血がいる。
ただ新たな血であればいいわけではない、夢に至る橋になり得るものでなければならない。
そしてそれに相応しいのは、血統、王の血が薄れる事もいとわず強さを求め、神に至ろうと進んだ一族ではないだろうか。
「ねぇ不細工」
「誰が不細工だ、誰が、ちょっと個性的だったりはするかもしれんが」
「だって貴方、洗ってない猫みたいな臭いが――」
「おおぉい既視感、既視感がする!」
「顔も、目つきも悪い、剣呑で、好みじゃないし、変な臭いもするし、服の趣味も悪いし、実をいうと同じエルフだけど黒エルフって汚れなのか地肌なのかわからなくてちょっと生理的に受け付けないんだけど――」
「……死にたいらしいな」
無体な言葉にアルファがもはや後先考えず激昂するその直前、その言葉は心の隙間に染みこむ甘い水のように彼女の耳に入り込む。
――アルファ、わたくしの子を産みなさいな。
■■
「見えるぞい、見えるぞい、未来が見えるぞい」
ひょこひょこと陽気に短身を踊らせて歩く女。
ひょろりと長い手と指、小柄な体、童女のような容貌、そのくせ純真さを欠片も持ち合わせていないような瞳。
年齢が見目に現われぬ最弱にして侮りがたい賢しき人類種、妖精人……ハーフリングとも俗称される者。
女は煌々と灯るカンテラを掲げ夜の闇をほのかに照らし歩き続ける。
それに続く影はもう一つ。
「ぞいぞい、うるせぇ」
粗野な声音。
それは異様な格好をした、ひいき目に言って頭がおかしい姿、妖精人ほど短躯ではないが近しく小柄な女だった。
エルフほどではないにせよ尖り気味の耳。
灰色の長髪は縦ロールに、独特な螺旋を描き、いくつにも分かれ垂れている。
このような巻き型の髪はドワーフ種が好んでする様式であり、予想通り髪からのぞく瞳は白目がない、玉でも嵌め込んだかのような死角の少ない虫の持つ複眼のような青き眼。
ドワーフ種の女。
種族は別段に目をひく要素ではない。
問題はその服(?)だ。
――裸である。
否、その表現は正確ではない。
獣人種とおなじく近接闘争において多大な強さを誇示するドワーフ種である、戦闘において邪魔になる豊かな乳房を固定する為の下着、水着と見られるような最低限のものはつけていた。
無論、下も履いてはいる。
が、布地の多い筒状のようなものではなく、ましてや『男』が使用するようなドロワーズ、かぼちゃパンツのようなものでもない。
動きを阻害せぬ為か布地の面積は必要最低限、背後から見れば『女』ならその手の趣味でもない限り顔を顰める尻丸出しの格好。
露出狂の変態。
と、ここまでなら誰しもが思うだろう。
しかしその全体像を見ればまた別の感想も出てくる。
足には履くべき靴もなく素足。
肌は不自然に白く、日焼けをしている様子すらない。
今の状況はなんらかの異常事態であるのかと思えば、本人は至って普通の面持ち、所作、それが慣れたものである事が容易にくみ取れる。
不可解なのだ。
注意深い者ならば一目見ておかしいと、変だとわかる。
常識的に考えて明らかにおかしな姿、だがそのおかしさ、不可解さにはなんらかの理があるように思えるのだ。
野獣は服など着ない。
着る必要がないからだ。
人と違い、その肉体、それのみで既に完成されている。
寒さを凌ぐにも布を必要とする人とは違う。
聡い者はこのドワーフ女にもそれに似た奇妙な一体感、不可思議な存在感がある事に気づくだろう。
そして、軽く、下に見て嗤う事の出来ぬ秘めきれぬ剣呑さがあるのだ。
「……そろそろか」
「ドロテアはせっかちだぞい」
「ちっ」
唾を吐くが如く伝法な舌打ち一つ。
ドワーフ女、ドロテアの焦れた声、それを揶揄する年齢不詳の童女。
奇妙奇天烈すぎる二人組は夜の闇をかいくぐり、森を抜け、ほどなく小高い丘から眼下を見下ろす。
視線の先にあるは白エルフ達が陣取る野営地。
大小の天幕と灯りが広がる光景。
「見えるぞい、見えるぞい、わっちには見えるぞい、怪物の息づかいまでもが詳細に見えるぞい」
「これで本当に怪物とサシで闘えるのか」
「このデボラ、いただくものをいただいてる以上は嘘は吐かんぞい」
その言葉に反応してドロテアの顔に抑えきれぬ凶相が浮かぶ。
その凶悪な顔にあるのは純然たる喜悦。
欲しいものがようやく手に入る、ある種の子供じみた純粋さ。
「しかし本当にいいのか? ぬしよ、この先に行けば勝つにせよ負けるにせよ、ただではすまんぞい」
「勝つ? 負ける? おや? 未来が見えるんじゃなかったのか、ぞいぞい」
「……未来は見える、見えるが、未来はとても不安定で如何様にも転がる、遠くの未来になればなるほどな、近時とてほんの少しの工夫と努力で変えられる、変わってしまうんだぞい」
「未来視が聞いて呆れるぜ、それじゃお前のは魔法でもなんでもない、ちいっとばっかし出来のいい予測だな」
「短い付き合いであるが、金払いの良い客を心配してるんだぞい!」
「お優しいこって、はっきり言って気持ちが悪い。ハーフリングってのはもっと無情で小賢しく、金にうす汚いくらいでいいわ」
「土堀り族の田舎女め、せいぜい苦しんで死ぬがいいぞい!」
ドロテアは言葉の応酬、その締めを豪放な笑いで応える。
「じゃあなデボラ、世話になった。死ぬつもりはさらさらねぇが契約通り、おっ死んだら俺様の荷は好きにしていいぞい」
前に出て、振り返りもせず片手を上げ、振り、それだけ告げるとドロテアは丘を滑り降りて目的地に駆けていく。
もはやいっときも待てない。
ドロテアの望むもの。
生涯においていまだに出会った事のないもの。
「俺より強い奴に会いにいく!!」
力の信奉者、戦士ドロテアは駆ける。
おそらくは自分よりも強いとされる相手、怪物アルファに向かって
■■■
「じいや、これより“婿”にいく、用意せい」
確固たる決意を秘めた王子の言葉に侍従が静かに了解と、臣従の礼をとる。
王子付きのメイドには既に話が通っているのは明白。
「まてまてまてまて、おかしい!」
「何が?」
「何もかもだ!!」
この場で話が通っていないのはアルファ姫殿下一人であった。
ここでいっそ虫を見るかの如く無礼な態度でもとられれば激昂する事も出来たのだろうが、コウ王子は慈愛とさえ呼べるような笑みをこちらに向けている。
「レンフィルの願いは王たる神を再び作る事。アルファ姫、お前が欲しい」
『男』が口に出すにはあまりにも色気のない言葉に思わずアルファは毒気を抜かれてしまう。
「まずはわたくしをここから攫い、我が物とせよ。敵は脅し、宥め、話を長引かせよ、そうしてる内に本国は戦えなくなる」
「いやいやいやいや、まてまてまて」
「思えば長き時間、些細な事で同種たるエルフが分かたれ、争い、不毛な時であった」
じいや、メイドが王子を手慣れた様子で着替えさせる。
アルファは思わず視線を逸らすが油断なく周囲を感知し警戒する。
これは何かの兵法、罠のたぐいではなかろうか。
そう思うのも無理のない事であった。
そして、ささやかな衣擦れの音が妙に動悸を刺激するのはアルファとて年頃の『女』であり悲しい性である。
そう、決してこのような事態に免疫がないとか、そういう事ではない!
「本国がそれでも止まらぬのであれば、わたくしも手伝おう、なに、脅され、薬でも盛られ、傀儡とされてしまったとでも思わせれば自然であろ?」
「おい、まて!」
「後はそのまま無理矢理にでも手籠めにされ……子まで作らされたと、それでいこう」
「ど う 考 え て も 歴史に残る鬼畜として俺の名前が深く刻まれるだろうがあああああ」
勝手にすぎる言葉にとうとう我慢も出来ず、アルファの視線が声の主、コウ・ラグナに向く。
咄嗟に文句の十や二十も言ってやろうという意気込みであったのだが、突如として底が抜けた桶のように言葉がどこかへとこぼれ落ちる。
目の前にしてコウ・ラグナ・レンフィルが美しい男であるとはわかっていた、はずであった。
化粧を施した顔は咲いた花の如く。
純白の、刺繍も精緻な絹織物は体の線を際立たせ、匂い立つような色香を放つ。
まとめ、結い上げた髪と挿し櫛からは奔放さは微塵もなく慎み深い印象を見る者に与える。
黄金の装身具が添え物にしかならない可憐さ。
露わになった、芸術的な曲線さえ描く耳はエルフであれば垂涎。
「戦呼び、ようやく意味がわかった」
そう虚勢を、言葉を絞り出すのが精一杯。
それは目から摂取する不和の毒。
ドワーフや人間など異人種であればまだしも、エルフにはあまりにも眩しい存在。
『女』ならば誰しもが傍に置き、愛でたくなる。
見てしまえば欲しくなる。
他の事を、何者を害してでも手中におさめたくなるような宝玉であり不和の毒にして希有な存在。
「ふふん、見とれているな。呆けた顔もまた不細工よな」
そして“毒”は自身の力に自覚的で計算高い。
嘲笑するその姿すら様になっていて、よく出来た演劇でも鑑賞しているかのような、怖ろしい事にそこには一種の心地よささえ感じられるのだ。
美貌、魅力の類など単純な暴力の前では砂の城であろう、アルファはそう思っていたし信じていた。
だが、ここまでに極められた華やかさと美もまた極大に暴力的で
「…お前はそれでいいのか?」
何か言い返したいが言葉がうまく浮かばない。
沸き上がる安い自尊心、そんな心中を察せられぬよう、平静を装いアルファが問う。
高位貴族同士の婚姻とは人の情が介在する事なぞ稀であるがそれにした所でこれはあまりにも唐突で、無法で無茶で無謀というものだ。
「子は二家の王脈、その血を持つ、男児であれ女児であれ、虹の形質を持つ神ではなく、人の子が生まれようが、それ以後の筋書きも出来ている、案ずるな」
「子の将来を案じているわけじゃねぇんだよおおおおお」
『男』は『女』の話を全くもってきかないとは男女間の通説であるがアルファはそれを今更ながら、肉を千切る程の痛切さをもって感じている。
おまけに相手はこちらの意図、立場なんてものをちっとも考慮していない。
「……わたくしの名前はコルネリウス・ラグナ・レンフィル、それが真名よ。アルファ」
堂々と何恥じる事なく王子が宣言する。
ライトエルフは古来より血と伝統を重んじてきた、ダークエルフはそれの真逆をいった性質といえる。
かつて呪いを扱う魔法使い、恐るべき呪術師の力を避ける為に古来いと尊き者達は真の名を隠したという。
ダークエルフにおいては大昔に、既にに廃れたかびくさい習わしの一つ。
近代の魔法理論において、呪いをかけるのに名前などさほど関係ない。
正確にいえば古代の呪術師は名前を標として呪いを好んでかけたが故に生まれた風習、今では有名無実な迷信のたぐい。
だが、頑なにライトエルフの王族はいまだそれを続けている。
そして、その口から真名を告げるに値するのはごく限られた相手、背を預けるに値する無二の戦友、同胞、兄弟、姉妹
あるいは将来を誓う妻や夫、その人である。
唐突に、アルファはそこでするりと理解した。
今、自分は大きな分岐点に立っていると頭だけでなく、肌で、実感で解した。
右の道、左の道、二つの道。
最初は、今はほんの些細な方向の違い。
だが、この分岐が時と共に大きく違え、自分と彼とより多くの人を巻き込み地獄へ連れて行く。
考えるまでもないじゃないか、答えは決まっている。
己には責任がある。
この肩には多くの命が乗っている。
誇大妄想を語る馬鹿な『男』の戯言に付き合う気などない。
それでも、もっと別の出逢いがあれば違ったのかもしれない。
たとえば時代が違えば、同じライトエルフならば、同じダークエルフならば、そんな夢みたいなこと。
考えても仕方のない事である。
人は言葉を使う動物である。
そして卓越した魔法使いにとって言葉とは時に力そのものである。
全てを断ち切らんと言葉の刃がアルファの口から放たれ――
覆い被さるようにコルネリウスの唇がアルファの半ばまで開いた蕾に被せられる。
ちろりと、舌が別種の生物のようにアルファ姫殿下の唇を撫でる。
「んんっ!?」
その行為はあまりに蠱惑的で、艶めかしく、痺れるほどに甘い。
魔法ならざる魔法。
男女の持つ根源的な神秘と致死の毒。
――わたくしと結婚してください、アルファ様
互いの息も交換出来るほどの至近。
上気し、白い肌を熟れた実のように紅潮させた艶やかな『男』の顔。
抜き放たれた力ある言葉。
かくして二人は長く、同じ道を歩む事となる。