03:老人と残念な子
ついてこい。
ヘラの言う事は要約すればただそれだけの事だった。
露天の商品はヘラのポケットマネーで買い占められ、半ば強制的に店じまいをさせられたコアは彼女が待たせていた馬車に同席させられていた。
ヨハンは不在。
用があるのはコア一人のみであるらしく、ヨハンは食い下がったがヘラに視線で射貫かれて引き下がった。
すまない。
ヨハンは謝るが、コアはしょうがないと思っていた。
相手は貴族、対処を誤れば縁者にも累が及ぶ、街に住む人間なら仕方のない事だろう。
その点、自分ならばとっとと逃げる事も出来る、森の魔女はまぁなんとかするだろ、あれはそういう類の者だ。
むしろコアは、問題は対面に座るヘラそのものにあると感じていた。
仕立ての良いシャツにズボン、革のベルト、彫金の施された銀のバックル、以前に出会った時とは違いシンプルではあるがそれとわかる高級、生地の良さが引き立つ。
両の中指に白銀に光る細かい細工の施された指輪をしている、紋章術の施された魔法道具だろうか。
褐色の肌に背中に届くまでに伸びた赤い髪。
長い髪は魔力を減りにくくさせる、回復を速める、パアル女神様も長い髪であったという創世話から続く伝承がある為にこの世界の人々、特に魔力が高い、言い替えれば魔力に依存した生活をするエルフは特に、限度はあるが好んで長髪にする傾向にある
また長い髪は貴人の証の一つとされている、何かにつけて手間暇が発生するからだろう。
コアはヘラを見る、美しい子だと思う。
まだまだ子供だが火のような美しさを秘めたエルフだと感じる、褐色の肌に赤い目と髪は闇に在る篝火のような目を惹く美麗さがある。
今、その瞳は射殺さんばかりにコアに向けられている事を除けばまだ穏当なのだが。
コアは泰然となんでもないように視線を流す。
怨みの一つや二つで狼狽えていては剣は振れない。
が、ヘラの顔に浮かぶ怨み節にちょっとした罪悪感を感じないわけではない。
妬み、嫉み、怒り。
わずかばかりコアを認めるような感情と微妙な気配も感じられるが大きな激情に塗りつぶされている感じか。
コアは怜悧にヘラを観察し状況を読み取ろうとする。
合ってるかどうかはわからない、人の心理を正確に推し量るなど土台無理。
武の教えを受けたかつての師、あの才人ならそれも可能ではあったのだろうが、己のような非凡な才なき者にはまだまだ手の届かない境地である。
「……ふぅ」
馬車内が息苦しい。
季節は初夏、パアル世界では火の季節というらしいが、蒸し暑くなってきた時勢であり、密室である馬車内も蒸し暑い。
ワンピースの胸元をぱたぱたと動かし風を送る、魔法が使えれば火の季節であろうがコートを着込んでいても冷気を生み出して快適に過ごせるがゼロのコアでは無理だ。
冷気を生む紋章板が欲しい所である。
「……」
妙な視線を感じた。
パタパタ。
はしたない行為かもしれないが暑さには負ける。
「――気になる?」
コアは対面のヘラに問いかける。
「!!」
「…男の胸など見ても楽しいもんではなかろう?」
少しからかうような口調。
「み、見てないし」
「そうか?」
「そうよ」
「……気になるのならちゃんと見せてやったというのに残念じゃな」
「!!!!!!!」
面白いように反応する。
地球でいうところ、思春期の少年を相手にしているような感覚、コアの気持ちはなんというかいたいけな少年をおもちゃにする女性である。
妙な快感があるな。
コアは漠然とそう思う。
女とはこういう面白い遊びをしておったのか――まぁ、あまりよい趣味ではないな。
「いや、すま」
「見たい」
「え?」
「私は見たいと言ったぞ」
「あー」
どうやら気骨あるエロガキであったようだ。
顔にはこちらの出方を窺うような悪戯をするような小癪な笑みがある。
そっちがその気なら。
「わかった!!」
そこからのコアの行動は早かった、ワンピースの裾を捲るとそのまま一気に捲り上げ脱ぐ。
「ちょ、ま、そこまで」
コアは下着姿だ。
「見たいのであろ?」
「!!」
「存分に見るが良い!」
コアは胸を張り、見せつける、そこには一切の羞恥はない、むしろ男の上半身裸、半裸など恥ずかしがる要素がない。
が、これは地球での常識。
逆転のパアル世界での話で置き換えれば女子が男子に裸を見せているに等しい。
はっきり言ってはしたない、常識外れにも程がある。
「まて、わかった、もういい!!」
ヘラは顔を背け手を前にして視線を遮り狼狽する。
「なんと意気地のない」
「恥じらいはないのか!!」
「見たいと言うたのは?」
コアは笑みさえ浮かべ、ヘラに問う。
「…とんだエロガキよな」
「貴様!!」
「怒るな、まず売ったのはそちら、わしは買っただけよ」
「……」
服を着直し整える。
「今回の呼び出しも再戦か?」
「…………」
「こんなひ弱な男をいたぶるとは女とは難儀よな」
心底、呆れたような口調。
「…どの口でひ弱などと」
ヘラの声音には若干の苛立ち。
「魔力もなく魔法など使えず、これ以上ないほどに弱いだろう?」
「しかし負けた」
「勝った負けたなどという話ではなかっただろう、あれは不意打ち、騙し討ち、負けの内に入らん、気にする事ではないよ、石ころにつまづいたようなもの気にするな」
「そんな言葉で納得しろと?」
「殺し合い紛いなどはやりたくもない、それともこんな可愛い子をいたぶる趣味でもあるのかな貴族は」
「自分自身で可愛いなどと笑わせる」
その笑みは嘲笑か、強がりか。
「よくわからないがわしは可愛いと言われてな」
「ふざけた話ね」
「そうだ、ふざけた話だ、今ある一切が全てくだらん」
くだらない、目の前の男はそう言い切った。
許せない事だ。
「知った風な口をきくのね貴方、まるで年寄りと話してるみたいだわ」
「はははは」
コアは快活に笑う。
「――あぁその通り、ひ弱な年寄りじゃよ」
「でも、私よりは強いひ弱な年寄り」
「…頑迷じゃな。どうしてもやる、と?」
「えぇ! 私が納得がいかない」
「困ったの、再戦か……ところで」
コアは言葉をゆっくりと紡ぐ。
「――それは、もうはじまってるんじゃろ?」
瞬間、場の緊張が頂点に達した。
コアはヘラの腕を掴み、捻りにかかる。
ヘラは一瞬出遅れたものの無詠唱の魔法を
「魔法が出ない!!」
「わしの勝ちじゃな」
訳が分からない。
馬車内で音もなく組み伏せられたままヘラは困惑の表情でコアを睨み付ける。
「種も仕掛けもある奇術よ、『はっきんぐ』とでも言えばいいのか、とそんな概念はここにはないか…簡潔に言えば相手の呼吸、魔力に同調、魔法を出すなという命令を出して擾乱しているにすぎん」
ふざけた言葉が降ってきた。
相手の魔力に同調?
「魔法の合気とでも言えばいいのか? ん? でも合気の概念なぞもここにはないか」
アイキ??
ヘラはまるで訳がわからなかった、言葉は伝わるがコアの言う事がわからなかった。
かろうじてわかった事は今自分が相手しているのがとんでもない天才、もしくは怪物であるという絶望的な事だけだった。
相手の魔力に同調、そんなものは不可能だ。
そう結論づけられている。
かつて幾多の魔法使い、魔導師が望み、術式、理論を組み立てようと実現できなかった多くの概念技、空想の技、魔法がある。
今、コアがやった技はその一つに数えられる術だ。
相手の魔力に直接干渉出来るなどと世界がひっくりかえる。
自身の、自己の魔力は他者には不可侵なものだ、それは人相手だけでなく物も然り、紋章術とて制限はある。
体力や腕力に置き換えてみれば如何に馬鹿馬鹿しい事かわかる、相手の行動、意志に介入するに等しい。
それを目の前の少年は事も無げに、自分が何を見せたのかわかっているのだろうか。
如何に強大な魔力を持とうともこの技を行使出来るなら屠れる、それこそ女の竜すら相手に出来る、概念技、空想魔法、地上最強である竜すら屠れる竜殺しの魔法。
それに他ならない。
今自分を組み伏せたる相手は竜すら殺せる可能性をもったゼロ。
この技術はコア以外にも扱えるものか?
多くの学者、歴史の中で無理と結論づけられた幻想の技。
しかし目の前にそれはある、もしこれが誰でも習得可能なものであれば余りにも脅威。
魔法に多く頼るエルフは人間や獣人、妖精人にすら魔法戦闘で遅れを取ることすらありうる。
「この技、あなた以外にも使える者がいるの? もしくは教えられる事が出来る?」
ヘラはわき上がる疑問をそのままにぶつける。
「んーーーわし以外には使える者は知らんし、婆さんに見せたが、なんというか呆れられて、あっ」
「なに?」
「婆さんには人に見せるなと言われてたな」
それはそうだろう。
「…内緒にしてくれるとありがたいな」
「その技、私にも扱えるか?」
「たぶん無理じゃな、婆さんにも教えてみたが『無理』と言われた」
「なるほど、これはあなたの固有魔法というわけね」
「?」
固有魔法、その者でしか扱えない魔法、この世界の者は大なり小なり魔法を扱える。
知性ある人類種に限れば皆、魔法使いであるといえる。
自分にしか扱えない唯一の技、魔法を習得してこそ魔法使いは一人前や魔導師と冠される。
が、固有魔法には区別、種類がある。
一般的に呼ばれる固有魔法は、正確には後天的固有魔法と呼ばれ魔法の習熟の果てに至るもの。
だが、先天的固有魔法というものが稀にだが存在する。
現代の魔法理論、技術では説明できない特殊な魔法を扱える、誰にも真似できない、出来ようがない異能。
光を意のままに操る人間、如何なる攻撃をも拒絶する肉体防御を得るドワーフの戦士、未来を視る事が出来るという妖精人。
当代でも有名どころをあげれば何人かいる。
そして、これは先天的固有魔法を持つ者の特徴であるが、世間一般でいうところの普通の魔法が使えない。
一点に特化した魔法使い、強力なる不便者。
ゼロであるという事が盲点、隠れ蓑であったがコアは先天的固有魔法の保有者、そう考えれば辻褄が合う。
が、これはヘラの勘違いだ。
コアは固有魔法などという大層なものは使ってはいない、これは純然たる技術だ。
ただ繊細にすぎる技ではあるし相手に同調するという感覚は口で教えて覚えられるものでもなく、パアル世界にはない地球世界の概念や思想、哲学、武の理を応用した先んじた技ではあるが欠陥だらけの術である。
相手に触れねば成らず、また触れて成った所で行使者よりも強い思念や詠唱などの動作を用いれば魔法は発動出来る。
対策をとられればせいぜいが邪魔をする、嫌がらせが精々。
コアがやったのは以前のように不意打ち、相手が訳もわからない内に自分のペースに持ち込んでいるから今の優位性があるだけでしかない。
「ぬしとの語らいはそこそこ面白いが面倒な事は嫌いでな、席を外させてもらおう」
自身の優位性が薄氷である事を知る故に早々に終息させようと動く、ヘラの首筋に指を当て過不足なく意識を落とす。
相手の十分な昏倒を確かめ、彼女を椅子に座らせる。
荷物をまとめ、馬車の戸を開け走る車内から音もなく地に降り立つ。
「……とてつもなく面倒くさい事になった気がする」
誰に聞かせるでもないコアの呟き、首を鳴らし何事もなかったかのように家路へと向かう。
コアは思う、魔法合気もどきであれほど驚かれたのなら、『あれ』を披露したら一体どれだけ驚いてくれるやら。
合気もどきはその技を作り出す過程で出来た副産物でしかない。
魔力なく魔法の使えないコアが対魔法使い用に考え磨いた武技、まだまだ完成の域、満足の出来る質ではないが。
(まぁ不用意に見せるものではないな)
思案しながら荷物と木刀を肩にかつぎ道を歩く。
ぐううううううううぅ
途中、腹が盛大に鳴る。
そういえば昼を食べていない、パアル世界では三食を食べる文化ではなく朝と夜の二食が一般的だ。
しかし地球世界でいう所の三時のティータイムのような慣習はあり、大体の者は仕事の合閒に手を休め軽食や茶を嗜んだりもする。
懐中時計という高級品は庶民には普及していないが教会の鐘が時刻を告げおおまかには知る事が出来る。
前に響き、聞いた鐘の回数からそろそろ茶の丁度良い時間。
コアは先程のヘラとのやりとりなど忘れ、家路へと向いた足を茶が飲める店へと向けなおした。