29:老人と老婆と吊られた者
やぁやぁ元気だったかい、私がいなくてさびしかったかい。
もしかして心細さに震えて夜に枕を濡らしていたかい。
ちゃんと食事はとっていたかい。
悪い遊びにかまけていないだろうね。
掃除、洗濯、家事はさぼっちゃいないだろうね。
等々。
久しぶりに聞く育て親、クソババア、クー婆さんの声。
遠慮や配慮など微塵もなく、言いたい放題の言葉は相応に経験あるコアをしても渋面を作らせるに十二分な力を秘めていた。
飲んでいた甘い茶が急速に渋く、苦く、不味くなるような錯覚まで引き起こす。
……久しぶりに帰るとこれだ。
最近のコアは十三番暗黒街、筋肉ダルマの屋敷に厄介になる事しきりではあるが、たまには森に、実家に帰りもすればクラウの居城に気紛れに居着く事もある、そうかと思えば散歩のような気軽さで樹海奥の遺跡や竜が棲むなどという眉唾な北山への探検もしていた。
およそ子供の足では踏破不可能な道程ではあるが、見た目通りの子供ではないコアからしてみれば難儀する事はあっても不可能でもなく、天地の龍、各々を徐々にではあるが御せるようになってからは加速度的に楽に、簡単な作業と化している有様だ。
「……婆さん、もうちょっと言い方ってもんがあるんじゃないのか? 一体今までどこをほっつき歩いていたのか知らんが、いたいけな子供を一人こんな僻地に置いてけぼりにしてるのはどうかしてる、もっと最初に言う事があるだろう」
半眼、胡乱な瞳でコアは老婆を注視する。
天気の良い日だからと椅子やテーブルを外に引っ張り出して大樹の木漏れ日の下で優雅に茶でも飲み読書に勤しんでたのだが、空気を読まない珍客のせいで台無しだ。
「わしは見ての通り忙しいので、もうむこう十年くらいは行方不明でかまわんぞ」
言いたい事は告げたとばかりにコアは視線を本に戻し、優雅な所作で口元にティーカップを寄せる。
そこにはすっかり温くなってしまった紅茶。
「あぁすまん婆さん、行方不明になる前にこれ温めてあっつうううう」
慇懃無礼な言葉を最後まで言わせる事はなく、コアが器をかかげ、これみよがしに安い挑発、見せた瞬間にティーカップが灼熱を帯びた。
とっさにこぼさないだけ僥倖であったがカップを叩きつけるようにテーブルに置き放ち、うずくまる。
エルフ種において優れている魔力感知、瞳による認識、コアが持つ生来の目をもってしも一瞬でしか捉えられなかった早業。
老婆の体から高速で糸状の魔力が伸びたかと思えばカップに絡みつき干渉、灼熱に変じる。
魔力糸への変化、伸縮、魔法発動の速さ、そのどれもが予想以上。
「あまり年寄りをいじめるもんじゃないよ」
「……子供にはもっと優しく接してもいいんじゃないか?」
指をさすりながら芝居がかった動作でコアが立つも、そんな事は意に介さず女は大げさに肩をすくめローブについた埃を叩き払う。
「甘えたいならアルにでも甘えな」
にべもない。
老婆の声に憮然とした顔でコアは応じる。
「ここ最近は全く見ないので甘えようもないが」
「…まぁ、あれも忙しいのだろ」
それだけ言っては用は全てすんだとばかりに老女は森の家に引っ込む。
コアの橫を通り過ぎる様に「疲れた、寝る」との声がきわめてひそやかに聞こえたような。
なんとまぁ無愛想というか情がないというか一年以上、過去最長にわたって放置していたにも関わらずのこの行動に育て親としての情は一見皆無にも思える。
が、この世の『母親』だとか『女』は総じて、ここまで極端ではないにせよこのような、似たようなものらしいと伝聞や経験からコアは知り得ている。
子を腹におさめ、産後もしばらくは愛で、育てるものの後々の世話、養育は基本的に『父親』『男』の仕事である。
『女』は外で働けばよい、子育てなどは『女』の仕事ではない、とそういう事であるらしい。
世の魔法が扱える知性人類種の『女性』とはそういうものらしい。
まったく獣ですら母として育てるというのに!
などと文句を言おうものなら「獣が服を着るのか、言葉を解し発するか、魔法を使うか? 子育てからして畜生と人が違うというのは人がより高次の生き物である証拠である」などと女が子育てを男に任せるという事象と正当性を理論武装によって滔々と説明されてしまう。
まったくいい気なものである。
働いている事には感謝するがせっかくの休日に家の中でゴロゴロとするだけの『母親』に辟易とするご家庭の多さたるやパアル世界においては星の数の如く。
それなりに長く、この逆転世界に身を置くコアであるが未だに慣れきらない慣習、風俗も多い。
たぶん一生慣れる事などないかもしれん。
――まぁ退屈しなくてよいか。
老婆が家に籠もったのを十分に確認してから皿に盛られたパンケーキを気紛れにつまみ、すっかり熱くなってしまった茶を息をふきかけ冷ましては喉を潤す。
「平和だ」
ババアが帰ってくるというさほど嬉しくもないサプライズこそあったが、概ね平穏、変わり映えしない、闘争や諍いを多く経験してるこそわかる何物にも代え難い貴重な時間である。
「平和だの」
気の抜けた独り言の一つや二つも出るというものだ。
しかし、それからほどなく安寧の時間は終わりを告げ、災厄を知らせる鐘の音がコアの耳に届く。
ギョオオオオオオオオオオオオオオ
と。
***
喧しく鳴き喚く得体の知れぬ爬虫類が家の中に紛れ込んでいた。
あろう事か人のベッドで高いびきをかいて野生の本能などはどこかに捨ててきたような仰向けの態勢で眠っている始末だ。
首輪をしている事から野良ではなく飼われモノ、おそらくは愛玩用のペットである事が推察される。
犯人の目星は容易につく。
「……これはなんだ」
老婆は自身でも声が低く、不機嫌になる事を自覚しつつ、それを抑えようと善処しつつ奇妙な赤い小動物、ペットを指してコアに問う。
問い詰める。
ギョオオオオオ
「最近飼い始めたペットなん――」
「元の場所に捨てておいで!」
ギョオオオオオオオオオオオ
「いや、今更それは無体な」
ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
「う る さ い !!」
杖の先からババアの容赦ない魔法弾、光弾は着弾とともに激しい一層の激しい光と音を撒き散らし炸裂する。
憐れなのは真正面からそれを受けた赤蜥蜴で、乗り物酔いにも似た酩酊と混乱で地をのたうち回る。
ギョギョギョギョオォォ……クゥーン
「ヤトぉおおおおおお」
コアが叫び、駆け寄る。
コア自らヤトと名付けた蜥蜴。
赤鱗を纏い背には一対の小翼を持つ世にも奇怪な生物、おそらくは魔物。
首にはコア手製、編まれた革細工の輪に涼やかな音色を放つ鈴がつけられている。
赤蜥蜴はほんの数日前にゴブリン達から値打ちモノとして“献上”された品で、木の棒に両手両足をしばりつけられ、いつでも丸焼きOKですよ!な状態には気が効いてるな!!と感心していいのか、さしものコアもどう対応していいのかしばらく困ったものだ。
せっかくだし軽く炙って酸味のある果汁でもかけていただこうかの!と半ば本気で思ったものだが……。
クウゥーン
つぶらな瞳で上目遣いに見つめら続けられ、どうにも食い辛い、何よりもコアは自身を見つめる赤蜥蜴の瞳に理性の色、ただの獣にはない理知的な意を感じ取った。
興味本位で言葉を投げかければ驚くべき事に理解を示すような挙動を返す。
言い含め、手足の縄を外せば途端に逃げ出すこともなくその場にとどまる。
ただ言い含めたというだけではない、コアの庇護、目につかぬところにいけばゴブリンや森の獣にいいようにされるというのを理解、もしくは学習している節があった。
こいつはすこぶる頭が良い。
と、コアが気づくのも無理はない。
こうなると俄然興味が沸く、これの頭の良さは動物の範疇におさまるものか、人に及ぶものか、あるいは……勝るものであるのか。
いくつかの言語、所作を交え語りかけ、問いかけ、教える。
数日という話ではない。
貰い受け数時間後には簡単な仕草や鳴き声でコアと意思疎通を可能にするまでになっていた。
コアにとって魔物、それに準じた生物には今まで遭遇した事がないわけでもなかったが、ここまでの規格外な賢さ、幼体に出会ったのは初めて、こうなってくると食う、害しようという感覚は心中には既にない。
これが順調に成長した時にはどこまでのモノになるか興味、関心、童のような純粋な好奇心が頭をもたげてくるというものだ。
「か、飼ってもいいじゃろ」
「駄目! 魔物と人は相容れん、捨ててきな!!」
ババアの言葉は情け容赦ない。
魔物と人は相容れない、それは多くの場合、魔物という生物が人を食えるモノ、餌として認識するからだ。
とはいえ、コアがここで引き下がるような殊勝な、聞き分けの良い子供ではない。
たとえば火を吐く蜥蜴、サラマンダー。
たとえば一角馬、俗にユニコーンなどと呼ばれる、人類によって飼い慣らされ、繁殖、品種改良さえ施され家畜化に成功している存在だってあるのだ。
また、魔物使い、魔獣使いなどと呼ばれる極めて特殊な技能を活かした者達も人類にはいる。
魔物と人が相容れないというのは一面的な物の見方である。
と、いう様な事を懇々と訴えたところ。
――ほんと面倒なガキだよ、お前は。
かいつまんで言えば、そのような言葉をお婆さまからありがたく頂戴した。
「いやぁ~」
「褒めておらんよ」
クー婆さん、クロウリーは平静を装いつつも心中で頭を抱えて考え込む。
次から次へと厄介事を持ってくる。
いっときとしてじっとしておらぬし、あまりのお転婆ぶりに何度悩まされた事か。
――本当に、若い時の母親に似ている。
「生き物を飼うのは情操教育にいいと本に書いてあったぞ? ぞ?」
「クゥンクゥン」
「……こんな愛らしい生き物を捨ててこいなどと……」
「ギョギョギョギョギョ」
これが見た目通りの愛らしい『少年』ならそういう言葉もいとおしく聞こえ、微笑ましくも見えるのかもしれんが、嫌という程に目の前の子供の本性、酷薄で、暴力的で、高慢で、計算高さを認知している。
誰に教わる事もなく刃物の扱いに慣れ、はじめて目にする生き物を複数匹見れば躊躇なく解体し臓腑を地面に切り分けて眺めていたようなガキだ。
ぞっとした。
こんな悪魔みたいな子供が本当にいるのかと。
これは警戒心も高く、実に要領がいいが、賢すぎるが故に見ずとも、聞かずとも察せられる事がある。
このガキは獣に限らず“人”だってバラしている。
証拠なんてものはない。
が確信に近い思いはある。
むしろそれぐらい出来ない、していないと言われる方が困惑する。
まさに、正しく“人でなし”の血脈であるのだから。
そして魔物の赤蜥蜴は全く持ってかわいくない、『男』の感性とは理解し難いものである。
それにしても、こっちを威嚇しておらんか?
魔法弾を撃ち込んだせいもあるのだろうが、仲良くできそうにはない。
「……このまま話しても埒があかんの。多数決といこうじゃないかコア、今度アルに会う約束あるがな、そこであれに聞いて良しというなら好きにせい」
ぎゃあぎゃあと元気を有り余らせてる子供相手に言い合うのはひどく疲れるし神経に障る。
このまま強行し捨ててもコアの不興を買う、それはあまりいい事ではない。
であるならばこういう事は親に押しつけるに限る。
いつだって“母親”とは厳しく、それ故に子からは疎まれ、嫌われるのが仕事のようなものだ。
その原則に則ればアルに、アルファ・ラグナに任せるのが筋というものであろう。
「もし、駄目だった時はわかるな?」
クロウリーの言葉にコアはゆっくりと、だかたしかに頷く。
かつてジルクレストだったもの、ヤトを小さな胸に抱きかかえ決意をもって宣言する。
「もし、駄目だった時は…………責任もって、くびり殺して食べる!」
「キョッ!?」
「うむ、魔物の肉は寿命が伸びるというしな」
「ギョギョッキョッ!?」
「おいおいヤト、どうした~、はしゃぐな、はしゃぐな…………ニガサンゾ」
「ギョギョギョオオオオ」
かつてジルクレストと呼ばれたる偉大なる存在。
現在ヤトと呼ばれる小さく弱きもの。
彼女の生存分水嶺まで
あ と 三 日 。