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幕間:赤蜥蜴

 息を潜め、頭を低くしては矮躯な身を更に小さくし生存をはかる。


 レクティア大樹海。

 パアル世界、北方の果てにあるそれは太古より続き、広く、深く、真昼にあってなお夜陰の如き暗さを秘める人外未踏の魔境である。

 数多のまつろわぬ者、さかしい亜人に魔獣、魔物、伝承の中にしか存在しないとされる古きモノ魔族。

 それらを除いても厳しい自然、弱者には脅威にすぎる捕食者、巨大な生育を遂げた野獣、毒虫が跋扈する危険地帯。


 「…………」


 呼吸すら抑え、早鐘のようにうつ鼓動を宥めながら影から影へ、暗がりに身をひたし、隠しながら先を急ぐ小さな命が一つ。

 それは奇妙な生き物であった。

 大きさは子犬ほどあろうか、人の子にあって両の手で抱えられるほどに小さく軽いだろう。

 四肢があり尾があり、首は長く、その瞳は黒曜石の錬磨された玉の如く、つぶらで、見ようによっては愛らしい印象を鑑賞する者に与えるかもしれない。

 口内には肉を喰らう為の牙、その肌、身は赤い鱗に隙間無く覆われ、その背には慎ましやかな一対の翼が在る。


 ただ一言、端的にそれ表現するならば


 翼を持つ赤蜥蜴。


 この世界において翼をもった蜥蜴、動物程度はさして珍しいものでもない。

 変異体、魔物のたぐいであろう。

 その一言で完結する。


 ただ、その生き物がことさらに奇妙であったというのはその所作にある。

 その生物は人のように二本の足で確かに立ち、その体には擬態か、それとも服飾のつもりなのか木の枝や葉を衣の如く纏っている。

 見るからに奇妙な、不可解、不審な生き物であった。

 瞳はせわしなくぎょろぎょろと辺りを見回し

 

 「ギョギョギョ、ギョギョヨオオオ」


 チロチロと爬虫類特有の長い舌を出し入れしながら、人には理解できない聞くに堪えない悪態と呪詛の独り言を紡ぐ。

 赤蜥蜴の悪態、懸念は最もで、この地には今の彼女を一呑みできる者達ばかり、その生命はいまや薄氷を踏みしめる巨人の如き不安定さだ。

 ズシン、ズシンと足音が、巨大な暴性を秘めた乱暴者、脅威が近くを通る度に身を縮こまらせ、気配を殺しては自然物と同化、災厄が通り過ぎるのをひたすら待つ。


 喰われてなるものか。

 生きる、死ねぬ。

 どうしてこんな事になった。

 屈辱。

 度し難い現実を前に、恐怖と怒りを心中に秘め、彼女の思考は半ば記憶の海を漂う。

 

 はじまりは光であった。

 極光、虹色の光が彼女を住処ごと吹き飛ばし、焼いた。

 はるか遠方より知覚範囲外の不意打ちで撃たれたソレは彼女の肉体ほとんどを瞬時に蒸発、治癒の余地など欠片も残さなかった。

 理不尽かつ破滅的な光を受けてなお彼女がいまだに生存している理由を挙げるなら、反射的に最大出力で防護魔法を張った、プライドも何もなく、張り合おうとせず光を回避しようと動き、平伏した。

 他生物をして圧倒的とさえいえる魔力量、平時より溢れるほどの魔力を皮膜のように纏わせ鎧と化していた事などがあげられるだろうか。

 

 ただし生存の理由を彼女に問えば別の答えが提示されるだろう。

 

 自分は見逃された。


 と。


 疑問もある。

 遥か遠方より自分を狙撃しておきながら確たるとどめを差す事もなく、破滅の光は天上へと逸らされた。

 嬲っているのか?

 死にかけた自分を見て嘲笑っているのか?

 様々な予想、思考が展開されるも明確な答えは出てこない。

 しかし、数多くある予想、その中でも思考しないようにしていた答え一つ、ひどく屈辱的で、侮辱的な精神の果てにある行動なのかもしれない、と。


 光の先に自分が、竜がいることなど頓着すらしていないのではないのか?


 足下にある蟻を踏み潰すが如く。


 潰した虫けらに頓着する者はいない。

 そこにそれが“いた”という事すら知らない。

 いっそ無邪気といってもいい。

 

 だからこその吐き気を催す程の怒り、屈辱、自分の身におきた理不尽に対する正当な憤り。


 到底、看過できるものではない。

 捨て置き、許しておけるものではない。

 

 本来ならばすぐさま光の発生源に飛び、このような愚か極まる下等生物は誅すべきである。


 べきではある、あるのだが……。

 

 自己の情けない現状、取るに足らない小さな身をかえりみては自嘲めいた思考に支配される。

 虹の光に焼かれて死にかけた己、それを持ち直せたのは単純に竜の生命力というだけではない。

 無事な肉体組織を掻き集め人には成し得ない高度な、魔法の肉体再構築を行い生き長らえる。

 人からして“竜は不死である”と称され、勘違いさせるに足る御技、その秘奥の一端である。

 だが、いかに竜をしても無より有は生めず、不足した肉体、足りない組織を再生させようにも瀕死の状態、余力や猶予もなく、以前の体とは比べるべくもない矮小な肉体しか用意出来ず、その身に脳髄を押し込めるにあたって脳髄そのものをひどくおおざっぱに圧縮、収納してしまった。

 

 結果、大幅な弱体化を招く事になる。


 コンピュータなどで例えるならばハードウェアが損傷し、以前の物よりも間に合わせの省スペース、低スペックなものに情報を移し替えなければいけなくなったものの、新しいハードウェアには記憶媒体(脳髄)をそのまま載せ替える事は出来ない。

 であるならば、大部分の情報を圧縮し、コンパクトにまとめた記憶媒体を載せて運用する。

 という、そういう事だ。

 

 以前の彼女は二〇メートルに迫る巨躯であった。

 そこから察せられる圧縮率、情報の喪失は著しく、あまりにも急な事だったせいもあり残された情報は無残、残酷なまでに脈絡、とりとめがない。

 まずここ数年の記憶すらあやふや、言語の理解すらも怪しい。

 彼女は優に数百年は生きた竜であったが、高圧縮した状態では情報を参照する事は出来ず、封印された情報を閲覧する為に展開しようにもそんな余力、余剰スペースはない、無理に行なえば負荷により頭蓋が熟れた果実を地に叩きつけるが如く破裂するだろう。


 故にその力は大きく減じている、永い時を経て得た知識、経験、記憶諸々がないに等しい。

 我が身に宿る膨大な力の水脈、その魔力を引き出す事すらよくわからないのだ。

 宝、才能の持ち腐れ、生まれたばかりの赤子か幼子にも等しい。


 生まれ変わったといって差し支えない変容である、知性人類種ならば戸惑い、泣き叫び事もあろう。

 しかし、いかに記憶を失い、自身の名すらわからぬとも竜としての矜持だけは忘れてはいない。

 

 やる事は決まっている。

 まず早急に以前の肉体を、力を取り戻す。

 なにはなくともそこからだ。

 時間と共にこの身は成長する、一〇〇年も経て、脱皮を繰り返せばそれなりの肉体、大きさを得られる。

 そうなれば余力も生まれ、圧縮されている情報を吐き出し、展開する事も可能であろう。

 だがそれは悠長に過ぎる、時間が惜しい。


 であるなら、とるべき方法は限られてくる。

 復讐の為にも早急に力を取り戻す、心情的には甚だ不本意であるものの冷静に思考するなら第三者の助けが必要不可欠だ。

 熟練した魔法使いの協力を取り付けるのが良い。

 ここより南には黒色エルフの集落が存在する。

 竜族と違い魔力量も少なく、愚かで、短命、数だけが取り柄の下等生物であるがごく稀に石つぶの中に玉が混じる。

 竜をして、一個の生命として向き合うべき、尊重するに値するエルフがいる。

 

 古い友人がいる。

 

 彼女ならば我を助けてくれる。

 その為には彼女の元まで赴き、礼を尽くし助力を乞わなくてはいけない。

 

 集落の名はレグナ。

 友の名は……れ、れ、あれ? 何だっけ?


 こ、こまけぇ事はいいんだよ!!


 いきゃあわかるだろ、うん。

 

 

 我は竜。

 誇り高き者。

 天の高みを知り、駆ける者。

 貴種たる、食物連鎖の頂点にある生命なり。



 しかし今は


 ギョオオオオオオオオオオ!


 森にこだまする悲鳴。

 否、これは悲鳴ではない勇ましき咆哮である!

 狩猟ゴブリンの群れに見つかってしまい、追われ、逃げ惑っているのではない。

 せんりゃくてきてったい、というやつなのである。



 今は身の丈に合わぬ怒りと激情をその小さな身に秘め、かつてジルクレストと呼ばれた竜は森をひた走る。


 ヒャッハー!!肉だぜー!!

 

 ゴブリン言語により発せられる言葉を今のジルクレストには理解出来ぬ。

 だが理解出来ずとも伝わってくるものはある。


 ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 一匹の蜥蜴が瞳に大粒の涙を溜め、こぼしながら森を駆け抜ける。



 その日、静謐なレクティアの森は少しだけ騒がしかった。

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