28:老人と日傘
指先から迸る何条もの雷光は狙いを外す事なく黒服を速やかに屈服させる。
地面に頭から伏したるも呻き声をあげられる所をみるにディアナはあれでも一応の手心というものを加えているらしかった。
「見るからに怪しいのは先制(攻撃)に限るな!!」
「だな」
ディアナの力強い言葉に思わず頷き、同意してしまうコア。
「お祖母様曰く、怪しい奴はだいたい敵!」
吠えるが如く、迷いない声は気持ちいいくらいだ。
「怪しくない奴はよく訓練された敵だ!!」
……おい、おい、ちょっと待て、ばか。
「――間違えた時はすまん、すまん。と言っておけばいい!」
いっさい悪びれた様子のない破顔、快活な笑みは清々しいまでで眩しい。
お前、それ同じ立場か、上貴族に対しても同じ事いえんの?
生来の気性もたぶんにあるのだろうがディアナのこの無法さは祖母の影響が大きいらしい。
「さてと、五月蠅いのは好きではないのでな!」
それだけ言うとディアナはコアに近づき手を取り、害意も悪意もなく、ごく自然な動作で足をやさしく払う。
「お、おぉ?」
コアの体が反応し一瞬の抵抗を示すが、反発、力が流される。
この動きと力の流し方にコアは覚えがある。
ディアナと最初に出会った時に己が腕を相手にやった事だ。
その実践といくらかの応用。
瞠目した。
一度見せた、かけただけでここまでなぞる事が、応用まで出来るのかと。
エルフ、特に魔力の豊富な者は魔法を磨けば無茶が大抵出来てしまう。
故に純粋な体術などは人間や獣人に比べ、洗練させる事にどうしても疎い。
必要がないといっていい。
が、考えを改めるべきかもしれない。
もしかしたらライトエルフはダークとは違う思考であるのかもしれないが。
「どこか行きたい所はあるか?」
ディアナがコアを抱える。
お姫様だっこというべきそれを、この世界ではなんと言うのか寡聞にして知らぬコアであった。
◆□
子供とはいえ人一人抱えて息切れも、さして疲れた様子もみせないのは流石は魔法というべきだろう。
憧憬すら込めて想う、魔法とは憧れるに足る望外の力、技であると。
抱えられて見る、いつもと違う視点も新鮮で人に抱えられながらも風のように流れていく景観を見るなど存外に面白く楽しめた。
ディアナの気の回しようも子供らしからぬもので揺れなど皆無に等しい。
彼女の会話は機微に富んでいてコアを楽しませる。
ディアナはヘラと今日、待ち合わせていたらしいが急な中止をヴァランディスの従者から伝えられて手持ち無沙汰だったらしい。
なんでもヴァランディスの家長、ヘラの母が王都にやって来ているらしいとか、その関係だろう。
流石にそういう理由であるならディアナもしかたがないと、強くも出られず、行く先も決めず、適当に店でも冷やかすかと近くを散策していたという。
ヘラとディアナは知り合ってからというものそれなりの頻度で会う間柄、コア抜きであれば、ともに食事したり珍しい古書や品を前に店を冷やかしたりしているらしい。
おおよそ友人といって差し支えない相手、魔法戦、模擬戦などの勝負や技比べなどもするらしい。
一緒にいて遠慮がいらない相手。
同世代において自分と張り合える相手がそういない二人であればこそなのかもしれない。
魔力量は生まれながらに決まる先天的資質。
幼い頃ならまだしも、相応の教育を受け続け、努力を怠らなければ時間がたつにつれ平凡な者と恵まれた者の間では学習効率に残酷な差が生じはじめる。
極論ではあるが魔法とは使えば使う程に練度を増す、速く、早く、強固で、柔軟に、効率良く、想いを込めるだけで発動できる程に容易く。
パアル世界において魔力量とはただ単に奇跡を顕現するに必要な、たかが燃料の差ではない。
それは人の可能性、有用性、将来性すら測られる器の差。
抜きん出た魔力量の資質は往々にして人を孤独にする。
親すら超える魔力量。
万が一の暴走を恐れ、呪物を日常的に身に纏う事を強要される幼少時。
制御を覚えた後も徹底的に為される教育。
ライトとダークの違いはあれど、同じエルフ種、貴族、そして同年代、競り合う程の魔力量、技術力。
親近感が湧かない方が不可解だろう。
――好敵手と書いて“友”と呼ぶ。
コアは話を聞いて笑みを知らず深めた。
眼前に相対し、撃ち合い、殴り合い、斬り合っては友誼を交わす。
なんと単純で熱く、気持ちの良い生き物達なのだろう。
奇妙な言葉であると自覚しつつも、この世界の『女』は“漢”と呼ぶに相応しく面白い。
『女』は凄い。
ディアナとの会話は楽しく、気遣われているという感覚をコアは肌で感じる。
コアは自身が幼かった時を思い、異性に対してここまで気をまわせていたかと思考し、ここまでの事は到底できなかったなと感心する。
エルフと人間を単純に比較する事は出来ないとも思うが……三〇年程度も生きればそれくらいは出来るかもしれないという考えも頭をよぎる。
あまり深く考えても答えの出る事柄でないか。
同じ人間でも精神、肉体共に早熟なものもいれば遅いものもいる、ディアナは早い方なのだろう。
身長も(数年、エルフとしては僅かであるとはいえ)年上のコアと並ぶ、いや少しばかりディアナの方が高いかもしれない。
身長、そこは少しばかり歯がゆく、もどかしく感じる所である。
身の丈、手足の長さ、言ってしまえばリーチは闘争において重要な要素の一つ。
ただの見栄、外聞の話ではない。
べ、べつに羨ましくないんだからね!!
目的地につきコアはディアナの首筋にまわしていた両腕を解いて石畳の地面に降り立つ。
露骨に名残惜しそうな顔をディアナはするがそれにはあえて気づかぬ振りでコアは通す。
好意をもたれている事は重々承知である、それに対して何か、からかったりする事はひどく惹かれもするのだがここは素直に褒めるがいいだろう。
「馬車よりも速いんじゃないの? ディアナは凄い」
輝くような笑顔とはこの事で、加えてコアはディアナを上目に見つめ言葉を吐く。
コアの言葉にディアナが誇らしく、照れたように笑う。
その顔を見ているとコアまで嬉しくなってくる。
ディアナには人を明るくさせ、惹きつける、そんな華があった。
二番区からコア達がわざわざやってきた場所はコアにとっては馴染みになりつつある四番区の武具店『火竜の爪』。
以前“日傘”の作成をここを通して依頼していたが、何度かの試作を経て、ようやく要望に沿う完成品が出来たと少し前に連絡があった事をコアは思い出しディアナに連れてきてもらった。
オルトの屋敷へ品を直接送ってもらってもよかったのだが、コア不在の場合、ヴァルに中身を改められ、つまらんお説教をいただいても面白くない話である。
ディアナを供だっての入店は特に問題もなく、傘の受け渡しも談笑を交えながら及んだ。
ドワーフ男の筋肉の見事さにディアナがいささか騒いだりもしたが、笑って話せる類の事でしかない、薄々コアもわかっていた事ではあるがドワーフ男といっても誰しもが彼ほどに筋骨逞しいというわけではなく、髭を伸ばすという慣習も近代では古風なものとして扱われているとの事だ。
ディアナはライトエルフの国、その勢力圏はダークよりもドワーフ側に近く、そういった事情にもこちらより幾分は詳しく昨今の流行りは、表立っては逞しく見えない、薄くつけた脂肪の裏に強靱な筋肉を潜ませるのが粋だとか。
知らんがな。
さしずめ武具店、ドワーフの彼は昔ながらの古風な美人と、そういう類なのだろうか。
ここらへんの機微はドワーフ独特なものか、パアル世界、異世界だからこそなのかコアにはいまいち判断できず、理解し難い。
格好いい、凄い。という感想ならまだわかるのだが。
美的感覚は種族、世代、階層、個人の各々に委ねられ多様であるという事、理解できなくとも納得しておくに限る。
世界は変われど、世界は依然と広く。
言い得て妙な言い回しだ。
おろしたての日傘を開き、肩に傾け差し、くるくると、まるで年相応の童の如く回し遊ぶ。
白い布地の影は細やかな細工が施され陽にかざせば薄く模様が透け映える。
強い陽射しも傘をかざせば柔らかな光として体に降る。
レースなど少しばかりコアの趣味からすれば装飾過多のきらいがあるがこの世界の男であれば持ち、使っていても違和感はなかろう。
加えて傘の先端、石突きや骨子はミスリル鋼。
いい仕事。
「……その傘って、その、あれだよな」
恐る恐るといった風情でディアナがコアに問いかける。
店を出て日傘をまじまじと見てからというもの終始この調子だ。
その歯切れの悪さは快活な彼女にしてみれば珍しい光景。
「うん」
一切、悪びれた様子なくコアが頷く。
「だめか?」
甘えたような声。
いや、コアにその気はなくてもディアナにはそう聞こえる。
「いや、だめという事ではないが」
ディアナが歯切れ悪く答える。
それもそのはず、コアの持っている日傘。
その柄は以前にディアナから貰い受けた“剣”だ。
ホワイトリング秘蔵の品、正直なところ眉唾な代物ではあるが、神剣が、いつの間にか愛らしい日除け傘にされていた。
ディアナからしてみれば、あ、ありのまま起こった事を話すぜ、な、何を言ってるのかわからねぇと思うが…。
と、時間を止められたかのような混乱、混迷の極み。
「……だめか?」
再度、脳髄を蕩けさせる悪魔の声。
「いや、だめって事はないんだけど、ちょっと、その扱いはどうかなというか……」
「こうしてれば普段から持ち歩けるし」
「…うん」
でも、それ傘じゃねぇし、剣だし。
「似合うだろう」
白い日傘を差すコアは深窓の君のようでいて可憐。
「いや、まぁ、そうかもしれないが、別にそれでなくても」
「可愛いだろ?」
「……ん、う、うん、おう?」
『男』という生き物は論理的思考が出来ないのか?
およそ会話というものの一切が成立しない。
加えて言えば、今のコアは世間一般に自分の容貌が整い好ましく思われている。
美人だと自覚し、相手が好意を自分に向けているとわかっている者特有の傲慢さが見え隠れする。
どのような我が儘も甘えれば許されるだろうという事を理解している者。
おそろしく質が悪い。
ディアナは歯がみする。
コアじゃなければ魔力を込めてぶん殴っている。
譲ったとはいえ他家の財物になんてことを……侮辱も甚だしく。
しかし相手はコア。
ディアナがどうやってでも好ましく思われたい、好かれたいと想っている相手であり、好いた弱みというべきか、まざまざと、多少なり性格がねじ曲がっている所をみせられても、それが可愛いとかぼんくらの如く思えてしまう。
愚かな思考だと思う。
軟弱な考えだと心底思う。
が、惰弱極まりないその感情と思考を否定できない。
生まれてこのかたディアナは悩んだ事がない。
感情と思考の狭間で揺れた事がない。
迷わず、そうあれと養育されてきた。
闘争において迷いは無駄。
迷いとは弱さ。
煌めく雷撃の如く苛烈たれと教育されてきた。
「ディアナ、だめよ! ここはビシッといかなきゃ、男に舐められていいの!!」
心中で天使が正論を武器に囁く。
「おいおい、ここは恩着せがましく貸しにしておくんだぜ?」
紙煙草をふかしながらガラの悪そうなチンピラ、悪魔が誘惑を囁く。
「……尻、いや直に胸を揉むくらい俺なら出来るね」
ま、まじですか…悪魔さん。
「悪魔よ去れ! 惑わされないでディアナ、刹那的な欲に流されないで!!」
「あー、コア、その、な、それは一応ホワイトリングの宝であって、譲った物とはいえ相応な扱いをしてくれないと困る」
「……そういうものか」
「――そういうものだ、粗雑に扱われるとこちらが軽んじられてる、いや、コアがそういう訳ではないのだが、侮辱的に捉える者もでてくるよってな」
「ふーん」
ディアナは物憂げに目を伏せるコアの横顔をそれとなく見つめながら、おい、悪魔、ここからどうやって胸を揉むまでもっていくんだと心中で請願する。
「…しかしだ、身内ともなれば別よ」
ひとつ、神妙な顔でディアナが芝居がかった動きでささやく。
「身内?」
訝しげにコアが問う。
ディアナの言はつまるところ他人の礼を欠いた行為も身内内の事であるのならば眉をしかめる程度の奇行にしかならぬと、そういう事であるらしかった。
道理も礼もわからぬ他人は時に誅すべき相手であればこそであろうが、係累であるならば諫言やお小言で済むという問題も往々にして世間にはある。
矜持や外面を飯の種にしている者にも共通する事ではあるが、逆も然りであろうが。
「結婚してくれコアぁぁぁ、妾の純情を弄びおって」
ディアナがコアの腰にしがみつくように抱きついてきた。
張り倒しても良かったのだがいきなりの蛮行にコアも慣れたもので、困ったような微笑すら浮かべて為されるがままにして相対する。
そういう態度、度を過ぎたともとれる鷹揚さがディアナをますますつけ上がらせて浅はかな行動に直結させるのだという事にも気づいてはいるが寄せられた好意に対して結果的に弄んでいるという自負がコアにはある。
ヘラを含め、調子にのってたかりにたかっている、言ってしまえば搾れるだけ搾っている。
対してあらかさまな好意や行動に対して鎧袖一触。
気を持たせるだけ持たせて手を握るくらいしか許していないというのも大きいだろう。
コアからしてみれば胸の一つでも膨らませてから来てくれと言いたい相手であればこその対応であるし、前の生も鑑みればエルフ種、いくら齢を重ねていたとしてもうら若い異性というものが子や孫にしか感じられない。
簡潔に言ってしまえばこの子達は色恋の眼中にはまらないのだ。
「結婚ねぇ……」
困ったような声音であるが、その実まったくもって困っていないような風体のコア。
大人ぶった余裕にも見えるだろうが、その実、齢だけは重ねたガキであるのでややこしい。
ディアナの突拍子もない奇行、蛮行の類は今までの付き合いから幾度もあったことで慣れている。
急に感極まって抱きついてくる。
やたらと腰とか触る、手を回す等。
これがヘラになるとある程度は配慮、遠慮してくれるものなのだが、双方ともに共通して言える事は初々しいを通り越し属性こそ違うものの“童貞”くさい。
これに尽きる。
男女の立ち位置が逆転してるこの世界においてコアの目から見て『女』は男の気が強く、『男』は女の気が強い。
ヴァル・オルトのような男などは例外中の例外、魔法という便利極まる存在のせいもあるのだろうが世の『男』はそもそも体を鍛えるという発想がないようにも思える。
肉体こそ異性のそれであるが心根は同性のそれと同じ者に言い寄られ、そういう気持ちになれるか?
化粧っ気なぞ『女』にはなく『男』の方こそ着飾り化粧する世界。
着飾らない、化粧のない素の『女』は男に近似だ。
特殊な趣味、性癖でも開眼しないと厳しい。
そして、残念な事にコアは存外にノーマルだった。
「結婚とかそういうのを決めるのはまだ早いと思う」
相手を刺激しないよう、ゆったりとした作り声でコアが応じる。
ダークエルフの世界では五〇に満たない者は大人とは見られないが、国の違いというべきかライトエルフ世界では教育を受けた三〇ともなると一応の大人として見られるとも聞く。
そういう事情を鑑みればディアナの言もただの妄言、世迷い言ではなく、早いという事もないのだが早いという事にしておかないと“奥様”としてこれから人生の全てが決まってしかねない。
ぞっとする話ではある。
「これだけ尽くしてるのに、いくらなんでも冷たくないか」
ディアナが斬り込んできた。
しかしてその身はさりげなく、それでいて執拗にコアの胸元に顔を埋めながら荒い呼吸を繰り返すという明け透けなド変態であるが声音は至って真面目に、さも道理はこちらにあるとばかりに聞こえる。
至福の時を堪能するエロガキを目の前にしておきながらコアの精神は凪の海の如く静か。
この手のやりとりは不用意に応えなくていいと経験則でわかる。
それにディアナとて何も答えが今すぐ欲しいわけではない、僅かばかり、ほんの少しの意趣返しと小賢しい策謀だ。
こう言っておけば聡いコアの事、情と理性に訴えかけ封じられる。
それでもって合法的にお触りを実行している。
そこまでの小賢しい手はコアにも読める。
コアの内情にした所で他の者なら鳥肌のたつような行為かもしれないがディアナに触られた所で犬猫にじゃれつかれた程度の感慨しかなく、鼻息荒くされた所であらあらまぁまぁで終わるというのも大きい。
別に懐や器がでかいという事ではない。
童貞に嗅がれようが胸をさりげなく揉まれようが「こいつはどうしようもない阿保だな」以上の感想が出てこないというだけだ。
生きてきた文化が違う、ただそれだけのつまらない話。
ただしディアナからすれば少しばかり話が変わる。
小賢しい策を弄したとはいえ自分はコアに触れる事を許されている、婉曲的ではあるが好意を返されているという思い、勘違いがある。
さすがにヴァランディスの奴はここまで許されては、してはいまいなどと悶々としながらディアナは優越感と共に甘露を堪能する。
『女』にはない匂い、感触、鼓動、それによる精神の高揚。
なにもかもがいつ味わっても新鮮で、慣れる事のない麻薬のようなものだった。
脳をずぶずぶに蕩かせる毒薬だと分かっていてもそれを摂取せずにはいられない。
これを全部、いつでも自分の物に出来るのなら何を対価にしても惜しくはないと思える。
脳をねろりと怪物が舐めあげるような異様な感覚にディアナは狂いのような異常なうめき声をあげる。
眉根をしかめた、訝しげなコアの顔にも頓着せず。
「よし! コア、今から宿をとってしよう!!」
人間、大人は子供に対して怒らなければいけない時というものがある。
心の底ではそう怒ってはいなくても間違いを冒しそうになっている幼子に対しこれみよがしに怒ってみせ、それはいけない事だと、早計な、浅はかな、やってはいけない事だと知らしめねばならない機会というものが生きてれば人生には何度かあるものだ。
とりあえずコアはディアナの鼻っ柱をグーパンで沈めた後、半日は口をきかなかった。