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26:老人と休息

 朝、カーテンの隙間から漏れ出る陽光に反応して体が覚醒する。


 いささか起きるには早い時間ではあるが覚めてしまったものはしょうがない。

 起きるか。

 一度そう決めたならばすぐに行動にうつす。

 覆い被さる寝具を除け、起き出し、カーテンを開け朝日を浴びる、窓を開放し新鮮な空気を室内に招き入れ身体をほぐすように伸びをする。

 朝とはいえ火の時節である為に部屋に入り込む空気は熱を孕むが淀みのない朝の空気はヴァル・オルトを引き締める。

 指、各部の関節をゆっくりと動かし具合を確かめる、体を動かし、ほぐしつつ丹念に柔軟を施す。

 今日も体に異常はなく好調そのもの。

 そのまま、僅かに汗ばむまで静かに運動をこなす。

 肉と筋に程よい刺激を与え体と意識に更なる覚醒を促す。

 

 よい一日になりそうだ。


 思わずこぼれる微笑が浮かび、ドアへとヴァルが振り向くと


 「!?」

 

 咄嗟に叫び出さなかったのは僥倖というべきであり、もしくはヴァル・オルトは流石と表すべきだろう。


 先程までそこには『何も』いなかった。


 しかし、今しがた振り向けば未だ自分の温もりさえあるベッドに暗黒のローブ、フードを目深に被った人物が気軽に、慣れ親しんだ椅子にでも座るように腰掛けていた。

 異常な状況。

 足を組み、自室のように落ち着いた所作。

 あまりの落ち着きぶりに恐怖や戸惑いよりも若干……なんというか、有り体に言えば腹が立つ。

 「――そう驚くな、いい大人、『男』は常に優雅たれ、だったか?」

 謎の人物はからかうような声音を発する。

 「あっ? お前コアか」

 ゆったりとした、野暮ったいローブで一見してわかりにくいが、声音はかの人物を如実に表していた。

 「見ればわかるじゃろ」

 「……その格好で言うのかよ」

 理不尽。

 コアの両手には手袋が嵌められ、外から見て肌の露出は無に等しい。

 肌を見せる事を忌避するかのような徹底ぶり。

 「どうやって入ってきた」

 「……普通にドアを開けて、歩いて、座っただけだが?」

 おそらく嘘は何一ついっていない、ただ全くもって気配、音がしなかった。

 凶手であるとすればこの上なく上等。

 目の前の子供の異常さにいまさら何かと突っ込む気にもなれない。

 「…ノックくらいしろ、あとその格好はなんだ」

 目の前の人物がコアである事にはもはや疑いようもないが、その格好、異様さだけは指摘しておく。

 「……まぁ色々あってな、立て込んでる、事情があるのよ」

 「ほぉ」

 とりあえず顎髭でもさすりながら、おざなりにさ見える相槌を打っておく、それの意味する所は話の促し、要は続きをさっさと喋れというところだ。


 「――これからわしは寝る」


 「ん? ん?」

 何を言ってるんだこいつは。

 阿呆の子なのか。

 寝たければ勝手に寝ろ。

 「…また夜更かしでもしたのか、まぁ寝るのはいいが自分の部屋でな」

 息を吐ききり、あきらめが多分。

 至極当然の事、常識をおざなりにでも説いておく。

 欲を言えばガキが夜更かしをするな。と言い聞かせたい所であるが外見はともかくコアの中身はおそろしく可愛げがない。

 説教の最中に平然と目の前、小指で耳をほじってるようなクソ餓鬼だ。

 今更どうこういった所で屁理屈をこねられては逆にたまったものではない。

 「…ヴァル」

 コアがため息を一つ。

 出来の悪い子供にでも言い聞かせるように。

 「わしは寝る、それこそ何しても起きない位に、時間にして半日から一日程じゃな。その間、誰にも、何人も近づけるな、わしを見させるな」

 この発言にはヴァルもひっかかった。

 相応の付き合いがもたらす勘どころというやつだろうか。


 嫌な予感がする。


 トラブルという名の怪物が床を陽気に踏み鳴らす音が聞こえる。

 「何をしても起きない? 厄介だな」

 ヴァルの部屋にしろ、コアの部屋にしろ、立ち入り厳禁とする事は出来る。

 出来るが意欲、意識の高いメイドや家令はそれこそ音もなく、気配を押し殺し、日々の雑務、部屋の掃除、気をきかせ、色々と取り持ってくれる。

 ヴァルはベッドの横に備え付けられたテーブルにある水差しから用意されたグラスへ水を注ぎ、口をつける。

 よく冷えた、淀みのない新鮮な水。

 これもまた自分が寝入った後に起きるタイミングを見計らいきっちりと計算、用意された仕事の成果だ。

 出来る使用人をもって主人としては嬉しい限りであるが、いささか過剰サービスではないだろうか、防犯の面で心配になる。

 信頼のおける者、素性のきれいな者達を揃え、教育、相応の賃金も払ってはいるが。

 コアなどは見てくれこそいいので表には殊更に出さずとも周囲の可愛がられ方は半端ではない。

 特に寝入った姿などは内面が出てこないせいか一見の価値があるものだろう、だからこそ質が悪い。

 要するにコアが寝てれば執事やメイドが世話をやきたがるし鑑賞会じみたものが起こる。

 触ろうものなら手が出て骨の一本でも覚悟しておいたほうがいい狂犬ではあるが眠りから絶対に起きないとなると問題だろう。

 悪戯し放題だな。

 邪悪な心を持たない者でも揺れる誘惑だ。

 目の前のこれはまだまだガキとはいえ見てくれは良い。

 ヴァルとて絶対に起きないコアを前にしたら日頃の意趣返しに普通では絶対に来てくれない衣装を勝手に、思う存分着せ替える、着飾るくらいはしたい。

 ん、なんかいいな、あれやこれを着せてみたい。


 「悪い顔をしているな」

 「んん? そうか、そんな事はないぞ! 心外だな! 兄弟!!」

 腕を広げオーバーなアクション、この上ない笑みは胡散臭い事この上ない。

 「……まぁよいわ、ろくでもない事だろうが危険そうな意は感じられんしの」

 胡乱な目でヴァルを見つめつつも、闘争ならともかく、こういう事にはさしものコアも意識が低い。

 ただ単に興味のなさ故ともいえる。

 最悪につながるもの、命の危機ではないと判断した。

 「というわけで寝る、限界だ」

 そう言ってコアはごそごそとヴァルのベッドに潜り込む。

 「おい待て、寝るなら自分の所で寝ろ、つうか森の家じゃ何故いかんのだ訳が分からん、あぁもうローブは脱げ、せめて寝間着に着替えろ」

 ぶつぶつと文句を投げかけコアの外套をひったくるようにして奪う。


 叫び出さなかったのはさすがヴァル・オルトというべきだろう。


 「――毒を抜く為に寝る」


 その髪や眼は、くすんでこそいたが確かに『虹色』をしていた。




 ■■■




 ――深く、深く、眠る。


 音も光もない深遠な海中を潜っていくような感覚。

 呼吸や鼓動、脈も薄く、命すら危うい眠りに誘われる。

 体温は急激な低下をみせ、寒さの厳しい季節や不相応な場所で眠りに落ちればそのまま起き上がることはないのではないかという昏睡。

 天地の魔力を人の身で合し御したが故に支払うべき対価、代償、もしくは反動。


 眠りに陥る際に自身の内息、気脈を整え、こびりつく毒たる他物の魔力を排斥するように点穴を処置し瞑想状態、自ら仮死状態へと意図的に入り、眠る。

 こうする事で最悪の結果、死を免れられる。

 

 が、それにも欠点はある。

 何をしても起きない。

 平時であれば不穏な気配を纏わせた者、不審な者が近づけば自然と覚醒する、その力、習慣も今は機能せず他愛ない標的でしかない。

 赤子でも泣き叫んで助けを乞える。

 “深い眠り”に入ったコアは赤子以下。

 その身を預けるには信頼のおける者、場所が望ましい。


 森の、魔女の家はどうだろうか。

 悪くない。

 が、いつなんどき、不埒な闖入者が来ないとも言い切れない。

 かの家の周囲には人外魔境の樹海であり、ゴブリンなどの亜人をよく見かける。

 

 クラウの所はどうであろうか。

 良いといえる。

 クラウはコアに対し害そうという意思はない。

 事実、コアはクラウとの修練後に彼の者の居城で眠りに入る事もあった。

 が、起きた後に微妙な違和感を感じる事が多々ある。


 たとえばわずかな着衣の乱れ。


 たとえば鼻につく、体にわずかに染み付いた異臭。


 たとえば自身の汗とは違う、ベタつくなにか。


 どうも寝ている間に“悪戯”をされているらしい。

 人外の怪物に寝ている間に触れられている、ごく普通の『男子』である感覚でいえばおぞましいとさえ言える経験である。

 しかし、コアにすれば「まぁ、そういう事もあるのか」として放任していた、それは一重に興味のなさ、無関心。

 命の危機は感じられない。

 ならば良い。

 体など洗えばいい。

 その程度なのだ。


 それが良くなかったのだろう。


 もしくは許されているとでも思ったのか、しだいに大胆になる行動。

 着衣の乱れや臭い、ベタつきは酷くなり、首筋に、紅い、ささやかな噛み跡を発見した所でさすがに危機感を覚えた。

 害そう、傷つけようという意識は今もクラウにはないのだろう。

 魔族なりの愛情表現というやつなのかもしれない。

 ただこのまま放置すれば取り返しのつかない事も起こり得る。

 故にクラウの所も使えなくなった。

 

 消去法であり、わざわざ街までこそこそと来なければいけないなどの短所はあれどヴァル・オルトの屋敷はずいぶん都合が良い。

 眠りの後、目覚めてからは異常なまでに腹が減る。

 これも代償か反動なのだろう。

 その点でも都合が良い。

 食事なら言えば言うだけ出てくる。

 至れり尽くせりである。


 かくしてヴァル・オルトを頼る事に、もといたかる事になったコアだが。

 

 

 

 「……ここはどこだ」

 誰に聞かせるでもない疑問がするりと口から漏れる。

 見知らぬ部屋だ。

 昏睡とも言える熟睡を経て起きた部屋は見たことのない部屋。

 こんな場所は屋敷にはないはずだ。

 たぶん。

 無論、コアとて屋敷の全部屋を詳細に見、覚えているわけでもないが、それでも違うとわかる。

 まず匂いが違う。

 建材の違いや窓やドアの意匠の違い。

 部屋は屋敷の寝室にしては狭い、ごくごく普通の広さといえる。

 ベッドがあり横には備え付けられた台もあれば書き物をする机と椅子、カーテンで塞がれた窓があり、クローゼット。

 ドアまではベッドから降りてコアの足でも五、六歩あれば到達できるか。

 飾り気のない部屋でそれ故か掃除は行き届いている。

 布越しである窓の陽の加減、差し込み具合から時刻は昼前くらいだろうか、あれから少なくとも丸一日は経過しているだろう。

 コアの動きに合わせてギシリとベッドが静かに軋む。

 ごくごくシンプルな、飾り気のない部屋だと思ったが、たとえばシーツや毛布、ベッドの造りや机や椅子の出来は地味ながらに良いものを使っている。

 いくばくかコアは逡巡する。

 こういう気の使い方、家具の趣味はヴァルに似ている。

 ヴァルの部屋なのか?

 セーフハウス、いわゆる隠れ家のようなものかもしれない。

 しかし、それにしては彼の者の臭いはひどく薄い。

 頻繁に利用していないと考えれば自然かもしれないが、それにしては別の臭いがある。

 疑問。


 エルフとして生を受け成長し、コアの目や耳、鼻、皮膚などの神経感覚は研ぎ澄まされている。

 ひとえに日々の鍛錬のたまものでもあるがエルフ種の持つ潜在能力といえる。

 単純な膂力こそ他人類種(ドワーフ、獣人、人間)に譲るところではあるがエルフの肉体は存外に性能が良い。

 それとも個体差、この体の『血』が良いだけだろうか、たとえば親が優れた人物であれば受け継がれる力も良いものになるだろう。

 

 体を起こし、揃えられて床に置かれたスリッパに足を通す。

 

 「うぇ!?」

 そこで改めて自分の姿を確認する。

 おあつらえ向きにコアのような子供であれば全身を優に確認できるような姿見が近くにある。

 現在は火の時節である、とても暑い季節、夏だ。

 じめじめとした気候ではない故に不快感はそこまでないが、いくら魔法、紋章術などの便利な技術があれど人の自然な行動としては薄着になるのが普通ではある。

 コアもこの季節であれば飾り気のない貫頭衣のシャツ、パンツで眠る。


 姿見、鏡の前に出てじっくりと見る。

 

 ネグリジェ

 

 という単語を知っているだろうか。

 地球世界でも中世期において普及、使用されはじめた言葉、寝間着であり、ワンピース型の寝具であるそれは元々は男女兼用として使用され時代を経る事に女性用としての側面を強め装飾や肌触りの良い質感への追求がおこった服飾。


 パアル世界では逆なのだろう。

 

 赤い、透けるように薄く赤い。


 薄い薔薇の花びらのような生地のそれはコアの膝丈を隠す程度に伸び、肩紐は頼りない程に細く、胸や腰回り、裾は細やかな蔦の如き刺繍とフリルがつき、一見すると下品になりそうなそれを着る者、コアの容姿と相まって美麗と呼ぶに差し支えのないものとなっていた。

 下着は純白。

 飾り気のたっぷりと施された胸を覆う肌着とドロワーズは優美。

 いくらパアル世界では男の格好として支障ないとはいえコアが好んで着る事のないインナー。


 はっはっはっはっはっはっ


 セクシー?


 あっははははははははははははははは


 「――よし、殺そう」

 

 静かな決意を秘め瞳から光が消える。

 最低でも足腰がたたなくなるまではいこう。


 君が泣いてもぶん殴るのを止めないッ!!


 音が聞こえる。

 カツ、カツと確かな歩調。

 やがてドアの前で音が止まる。



 ――ドアが開く。

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