02:老人と友人
頭が沸騰するほどの怒りを覚えた事はあるだろうか。
何も考えられなくなる、否、正確には怒りの元凶しか考えられなくなる。
現状のヘラ・ルナウ・ヴァランディスが正にその状態である。
ヴァランディス伯爵家長女。
武官の名門として名高い当伯爵家にあって大容量の魔力を持って生まれた当代唯一の女子。
そうある事が当然で教育を受け、才覚を伸ばし、その都度に相応しい物を与えられてきた。
勝って当然。
それが同年代との勝負事であるのなら尚の事。
だがあれは、はたして勝負というものであったか?
貴族同士の勝負なら名乗りを上げて然るべき、手順を踏んでの事。
それはいいだろう、相手はどこの誰とも血統の定かではない平民。
卑怯などと言うまい、弱い者が卑小な手を使うのはわかりきった事だ。
が、あの結果はなんだ。
油断していた?
相手を侮っていた?
それもあるだろう。
「掌の、魔法ですらない一打で昏倒させられた」
如何に腕力に優れようと、その力を効率よく使用する技を磨いたとて匹夫の技術。
その低いもので魔法を持つ、魔力を豊富に持つ自分があっという間にやられてしまった、使い切るまでもなく。
魔力の差が戦力の絶対的な差ではない、魔法の練度、知識、決断の早さ、経験、魔力が多い事で圧倒的に有利である事に変わりないもののそれだけで常勝できるものではない。
が、相手はゼロ、強者である自分、そうあるように生まれ、そう在るよう育てられた自分、両者の激突。
その無残な結果。は魔力を持つ自分を、今までの自分を否定されたような気がした。
それは錯覚としかいいようがないのだけれど今のヘラにはそれがしっくりはまる。
それは逆恨みとしかいいようがないのだけれど今の彼女にはそれしかなかった。
「クヤシイッッッ!!」
猛る意志に体を巡る魔力が反応し火と風が周囲に漏れ出る。
それを見て家人達はお嬢様の逆鱗に自分達が触れたのではないかと恐々とする。
火は風を巻き込み炎となって撒かれる。
炎はうねるが周囲の物を一切燃やすことなく、精緻な制御をもってヘラの全方位を漂う。
私はここまで出来る、こんな事が出来る、怒りに我を失いそうになってもこうなのだ。
凄いのだ。
あいつにまだ何も見せていない。
***
この世界、パアル世界では女が暴力的強者である。
それ故か歴史的に、風俗、文化的に地球世界とは大いに異なる点が、要するに常識が違う事が多々ある。
一例だがパアルでは家督を継ぐのは長子かつ女子である事が普通であり望ましいとされている。
女々しい事は雄々しい意味であり、女らしいとは豪放で力強い事だったり、男らしいとは淑やかである事であったり、男は家を守り、女は外へ出る。
端的に語ろう、逆なのだ。
「スースーするのぉ」
自身が着た薄い蒼の入った白ワンピース、スカートを摘むコアがいた。
「……はしたないからスカートを捲るのはよせ」
たしなめるようにヨハンが声を出す。
ちなみに下着はこの世界で男女共に一般的な、紐で縛るタイプの短パンのようなもの。
「…いつもと違うから不可思議でな」
コアはいつもは動きやすさ重視でハーフパンツ程度のズボンを着用していた。
どうしても慣れるまでは違和感が拭えない、おまけにこういうものは女子の着るものという思いもある。
「魔女に言われたんなら我慢しろ」
ヨハンとコアはいつもの遊び場である広場で相対している、もはや恒例となった勝負を一戦終え、ヨハンは頭にこぶを作り、しゃがみこんで自身に治癒魔法をかけている。
(…着流しと思えばそう恥ずかしいものでもないか)
コアはそう結論づけた、そう思う事にした、うん、そう思おう。
髪は魔女の婆さんにもっと男らしくしろと綺麗に切り揃えられ肩口あたりのショート。
服装もどこから取り寄せたのかワンピースサマードレス。
胸元のボタンは小振りな蒼い石が美しくスカートの裾には愛らしいフリルがついている。
スカート、ワンピースなど別に男だけの服装というわけではないのだが、やはり女性よりも男が身につけるものが好ましいとされているようだ。
「文化が違うなぁ」
コアはしみじみと呟く。
この世界で生を受けて三〇年以上たつがいまだに驚き、知らない事に出会う。
郷にいればなんとやら。
火傷を作り、髪を切られて家に帰れば婆さんには心配され、女手一つで育てたのが間違いだったのかねぇ…やら、お前は手のかからない子だったから放っておいたのがダメだったのかね…。
などと悲しい顔をされてしまうと断るに断り切れなかった。
少女との試合から一週間はたつがここ数日は婆さんの勧めるがままに存分に男らしい姿で男らしく裁縫や炊事や洗濯、掃除に精を出していた。
家の手伝いもいつもより積極的に行ない、たいへん男らしい(?)良い子を演じていた。
とはいえそれでは剣術馬鹿のコアもストレスが溜まる。
その発散にヨハンと女(?)らしい組み手をやったりもするがいまいち晴れない。
「ヨハンはもっと魔法を使え」
ゼロであるコアに遠慮してかヨハンは魔法を他の子供達と違い多用しない。
「お前は魔法使えないのに俺が使っては卑怯みたいだろ」
正々堂々、それはヨハンがコアに対して行なうルールみたいになっていた。
負け惜しみではない、逃げ道を作りたいわけではない、この自分より小柄な奴に同じ土俵で実力で力で技で勝ちたいと思ってきたのだ。
コアは腕の長さほどの木刀を使うがヨハンも同じような棒を使って試合をしていた。
「あほ、使える物は何でも使え、魔法も技、卑怯でもなんでもないわ」
「でもよぉ」
「わしは魔法が使えん。がその分、剣の練習に打ち込める、ヨハンが魔法使っても卑怯でもなんでもない」
「……」
なおも言い募ろうとしたヨハンにコアは言葉を被せる。
爪や牙を持つ獣がそれを使えば卑怯か?
頭の良い者が自身の知恵を戦いで生かせば卑怯か?
「卑怯でもなんでもない、安心してかかってこい!」
ヨハンはほとほと呆れた、これで同年というからへこむ事すら出来ない。
あまりにも目の前の奴と現状で差がありすぎる。
「ふんっ、後悔するなよゼロ」
ヨハンは傍らに置かれた木剣を手に取る。
コアと勝負する為に手製した自信作、魔力を集束する杖のように扱えヨハンの得意な風魔法を補助してくれる。
「では尋常に勝負じゃな」
コアは嬉しそうに木刀を青眼に構え、ヨハンは口をきつく絞り見据える。
「いくぜぇぇぇ!!」
勝負はヨハンがこぶだらけになるまで続いた。
***
「いてぇ、というか体中いてぇ」
うずくまるようにして座り込みながらヨハンは自身に治癒魔法をかけ続けている。
「治癒の練習になってよいではないか」
「鬼だ」
通称、下町露天通り。
王都の外周部、下町の五番通り。
ここは多くの人がごった返す露天通りになっている。
車もないこの世界において幅が異例ともいえるほど広く長く取られた通りで事前に申請こそいるものの国民なら誰でも参加でき、両側には野菜、果物、薬草に鉱石、自作の品や料理、薬などを所狭しと並べ売る屋台、露天が毎日軒を連ねる。
元々は王都の大通りで馬車が頻繁にいきかう道であったのだが街の拡大により区画整理、役所機能移転により馬が通る事のない道となり、その再利用法として活用されている。
コアはいつもここで布を敷き、森の魔女が調合した魔法薬、魔力回復のポーション、傷薬、薬草に香草、鉱石など家で栽培したものや森で得た収拾物などを売っている。
昔は婆さんと一緒に並んで売っていたものだが、相場や一通りの交渉を覚えてからは一人で任されるようになった。
今は隣にヨハンがいるが。
敷き布の上であぐらをかいて呼び込みをするコア。
「…パンツ見えてるぞ」
ヨハンは思わず忠告する。
「ん、あぁそうか」
「そこはキャッとか反応するところだぞ」
「…男の下着なんぞ見ても誰も気にしないだろ、特に子供のなんて」
ヨハンは頭が痛くなる、これは物理的な痛みだけではない、このコアという者は世間というものが全くわかっていない。
妙に博学かと思えば意外な所でものを知らない。
「世の中には奇特な奴もいるんだよ!」
「そ、そうか」
ヨハンの妙な迫力に気圧されコアは姿勢を正し下着が見えないように気を使う。
それを見て幾人かの道行く人が残念そうな視線を向ける。
ヨハンは思う、コアは目立つ、ただでさえ白い肌という事で目立つのに見目も良い。
コアは今の自身の容姿を人形みたいで作り物めいててやな感じじゃの。位にしか見ていないが周囲の評価は違う。
今までのように髪は伸び放題、服も乱雑、体の汚れも気にしない、男ながらに騎士や戦士の真似事のように棒を振り回していてはどこぞの悪ガキ、悪童かと思われるが、髪を洗い整え、身綺麗にし、それなりの服を着ればここまで化けるのかと。
露天通りに来るまでにも荷物を持ったコアに妙に優しくする近所のお姉さん方を思い出す。
特にお姉さん方の目は狼のそれだった…。
「お前はもっと自分の容姿について熟考すべきだ」
「んぁ、そうか?」
だめだこいつ、はやくなんとかしないと。
ヨハンの中でコアはその内、軽薄な女に誑かされて捨てられてなどという未来図が見えるようだった。
「頭いてぇ」
「大丈夫か? ここに痛み止めの薬も売ってるぞ」
「タダじゃねぇんだな?」
「友人という事で安くしておくぞ」
「…鬼め」
悪態をつきつつもコアに友人扱いされたのを嬉しく思うヨハンであった。
***
紋章術という技術がある。
万物には魔力が宿る。
が、魔力にはそれぞれ特有の色というものがあり、物が持つ魔力を人に、また人から物に、人から人に贈与する事などは出来ない。
血液のようなものといえばいいだろうか、無理やり入れても拒否反応が起こり注がれた器に害が出る。
そこで紋章術という技術が生まれた、物の表面に紋章、紋様、呪印を刻み込み、その物質が持つ魔力を特定の魔法へと強制的に顕現させる。
発動方法は品によって様々だが大抵は手順に従い模様をなぞり軽く叩く程度なのが一般的だ。
いまだ発展途上の技術でありそれなりの量の魔力を持つ物しか扱えないが、物の魔力は枯渇しても魔力の満ちた場に放置しておけば充填され、代表的な製品、夜道を照らす魔光ランプや家庭の火起こし、竈に浄水装置、魔法の補助や強化装備に利用され将来性を期待されている技術だ。
「おおおおおお、火が出た」
手のひらサイズの赤い金属板から指先ほどの火が顕現する。
「こっちは発光か」
白い金属板は仄かに発光。
「こっちの緑黄色のはなんじゃ」
「あぁ、こっちは治癒の紋章板だ」
「……こんな便利な物があるとは」
昼もすぎ忙しさの山をこえ、コアは相変わらず座り込んで露天でヨハンと談笑していた。
話題はヨハンが持っていた紋章板、紋章術が施された金属板の事でもちきりだ。
「エルフにはほぼ不要な物だからな」
魔法の資質、豊富な魔力を誇るエルフ種には魔法補助や強化ならともかく、こういった生活を便利にする魔法道具、紋章板はそう意味をなさない。
指先から火をすぐ出せる者がわざわざ道具を引っ張り出して使用する必要があるか?
と言う事だ。
これがエルフよりも資質、魔力の少ない種族なら魔力の節約や安定的な術の使用の観点から好まれて使用されているみたいだが。
「だけどコアには便利な物だろ、やるよ」
「…よいのか?」
ヨハンの言葉にコアは思わず問い返す。
「そんな高い物じゃねぇし、この間は迷惑かけた、しな」
ヨハンは視線を合わせずにぶっきらぼうに答える。
この間とはヘラとの事だろう、髪を切られ火傷を負ったのを気にしているみたいだ。
森の魔女に治癒してもらったとはいえコアはゼロだ、怪我などすれば自身で治療する事が出来ず、自然治癒に任せるか他人に頼るしかない。
「治癒の板は助かるな」
「過信は禁物だけどな、でも喜んでもらえたならよかっ、げっ」
笑顔のコアにヨハンが妙な言葉を被せる。
「こんな所にいたのね灰色!!」
コア達の店前に仁王立ちのヘラの姿がそこにあった。