21:老人と双子
弦楽の音色が陽光の下、夏の空に響き渡る。
コアは膝上の二胡に類する楽器を弓で弾き、その音に合わせ艶やかに歌い上げる。
愉快で楽しげな歌、恋歌、英傑の歌、神々を奉じる聖歌。
そして鎮魂歌。
技巧的には拙い部分も多々あり、一流とはいえず良くて二流、遍歴の吟遊詩人、本職の楽士に及ぶところはない。
素人にしては上出来、一応は聴けるかという物であるが、その調べは奇妙な間と聞き慣れない音階やリズム、曲目をもって奏でられ、その高く澄んだ声は心の隙間に入り込み聴く者を聞き惚れさせる粗削りながら不可思議な魅力があった。
聴く内にその粗さや稚拙な部分すらも愛すべき欠けた部分であるかのように思えてくる。
奏で歌う。
旋律は紡ぎ続かれ、練り上げられ、静かに終わりを迎える。
「……うむ、まぁこういう感じかの」
コアはなにやら納得して言葉を吐き出す。
数拍の間の後に万雷の拍手と歓声。
歌と弦楽に聞き入りコアを囲むのは多種多様な人類種の子供達。
教会、救貧院の敷地は広く、その中庭、広場には外に持ち出した木椅子に座し微笑を浮かべるコア。
子供達はコアよりも幼い者もいれば大人びた、子供達の輪から離れた場には年嵩の高い者もいる。
エルフもいればドワーフも、人間や獣人などもいる。
種族など統一性のない人々。
オルトの、コアの持つ事業の一つとして救貧院、孤児院などの運営がある。
身寄りのない者、行くあてのない者、身体に不具のある者、奴隷あがり、そんな者達、子供を集め、衣食住、読み書きや算術などの最低限の教育を施し
出荷する場。
子供は人間年齢にして成人とされる十五を目安に卒業していくが、ただ外へ放り出す事もせず希望があるならばオルトの下部組織、表向きは堅気な傘下組織の仕事や職を紹介され、生活が一通り安定するまで庇護したりもする。
無利子無担保の融資や端からみれば無償の愛にすら見える衣食住の保証と教育、望み実力を示すならばその先の学院への進学、返済不要の援助もされている。
行く当てのない、特に幼い者にとって希望のある、うまい話。
ただほんの少し、ゆっくりと、教育の過程においてオルトに対する恣意的な情報を与えられていく。
緩やかな、時間をかけての変性意識への介入、それは洗脳だ。
十三番街や王都に、郊外の街や村々にそうやって息のかかった者が、オルトの末端、『目』や『耳』が広がっていく。
適性があり、希望する者はオルトの構成員として取り込まれてもいく。
全ては利する為に、その追求。
パアル世界において魔法はある程度の体系化はなされ技術としてある。
特にコアが目を見張るものとしてその医療行為だろう。
魔法は汎用的で便利だ。
習熟した魔法使いならば怪我などの傷をすぐさまに癒し、欠損すらも金や手間はかかるものの再生させる事も可能。
しかし、誰しもがそんな金を持っているわけではない、高額な金銭を要する治癒魔道師にかかる費用を誰もが賄えるわけではない。
事故や戦乱、獣や魔物との衝突で失った部位を持つ貧しい者は相応にいる。
故に安価にすませ、妥協の結果として義手や義足というものはこの世界にも存在する。
ただしそれは地球世界の基準で考えれば非常に原始的でお粗末な手や足だとコアは感じていた。
ミスティにより集められ、各地から勧誘された技術者、学者、職人、魔法による方法論以外から医術や科学を探求する、この世界においては異端とも言える者達をも交え、不具な彼らに新たな手足を与えるべく活動する。
全てはコアが利する為に。
鉄、ドワーフ鋼、ミスリルにアダマン鋼材、多層材の使用、選定、魔法を用いてだがドワーフにより既に精錬手法が確立されていた軽銀の入手と生産の模倣、新素材の開発等。
魔法による可動を前提としたカラクリ細工の精緻な腕や手、足の開発、紋章術の付加、徹底的な軽量化、人体工学の確立、発展、知識の集積。
本来の肉体よりも優れた義体化、その技術の確立を目指し、彼らを公然と実験体にして模索した。
現状の義体技術や医術向上の為に別方面からの発展、魔法に依らない外科、内科、人類種別の生理学、薬学などの研究、体系化、投資。
結果、現状としてはコアの求める質としてはまだまだそれなり、満足の出来る物ではないが以前にあった義手や義足より遥かに使い勝手のよくなったそれらに与えられた人々は喜んだ。
なにせその義体を手に入れるのに金を取らず、使用感や不満点などを細かく定期的に報告すればそれでいい。
おいしい話だ。
与えられる安価で良く効く薬、便利な道具。
与えられる結果だけ見れば幸せな事であろう。
施しの際に行なわれる静かな洗脳。
コアは馬鹿正直に人々に物事の裏や思惑を明かしたりはしない。
別に聖人を気取るつもりもない。
必要ならそうふるまい、利用もするが慈善事業をするつもりもなく、ただ自分が利する事を追求し結果を見る。
多少なりとも魔法を含みつつも科学技術の発達。
義体化技術などはその一端、手頃な課題であったから着手したに過ぎない。
とにかく将来的に富を生む事と普段において魔法を使えない自身の体を思えばこそ、今以上の科学発展がなければこの世界はとにかく、コアにとっては不便にすぎる。
紋章術は便利だが現在では扱える魔力量や使える魔法にまだまだ制限があり、こればかりは地球ですらなかった技術であるせいで解決法がわからない。
頭の良い奴ら、面白い事を考えつく者達にあれこれと試行錯誤させているが今の所は金を食う虫どまりではある。
まぁそれはそれで一興であり退屈しなくていい。
何事もうまくいきすぎてはこれからの生、暇を持て余すだけだとコアは泰然としたものだが。
「お主らなにか不都合や不足している事はないか?」
コアは場にいる面々に問いかける。
年嵩のある者達はこの黒髪白肌のエルフがどういう存在か知っている。
それ故に遠慮もあれば言いにくい事もある。
子供らもコアがいわゆる、それなりに重要な人物だというのはわかっているつもりではあるのだが……そうでなくとも上等な白生地で作られたサマードレス、精緻な造りの革靴、腕や指を彩る紋章術の施された貴金属は貴人のそれと大差なく、それら全てとコアの容貌は相まって容易に近づいていい相手には感じられないはずだが……。
路上暮らしや奴隷生活を経た奴らにいざという時の遠慮はない。
食事が不味い。
ベッドが硬い。
部屋が狭い、自由時間が少ない。
ああだこうだと次から次へと遠慮無く言葉が紡がれる。
一人の子供が声を上げれば次から次へと他の者達も続く。
益体のない事もあれば改善の余地がある言もある。
子供達に耳を傾けつつコアは楽器を弾く。
食うにも困った時を過ぎ、安心できる場、暖かい食事、清潔な衣服を得た今の彼女ら。
人は容易に幸せに慣れる。
手に入れた幸せを人は簡単に手放せない。
そして、もっともっと、と欲する。
それは子である程に貪欲でその表現は単純。
また、それら欲望の発露にコアは怒る事もない。
従順な走狗を育てる、その過程に、餌をちらつかせる事に怒りは起きようはずもない。
あれこれと紡がれ続ける言葉に幾人かの大人がたしなめに入る。
「…参考になった、食事についてはそうだな。ちゃんと勉学に励み良い成績を出せたなら考えようかの」
楽の音を止めず子供らに伝える。
えぇーなんだよー、もうなんでもいいからおっぱい揉ませろよ兄ちゃん
悪童の口々に出る言葉。
コアの微笑、とりあえず楽器を椅子に置き、不埒な言葉を吐いた女児には優しく芝生の上に投げ飛ばしておいた。
俺は尻でいいぞ-!!
それも投げ飛ばした。
教会へ慰問、視察に訪れると最後はこういうじゃれ合いで締めくくられる。
大体は冗談の類、遊んでるだけではあるのだが中には油断できない者がいる。
路上暮らしから一転して、まともな生活を送り、ちゃんとした栄養を与えられ、娯楽に飢えた子供らは本気で向かい、遊んでくる。
コアは次から次に投げ、転がしていく。
息一つ乱れる事もない。
遊びに見せかけた組み手、それは何度も繰り返す内に幾人かの子供はその原石を顕現させていく。
コアの徒手を生意気に躱す者、足払いを潰し迫る者、数と知恵をもって包囲する者、未熟ながらも魔法を使う者。
「しゃらくさい」
震脚、片足立ちのような不安定な態勢からも地功拳による発勁は淀みなく紡がれ、全身に満ちた発力が一気に押し出される。
囲み触れた子供達が魔法の如く一挙に飛ぶ。
このじゃれ合いをやり始めた頃は触れさせる事もさせなかったものの今では
「五、六回はセクハラされるな……」
その度に強さの段階を引き上げるが、遊戯においてはではあるが存外に手こずるようになる日も近いかもしれない。
特にエルフ種以外の人類種は成長も早い。
エルフも成長期、第一次性徴と第二次性徴に関しては人間並みに急速に生育するがそこに至るまで、特に第二次性徴にいくまでに長い時を要する。
十年もすれば人間ならば気力体力ともに充実した年代に子供らは達する。
特に
「最後は、この二人か」
コアの視線の先に二人の人間、特に有望と感じる子供が立つ。
人間種、双子の姉妹。
年齢は七歳に到達するかどうかの前後、生まれた年も満足にわからない、そういう生い立ち。
健康的に日に焼けた肌、紫に染まる短髪と目。
どこか達観した涼やかな目元を持つのが姉のミーア。
好奇心まる出しのわかりやすい、子供らしい子供、無邪気な子犬のような風体が妹のミーナ。
その姿は双子、姉妹というからに容姿はよく似ているのだが、いざ目の前にするとそこから受ける印象が違いすぎて双子という感覚が浮かび難いという希有な存在の二人。
「どうした? 来ないのか? わしを転ばせれば褒美をとらせるぞ」
その言葉にもミーアは動かず、摺り足で距離を維持し死角へと逃避しようとする。
反面、妹、ミーナは飛び出した。
低い姿勢からの突撃、タックル、見え見えの、下が地面とはいえ素人がするには無茶ともいえる攻め手。
虚実を織り交ぜた攻防の中で瞬発的に使うならまだしも挑発に乗って繰り出すなど下策。
コアのすくい上げるような掌打。
正確にミーナの顔面を捉え、打つ。
纏糸勁により発力された力の流れはミーナの頭に着弾、爆裂する。
殺し、傷害させる程の一撃ではない、加減はしている。
が、意識を刈り取るには十分な打ち込み。
現にミーナの意識は彼方へと吹き飛び
コアが呻く。
意識のないままにミーナはコアに組み付き押し倒さんと動いたからだ。
執念というべきか、恐るべき才覚というべきか。
意識のないまま、あらかじめ仕込まれた命令を肉体が完遂せんと動き続ける。
こんな動きをまだ十年も生きていない子供が為す事に驚嘆する。
間違いなくこのミーナには磨けば光るものがある。
そして
「一気にいきます!!」
涼しげな声、美声といえるが、その声は幼い。
姉のミーアが死角より迫る。
妹がコアの腰に組み付き動きを大幅に阻害した上でとどめにかかる連携。
最初からこれを狙っていたのか。
その動きは遅れなく、躊躇もない。
ほぼ背面から地に手をついてコアの足を攫う足払い、ミーアの瞬足なる一撃が奔る。
それは、ごく単純な動き。
足を上げ、降ろす。
ただそれだけの事。
しかし、コアは背面を振り返る事もせず、片足を上げ、直下にミーアの一撃が来た瞬間。
沈墜の勁を持って容赦なく踏み抜いた。
瞬間的に発生する痛みと衝撃にミーアは絶叫する。
「すまんがおぬしは少しばかり抜きん出ているな、痛くないように加減が出来ん」
骨身に染み渡る衝撃。
痺れはあっという間に熱にかわり重苦しい痛みを伴う。
踏み抜かれた足は赤黒く腫れ上がり、容赦なく壊された事を雄弁に物語っている。
「まだやるか?」
コアは地にうずくまるミーアに天から声をかける。
傲慢ともとれるその声音にミーアは押し黙り、その容貌を仰ぎ見る。
自分とそう見た目が変わらない様でありながら長命種である為に三〇以上の齢を重ねている子供。
エルフの生命線ともいうべき魔法すら行使せず大勢を、大人相手でも負ける事のない強者。
オルトに秘められた嵐。
いまだ成長途上と言われる魔人の卵。
黒い華。
暴力の子。
剣鬼。
彼の人を呼称する名称や例えは多い。
しかし双子にとっては些末な事、ミーアとミーナの適性にいち早く着目し汚泥の中から救い上げてくれた人。
それだけ、それだけが重要だ。
「いいえ、先生」
ミーアは首を振り降参の意を向ける。
その言葉に嘘がないとコアは見抜くと残心を解く。
「さきほどの連携、悪くない、悪くないがいささか捨て身すぎる節がある。仮に実力が上の者を相手にする場合でもやりようはいくらでもある、それを考え続けよ、安易な手に拘泥するな、常に上を目指せ、それが出来ると信じているぞ」
師として、その言葉がミーアに降りかかる。
厳しい言葉、まだいくばくもない子供に向けられるものではない。
だが、それは期待の表れ、二人ならばと見込んだ上での言葉、それが滲み出る程にわかる。
「あとな…」
コアが言葉を区切る。
「ミーナよ、もう起きてるじゃろう、尻を揉むな」
ミーナの首根っこを掴むとコアは螺旋の勁力、激流の如き流れで体を廻しミーナを肩から地面に投げ墜とす。
珍妙な声を上げて目をまわし地面を転がるミーナ。
「……全く油断も隙もないな、あれは」
呆れた師の言葉は心底嫌そうだった。
そして、連携の際に自分が囮にいくべきだったとミーアは人知れず歯がみしていた。
羨ましすぎるぞ妹。
次に囮役をやる時は自分が行くと静かに決意する。
「勘弁してくれ馬鹿弟子が」
コアは自身に向けられる情念を感じ取り、深々とため息をついた。