20:老人とうさんくさい聖剣
それは美しい剣だった。
長剣と言うには刃渡りそう長くなく、短剣というにはやや長く。
小刀に類する物よりもやや短い程度か。
柄は刃渡りよりも少しばかり短い程度で刃とのバランスという点ではおかしい、一見して素人細工に思えるも鞘から抜き放てば息を飲む美麗な刀身が晒される。
光彩を放つ木目調の波紋はドワーフ種が好んで扱う、彼らが見出し精錬、鍛造したドワーフ鋼のそれだ。
硬く、錆びず、確かな重み。
他鋼と比した時、その重み故に手に持つ道具、獲物としてエルフには敬遠されがちな金属である。
精錬と鍛造のコストはドワーフ鋼よりも嵩むがエルフに好まれるのはミスリル鋼、鋼鉄よりも硬く羽のように軽いが特徴、エルフ種は人間種などに比べても視覚や聴覚などの感覚は鋭く、優秀でも単純な腕力には劣る。
それゆえに鎧に盾、剣に杖など割高でもミスリル鋼である方が親しまれ、愛される。
しかし、この美しい姿を見ればエルフ種といえど一考の余地があると思うだろう。
それほどにその刀身、剣は麗しかった。
殺傷器物、刃、物を斬り断つ、ただの実用武器を長き時間、積み重ねた知識と技術、確かな技量をもって実用を併せながら美術品にまで高めた一品だった。
ただ、玄人好みな美しさではあるが。
「気に入ったようだな!」
茶屋の一室、余人の人目から遮られた貴人用の奥まった卓の一席。
時節は本格的に寒さの増してきた十二の月。
卓の上には香り高い紅茶と焼き菓子、砂糖菓子。
席に着く面子はヘラ、コア、ディアナ。
卓の三方に散ればよいものをコアの左右を占めるように椅子を寄せている。
秋を迎える季節にディアナは国元へと帰って行った、コアなどはもう会う事などないと密かに思ったものだが再び会う事となった。
思い込んだらなんとやらというべきか、暇なのか馬鹿なのか、留学してきたとかなんとか、家の者には勉学の為とか世間を知る為とかなんとか言い繕ったとか……あまりにも語る目が本気すぎてそれ以上は迂闊に聞くのは憚られた。
ヘラだけでも手一杯だというのに。
やることがいちいち直情すぎるのだ、この二人は
。
貴族の繋がりというやつか、どこをどうやったのかヘラ、ヨハンを通じ呼び出されてみれば今の現状。
ディアナとは久しぶりだが相変わらずの天衣無縫さ、コアに対しては自分の物だといわんばかりの馴れ馴れしさでありヘラとは犬猿の極み。
ヨハンには手間や面倒をかけてて悪いと思う、迷いの森にある魔女の家は人や手紙をやれる環境ではない、かといって十三番街のオルトに関してはヘラなどには言ってない事なので仕方ないとも言える。
ヨハンとは週に何度かは定期的に会い、相も変わらず手合わせや一緒に稽古してるような仲である。
コアに用向きがあればヨハンを通じるのが手っ取り早い。
ヨハンには今度なにか贈るべきだろう、色々と面倒をかけている。
子供らしくない思考巡らせつつもコアは手にした刃剣を室内の光にかざし、様々な角度から眺める。
見れば見る程に素晴らしい造りに艶っぽいため息がコアの口から漏れ出る。
その息に左右の二人は身じろぎするが当の本人は気づかない。
「……気に入ったが、これが竜を斬れる剣?」
コアは視線を小振りな刃から外さず、ディアナに問いかける。
「そう、妾の家に伝わる神剣の一振り、宝物庫の奥に仕舞われた宝、お祖母様に頼み込んだ末に、ねだり貰った一品よ!!」
ディアナは胸をはり自慢を隠す事なく朗々と宣言する。
「真なる勇者が手にすればその力を遺憾なく発揮すると伝えられている神造の武具、その力は神すら害した、と……言われている」
怪しさが満開な上に胡散臭さでいっぱいだ。
確かめるすべがない。
真なる勇者とは何を指して言うのだろう。
そもそも全てがペテンの類ではないのか?
手にした限りにおいて、美しく実用品としても申し分のない一振りであろうが、それ以上の物とは思えない。
そもそも全てが事実としてそんな大仰な物は流石に受け取れないだろう。
ヘラの竜殺しでさえ散々と押し問答したのだ。
「どう思う?」
隣のヘラに声をかける。
「……どうもこうも嘘、大げさ、はったりの類よね、やれやれホワイトリング家はこんな紛い物を――」
ヘラは呆れをたぶんに含んだ口調でディアナに返す。
「――コア、そやつに剣を持たせてみよ」
ディアナが言の葉を紡ぐヘラに被せるように語る。
静かに、それでいて有無を言わせぬ雰囲気にコアは剣を鞘に収め、ヘラに柄尻を向ける。
「掴め」
ディアナの声、その音色には何か得体の知れぬ含みがある。
「……」
一瞬、ヘラは異様な場の雰囲気に呑まれかけた。
が、剣を持つくらい何でもないと思い直す。
その手は柄に触れ、握り込まれる。
瞬間、その反応は激烈。
言うなれば赤熱した鉄棒に知らずに触れてしまったかのような。
頭ではなく反射による反応速度。
「なにこれ!! 呪物じゃないの!!」
ヘラの震える声。
「否、今の人にこのような物など作れん」
悪戯が成功した悪童のような笑みでディアナは吠える。
呪物。
これはコアにも知識としてある。
パアル世界の魔法はいくつかの系統で分類される、火、水、風系統、属性といった具合だ。
無論これは大枠であり、地球でいう所の技術体系などのように、国や流派、思想の違いによりここらへんの区分は曖昧、様々な分類分けや個々で補足が成されてはいるし未だに統一理論のようなものは開発されていない。
ただ共通認識として魔法は、水、風、火、土、光、闇の六種に区分、考えられており、これは曜日などにも適用されている程には生活の根底にある(パアル世界で一週間は六日であり一ヶ月はきっかり五週間、一年は十二ヶ月となる)。
呪物とは闇系統に属する魔法、呪いをもって作られた器物を指す。
とはいえそうご大層な物ではない、ありふれた物だ。
捕虜などを拘束する際に魔法を封じる為の道具。
その効果は体内魔力の体外への強制排出。
手枷や足枷として加工されるのが一般的である。
「呪物は緩やかに魔力を外へ出すが、これは持ち手の魔力を急速に喰らう、今の一瞬で半分ほどもっていかれたか?」
ディアナの挑発的な言葉にヘラは睨みで応じる。
一般的に流通する呪物としてはあり得ぬ効率、速度の魔力排出。
魔力を回復するには十分な休息をとるか、すぐにでも戻したいなら高価な、恐ろしく不味い秘薬を服用しなければならない。
コアが触っていられたのはゼロであるが故。
「もしかして……これで斬られれば相手の魔力はなくなるか?」
コアは疑問を素直に口に出す。
確かにそれなら竜を斬れるかどうかはともかく、抗する兵装になる。
「いや、持ち手の魔力しか喰わんそれは」
おい、ちょっと待て
思わず二人してつっこんでしまった。
それでは使い手が不利益を被るだけではないか。
「まぁ、話を最後まで聞け」
ディアナは紅茶を口に含み、落ち着けとばかりに肩をすくめる。
「……お祖母様の話ではな、一息にコレが満足するまで魔力を食わせてやれば奇跡の如き力、天裂き地を砕く。と、いう事らしい……ちなみに妾では無理だったがな!!」
胸を反らす、出来なかったというのにディアナが無駄無意味に偉そうで、そしてその姿さえも妙に様に、愛嬌にすら見えるは彼女の魅力故か。
「あなたの所の姉様や当主でも無理?」
興味をそそられヘラが問う。
ディアナが無理ならこの場にいる者は誰もこの剣を働かせる事が出来ない。
「無理だったな……だからこそ、このようなガラク、うぉほん!! 物をねだって貰えたともいえるがな!!」
不穏な言葉が聞こえた。
はぁーーー
ヘラとコアは両者そろってため息が出る。
なんだそれは。
こんな物、意味がないではないか。
むしろ柄を棍棒の先端にでもつけて、拵えて殴った方が有用ではないのかこれ。
益体もない事がコアの頭をかすめる。
いや、わかっている。
この剣を今すぐにでも起こし働かせる事はコアには出来る。
外法だ。
あくまでディアナの言葉、伝承とやらを信じ、正しければだが。
「……天を裂き、地を砕くねぇ」
半信半疑。
それにしても、なんとご大層な代物だろう。
あまりにもご大層すぎて受け取るのは、貰うのは憚られる。
「うむ、確かに竜を斬れる剣、しかと届けた……受け取るがよい」
流れるような動き、ディアナが右中指の金の指輪を抜き取ると指でコアの面前に弾いた。
視線に吸い込まれるように、危うい速度で飛翔する指輪に対し、反射的に手を出し、受け止め。
「確かに渡したぞ!」
受け取ってしまった。
「ん、むぅ」
反射行動とはいえ、してやられた。
先程の淀みのない流れ、所作、こういう場を想定していたのだろう。
どこをどうすればコアが受け取らざるをえないか、考え、対応した動き。
金の娘の計略にまんまと乗せられた。
……たかだか幼子一人をどうにかしようとするのに、子供の色恋沙汰に大仰な事だ。
この平和な世、貴族の子弟とはずいぶんと暇をもてあましているらしい。
「竜を斬れる剣、とてもそうは思えない」
反撃を試みる。
「信じる信じないはそちらの勝手、嘘と思うならばそれを証明する事だな」
嘘を証明する事は時に真実を証明する事よりも難しい。
「う-」
コアは唸りながら金色の指輪を右手で弄ぶ。
「なぁに、偽物をダシにして指輪を贈るなどという不名誉な、格好のつかん事はせん」
そういうものだろうか。
「ディアナが、そうでないかは判断つかない」
コアはなおも指輪を弄びながら、半眼でディアナが見つめる。
なにせ付き合いらしい付き合いというものがない。
ディアナとの付き合いは浅い、人となりなど大枠は見知っていてもその細かな内情までは推し量る事も難しい。
耳がどうとか、一方的に、理解しがたい論理で懸想されても戸惑うばかりだ。
それを言い出せばヘラも大して変わらないか。
本人らはどう思っているか知らないが子供というのは些細な、大人からみればつまらない事で他者を簡単に好きになるし嫌いにもなるからどうにも扱いづらい。
「ん、なればこそよ、剣が紛い物とわかった時は指輪を返してよいし、妾がどういう者か、それはこれから知っていけばよいであろ」
金の娘は快活に笑う。
これから知っていけばいい、長い付き合いになるぞという事か、離さないぞ、という事か。
何を喋っても楽しそうで、何を吐いても自信満々で、それに根拠はあるのかないのか判然としない。
ディアナはさりげなく間合いを詰め、席を寄せコアの右腕に組み付いた。
「仮にだ、神剣ではなくとも、この見事な造りの刃を見てどう思う。 竜を斬れる剣と思えぬか? 妾はこの手の物に素人だが、その素人目でもこの剣は美しく、強いと感ずる」
然り。
魅了される、実用として突き詰めたが故の、香るような美しさ。
良い剣だと思う。
見るほどに欲しくなる。
木剣などはあれで味わいもあるが、やはり腰の物は刃があってこそ立つ瀬というものもある。
小さな、投げに適した刃も所有、纏ったりもしてはいるが指先ほどの長さしかない、さして鋭くもない投擲刺突の器物などコアにしてみれば玩具にも等しい。
「コア、その程度の物なら私がいくらでもあげる」
左隣、ディアナに対抗するように席を寄せコアの腕に組み付いてくる。
「ん、むぅ」
変な声が出た。
「こんなまやかしで濁そうというのがホワイトリング?」
「ははっ、ヴァランディスの女は単純でよいな」
「……喧嘩なら買う」
「妾は褒めているぞ?」
両脇を、真ん中にコアを挟んで視線で射殺し合わんとする二人。
以前のように直接的に手を出すような短絡さこそないが、それもいつまで持つかわからない状況だろう。
そうなれば怒って見せて、また無茶な要求を重ねてやればいいだけだともコアは皮算用する。
しかし、竜を斬れる剣。
詭弁も何もかも総動員して、本当か嘘かもわからないが子供とはいえ用意してくるのは流石は貴族様というべきか。
舐めていたつもりはないがヘタに要求して叶えられた場合はこちらも手痛い。
実際、今の状況がそういう事だ。
どうおさめたものか。
「知っているぞ、そなたは店売りの剣で濁したそうではないか、ヴァランディスにはよくよくロクな物がないと見える」
「……コア、私と一緒になればもっといい物が見られるし手に入るわよ……まぁ、どこぞの三女殿には無理な相談でしょうけどね」
ヴァランディスの長女ともなれば行く先々は当主、子供の身では持ち出しのかなわぬ宝もいずれは自分の物になる。
と、言っている。
「も、物で男をつるなど卑怯だとは思わんか!」
ディアナが珍しく焦った声音を上げる。
「ハッ、最初に挑発してきたのはそっちでしょう」
火は自信をくべ炎となってディアナを焦燥へと焼く。
コアを中心に額と額が触れあわんばかりに接近し視線をぶつけ合う両者。
両腕をふさがれ、目の前の茶や菓子を口元に運ぶ事もままならず二人の成り行きを見つめる事しかコアには出来ない。
ああだこうだと言い争う両者。
なんというかこの二人、存外に仲が良い。
仮定の話だがコアという存在がなく、出会いさえ間違えなければよい友人になったのかもしれない。
燃える事しか出来ない苛烈な火と落ちる事しか出来ない峻烈な雷はその性状こそ違えど根底は似通っていて、また互いに無いものを持っている。
そう思ってしまえば、ああだこうだと言い合うのも猛獣のじゃれ合いに見えない事もない。
力なき者はそれを殺し合いだと見るが獣たちからすればそれは遊びの範疇でしかない。
もっとも――
「コアはどう思う!!」
重なる二つの声に思考の海から現実に戻される。
猛獣たちの真ん中で食われるべきおいしい肉の役目を負う者にとっては殺し合いだろうがじゃれ合いだろうが大して違いはない鉄火場。
そして、全く話を聞いてなかった。
「……そうね」
どうしたものか。
加えて言えばヘラもディアナも、なんというかコアにとっては可愛い妹どころか孫か曾孫でも見るようなものでとてもそういう気持ちには至らない。
二人とも大変にきれいな子だと思うし大人になれば……せめて大人になってもうちょっと、胸の一つでも膨らんで貰わないとなぁ……。
両脇から腕に組み付かれているが見事に、完膚無きまでに硬い。
まさに板。
子供の身体にどうこういうのも可笑しいが、この手の者に興奮する趣味はない。
ことさらに大きな胸が好きなわけではないが。
馬鹿馬鹿しい思考に半ば埋没する。
「――胸のある方が好みかなぁ」
そんな声が滑り出た。
自身ですら?と思った時には既に遅く。
火と雷の娘は虚を突かれたような顔の後、訝しげな表情をし、自分の胸を見やり、双方、相手の胸を見、最後にコアの顔を覗き込む。
「……え、あー、なんというか、なんだろ、うん、まぁそういうこと?」
これまた訳の分からない言葉が喉からひねり出される。
心なしか腕に組み付いた、触れる胸が先程よりも強く当てられている気がするが、変に腕が極まって痛いという感想しかない。
そして悲しいまでに、硬い。
「まぁ、二人とも子供だし」
コアがポツリと零すのも無理からぬ事。
その言葉をどう心に受け取ったのか二人は絶望的な表情を浮かべる。
腕の縛りが解かれ手は自由に動く。
眼前の焼き菓子を一口、茶を一口。
菓子も茶も甘く、うまい。
今日も王都は平和だ。