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19:老人と修練

 まず木の棒、木刀は縦に、静かに振り下ろされた。


 次に下から流れるように天頂へ。

 やや右に逸れ、速さを徐々に増し右から左に、左から上に流れ、左袈裟切り、地面すれすれまで降りたかと思えば地を這う蛇のように下段をさらい、今度は体ごと剣線は軽業の如く縦に円を描く。

 文字通りの縦横無尽。

 柔から剛へ、剛からまた柔へ、変遷し続けるその太刀筋は止めどなく、速さを増し続け、流れ落ちる水のように形を変え、流転し、振るわれ続ける。

 瞬発、身の重さは沈墜勁へ、遠心、細糸の如き力を淀みなく螺旋の如く寄り合わせ大力へと至らせる纏糸勁。

 多彩なる技術とそれを表現できる身、技と体と剣を結び、一致させる心。

 使い手の勁力と意念は棒先にまで届き、ただの器物を我が身の一部たらしめる。

 ただの木ぎれが魔法などなくとも空気を切り裂くまでに達する。

 一見してそれは舞い、舞踏にも見える。

 指先、足先に至るまでに配された気遣い、呆れるほどの反復と繰り返される試行錯誤と洗練の果てに至った力の、淀みなき一連の動き。

 暴力と殺しを如何に効率よく発揮するかという偏執的なまでに、狂信的までに、ただただ祈りの如く追い求められた術理だが、その表層に見える動きは美しいと評して差し支えのないもの。

 ただの術から技芸へと昇華される高み。

 何よりも早く、速く、誰よりも強く、強靱たれ。

 美しくとも多くの敵を、壁を、理不尽を打ち倒す為の理を内在する死の妙技。

 使い手が笑う。

 流れ続ける、淀みなき暴力の渦潮、もはや暴風、嵐の海となったただ中で一瞬の蕩けるような笑み。

 その笑みに気を一瞬でも捕らえられたならば、まず一死。

 剣は首筋に当てられ必要最低限の力でもって脈を断ち切られる。

 その裾が翻る、その露わになった肌に目を一瞬でも奪われたのなら、また一死。

 その眼底に剣は無慈悲に、容赦なく突き刺さるだろう。

 武術から武芸と成されてもその本質は変わらず、芸としての彩りも、使い手の華も死と暴力を効率よく発露させる、兵法の内であり、他者を謀る擬態でもある。

 禁欲的なまでに、愚直なまでの武術を志向する者にとってこのようなものは邪道と写るのかもしれない。

 それはそれで良いとコアは思う。


 体は半ば自動的に動き続ける。

 負荷をかけ続け、長き時間に教え込まれた、刻まれた型を順繰りに、時に即興で組み合わせ演出する。

 関節を限界まで、昨日までよりもほんの少しでいい、更に深く曲げんと動き、昨日よりも速く、強くあれと可動させる。

 疲れが見る間に溜まる。

 そのうちに力の淀みが生まれるもすぐさまに矯正、疲れのただ中でより効率的な方法がないか、疲れぬ動きはないかと模索し、新たな動きを試す。

 筋繊維が悲鳴を上げ、心肺は傷み、骨が軋む。

 限界は近い。

 しかし、限界の極致にあってこそ新たな展望、発展はある。

 その身は、技は、精神は、昨日までの限界に到達し、今日はその少し先でいい、そこまで行く。

 それを毎日繰り返す。

 飽きる事なく、ただただ繰り返す、漫然と繰り返すのではない、思考し続け、より高みを目指し、考え、実践し続ける。

 想像の中の絶対強者たる自分を描き、そこに自己を至らせる。


 武とは何か。

 人の道を説く手段か。

 暴力を効率的に発する術でしかないのか。

 はたまた芸に至る能か。

 突き詰めて言えば『強さ』とは何か。

 疲れの極致に至り、とりとめのない事が頭を支配し、それでも体は別の生き物のように動き続け。

 ただ反射だけ、癖で演武はなされているわけではない。

 頭の中は分割、並行し、いくつもの演算が行なわれている。

 体を動かす奴、とりとめのない思考に埋没する奴、想像上の敵を幾人も作りこちらに向かわせる奴、自己よりも強いまだ見ぬ強敵を想定し戦形を考える奴。

 剣を振る、振るう、振り抜く、時に剣を体の影に隠しての斬撃、剣影に隠しての掌打と蹴り。

 持てるもの、使えるものは全て使う。

 想像上の敵を前に剣を囮に無手での一撃、かと思えば打撃を意識させての剣の一閃。

 敵という存在を最速、最短、効率良く殺す術の錬磨。

 

 武とは何か。

 それは武人が各々、生涯をかけて考える、問うべき事、追い、負うべきもの。


 震脚、開門。

 

 地龍気脈経絡仙合一。

 

 地龍を呼び起こし合一せしめる。

 瀑布の如き魔力の激流が身に流れ、コアは全神経と意識をもって御す。

 ただ抗うのではなく自身もまたその奔流の一部、先導となり制す。

 身に雷光が、炎が、凍てつく冷気が、逆巻く風が、毒々しい暗黒の魔力が噴出し纏われる。

 向かうものを残らず害し、殺しめる嵐の顕現。

 肉の体は、その神経は莫大な魔力を糧に自身が思い描く最強へと強化、拡大。

 より強く、より速い自身を強く思い描く。

 言葉や印など淀み、ここにきて詠唱動作など要らぬ、そもそも魔法を使おうなどという無詠唱の意識すら邪魔。

 魚が大海を行くに泳ぐという意をもってその身を処するだろうか。

 天翔る鳥が空を行くに飛ぶ技であるという念を持つだろうか。

 人が生き得る為に、心の臓を動かすにあたって動かすという意念をもって生きているだろうか?

 否。

 断じて否である。

 技は、術理とは身の内に溶けこみ、その名前は最早意味を成さず、形もなさぬが極致。

 例えるならば食われたる食物のようなものだ。

 噛み砕かれ、消化され、栄養となり身に溶け、巡り、発露する。

 技とは学び、習得され、体得へと至り、会得へと練られ、感得へと悟り、究められる。

 より高い世界へと至り、昇華なれ。

 外法の位階を評すなら、ようやっと習得から抜け出て体得へと指がかかっている所だろうか。

 呼吸するが如く、鼓動を発するが如く、自然に、意識にすらなく究めるにはまだまだ道の半ばまでも来ていない。

 

 武とは、強さとは何か


 そんなものは適当に個々がなんでもでっちあげればいい。

 疲れがいよいよ頂点にさしかかり身も蓋もなくそう思う。

 お題目のようなきれい事を並べておけ。

 夢を見たい者には夢を見させておけ。

 格好つけの言葉で飾っておけ。

 何であるか、なかろうが、そんなものは己が胸に秘められず、問われたのでもなく口に出すなら卑小。

 人生を賭け、突き詰めたモノがいくばくかの文言で現せるというのなら、語り聞かせたいならそうすればいい。

 

 なぜそれを求める。


 ただ楽しいからでよい。

 必要だったから。でもよいではないか。

 世の中の人々は物事をやたら高尚に、小難しく、道にしたがる。

 極みとは、武徳とは、その道は、天理とは。

 全てが煩わしく、うるさい。


 何故、学ぶのか。

 必要かつ楽しいから。

 人生とはその程度の単純さで丁度良いではないか。


 舞う。

 花が高速で舞い踊る。

 苦しみの頂点でありながら、それをおくびにも出さず冷笑さえ浮かべて踊る。

 動く事をやめれば死ぬとでも言うかのように。

 剣先は既に音と等速。

 暴風の如き、ただそれは制御され、計算しつくされた嵐。

 楽しくてたまらない。

 身の内にある力を技により十全に引き出し、心はどこか高みに、その全てを、命を限界まで使い切る、表現する事が嬉しくて仕方がない。


 息をするだけで楽しくて死んでしまいそうだ。


 荒ぶる漆黒の魔力を、地から流れ込む力は、龍は今も容赦なくコアを食い殺さんと来る。

 爪を剥き出し、牙をさらけ出し撃滅せんと向かってくる。

 龍の爪を躱し、その力を飲み込む。

 暴龍の牙を避け、その気を呑み込む。

 躱し、避け、いなし、舞い踊り、地龍勁を飲み干し自身の力へと練り上げる。

 技は身に溶け、体は淀みなく流れ、精神は場に大きく拡大しつつ薄れていく。

 世界から音がなくなり自己の存在すら曖昧になって、眠りから覚めるような、洞穴の外へ出る直前のような、光が視界を…。


 油断、失敗した!!


 あと少し、何かを掴みかける前。

 いつもより上手くいきすぎていて慢心でもしたか。

 龍に、尾の一撃で叩きのめされた。

 同調が崩れ自己を利する力の奔流が毒へと反転する。

 木刀を取り落とし、その場に膝をつく。

 気脈との繋がりは即座に断ち、閉門。

 自分の腹、胸、首の点穴を容赦なく突く、行動を阻害されるが魔力の抜けが良くなる。

 しかし、それでも身を蝕む如何ともし難い吐き気と酔い、痛みが間断なく襲ってくる。

 止めどなく湧く吐き気に喉がひりつき、えずく。

 全戦全敗。

 龍との勝負、手綱を握る駆け引きはコアの負け通し。


 竜をどうにかする為にまず龍をどうにかせねばならないとは、なんという矛盾。

 

 缶切りの入った缶詰をどう開けるか悩むに近い。

 服が汚れるのも気にせず地べたに仰向けに、大の字で転がる。

 構う事はない朝の修練で使う為のボロに等しい貫頭衣一枚だ。

 深い森の中にあってはどこも朝日もまた弱々しく千切れ千切れが常だが修練に使うこの場だけは大きく開け、枝葉の遮りもなく空を眺められる。

 しばらくの時間を空をみて過ごし体を落ち着ける。


 森の家の近くにしつらえた龍との修練場。

 本来は樹木の生い茂る空間であったがコアが外法の統制をここで行なうようになってから更地になってしまった。

 更地になってしまってからは獣も亜人も寄りつかない。

 いや、例外はある。

 更地の端に視線をやると石が積まれ、祠のようになっている物がある。

 最初は何かと訝しんだものだが、ある日そこに果物や木の実、森で獲れる獲物が供えられたのを見て嫌な予感がした。

 まず人の類はここまで入ってはこない、魔女の家、修練場は易々と人が訪問できる所ではない。

 では森に住む亜人の類だろうが、獣性の強い、食い意地のはった犬頭コボルトはこんな事をするとは思えない、豚頭オークや毛むくじゃら(トロール)は乱暴者で除外してもいいだろう、悪食鬼オーガにいたっては戦闘狂で話にならない。

 あとは妖精種か、しかしあれらは良くも悪くも天真爛漫、無邪気の塊のようなものでこういう手の込んだ事をすると思えない。

 消去法でいえば背の低い皺だらけの暗緑色の肌を持つ、森の小人、ゴブリン種となるが……。


 「んーーー」

 コアは唸る。

 ゴブリンは臆病、気弱な生き物だ。

 他の乱暴者であるオーク達ですら近づかないこの龍の暴れる、嵐の領域に足を運ぶのが不可解でならない。

 いや、嘘だ。

 見ない振りをしているだけだ。

 ここ最近、ゴブリン種を見る事が多くなった。

 ゴブリンは臆病で気弱だ。

 他の亜人に比べ頭が悪いわけではない、むしろ亜人種の中では良い部類だろう。

 しかし圧倒的に体力、腕力がない。

 魔法も使えない亜人種では武器を手にした所でオークの棍棒での一撃、トロールの豪腕に及ぶべくもなく命を散らす。

 妖精のように幻惑の特殊技能、特性があるわけでもなく。

 コアの住む魔女の家、修練場の近くには危険な魔獣や魔物、亜人の類は出没しない。

 それはゴブリンにとっては格好の逃げ場。

 要するにゴブリンはコア達に共生、寄生して快適に生きようとしている。

 有象無象の多くの天敵を警戒するよりもコアや魔女という大きな者だけを相手にする方が楽に生きられる。

 「いいように利用され、祀り上げられるのは性に合わんし、やや癪である」

 コアは起き上がり顎を掻きつつ祠の供物に目をやる。

 土蛇に樹木に隠れ住む芋虫もあれば、鮮度のよいネズミの死体もある。

 思わず眉をしかめる。

 木の実や果実、キノコの類ならばまだしも、さすがに飢え困っているのでもなければ殊更に食おうというものではない。

 味覚の違いか嗜好の違いか、趣味か、人種か、文化の違いか。

 毒などないとは思うが残念ながら出自の怪しい物であり食指の動かない物ばかり。

 ふと、木々の奥から視線、意を感じる。

 好奇心、畏れ、いくばくかの興味というところだろうか。

 深く暗い奥、いくつもの気配、気配の隠し方は森に住む者としては中々に様になっているが。

 コアは思わず視線が厳しくなる。

 いいように崇め奉っておきながら、こそこそ覗き見とはいい趣味だ。

 ゆっくりと立ち上がり祠に近づく、供えられた品々を一瞥しつつ。


 一挙動で視線の集まる森に予備動作なく飛び込む。


 その素早さは獣じみて疲れ切った身とは思えぬ俊敏さ、突然の珍事に森内はゴブリン達の阿鼻叫喚の騒動となる。

 「おぬしらぁ! こそこそせずに出てこんかぁ!!」

 悪童が如く木刀を振り回してゴブリン達を追い回すコア。

 ゴブリンは突然の出来事に涙目になり逃げ惑う。

 

 ギイイイイイイイイイイイイイイイイイ


 叫びは虚しく空に吸い込まれる。


 はっはっはっはははははははハハハハハハハ


 童の哄笑が野に響き渡る。


 コアは知るよしのない事だが、魔女の家や修練場を中心に樹海内でゴブリンの集落群が形成されつつあった。

 実り豊かな森、天敵に襲われる事もなく、乱暴者に虐げられる事のない楽土。

 ここは全てのゴブリンが求めたる理想郷。

 カミに庇護されし楽園。


 ただ『カミ』は気まぐれで機嫌を損ねると追いかけ回されるのだ。


 ギイイイイイイ!


 おらおら、もっと速く駆けんと食っちまうぞ。


 ギイイイイイイイイイイイイイイイイ!!


 この日より命知らずの好奇心旺盛なゴブリンを追いかけ回すのが修練と対になったコアだった。

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