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誤字やご指摘を頂いておりますが、完結後にまとめて修正する予定です
「アークライト夫人のおっしゃる通りでしたな。このボタンはアークライト夫人の思い出の品のようだ。アンナ嬢。ボタンはアークライト夫人へ渡してよろしいかな?」
アンナ嬢が頷くのを見てから上役は母へボタンを渡した。
母は裏面の『A to V』を確かめた後、今度こそ無くさないといったようにバッグへしまった。
立ち上がりアンナ嬢とクライン夫人に向き合うと深々と頭を下げた。私もそれに倣う。
「乱暴にして申し訳ありませんでした。」
クライン夫人とアンナ嬢も立ち上がり、丁寧に応じた。
「頭をお上げください、アークライト夫人。娘にも、突然のことで怖い思いはさせてしまいましたが……」
一度、言葉を選ぶように視線を落とし、それから静かに続ける。
「大切な思い出のお品が戻ってきたのでしたら、私どもに異存はございません。」
クライン夫人とのやりとりが一段落したところで、ベルナール夫人が静かに立ち上がった。
「クライン男爵夫人、ならびにアンナ嬢」
ベルナール夫人は、まず入り口側の席へと向き直り、深く頭を下げた。
「我が娘が、ボタンをお渡ししたことで、このような場にお連れしてしまいました。母として、お詫びのしようもございません」
ベルナール夫人は今度はゆっくりと体の向きを変え、壁側の席――私と母の方へ向き直る。
「アークライト伯爵夫人。そしてリディア様」
その声はかすかに震えていたが、言葉選びだけは決して乱れていなかった。
「我が娘が大切なボタンを持ち出してしまい申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます」
そう言って、ベルナール夫人はもう一度、深々と頭を下げた。
横顔は青ざめているのに、背筋だけはぴんと伸びたままだった。
その隣で、ユウナは椅子に座ったまま、こちらの罪悪感を引き出すようなすすり泣きをしていた。
溢れでる涙をハンカチで抑えるように泣いていたユウナだったが、ベルナール夫人の言葉の後に、いやいやと言った様子で頭を下げた。
謝罪の言葉も言わないユウナにも、夫人の「持ち出した」という言い換えにも思うところがある。
だけど、たぶんこれで交流はなくなる。だから母はその態度に何も言わないのだろう。
長く続いた母たちの友情が終わってしまったのには少し切なくなった。
「庭でのトラブルは、ひとまず解決したようですな。では、こちらからもう一つ」
上役はそう前置きしてから、ゆっくりとユウナへ視線を移した。
「ユウナ・ベルナール伯爵令嬢。右手の中身を見せていただけますかな」
その瞬間、ユウナの表情が、ほんの一瞬だけ固まった。
すぐにまた大粒の涙を流しながら、ぎゅっと握った右手を胸もとへ引き寄せる。
「何も持っていませんわ」
指先に、かすかに力がこもる。
「そうですか」
上役は感情の読めない声でそう返し、今度は部屋にいる全員へ聞かせるように言葉を続けた。
「先ほど、王女殿下よりお預かりしたお話があります。
殿下が控室で、汚れを落とす為に外されたネックレスが、どこにも見当たらなくなったとのことです」
空気がボタンの件を聞いていた時よりも、もう一段階冷たくなった気がした。
「衛兵がユウナ嬢を見つけたのは、王女殿下の控室のそばでしたな。そこで何をされていました? 部屋に来てからもずっと右手を握っておられるが、何をお持ちで?」
ユウナはびくりと肩を震わせ、握りしめた右手をさらに強く胸元へ押し当てた。
「……何も持っておりません……少し、気分が悪くなってしまって。それで……」
涙で濡れた睫毛を伏せたまま、か細い声を絞り出す。
途中で言葉がうまく続かなくなり、ユウナの唇から、かすかな吐息だけが漏れ、焦点の合わない瞳が一瞬宙をさまよう。
ユウナの顔から、さっと血の気が引いた。
「ユウナ?」
ベルナール夫人の呼びかけに応えることなく、ユウナの頭が引っ張られたかのように傾いたかと思うと、椅子にすがりつくようにしながら倒れこんだ。
身体の重みと勢いに負けた椅子は、ユウナと共に大きな音を立てて床へ転がり、ユウナの握りしめていた右手も、同じように床へと叩きつけられる。
「失礼、ベルナール令嬢!」
慌てて駆け寄ったメイドが、意識を失ったユウナの肩を抱き、怪我がないかを確認する。
呼びかけると、かすかに喉の奥からうめくような小さな声がしただけで、ユウナのまぶたは固く閉じられたままだ。
上役が「脈はどうですかな」と確認する声が飛ぶ。
メイドが脈を取ろうとユウナの右手に触れた瞬間、ぐったりと力の抜けた右腕が揺れ、握っていたはずの手が、ゆっくりと開いた。
そこには――何もなかった。
床に転がったのは、頼りなく開かれた白い手のひらと、乱れたスカートの裾だけ。
部屋の中に、誰のものとも分からない小さな息をのむ音がいくつも重なった。
それぞれ思いは違うだろうが、部屋を占める感情のうち、一番多いのは安堵のようだった。
「ねぇ。ユウナ。聞こえているんでしょう。あなた、ネックレスをどこにやったの?もしかして、アンナ嬢のローブのフードの中?」
そんな部屋の雰囲気の中で、親友に問いかけた声は、自分でも驚くほど淡々としていた。
上役の視線が、ゆっくりと私に向いた。
「根拠はありますかな、アークライト令嬢」
穏やかな口調だが、眼光は鋭かった。
私は、横たわるユウナと、その右手、それからアンナ嬢のローブへと視線を移してから、ゆっくりと口を開いた。
「もし、衛兵がユウナを見つけた時に王女殿下のネックレスを持っていたとしたら、この部屋に来るまでのあいだに、誰にも気づかれずに処分するのは難しいと思います。
それでもここにないのなら……“どこかに隠された”と考えるのが自然だと思います」
そこで一度息を吸い、ユウナが部屋に入って来た時のことを思い出しながら続けた。
「ユウナは、入室して席に座る前に、アンナ嬢の背中に触っています。
隠すとしたら、そのタイミングだと思います」
私の言葉を聞き終えると、上役はほんのわずかに目を細めた。
「ふむ……」
短く唸ってから、今度はメイドの方へ顔を向ける。
「クライン嬢のローブのフードを、確認してもらえますかな」
呼ばれたメイドは、支えていたユウナをベルナール夫人に託すと、すぐにアンナ嬢の背後へ回った。
「アンナ嬢、失礼いたします」
クライン夫人が一瞬だけ娘をぎゅっと抱きしめ、それから小さく頷く。
アンナ嬢は不安そうにローブのフードへ手をやりながら、じっと前を見つめていた。
メイドはアンナ嬢の背後に回ると、ローブのフードをそっと持ち上げる。
「アンナ嬢、失礼いたします」
小さく断りを入れてから、慎重に指先をフードの内側へ滑り込ませた。
左右に指を動かし探った後、重たい事実に直面したように目を閉じた。
「……ありました」
短くそう告げる声が、やけに鮮明に響いた。
メイドはそう言って、フードから細い鎖を引き抜き、上役に見せるように高く掲げた。鎖が揺れ、部屋の光に照らされてピンクの石がきらりと光った。
これまで気丈にふるまっていたベルナール夫人だったが、メイドが掲げるネックレスを見た途端、ついに顔をゆがめて泣き出した。
「ユウナ……。なんで、こんなことを」
腕の中の娘に話しかけるが、ユウナは目を閉じたままだ。
上役はしばしネックレスを見つめ、それからゆっくりと頷いた。
「……王女殿下のネックレスで、間違いなさそうですな」
そう結んでから、今度は部屋全体を見渡す。
「ユウナ・ベルナール伯爵令嬢を別室へ。
クライン男爵家、ならびにアークライト伯爵家には、ここまでお付き合いいただき感謝いたします」




