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十三夜  作者: 由来
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名前の無い病

 高校は遠い所を選んだ。知った顔を見てしまうと、中学の思い出が蘇ってしまいそうだから。電車通学のため、バイトも始めた。

 二年生になってすぐ、俺はいつもの電車に、俺と同じ高校の制服を着た女が乗っている事に気が付いた。見慣れない顔だった。新入生だろう。そう思っていたら、彼女がその短い癖のついた髪を耳にかけ、その拍子に、二重瞼の、くりくりとした目がこちらを見て唇を動かした。目が合ったので、挨拶をしたのだろう。俺は軽く会釈をした後、距離をとりつつ登校した。

 それから数週間が経って、俺と彼女は少しだけ話すようになった。名前も知る事ができた。

「もう学校には慣れた?」

黒瀬灯のぱっちりとした目に見つめられ、俺は振り絞ってそう言う。

「はい!入学前は心配だったんですけど、クラスのみんなも話しやすくてよかったです。一人仲良い子がいるんですよ!髪の毛サラサラでかわいくて、友達想いの超いい子なんです!」

「友達ができたみたいで良かった。怖い人とかいない?先輩でも、同級生でも」

「いないです。先輩たちとは関わりがないので分からないですけど、多分大丈夫だと思います!」

「それなら良かった。何かあったら相談してね」

「ありがとうございます!」

降りる駅まで、あと二駅ある。この気まずい雰囲気を破ったのは、黒瀬灯だった。

「あの、先輩。今日、一緒に帰りませんか?」

いつも帰り道で話すのは駅からなのと、これで親睦を深められると良いなと思って、俺は「良いよ」と返した。


 それから暫く経った、雨上がりのじめっとした日。俺達は西陽に顔を顰めながらも、三叉路までの道をいつも通り歩いていた。

「先輩って、告られるならどんな感じに告られたい人なんですか?」

俺達は恋バナをしていた。駅を出て少し経った頃、黒瀬灯がいきなり「先輩!たまには恋バナでもしてみましょう!」と言ってきたからだ。

「どんな感じかぁ、考えた事も無かったな。やっぱり対面で『付き合ってください』じゃないか?こういうのはシンプルイズベストだよ」

「先輩、面白みが無いですね」

黒瀬灯の澄んでいて、かつ鋭い声でそう言われた。それに胸を貫かれ、恐る恐る黒瀬灯の方に視線を向けると丁度、その二重瞼の目と、俺の目が合った。

「それじゃ先輩、私と付き合ってください」

彼女は焦げ茶の瞳でこちらを見上げ、少し上擦った声でそう言った。

「よろしくね」

俺は、そう返した。

 正直、俺は彼女を恋愛対象として見ていなかったし、それどころか、まだ栗名結衣に向けた感情は仕舞う事ができていなかった。それなのに俺は、栗名結衣の事を忘れたくて、付き合ったら黒瀬灯の事を好きになれると思って、告白を受け入れた。受け入れてしまったのだ。これでようやく、「あれ」を過去の出来事にできる。そして何より、こんな俺を好いてくれて、付き合いたいとまで思ってくれている子がいるのだと。もう、今後一切彼女の事は忘れて、この子を幸せにしようと、本気でそう誓った。

 三叉路で黒瀬灯と分かれて、俺は家までの道を、足取りの軽さを感じながら歩いていた。その途中、死んだ鳩が二羽の鴉に食われていた。


 俺は黒瀬灯を恋愛対象として見れないのかもしれない。俺と黒瀬灯の匂いが服で混じっているのを感じながら、俺はそう考えていた。

 付き合ってから一ヶ月が経っても、俺は黒瀬灯を好きになる事ができていなかったのだ。俺達は何回もデートをした。俺は、何回も彼女の笑顔を見た。彼女は、何回も俺を笑顔にしてくれた。この一ヶ月で、色んな事をした。だが、どうしても、好きになる事ができていなかった。そのうち、このまま付き合っていくのは、不誠実なのではないかと思うようになった。人間というものは、一度そう思ってしまったら、蟻地獄に嵌ったかのように、それに思考が囚われてしまう。俺が黒瀬灯に対して罪悪感を抱き、それに押し潰されるまで、何週間とかからなかった。栗名結衣は、これに数ヶ月という長い間、闘い続けていたのか。そりゃあ、死にたくもなる。そう思ったのを覚えている。少なくとも、俺には辛抱できなかった。

 臆病な俺は、メッセージアプリで別れを告げた。もちろん、正直に話した。だから、返ってくるのは罵詈雑言の嵐だろうと思っていた。しかし

返ってきたのは、意外にも淡白な言葉で、俺は心から安堵したのをよく覚えている。彼女は怒ってないのだと、この事が学校に広まるのを懸念しなくても良いのだと、俺はまた、自分を第一に考えてしまった。俺のこの性は、生涯、治る事は無かった。


 高校も卒業しようかという頃、俺はもう、俺の持つ恋心(そんなに可愛く、綺麗なものでも無いが)が嫌になっていた。それはそうだ。俺の頭の片隅にはいつも栗名結衣がいる。例えば、パンダのニュースを見たとしよう、そうすると、栗名結衣が自慢気に「先に『パンダ』って呼ばれてたのはレッサーパンダなんだよ!なのにパンダが見つかったから、小さいって意味の『レッサー』を付け足されたんだって。知らなかったでしょ」と、訊いてもない豆知識を披露してきた事を思い出す。例えば、ポイ捨てをする人を見たとしよう、そうすると、同じようにポイ捨てする人を見た栗名結衣が、態々拾ってゴミ箱へ捨てていたのを思い出す。俺は、栗名結衣を忘れたくて、仕方が無かった。

 そんな時、バイト先に新しく学生が入って来た。俺と同じ高校に通う、二年生。佐伯遥香だ。俺と彼女が同じ高校に通っているという事もあって、俺が彼女の研修係になった。緑の黒髪をした彼女は、目元だったり雰囲気だったり、どことなく栗名結衣と似ていた。最初は関わるのが嫌だったが、研修係を任されたので、致し方無く仕事を教えながら、俺達は段々と仲良くなった。彼女からして、一番頼りやすいのが俺だという事もあったのだろう、彼女は、俺によく話しかけてくるようになった。先程も言ったように、最初は嫌だった。彼女を見ると栗名結衣を思い出してしまう。それは、栗名結衣を忘れたい俺にとっては苦痛でしか無かった。けれども、そんな事情を知らない彼女は遠慮無く話しかけてきた。連絡先も交換して、バイト中も、バイトから帰った後も、色んな話をした。好きな音楽や学校の行事の話、この先生の話が面白いだのつまらないだの、そんな事を、沢山話した。そうしたら俺は少しずつ、佐伯遥香を、佐伯遥香として見られるようになった。

 彼女は、哲学的な、答えの無い話にも、真剣に耳を傾けてくれた。「愛とは何か」のような話だ。この話題が出た時、俺は「自分を優先せず、相手を想い続けられるような感情」だと答えた。彼女が言う愛に、俺は感銘を受けた。

「私は愛には二つあると思ってて、一つは、相手に見返りを求める事無く与え続けられる愛。もう一つが、相手を許せる愛。その二つが揃ってやっと『愛』って呼べると思います」

これが、彼女にとっての、愛の定義だった。俺はそれに倣おうと思った。俺は、そこに惹かれた。

 俺はそれから、もっと彼女の考えを知りたいと思い、そういった話題を頻繁に佐伯遥香へ投げかけるようになった。「善悪とは何か」や「ロボットと人間の境界線はどこか」等だ。それでも彼女は嫌な顔一つせず考えてくれるものだから、俺はもう、どんどんと、佐伯遥香という底無し沼に沈んでいった。

 暫くすると、俺達は店長に「仕事中にイチャイチャするなよ〜」と揶揄われる程に仲良くなっていた。「佐伯は嫌だろうな」と彼女の方をちらと見ると、彼女も、紅潮かつ満更でも無い顔をして「してないですよ〜」と言って、その一重瞼を細めて笑っていた。俺が彼女を意識し始めたのはこの頃だったように思う。シフトを見て、彼女がいる日は喜び、彼女を目で追っていた。何かを考える彼女の横顔は、彫刻のように綺麗だった。いない日は少し寂しい気持ちになった。いないのが通常だった筈なのに、いつの間にか、彼女がいて、彼女と話し、彼女の笑顔を見る、そんな日常が当たり前になっていた。

 この頃の俺達は、両片想い特有の掛け合いをするようになっていた。傍から見たら、あたかも付き合っているように見える、そんな掛け合いだ。それが、二ヶ月程続いた。そのうち、俺の中で、底の見えないどす黒い孤独感が顔を出し、俺を、その崖っぷちへと誘うようになった。いや、というよりは、俺が元々持っていた「孤独感」という癌が大きくなり、俺を蝕み始めた。兎に角、俺の持つその病に、俺は苦しめられるようになった。


 佐伯遥香がこの店で働き始めてから数ヶ月が経ち、もう彼女に研修は必要無くなった。俺はもうすぐ卒業してしまう。卒業後は地元から少し離れた会社に就職するので、このバイトは辞めなければならない。もう内定も決まっていた。そうしたら、もう彼女と会う事はできないかもしれない。俺はそう思って、すぐに告白し、彼女もそれに応えてくれた。これで、この孤独感に犯される事も無くなると、そう思っていた。


 翌日の夜、通知が鳴った。佐伯遥香からだった。心踊りながらメッセージを開くと、そこには「急にごめんなさい。別れましょう」という文があった。俺の心はまた、冷たい煙に侵された。すぐに理由を訊いた。どこが駄目だったのだろう。それを知らなければ、俺は今後、眠る事も、ご飯を喉に通す事もできない。

「私、黒瀬灯と友達なんですけど、先輩、黒瀬と付き合ってたらしいですね。しかも好きな人がいるからって一ヶ月で振られたって聞きました。そりゃ別れたくもなるでしょ」

そう返ってきた。俺はまた、自分の勝手で人を不幸にして、自分自身をも不幸にした。中学の時から何も学んでいない。自分は人間という生き物の、淘汰される側なのだ。それを、酷く痛感した。

「別れるのは受け入れるから、説明させてくれ」齟齬のあるまま別れるのはどこか引っかかる。この期に及んで、自分の気持ちを優先した末の言葉だ。俺は説明した。中学の時にとある人と付き合っていた事、高校に入ってもその人を忘れずにいた事、そんな中で黒瀬灯が現れて俺を好きだと言ってくれ、忘れられるかもと思ってしまって付き合った事、そして、数ヶ月が経っても忘れられず、別れを切り出した事、本当に申し訳無い事をした。と、ありのまま説明した。「そうですか。ありがとうございました」と返ってきて、そのまま、連絡は途絶えた。

 それからの俺の事は言うまでも無いだろう。激しい自己嫌悪、学校中で噂になっているんじゃないかという恐怖。一週間前後、学校を休んだ。人の目が怖くて、行けなかった。友達だと言ってくれていた奴が、他人行儀になっているのではないかと思って、それを確認するのが怖くて堪らなかった。

 俺はさっき、一週間前後、学校を休んだ。と言った。それは、その後すぐに退学したからだ。


 俺が陰気な気分を紛らわせようとSNSを見ていると、とある投稿がバズっているのが目に入った。「何コイツ、私が悪いみたいに言ってるんだけど。そもそも好きなんて言ってないし」という文章と共に画像が添えられていた。その画像を開くと、それは俺の文章だった。文章の癖どころか、一言一句、俺の文章だった。

 俺はそのアカウントのプロフィールを開いた。フォロワーは数百人。発信している事は愚痴ばかり。投稿を遡っていくと、とある投稿が目に入った。

「あいつ私の友達に哲学の話ばっかするらしいんだけど。何、カッコつけてんの?w」

というものだ。それはおかしい。俺と佐伯遥香が知り合いだという事を黒瀬灯が知ったのは一週間前の筈。この投稿がされたのは、二ヶ月程度前の事だった。この投稿には返信があった。

「ガチキモイよね〜この前なんて、ロボットと人間は何が違うかみたいなの聞かれて鳥肌もん」

そうか、二人は元々繋がっていたのか。この時、俺は自分の気持ちが分からなかった。俺は今、誰に憤っているのか。二人か?それとも俺自身か?そもそもこれは怒りなのか?悲しみか?恐れではないか?いや、その全てだろう。「潰れる」はっきりと、そう感じた。どこか高い所は無いかと家を飛び出し、探して、すぐに家の近くで六階建てのマンションを見付けた。外の階段から六階まで上って、深呼吸をし、下を見てみた。でも、脚が動かない。身体が自分のものではないみたいに、全く動かない。俺が初めて死を実感したのはこの時だ。今まで溜め込んでいたものが溢れ出した。孤独感や自己嫌悪、愛への欲望だ。その晩は顔をびちゃびちゃに濡らし、嗚咽しながら明かした。


 その後俺は、すぐに退学した。卒業まで数ヶ月だし、内定も決まっていたため、勿論、先生や両親から怒られたし、色々訊かれた。それを分かっていても尚、学校へ通い続けられるような度胸も自信も、俺は持ち合わせていなかった。最後には、周りの人皆から心の病院を勧められた。言われた通り、病院に通った。だが、その担当医から何かの病気だと診断される事は無かった。鬱状態ではあるが、鬱病では無いと。「病気であったら」本気で、何度もそう思った。いや、発症したい訳ではなく、この心を健常だと言われるのが、どうしようも無く、辛かった。だったらいっそ、これが病気であれば、この状態に名前が付いていれば、幾分かは気が楽になり、楽になる道筋も見えてくるのだろうなと、そうに思った。楽になりたかった。だが、俺はそのための方法を、終ぞ見付ける事ができなかった。


 俺は見事に落っこちた。高校を中退し、内定まで蹴ったフリーターとなってしまった。元のバイト先は辞めざるを得なかったので、また、慣れない仕事を覚え直した。一つずつ仕事を覚えていく。前は楽だったこの手順が、嫌に永く感じられた。バイトの時間が億劫で仕方無かったが、それを辞めてしまっては、俺はただ家に住み着きご飯を食べるだけの寄生虫となってしまう。だから無理矢理バイトを続けた。バイトをするために起き、終わったら更に次のバイトへ向かう。それが終わったら帰り、寝て、起きたらまたすぐにバイトへ行く。そんな生活をしていた。

 もちろん就活もしたが、残り数ヶ月で高校を中退し、内定を蹴った奴を採用する会社など、ある筈も無かった。俺の肩身は狭くなる一方だった。どんどん、自分を好きになれなくなった。自分の人生を振り返る行為、それは俺にとって、自分を嫌いになるための行為と同義だった。

 先程言ったように「これ」には名前が付かなかった。だから、周りからの目も酷く痛かった。「あと少しで卒業だったのに」「でも鬱じゃないんでしょう?」「親のスネかじりだなんて、親不孝だ」ひそひそと、そう言われていた。また、直接言われる事もあった。それだけで俺は、恐怖に震える他無かった。それでもまだ、心のどこかでは救われる俺がいた。まだ、俺に期待をしてくれているのだと。


 三年が経った現在、俺は二十一歳になった。就職先は見付からず、俺は未だ実家暮らしのフリーターである。他人から直接お小言を言われなくなってから、どのくらいだろうか。嬉しいが、また、悲しくもあった。まだ、何かを言われている方が、まだ期待してくれているのだなと感じられ、楽だった。それが無くなってしまっては、もう、誰からも、興味も期待も向けられていないのだと、実感させられる。また諦められた。それは俺を壊すには十分な程の苦痛だった。「働け」だとか「何ですぐに卒業だったのに辞めたの?」だとか、そんな事を最初に言わなくなったのは、やはり、両親だったように思う。

 最近、よく、こんな考えが頭に浮かぶ。「もし俺が死んだら、葬式には誰も来ないのでは無いか。墓参りにだって、誰が来ようか。墓に入っても、俺は独りなのか」と。友達は疎か、連絡を取る人すらもいない。俺は、自分の存在価値が分からない。俺以外の皆が結託して自分を独りぼっちにしているような、そんな気がしてしまう。なのに、死ぬという事も、怖くて怖くて仕方が無かった。もし本当に誰も墓参りに来てくれなかったら、その悲しみは俺には耐えられない。その上、魂だけになってしまっては、もう、それ以上逃げられる道もあるまい。俺は既に廃人と化していた。

 数年前、精神科に行った時、俺の抱えるこれを話したら「病気じゃない。正常だ」と言われた。だが、これが正常であっては、俺はとても堪らない。これはきっと、名前の付いていないだけの、立派な病気なのだ。あるいは、あの医者が藪医者だったのだ。でなければ、皆、これを抱えている事になる。そんな世の中で良い訳が無い。世の中というものはもっと、もっと明るくあるべきだ。


 それはつい数時間前、もう日も暮れて、バイト先から帰っている時だった。栗名結衣が、中年であろう男と歩いているところを見た。それも、彼女には似合わないような、派手な格好をして。俺は、どうすれば良いのか分からなかった。心が冷たく、不快なものに侵されていた。それに、それがいっぱいになり、心が割れ、噴き出してしまいそうだった。もう、保身などというものを案じている余裕は無くなっていた。気付けば俺は、その男の肩に手をかけ、遂に殴った。男が倒れ込む中、栗名結衣はぎょっとして、それからすぐに俺だと気付いたようで、俺の名前を呼び「何で」とか「この人は」と、半分怒鳴るような声で叫んでいた。だが、この時の俺は、それに耳を傾ける事をしなかった。この男が誰だとか、そんな事はどうでも良かった。この時の俺は理性も何も無い、ただの獣だった。ただ感情に任せ身を動かす、それだけだった。

 拳の痛みで我に返り、俺はやっと、その冷えた頭で事の重大さを理解した。走った。体力も無いのに、全力で。どのくらいの距離を走ったのだろうか。もう俺の周辺に、俺が何故走っていたのかを知っている者はいなかった。歩き出すと、久しぶりの運動だったので膝が笑っていた。心做しか、どすどすと、いつもより足音も大きく感じられた。

 運動をして血流が良くなり、頭も良く回った。何であんな事をしたのだろう。ひたすらに考えた。そうして察した。あぁ、俺は、愛した女の事情も考える事のできない人間なのだ。もう、死のう。これ以上生きていても、また、彼女に迷惑をかける事があるかもしれない。それを制御できると言い切れないのだから、もう、死のう。それより他に、俺が人に迷惑をかけない道は無い。どうしても死ぬのは怖いが、生きていても死んでも孤独なのだったら、せめて、人の為に死のう。良く回る頭で考えながら向かったのは、踏切だった。


 踏切の前に来てから既に、電車は五本も通って行った。己の臆病さに、ほとほと呆れる。俺はまだ、生に執着があるのかと。視界も滲んで、碌に前も見えない。膝は笑うのを止めたが、まだ脚は震えていた。手も震える。次の電車にしよう。そう決意した。

 電車が来るまで、俺はずっと今までの人生を思い返していた。俺は一度も栗名結衣に「好き」と言われた事が無い。彼女なりの良心だったのだろうか。せめて嘘は吐きたくなかったのかな。俺にもそんな心があれば、どれ程長生きできただろうか。俺は色んな人を不幸にしてきた。栗名結衣をはじめ、黒瀬灯や両親。高校の先生、俺が就職する筈だった会社の社員。俺は、人に迷惑をかけた事の方が多い、人間の底辺だ。そんな俺でも、たった一度で良いから、嘘でも良いから、栗名結衣に「好き」だと言ってほしい。俺は彼女に電話をかけた。何回も何回も。だが彼女が電話に出る事は無かった。中学を卒業してから六年経っている。それに、あんな事もあったし、そりゃあ、番号も変わっているだろう。そんな事、ずっと分かっていた。でも最期に信じたかった。もう、俺の心に温度は無い。

 やけに頭が回る。回れば回る程、死という結論に近付いていく。だが、俺の気分は晴れやかだった。俺は人が好きだ。怖くて信用ならない、それに変わりは無い。俺の人生を壊したのは人だ。だが、俺が孤独の谷に誘われようとしている時、引き留めてくれたのもまた人だった。二十一年も生きてきて、やっと、俺は人の役に立てるのだ。これ以上に喜ばしい事は無いだろう。


 あぁ、がたんごとんと、電車の来る音が聞こえる。俺は下がる踏切を潜り抜けた。今日は十三夜。俺の一番好きな日である。月がとても綺麗だ。

 滲んだ視界が照らされ、嫌に眩しい。そんな中、ふと、今まで気にもならなかった、気になるべきだった、そんな疑問が浮かんできた。

「栗名、あの後友達できたのかな」

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